あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2015年極月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2015-12-31 11:49:58 | Weblog


ある晴れた日に第356回


いくら野良犬でも解剖してはいけません綾部高校生物クラブ

亡き父と同じ年まで生きたのでもう明日からは楽しき余生

時代劇の名悪役として知られたる五味龍太郎静かに逝きたり

「ジェジェジェジェ」の賞味期限が尽きたので「びっくりぽん」に乗り換えてます

マーリンズ外野の控えに甘んじて鈴木一郎ストーブにあたる

てやんでえ消費税などみなやめっちまえ景気などすぐに回復するじゃろ

ひむがしの空より谷戸に光差し竜胆の花いま開かんとす

いくたびも迷いし末に需めたり十年連用日記既に古稀過ぎたれば

古稀過ぎて迷いし末に求めたり博文館の十年日記

なにゆえにいくら探しても見つからぬわたくしと天皇を結ぶ一本の糸

大丈夫君も僕も地球も太陽も日々滅亡に向かってるから

共産党昔は右翼と思いしがこの頃まともなことをいう

死に急ぐこととも知らず益荒男はひたすらけなげに生き急ぐなり

タイヒラメ美美しく並んでいるけれどとどのつまりは魚の死体

イケテルと思いしことが泥まみれ他人事ではないWの悲劇

爆買いの中国人の歓声が轟き渡る銀座八丁 

吉田翁が推薦されしレコードを師走の銀座で需めしあの頃

年の瀬に読みたき記事はただひとつ吉田秀和のお薦めCD

妻は子の我は我のみの行く末を案じて眠れぬ寒き夜かな

書を捨てて街へ出よと妻は説く寺山修司を知ってか知らずか

むざむざと鴉と雀に喰われけり無住の隣家の鈴なりの柿

蟷螂の腹より出でし発条にデザインされた舗道を歩む

シューベルトの「未完成」を聴きながら思うこといかなる生も未完成なり

外出の時は新しい肌着を身につけるいつどこで何があるか分からないので

マカ不思議有名人物の名さえついてればただの紙切れが札束に化ける

淫行という言葉の妖しさよ生涯に一度くらいは淫行したし

熱海にも鎌倉にも支局持つNHKの人の多さよ

基督も博士もいない聖夜祭

轟々と万物流転す極月尽


     原節子野坂昭如三津五郎水木米朝鶴見俊輔 蝶人

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すべての言葉は通り過ぎてゆく 第30回

2015-12-30 11:53:36 | Weblog



西暦2015年師走蝶人狂言畸語輯&バガテル―そんな私のここだけの話 op.221



生協の配達の女性が「今日で仕事を辞めます」と告げた。すべてに別れというものがある。12/1

決められた原稿ばかり読み続けているアナウンサーが、公共の電波を通じてではあるものの、些細な私事や、常日頃自分が胸中の奥底に秘めていた感懐を吐露することは、年に一度くらいは許されてもよいのではないだろうか。12/2

朝日新聞の同じぺージに連載されている沢木耕太郎の「春に散る」の下らなさと、大昔の漱石の「門」の面白さを見せつけられるにつけ、小説の進歩などないのだと思わせられる。12/3

思うに新聞小説には、本編の「大きな山」のほかに日々掲載される原稿の中にも「小さな山」がなければならない。「それから」でアマチュア作家を脱してプロフェッショナルに変身した漱石には、そのことが分かっていたが、沢木選手は呑みこみが悪いようだ。12/4

いくら節約を旨としていても、冠婚葬祭や突然の事故や病気や手術や入院や療養費、あまつさえ不条理な税金のふんだくりを強要されるので、結局この世ではいくらあってもお金が足らないということになる。12/5

年賀状だって毎年もうやめにしようと思うのだが、こちらがやめても向こうから来れば書かざるを得ないし、これが浮世の義理人情だと思いながら、今年もそして来年も続けていくのだろう、わが人世のごとく。12/6

とても大事だと思っていた件に限って、度忘れしたり無意識に棚上げしていたりする。人世なんて、あっという間に流れ去ってしまうというのに。12/7

御大層な大理論は私には無用の長物だ。ふと流れてきたひとふしの調べ、ふと小耳にはさんだ片言隻句に激しく心惹かれるのである。12/7

憲法9条の戦争放棄の規定は、同時進行していた国連の理想実現への努力とわかちがたく結びついていたのでした。日本は世界に先んじてモラル・リーダーシップを発揮するのだと46年2月21日にマッカーサーは幣原首相に述べていたのです。加藤典洋「戦後入門」12/9

安保法制については自民の言いなりになっておきながら、目糞鼻糞の軽減税制について赤ん坊のようにグジャグジャいちゃもんをつける。公明党ちゅうのはどうしようもない政党だな。12/9

そもそも「維新」なんて名前がダサすぎる。こういう名前を有難がり、こういう名前が象徴するなにやらきな臭い思藻のようなものに慕い寄ってゆく政治家の、時代錯誤の知性と感性からは、もはやなにも期待できないな。12/9

同じ局でも、アナウンサーによって金星探測機「あかつき」のアクセントがちがう。最初は「か」を強く上げていたのに、途中から4文字を同じ高さでフラットに発音するように転向したアナウンサーもいた。ま、どうでもいいようなものではあるが、どっちが正しいのだろうね。12/9

晩年にリヒテルがイタリアの寒村で演奏したバッハを聴いていると、人世と音楽がひとつに溶け合った枯淡の境地がゆくりなく伝わってきて、ああ、これでいいのだ、という気持ちになってくる。12/12

軽減税率を巡る自公のボス交のおかげで、彼奴等が公約していた「社会福祉への手厚い配慮」などは完璧に闇に消え去り、その代わり増税に次ぐ新たな増税が浮上してくるというわけだ。消え去るべきは自公だ。12/13

「自虐史観」批判と「自賛史観」肯定は謝罪および謝罪要求の回避という1枚のコインの表と裏なのです。加藤典洋「戦後入門」12/14

障害基礎年金を受け取っている精神・知的・発達障害者のうち、1割に当たる約7万9千人が、来年度から支給停止や支給減額になる恐れがあるそうだ。自公民草テロ政権は、富裕層を限りなく優遇し、返す刀で貧民老人病人障碍者を限りなく抑圧しようとしている。12/15

対米従属を脱し、国民本位の政治的自由を回復しなければなりません。つまり完全な独立国家となることが必要です。しかしそれは一国的ナショナリズムのためではない。インターナショナリズム、国際主義を通じての「誇りづくり」がここでの理念的基軸なのです。加藤典洋「戦後入門」12/14

斉藤斎藤、蘇我倉山田石川麻呂、クルム伊達公子、ヨハンネス・クリュソストムス・ウォルフガングス・テオフィルス・モザル。夫の姓か妻の姓かの二者択一でなく、その両方を取り込み複合する重層的な第三姓を創造することが、自由な個人が作る新しく自由な家族にふさわしい。12/18

定義不能な、しかし大臼歯に潜む虫歯のように、明らかに急速に進行しているファシズムの暴威が、われらの市民社会の土台骨を揺さぶり、その地下茎を腐敗させている陰々滅滅たる軋みと震動が聞こえてくる。12/19

それにしても、芸能人やタレントやらモデルに踊りながら歌を唄わせ、商品名を連呼させればそれで一丁上がり、と考えている企業や広告製作会社やクリエイターの知性と感性の劣化は、そら恐ろしいばかりだ。12/20

自民党に政治献金を始めた銀行なんかに、おいらのなけなしの現金を預けたくないな。12/20

「どん兵衛」とかインスタントラーメンを食べるとまずくて軽い吐き気を覚えるが、中国や東南アジアの人たちもようやくそれに気付き、(ずっと以前から気付いていてもお金がないから仕方なく食べ続けていたのだ)、ちゃんとした普通のラーメンに触手を伸ばすようになったそうだが、こういうのを食の進歩というのだろう。12/20

27年間同じ場所に立ち続けた天皇が、いつのまにやら戦後民主政治の最大の擁護者として、左岸に突きだす灯台の一隅を照らす光になろうとは、いったい誰が予想しただろうか。12/23

クルト・マズア死す、88歳。この指揮者はドイツ統一の旗頭として名をあげ、NYフィルのシェフになったりしたが、肝心の音楽ではメンデルスゾーンの交響曲録音以外ではあまり記憶に残っていないなあ。12/24

国の赤字が1000兆円を突破しているのに、安倍蚤糞はそこにはまるでメスを入れず、膨大な金を外国にばら撒いたり、軍事費を限りなく膨張させたり、軽減税率で公明党や新聞社の御機嫌を取ってぬかりなく参院選対策をしながら、次世代につけを回している。12/25

降誕日の朝、異なる3か所で光と戯れる4頭の紫小灰蝶(ムラサキシジミ)を見た。幼虫の食草は常緑のカシ類。成虫で越冬するのだが、無事に春まで生き延びてほしいと願わずにはいられない。12/25

さて問題です。ナチの手先になってフランス国民を裏切りながら20世紀のふぁちょんを革命した女ココ・シャネル。その罪と功績はどちらが大きいでしょう?12/25

ユニクロのパンツはわりあい簡単にジッパーが故障する。あれは左翼と右翼が呵責のない非妥協的な戦いを開始してしまい、第三者機関が上を下への大騒ぎをして調停不能でもはや誰も身動きできなくなったせいだ。12/25

善き人の善き詩に出会うと、自分も善き詩を書きたくなるが、そうではないと詩なんか全然書きたくなくなる。12/24

「いいね」を押すのは単なる礼儀や無自覚な反射的行為であったとしても、その心根の奥に背後にあるのは好意の贈与であるから、それが分かった人は、その贈与をいいねで返す。12/27


  死に急ぐこととも知らず益荒男はひたすらけなげに生き急ぐなり 蝶人
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なにゆえに第22回~西暦2015年師走蝶人花鳥風月狂歌三昧

2015-12-29 13:49:35 | Weblog


ある晴れた日に第355回


なにゆえになんーもせんうちに師走となるんやあかんあかんこのままではあかん

なにゆえに貧乏人から税金を毟り取る安倍蚤糞が外国土産にばら撒くため

なにゆえにまたしても奥歯が痛む岸本先生が削り残したから

なにゆえにあかりちゃんはいつもバス停まで走ってゆく彼女のお母さんもそうするので

なにゆえに今日も朝から微熱が出るの右の奥歯が腐っているから

なにゆえに狂ったように拍手するパーヴォ・ヤルヴィ&N響の凡なる演奏

なにゆえに秋の次には冬が来るすべての家を眠らせるため

なにゆえに3万円を下流老人にばらまく参院選で買収するため

なにゆえに軽減税制でがたがた言ってる安保法制では言いなりだったのに

なにゆえにうちの息子は施設を休むこんな天気じゃやってらんない

なにゆえに道に小川が流れてる左の溝が堰き止められから

なにゆえに乾燥するのに6時間もかかるお外はだんだん晴れてきたのに

なにゆえに仕事がいつまでも終らない私の生が終らないから

なにゆえに今日もしくしく歯が痛むそれがおいらが生きてるあかし

なにゆえに車をぶつけて黙ってる君には良心というやつがないのか

なにゆえに新聞までも税軽減政権批判をさせない謀略

なにゆえに赤色警報が今日も出る北京は人間の住むところではない

なにゆえにワルターの音楽は温かい還暦にチャンチャンコを貰ってたから

なにゆえにブーレーズの指揮は冷たいお母ちゃんに抱きしめられなかった

なにゆえにクルト・マズアの「第九」は途中で止まったN響コンマスのチョンボゆえ

なにゆえにいくら探しても見つからぬわたくしと天皇を結ぶ一本の糸

なにゆえに朝の洗濯が終らないあと3分が延々続く

なにゆえにうちの息子はまだ帰らない超満員の江ノ電に乗ったか

なにゆえに関西人は列を守らぬ電車が来るとワッと駆け寄る

なにゆえに聞いただけですぐ分かるマリア・カラスと美空ひばり

なにゆえにHMVのHPは無茶苦茶になったのかかのローソンに買収されたので



なにゆえに「自閉症」が「自閉症スペクトラム」に名称変更 耕君が虹の彼方に住んでいるので 蝶人
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年の瀬のモーツァルト

2015-12-28 12:55:46 | Weblog


音楽千夜一夜 第354回

 誰がどんな楽器でどのように演奏しても楽しめるがモザールであるが、ここではフランツ・ブリュッヘンの指揮によるアムステルダム・モーツアルト・アンサンブルがヤープシュレーダーを迎えて演奏したヴァイオリン協奏曲やフランス・フェスターによるフルート協奏曲などが典雅な調べを奏でる。

 いずれも古楽器による演奏であるが、これがその時代に実際に鳴った音であるかいなかを論じるようなやぼをいうひとはもはや誰もいないだろう。

5枚のうち4枚は録音に定評のあるSEONレーベルなので、ことのほか香ばしい音で奏でられる。年始年末にふさわしいクラシックの逸品として推せるだろう。


  マーリンズ外野の控えに甘んじて鈴木一郎ストーブにあたる 蝶人

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邦画をみるずら

2015-12-27 11:24:24 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.957、958


○市川昆監督の「黒い十人の女」をみて

和田夏十脚本が下らないので才人市川昆も腕の振るいようもなかったのだろう超がつく愚作である。せっかく水もしたたる全盛期の山本富士子や岸恵子が出ているというのに勿体ない。本作なんかじゃなくて別のに出ればよかった。


○大森美香監督の「プール」をみて

タイの田舎に住む日本人たちの静かな生活を描く。そこに流れるゆるやかな時間の流れと映画的時間の流れがシンクロするときに平安を感じる。


○保坂延彦監督の「そうかもしれない」をみて

耕治人の原作を2005年に映画化したもの。認知症になった老妻を介護しつつ自らも病魔に斃れる老作家。2人の愛と哀切な生涯を桂春団治と雪村いづみが熱演。なんというか人ごととは思えない映画である。

  
   古稀過ぎて迷いし末に需めたり博文館の十年日記 蝶人
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懐かしのBBをみる

2015-12-26 11:58:34 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.957、958


○ミシェル・ボワロン監督の「殿方ご免遊ばせ」をみて

原題は「パリ娘」。しかしただのパリ娘ではなく仏蘭西大統領のお転婆娘をブリジット・バルドーが演じ、大公のシャルル・ボワイエや夫のアンリ・ヴィダルを手玉に取る恋と遊びの楽しいロマニチッチコメディ。たまにはこういう映画もいいな。


○ロジェ・ヴァディム監督の「素直な悪女」をみて
自由奔放に生きる女ブリジット・バルドーが渋い中年のクルト・ユルゲンスとジャン=ルイ・トランティニァン兄弟の3人の男を手玉に取って我が道を行くお話。当時のセックスシンボルのバルドーをみせびらかすべく凡庸な監督が撮った凡庸な映画ずら。


  タイヒラメ美美しく並んでいるけれどつまりは魚の死体なり 蝶人
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イーストウッドの映画2本ずら

2015-12-25 15:44:04 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.955、956 



○クリント・イーストウッド監督の「J・エドガー」をみて

 俳優として成長したあのディカプリオ選手が、FBI長官のフーバーをいそいそと演じている。あと20年もしたら名優になるかもしれないな。

 フーバーはVIPの個人的秘密情報をこっそり入手してそれで大統領や司法長官をゆするものだからニクソンまでは誰も首を斬れなかったのである。あの地獄の仏蘭西革命を生き延びたジョゼフ・フーシェにちょっと似ているな。

 しかしフーバーがホモとは知らなかったずら。

○ドン・シーゲル監督の「白い肌の異常な夜」をみて

 女の園に逃げ込んだ北軍兵士が両手に花、酒池肉林と喜んだにも束の間、足を切断されたばかりかとうとう毒殺されてしまうという笑えぬブッラック喜劇ずら。イーストウッドも妙な映画に出たもんだ。というかそんなチョイスさえ出来ない売り出しちうの時代の産物であろう。


  イケテルと思いしことが泥まみれ他人事ではないWの悲劇 蝶人

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共和国について~これでも詩かよ第165番

2015-12-24 14:15:56 | Weblog


ある晴れた日に第354回


ある朝、アベ独裁体制にドタマに来たイシバ地方創生相が突如逆上した。

ギャクジョー、アタマニキタジョー、アシタノジョー。

「どこへ行っても地方は全部死んでる。どんな田舎でも国が助けてくれることだけを期待している。オラッチはもう知らん、シラン。お国のあてなんかに期待せずに、あんさん自主独立して勝手にやってみなはれ!」

すると「ああそうですか」というて、岩手県上閉伊郡大槌町が1982年の独立宣言を33年振りに更新し、改めて新キリキリ国として独立した。

キリキリ、ギリギリ、キリギリス。

その翌日、「よおーし、そおゆうことなら}というて、
普天間基地問題で業を煮やしていた翁長沖縄県知事が、日本国からの独立を宣言し、
「琉球共和国」として生まれ変わった。

するとその翌日の翌日、なんたら維新の連中が、選挙で大勝した勢いに乗って「てなもんやおおさか狂騒国」なる新都市国家を樹立した。

カワッタ、ワカッタ、キョウワコク。

それからしばらくして、オラッチの在の十二所村が、村民二百名の総意で独立した。

ドクリツ、コクリツ、ドクリツコウドウタイ。

あとは一瀉千里だった。

イッシャセンリ、サクライセンリ、センノリキュウ。

かのリヴァイアサンのごとき怪物に成りあがった新日本帝国から、離脱する市町村共同体が相次ぎ、この国はあアッというまに三々五々、四分五裂さ。

アラアラアラ、サンザンブンレツ、リヴァイアサン。

で、なにが起こったって?

帝国は、たちまち徳川家不在・天皇家不在の江戸時代三百藩体制
のような独立国割拠の状態に逆戻り、
民草は、思い思いの憲法と政治経済社会体制を選んで、
末永く、それなりに仕合わせに暮らしましたとさ。

うむwmwm、ソレデイイノラ、ソレデイイトモ。


         基督も博士も見えず聖夜祭 蝶人
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林望謹訳「平家物語一」を読んで

2015-12-23 12:38:47 | Weblog


照る日曇る日第834回

 前著「源氏物語」の好評をうけて、いつのまにか「平家物語」の現代語訳が出ていたので一読しましたが、やはりこの人のは非常に分かりやすく読みやすい。

 本巻では巻第一から第三までを扱っているが、なんというても冒頭の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす」が源氏物語枕草子、徒然草、方丈記、芭蕉と並ぶ名文句でこれあればこそ、万巻の書物に抜きんでることができたのに違いないですな。

 おごれる平家、なかんずく頭領清盛の人もなげな横暴と、長男重盛の知的な沈着冷静とがことごとに対比され、あほばか清盛がもっと大人しくして野望を抑えていたら、あのように無惨に源氏に滅ぼされることもなかったろう、と言わんばかりの書き方であるが、さあどうであったろうかなあ。

「巻一」では早くも平家打倒を企む後白河院の意向を先取した鹿谷の陰謀が暴かれ、「巻二」では、首謀者一味の丹波少将所成経、平判官康頼入道、俊寛僧都の喜界が島流しが描かれている。

 流された彼らは、なんとか放免されて都に帰還しようと、「全島をくまなく歩いて熊野三所権現の再現を図った」と書かれているが、最近の研究現地調査でそれがその通りであったことが明らかにされたのは、この平家が単なる空想的なものがたりではなかったことを物語っているんだね。

「巻三」では重盛のとりなしで清盛は二人を赦免する。が、なぜか俊寛のみは取り残された。その俊寛を召使いの有王という少年が訪ねてきた、という叙述が本物であると信じられるのも、少年の問いかけに対して俊寛が、「この島には喰い物などないので、山に登って硫黄という物を掘り、九州から通ってくる商人に売ってこれを食い物に変えた」という証言を記録しているからにほかならない。

 平家は単なる文芸書ではなく、貴重な歴史書でもあるんであるんである。



  年の瀬に読みたき記事はただひとつ吉田秀和のお薦めCD 蝶人
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ジョン・フランケンハイマー監督の「RONIN」をみて

2015-12-22 12:36:38 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.954

 1998年製作のアメリカ映画で、ロバート・デ・ニーロ、ジャン・レノが出演している。

 冒頭と中ほどで、日本の武士の話、赤穂浪士の切腹の話が出てくるが、映画自体は謎のスーツケースを世界各国が奪い合うスパイ大作戦物語なり。

 さすがフランケンハイマー、これは今にも大事件が起こるのではないかとハラハラドキドキさせる異常な緊迫感が暗い画面に漂うが、「五月の七日間」ほどの面白さはない。

 一番の見どころは街中で繰り広げられるカーチエースのど迫力だろうか。


     爆買いの中国人の歓声が轟き渡る銀座八丁 蝶人
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加藤典洋著「戦後入門」を読んで

2015-12-21 11:17:46 | Weblog


照る日曇る日第833回

 刻一刻と変遷する「戦後」像を最終的に定義しようとする著者渾身の力作である。

 これまでの著者の著述は、どちらかというと原理論の展開に論考の主力が注がれていた。輻輳する政治社会の問題点をそもそもの淵源に遡って独自の視点で鮮やかに再構成してみせる、というような書式が多かったが、今回は一味違うアップツーデートな時局対応を試みている。

 いまや「戦後」そのものをぶち壊そうとしている安倍政権の暴挙を、土俵際で巻き返すための、憲法第9条の改定を含めたアクチュアルな安全保障政策を提示し、新しい旗のもとに反独裁勢力の結集を呼び掛けているのである。

 再武装、日米同盟、軍事力重視の国家主義に反対する著者は、自らの政治的立場を、「国連中心主義による国際的平和主義」と規定し、戦後すぐに試みられた「世界唯一の軍事組織としての国連軍創設」と個別国家の核を含めた戦力放棄を、唯一無二の世界平和実現の方策として、憲法9条を持つ本邦が先陣切って推進しようと提唱している。

 具体的には憲法第9条の主文は据え置くものの、陸海軍戦力の保持と交戦権放棄をうたった2項の改定を唱えている。すなわち陸海軍戦力の一部は専守防衛の「国土防衛隊」(通常は内外の災害救助に従事)、残りは国連の平和維持活動等にのみ従事する「国連待機軍」(国連常備軍の先がけ)に投じる。つまり国の交戦権はすべて国連に移譲するのである。

 またどのような形態であろうとも非核3原則を守り、核兵器は使用せず、9条の主文に謳われた目的を達するために外国の軍隊、軍事基地・施設は許可しない、という付則も明記しようと提案している。

 いわば憲法第9条を堅持するだけではなく「左折強化」して、米国至上主義から国連第一主義に先祖がえりしつつ、世界平和、世界連邦を達成しようともくろむのであるが、その言うや良しとするも、個別国家の対立や宗教戦争の嵐にその土台そのものを根底から揺さぶられている今の国連に、果たしてそのような受け皿を設定できるのか、この提案の前途にはさまざまな困難が予測される。

   共産党昔は右翼と思いしがこの頃まともなことをいうなり 蝶人

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歳末ごった煮ずら、ずら、ずら

2015-12-20 11:58:42 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.951,952,953


○ステイーブン・ダルドリー監督の「愛を読む人」をみて

 「朗読者」の映画化だが、15歳の少年時代の役者と成人してからの役者が全然似ていない点を覗くとかなりうまくいったのではないだろうか。

 しかしケイト・ウィンスレットが好演しているヒロインが文盲であったとか、元ナチ党員で強制収容所の看守をしていてユダヤ人焼殺の幇助をしたなど読者&観客を驚かせる話柄にはついていくことができない。

 原題はTHE READERなのだから、「愛を読む人」はいいすぎで、単に「リーダー」、「読者」あるいは「本を読む人」でいいだろう。


○ヒッチコック監督の「バルカン超特急」をみて

 ヒッチ英国時代の1938年に製作されたサスペンス映画ずら。

 欧州の某小国のホテルを出て英国へ帰る列車に乗りこんだ老婦人が車内で行方不明になり、ヒロインが懸命に探し始めるのだが、誰もそんな老女は見なかったと言い張る。

 実はその老女は英国外務省のスパイで、ドイツの将校たちが彼女を誘拐しようとしたのであるが、そういうお話がさしたる説得力も必然性もなく活動劇画風に展開されるので、ヒッチにすれば凡作の部類に入るのではなかろうか。


○フーバルト・ザウパー監督の「ダーウインの悪夢」をみて

 タンザニアのビクトリア湖では何者かによって放たれたナイルパーチという巨大魚が繁殖し生態系が混乱して既存の魚類が全滅したというが、そのナイルパーチが貧しい人々の雇用を支えてもいるという。

 欧州から毎日飛んでくる航空機はタンザニアに武器を運び、帰路は現地の民衆の口に入らない高級魚ナイルパーチの加工品を積んで帰るという政治問題も暴露されている。

 てやんでえ消費税などみなやめっちまえ景気などすぐに回復するじゃろ 蝶人
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市川昆監督の「細雪」をみて

2015-12-19 13:20:07 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.950


 谷崎の原作に出てくる美しき女性たちの私のイメージは、この映画に出てくる俳優達とは全然違うので困ってしまう。いやこれは市川昆のセレクトだから別に困ることはないか。

 市川はこの映画を名家の没落と残照とエレジーとしてとらえ、悲愴な挽歌を流しながら陳腐なメロドラマとして締めくくろうとしているが、原作のトーンはそんな浅薄なものではなく、もっと前向きな姿勢で貫かれており、谷崎の眼はラストのヒロインたちが東京に出てからの奮闘努力に愛情深く注がれている。

 またこの映画では、全編の主題を、長女の連れ合い貞之助の次女にあんちゃんへの密かな思慕にもとめているが、これはとんでもない浅墓な勘違いずら。この谷崎の代表作のメインテーマは、「ある魅力的な女の永久に完結しない恋の遍歴の物語」であり、この長い小説は、どこまで書いても未完で終わるべき麗しくも悲しき宿命を帯びているのである。

 それにつけても女優達が着ている着物の、なんとどんくさいことよ。どこの衣装で誰が監修しているのか知らないが、今も昔もあんな色柄デザインで外を歩いたら、「なんちゅうダサイけったいなヤツや」とみんなが後ろ指をさしまくるに違いない。


  吉田翁が推薦されしCDを師走の銀座で需めしあの頃 蝶人
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国立劇場で「東海道四谷怪談」をみて

2015-12-18 14:31:46 | Weblog


茫洋物見遊山記第195回

 忠臣蔵のインサイドストーリーの元祖で、憤死した塩冶判官の浪人、民谷伊右衛門がどんどん人殺しをしていって妻のお岩やらその他大勢の亡霊の恨みを買って自滅していく陰々滅滅のお噺であるが、いろんなお化けがあの手この手で登場するわりには、全然こわくない。

 スタッフもそれが分かっていると見えて客席にお岩係を忍ばせて懐中電灯でバアアとかやっているが、そおゆう子供じみた比叡山お化け屋敷の真似はやめてほしいずら。

 これは強欲者の強欲ぶり、もっというと人殺しの快楽を実行犯の伊右衛門が蒙った恐怖の刑罰なしに疑似追体験する「バツ無しゲーム」なのである。

 作者の4世鶴屋南北自らが、花道の下からぽっかり浮かび上がって口上を述べるところからはじまって、47士が鎌倉高師直館を夜討ちして晴れて首をあげるまでを発端、序幕、2幕目、大詰まで全11シーンで演じ通すああ堂々の一大通し狂言であるが、文政8年7月江戸中村座での初演は、なんと「仮名手本忠臣蔵」との併演だったというから驚く。

 当時の江戸ッ子は朝から晩まで一日がかりで、この正続・表裏忠臣蔵をたっぷり楽しんだのであろう。これぞ真正の大衆娯楽ぞえ。

 民谷伊右衛門、お岩などなんと5役かけもちの市川染五郎などの高麗屋ご一統さんが最後まで熱演して、珍しく3階席まで超満員の年忘れ公演を、江戸の昔のように今月の26日まで楽しませてくれる。


   妻は子の我は我のみの行く末を案じて眠れぬ寒き夜かな 蝶人

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河出版「日本文学全集第11巻」を読んで

2015-12-17 15:37:46 | Weblog


照る日曇る日第832回


 井原西鶴の「好色一代男」を島田雅彦、上田秋成の「雨月物語」を円城塔、山東京伝の「通言総籬」をいとうせいこう、為永春水の「春色梅児誉美」を島本理生がそれぞれ現代語に翻訳しているが、いずれも甲乙つけがたい名作の名翻訳である。

 私はこれらの作品をかつて原文で読もうとして挫折した日本語の劣等生なので、若い現代作家がよくもあの難解なテキストにくらいつき、かくも精緻にして大胆、新鮮な日本語にリメークしたものよ、と感嘆のほかはない。

 それにしても江戸時代の文学の水準の高さよ! これらの「浮世草子」、「読本」「洒落本」「人情本」が描き出す人間ドラマの面白さと深さは現代の小説のそれと比べてもいささかの遜色がないどころか、もっともっと高度なレベルでそれに先行し、それを先取りしていたのである!

 
  書を捨てて街へ出よと妻は説く寺山修司を知ってか知らずか 蝶人
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