goo blog サービス終了のお知らせ 

あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

本日休業。そしてお知らせ。

2025-04-24 16:59:13 | Weblog

このブログが間もなく終了するようなので、小生も投稿を中止することにしました。

 

なおこの連載に興味のある方は、以下のSNSで同じものを投稿しておりますので、どうぞご笑読ください。

 

https://mixi.jp/show_profile.pl?id=5501094&level=4

https://www.facebook.com/makoto.sasaki.56679

https://x.com/amadeusjapon

https://www.instagram.com/kawamuku21/

 

長らくのご愛読まことに有難うございました。

 

西暦2025年4月24日 

 

佐々木 眞

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西暦2025年卯月蝶人映画劇場その6

2025-04-23 11:48:12 | Weblog

西暦2025年卯月蝶人映画劇場その6

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.4027~31

 

1)ジョナサン・グレイザー監督の「関心領域」

2024年製作の話題の映画。アウシュビッツ収容所の隣で優雅な農園生活を楽しむ所長一家。彼らは眼前の狭い日常生活を快適に過ごすことしか興味がないが、それはちょうどいまガザやウクライナで苦難の道を歩んでいる人々と安気な我らの関係と同様である。

 

2)ヒュー・ウイルソン監督の「ポリス・アカデミー」

古き良き時代の1984年のヨタ噺。

 

3)リック・ローマン・ウォー監督の「グリーンランド」

隕石が落下して逃げ惑う家族を描いた2021年の阿呆莫迦パニック映画。

 

4)ギレルモ・デル・トロ監督の「シェイプ・オブ・ウオーター」

発語障害の女と怪獣の美しい、美しい2017年の恋物語。

 

5)トム・マッカーシー監督の「スポットライト 世紀のスクープ」

ボストングローブ紙のカトリック教会神父の性的犯罪事件の取材と報道を描く2015年の社会派映画。

 

日曜日の鎌倉市議会選挙では市役所移転派を全員落とそう 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢は第2の人世である 第145回

2025-04-22 10:48:19 | Weblog

夢は第2の人世である 第145回

 

西暦2024年神無月蝶人酔生夢死夢百夜

 

「この勝負ドレスはなかなかいいね」「勝負ドレスじゃなくて決戦必勝ドレスと呼んでるんですけど」「ドレスで戦争に勝つんですか?」「勝てるかも」10/1

 

どんな微細な物音でも爆発する、最新型地雷が至る所に埋められている国境地帯を、俺たちは、恐る恐る匍匐前進していた。10/2

 

2アウト2、3塁でシングルヒットを打てば、2点取れるか取れないか、それが問題だと、おらっちは一晩中考えていたずら。10/3

 

そのスーパーのレジには、係員の両側に清算ラインが流れているので、客はどこが空いているのかを見定めながら、並んでいるのだった。10/4

 

公園の入り口の傍にある洒落た古本屋で、横文字ばかりの洋書を眺めていると、おらっちは、自分が、永井荷風の後継者になったような気が、ちょっとだけ、してくるのだった。10/5

 

知らない間に、鉄線で足や指がちょん切られるのを恐れるあまり、本日の「五山送り火」には出かけなかった。10/6

 

昨日頂戴した饅頭は、毒を恐れて捨ててしまったのですが、本日は思い切って無毒を信じて食べてみることにしました。10/7

 

特攻隊員の遺書の中身は、「天皇陛下万歳」とか「父上、母上、本日まで有難う御座いました」というようなものが多いのだが、たった一人だけ「君の瞳は100万ボルト」と殴り書きしたものがあった。これぞ夜明け前の戦後詩である。10/8

 

長兄と次兄が不和なので、3男のおらっちは、彼らの仲を取り持とうと、亡父の故里の古城で一大融和パーティを開催したのだが、2人共来てはくれなかった。10/9

 

長い撮影が終わって、スタジオから出てきた彼女に、「お疲れさん、送っていこうか」と何気なく声を掛けたら、驚いたことに、彼女が軽く頷いたので、また驚いたのよ。10/10

 

荷風散人のわたくしは、真夜中に偏奇館に忍び込んだ美貌の女を、わが両膝に乗せ、袷の下を這わせた指先で、その乳首を優しく撫ぜると、宵闇の書斎に、押し殺したような呻き声が響き渡るのだった。10/11

 

ようやく衣服なども、人間の本性に適合したアイテムが求められるようになったので、丹波の山奥から、山猿さながらに都に上ったおらっちは、法然上人を尋ねて、その極意を学んだのよ。10/12

 

超高層ビルのエレベーターが突然落下し始めたので、慌てて夜警に電話したが、なかなか出ない。きっとビルの夜回りに出ているのだろうが、その間にもエレベーターは激しく落下していくので、おらっちは困り果てた。10/13

 

駅前広場で、三婆が呆然と口をあけているので、何事かと視線の先を辿ると、なんちゃら大臣のズボンの下の真っ赤なパンツが、透けて見えているのだった。10/14

 

東海道新幹線の東京駅のさきっちょに、国会議事堂駅という秘密の駅があって、超エリート議員だけがそいつを利用している。10/15

 

こんなに芸術的な!と形容すべき美しさに輝く樹木を伐採するのか、と、おらっちは激しい憤りに駆られたのよ。10/16

 

おらっちは、学芸員たちがどのようにゴヤの銅版画を配置しているのかが心配で、夜も寝られんかった。10/17

 

下関映画祭に呼ばれていたことを、すっかり忘れて四谷三丁目で踊り食いしてたら、オヤジさんに呼び出されて、首になっちまったよ。10/18

 

夜、駅の高架下を歩いていたら、カモちゃんとハンカワちゃんが酔っぱらっているところに出くわしたので、とても驚いた。10/19

 

帰宅すると、昔の恋人かもしれない女性からの手紙の束が、壁にピンで刺されていたので、言いようもない突然の不安に駆られる。10/20

 

小6の西村先生の国語の授業でオガワトモコが「着の身着のまま」を「着の身着のまま」と発音したので、ボクとヨシオカ君が「え!?」と疑問符を発すると、オガワトモコは「何よ、文句でもあるの?」という顔で僕らを睨んだが、西村先生は「その発音でいいんだよ」と意に介しなかった。10/21

 

アホバカ犬を飼っている男が、「貴殿はなにを飼っておられるかな?」としつこく聞くので、「わいらあ猫又を飼うとりまっせ」と答えたら、その猫又が分からないようだったので、「お暇なら徒然草を読んでね」というてやった。10/22

 

「背中越しの風景」という展覧会に行ったが、それはちょっと懐かしい思いがする風景画ばかりが並べられていた。10/23

 

カンヌ、ヴァネチア、ベルリンで最高賞を獲得した超有名な大監督ではあったが、その助監督のおらっちに下らない掣肘を加えるので、わいらあ社長に直訴して、配転してもらってやっと一息ついたのよ。10/24

 

明治9年の「宮中某重大事件」とは、天皇に食われると知った3匹の子ブタが、ある夜こっそり逃げ出した挿話の謂いである。10/25

 

衣食住のトータルファッヨンフェアが開催され、余はそのプロデュサーに任命されたのだが、担当の腕利きデザイナーたちが、さる大手建設メーカーの私邸の仕事に駆り出されたので、頭にきて辞任したのよ。10/26

 

現場の雰囲気がみるみる荒々しくなって、その中からただならぬナイフのように尖った悲鳴が当たりに響き渡り、それをきっかけに、もはや誰にも収拾できない大混乱が始まった。10/27

 

2階に来客があると受付から電話があったので、5階からエレベーターで降りようとするとエレベーターが故障していたので、階段で降りようとしたら、途中で工事しているのでどうにも辿り着けないのだ。10/28

 

おらっちは当代一の人気スタアなので、次々に当代一の美人女優と共演するのだが、そのたびに情交シーンがあるので、お互いに身定めしながら最適の伴侶探しをしているといえばいえるのよ。10/29

 

急に昔ながらの駅弁と急須のついたお茶が欲しくなって、駅前のなんとか軒に走ったのだが、売っていなかったし、そもそも建物自体が変わっていた。10/30

 

「神々の深き欲望」の撮影現場にいるんだが、今村監督と三国連太郎は代わる代わる肉感的な沖山嬢とやりまくっているし、呆れ果てた大河内伝次郎は東京に帰ろうとするので、プロデューサーのおらっちは必死で止めたのよ。10/31

 

恒例のかぼちゃ祭りを祝うために、我も我もと遠方からやって来た連中がドンちゃん騒ぎを繰り広げたので、町内会長や警察署長も懸命に宥めすかしたのだが、誰一人言うことを聞かないので、ついに自衛隊が出動して皆殺しにしはじめた。10/31

 

    大本教のみろく殿にて父と聞く小林秀雄の漫談楽し 蝶人

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石井裕也脚本・監督の「月」をみて

2025-04-21 10:35:50 | Weblog

石井裕也脚本・監督の「月」をみて

 

西暦2025年卯月蝶人映画劇場その5

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.4026

 

以前から気になっていた映画だったが、アマプラでようやく見ることができたが、見終わるまでが大変。何度も投げ出そうとしたが、何回も挫折しながら、このほどようやく見終わった。私の言葉でいうと「イケテない映画」なのである。

 

でもビデオで映画をみると映画館の大スクリーンのようなライブの迫力には欠けるが、何度でも鑑賞できるし、好きなところで立ち止まって鑑賞できるのでありがたい。

 

この映画でいうと犯人が「あなたは喋れますか?」と訊ねて返事がないとナイフで刺すのだが、最初の殺戮では「あなたには心がありますか?」と問いかけるので驚いた。これでは「こころをばなにたとへん、こころはあじさゐの花」と歌った朔太郎だって、答える前に刺し殺されるだろう。

 

ところで同じ監督の「舟を編む」は、主題にも演出にも役者の演技にも乗せられて、最後まで面白く鑑賞できたイケテる映画だったのに、私がこの作品に往生したのはなぜだろう。

 

いくつか原因があるが、ひとつは画面と登場人物の表情がいつも遣り切れないくらい暗くて陰鬱なこと。「題材が題材だから仕方がない、稀に外光が差す明るいシーンもあるじゃないか、これは闇と光の対話と交錯を描いた映画だ」などと反論されるかも知れないが、宮沢りえの苦悩に満ち満ちた顔を延々と見せられると、「紙の月」での彼女の演技が素晴らしかっただけに、なんで金を払ってまでこんな不条理な苦痛を味あわなければならないのかと嫌になる。

 

障害を持つ長子を亡くしたショックからまだ立ち直れないのに、また妊娠してしまい、生まれてくる子供がまた障害児だったらどうしようと夫にも打ち明けられないで懊悩しているからだが、監督はそれを真に受けて、あの深刻深夜暗黒画面で撮らなければならないと思ったのだろうか。

 

私はここで、かつて「明るさは滅びの姿であろうか。人も家も暗いうちはまだ滅亡せぬ」と三代将軍に呟かせた作家を思い出す。

 

この映画では「やまゆり園連続大量殺傷事件」をむしろ遠景に置くようにして2つの健常者の家族と1つの障害者の家族の姿が描かれているが、いかにも暗そうな前者の家族は最後まで滅亡せず、明るい後者の家族は、息子を殺された母親の絶叫と共に滅んでしまう。

 

そして、その母親、高畑淳子の本気の絶叫の演技の前で、他の出演者の懸命に本気を装ったフェイクな演技が、全部吹っ飛んでしまう。そしてその瞬間が、この映画の唯一にして最大のクライマックスである。

 

二つ目は原作の小説が曲がりなりにも殺人犯の内面に及ばずながらも参入しているのに、この映画では、先ほど述べた理由で主に3つの家族の内面にフォーカスしているために、犯人に何の存在感もリアリティもないことである。

 

念仏のように「心失者」は皆殺しされるべきだ、と唱え、あろうことかその通りに実行する殺人犯は、人形劇の影絵の登場人物のように嘘っぽい。あるいはそのような姿に監督は描きたかったのだろうか?

 

例えば、妊娠した宮沢りえがエコーで胎児を見て、生まれてくる子がまたしても障害を持つていることが分かり、生むべきか下ろすべきか迷いに迷う設定にしたらどうなるだろう。障害が軽ければ産んで生かすし、重ければ中絶する。つまり殺す。

その時ヒロインは、「心失者」なら殺しても構わないとうそぶく犯人と同じ次元の位相に立ち、一気に観客とつながる回路を辿ることもできただろう。

 

やまゆり園事件の殺人犯は、障害者を「心のある」障害者と、「心のない」障害者に勝手に選別し、その「心失者」全員を殺害しようとしたが、すべての障害者には心があるので、この分類法は虚妄である。それでも強いて「心失者」を再定義するならば、それは肉体を持たず観念だけを持つ人間に似た非人間、すなわちAIである。

 

従ってやまゆり園の殺人犯は、やまゆり園を遠く離れて、世界中のすべてのAIの破壊者となる。そんなシナリオにしてくれたら、私も思わずこの映画を2度3度と見物する気になったであろう。

 

三つめは、上記と深くかかわっていることだが、これがひどく映画的感興に欠ける映画、観客に対する知的なユーモアとウイットのサービスのない映画。健常者である製作者の観念だけが肥大した、センスのない、どこか偏奇な映画だということである。

 

謳い文句?のやまゆり園事件の真相に迫るでもなく、重度障害児者や施設や職員の関係や日常の交わりの哀歓を描くでもなく、かといって本論たる3つの家族の生態の極まりを徹底的に描くでもなく、芸術的密度も思想的完成度も娯楽的焦点作りにも無関心で、映画的不感症に罹患したような本作は、みればみるほど詰まらない。

 

スタッフは、面白くなくても、どこか「為になる映画」を作りたかったのだろうか? しかしいったいどこが誰かの為になっているのだろう? 少しは健常者の側にいる制作陣の自己満足になっているかもしれないが、影の主人公たる我らが障害児者の為になっているとは到底思えない。

 

できれば次回は有名俳優の知名度に依存せず、思いっきり肩の力を抜いて、あの「舟を編む」のように、軽いけれども大事な核だけはちゃんという普通の手法で、もう一度挑戦してもらいたいものだ。

 

    長男は父を愛しているのかな、ようしらんけど、それなりに 蝶人

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

犬猫ツインタワー

2025-04-20 09:03:22 | Weblog

 

これでも詩かよ 第342回

 

昔々、大風が吹けばたちまち吹き飛んでしまうような、とんとバラック仕立ての犬猫ツインタワーがあったげな。

 

犬ビルの社長は、犬博士。猫ビルの社長は猫博士。世間では2人の博士を犬猫の、いや犬猿の仲だと噂しておりましたが、それは表向きだけのこと。ほんとは2人の博士は大の仲良しで、時々社長室の窓を開け放って、資生堂の「ナナチュラル・グロウ」をアカペラで唄っていたのでした。

 

犬猫ツインタワーの中には、それぞれ大きな事務所があって、それぞれ全世界の優良会社から派遣された100名の社員がデスクに陣取り、朝から晩まで、仕事のような、遊びのような仕事に従事しておりましたが、中には「あたし、墨田区のタバコ屋さんで働いてたのよ」と告白する中年のオバサンもおったげな。

 

そんなある日のこと、犬猫2人の博士がそれぞれ発表したラテン語の年頭所信表明の文書が、ふたつながらに意味不明なので、ミラノのスカラ座宛にファックスを入れたら、たまたま居合わせた指揮者のトスカニーニJr.が、たちどころに解読してくれました。

 

それによると、犬博士は「能登地震の被害から立ち直るには、世界最大の地震国イタリアに学ぶに如かず」と説き、これを受けて猫博士は「紀元62年のポンペイ地震とその17年後のベスビオ火山の大爆発を、テッテ的に研究せよ」と論じておったげな。

 

ようやく懸案の謎が解明されたので、犬猫ツインタワーの200名の全社員は、ビルヂングの窓を開け放って、例の資生堂の懐かしいCⅯソング「ナナチュラル・グロウ」をアカペラで大合唱したんだとさ。

 

するとどうでしょう。

その時早く、その時遅く、どこからともなく大風が吹き付け、と同時に犬猫ツインタワーを揺るがす震度10の大地震が天地を揺るがしたので、2人の博士と200名の社員たちは、ガタンガタンと大揺れに揺れる地上100メートルのツインタワーの窓から、全員大空に向かって投げ出されたのでした。

 

とっぴんぱらりのぷぅ。

 

 

ポイントにはならへんけど優勝には絶対に必要やった荒川選手のイナバウアー 蝶人

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

永井荷風著・中島国彦・多田蔵人校注「断腸亭日常三」を読んで

2025-04-19 08:57:20 | Weblog

永井荷風著・中島国彦・多田蔵人校注「断腸亭日常三」を読んで

 

照る日曇る日 第2188回

 

荷風散人の日記がただの日常生活や世相、自然観察の集成であるのみならず、あの「四畳半襖の下張」を凌ぐ隠微なポルノ記録であることは多くの人に知られている。

 

しかしながらそのことをちゃんと解説する解説者があまりいない。本書でも主に東京の埋め立てや当時の政情については詳しいが、わたくしの最大の関心事には知らん顔なので、ここではそっちの噺に絞って乱筆しようと思ふ。

 

本巻は昭和4年から7年までの日記であるが、4年3月22日の「晴天暖風初夏の如し、晡時中洲に徃き三番町に……」の記述の上に小さな黒点が穿たれている。これすなわち当年とって51歳の荷風が中洲にある病院で大石医師の診察を受けて後、三番町に住んでいたお歌という女性と交わったという印である。

 

生来病弱でいろんな病気もちと自称する作家は、頻繁に中洲病院を訪れ、得体の知れない注射を国手に打ってもらうのだが、そのあとは必ずと言ってもいいほど小星宅を訪れ、一一発やらかしては一緒に銀座のレストランヤカフェーで飲食を共にして、市兵衛町の高台にあった偏奇館に戻るとジッドやコレットの小説を(勿論仏蘭西語の原文で)読んだり、みずからの個人的体験を踏まえた名品「つゆのあとさき」などを書いたりしていたのである。

 

さて話を戻すと、翌月になると黒点は頻繁になり、4日、8日、11日、14日、18日、19日、22日、25日、30日と、実に9回もお歌はんと乳繰り合っている。お歌はよほど床上手の女だったと見みえて荷風との交感は日を追って激しくなり、12月27日には2つの黒点がついている。一晩に2回も性交したということだろう。

 

生涯孤独な一人者の老後の面倒を、お歌選手が見てくれると期待してか、荷風は「幾代」という名の待合まで持たせるようになる。元大学教授のインテリが、連れ込み宿の亭主になったとは、お釈迦様でも知らなかっただろう。

 

しかしながら、ある時荷風は、お歌が曰く付きの怪しい女であることを知るのであるが、彼はお歌を追及はしなかったようで、黙って今まで通り付き合っていたが、昭和5年になるとさすがに女体そのものに飽きた、あるいは生来の浮気の虫が騒いで、山児や園香という新しい若い女と付き合うようになる。

 

昭和5年の大晦日には「余が健康今年は例になく好き方にて夏の夜を神楽坂の妓家に飲みあかしたることも屢ありき、五二歳の老年の及びて情痴猶青年の如し、笑う可く悲しむ可く、また大に賀すべきなり、白楽天の詩に曰く老来多健忘惟不忘相思」とあるが、ここは≪大いに笑っていいとも≫を選ぼう。

 

その後、荷風からまるで抱かれなくなったお歌は、待合の女将として仕事に精出していたが、ある日突然病に冒されて、見る影もない廃人同様となり、一旦荷風とは縁が切れ、待合も畳まざるを得なくなったが、その後徐々に健康を取り戻したお歌は、荷風と昔のような情人としてではなく、単なる友人として交流するようになる続きのお噺は、荷風の荒川放水路周辺の墨東散策の再開や、彼が5.15や2.26の軍人台頭に対して、「今の世に於て武断専制の政治は永続すべきものにあらず、されど旧弊を一掃し人心を覚醒せしむるには大に効果あるべし」との見解を抱いていたことなどは、またの機会にでも。

 

手前のことしか考えない奴なので自分の支持者なぞどうでもいいのだ 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西暦2025年卯月蝶人映画劇場その4

2025-04-18 11:33:07 | Weblog

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.4021~25

 

1)マッシモ・ダラマーノ監督の「ドリアン・グレイ 美しき肖像」

オスカー・ワイルドの原作の1970年の2回目の映画化。良くも悪くも主演のヘルムート・バーガーに尽きる。

 

2)コード・ジェファーソン監督の「アメリカン・フィクション」

ジェフリー・ライト主演、2023年の、ほんとのブラック・コメデイずら。

 

3)ジャスティン・ベンソン監督の「モンスター 変身する美女」

2015年製作の邦題通りの内容の映画なのだが、原題の「春」のほうが遥かに良い。

 

4)バズ・ラーマン監督の「ロミオ&ジュリエット」

ディカプリオ選手が主演する1997年のロミジュリ現代版なり。

 

5)ジュリアス・エイヴァリー監督の「ヴァチカンのエクソシスト」

袚魔師のラッセル・クロウが命懸けの苦労をして悪魔祓いする2023年のホラー映画。

 

知らぬ間に庭全体に蔓延りし木賊の草は抜けども抜けず 蝶人

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎌倉国宝館で財団設立50周年記念「北斎のエナジー」展をみて

2025-04-17 17:10:39 | Weblog

 

蝶人物見遊山記第397回&鎌倉ちょっと不思議な物語第481回

 

毎度おなじみの葛飾北斎の肉筆浮世絵展であるが、今回は定評ある氏家コレクションの「酔余美人画」「桜に鷲図」「小雀を狙う山かがし図」よりも、すみだ北斎美術館から拝借した「富獄三十六景」の「凱風快晴」や「神奈川沖浪裏」の大判錦絵が素晴らしかった。

 

ところがところが、長野県の小布施からやって来たという巨大でカラフルな天井絵を見てびっくり仰天。「鳳凰図」と「龍図」の大迫力に打ちのめされ、大北斎の意気軒昂、いとも壮大な画力に賛嘆三嘆いたしました。

 

聞けば北斎は小布施に滞在し、お寺の要請でこれらの大作を仕上げたとのこと。到底宿賃替わりのやっつけ仕事とは覚えず、天才が乗りに乗って思う存分腕を振るって描き上げた名品です。

 

これらの展示は4月20日まで。22日からは別の作品が到来するようなので5月11日の最終日までには再度足を運ぶつもりです。

 

三月の十一日を消し再稼働 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神奈川近代美術館鎌倉別館で「重力と素材のための図鑑」展をみて

2025-04-16 10:01:45 | Weblog

 

蝶人物見遊山記第396回&鎌倉ちょっと不思議な物語第480回

これも残念ながら13日で終わってしまった岩村理恵と片岡純也の展覧会だが、彼らが繰り出す不可思議な重力と素材との実験的な戯れよりも、そんな彼らがインスパイヤーされたという俵屋宗達の「狗子図」や伝海田采女筆「歓喜天曼荼羅」、作者不明の大津絵「鬼の念佛」のほうが百層倍も面白く、千層倍も芸術的呪力に満ち満ちていたことを告白せずにはいられない。

 

なお会場の隅っこにどこかの理化メーカーが製作した「毛髪を使った湿度測定器」があったが、小学6年生の夏休みの理科の宿題で幼い私が下手糞に手作りした課題作品がこれとまったく同じコンセプトだったことを思い出して驚いた。

 

性暴力断固許すまじの一念が伝わってくる五味弁護士 蝶人

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鏑木清方記念美術館で「着物の美」展をみて

2025-04-15 10:04:27 | Weblog

 

蝶人物見遊山記第395回&鎌倉ちょっと不思議な物語第479回

 

4月13日まで開催されていたのが「清方美人の着こなし」という副題がついたキモノコレクションでした。

 

会場はいツモハガラガラなのですが、テーマがテーマなので美々しく着飾ったざあます奥様もつめかけて時ならぬ盛況を呈しておりましたが、なんというても大正7年に描かれた二曲一隻の絹本着色の屏風の「早春」でせう。

 

左は土筆を積む黄色な着物に薄紫のショールを掛けた若い女性、対するに右隻の木藤の黄色が鮮やかなカラーシンメトリーをしていて美しい。こういう微妙な色彩感覚は古今東西の日本画家には絶えてなかったというても過言ではありませぬ。

 

わたしは日常生活で感性が雑巾のようにすり切れた時、この美術館で懐かしいパステルカラーに出会うと、思わず生き返ったように新鮮な気持ちになれるのです。

 

まことにありがたい絵描きさんだと思います。

 

14年経てば元の黙阿弥か 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西暦2025年卯月蝶人映画劇場その3

2025-04-14 15:13:50 | Weblog

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.4016~20

 

1)ロバート・フローリー監督の「五本指の野獣」

怪優ピーター・ローレが奇怪な五本指に襲われるという1946年のケタクソ悪い奇妙なホラー映画。

 

2)ウィリアム・ワイラー監督の「月光の女」

愛する人はどこまでも愛しているし、いくら好きでもどうしても愛せない人もあるという人世の悲劇をワイラーとベティ・デイビスが突きつける1940年の秀作。

 

3)アーヴィング・ピシェル監督の「私は殺さない」

優柔不断な、しかしやたら女にモテるロバート・ヤングの数奇な運命を描く1947年のミステリー。リタ・ヘイワースが出ているがさして魅力的ではない。

 

4)ランダ・ヘイズ監督の「愛は静けさの中に」

実際に聾唖者であるマーリー・マトリンと聾学校教師との純愛を描く1986年のハリウッド映画で、ウィリアム・ハートの芸達者ぶりが光るが、マトリンはハートにレイプされたと訴えていたそうだ。

 

5)アーチー・L・メイヨ監督の「地獄の市長」

ギャングのジェームズ・ギャグニーがどういう風の吹き回しか矯正学校の美人看護師マッジ・エヴァンスに恋して、校長に収まる奇想天外な1933年のお噺。少年たちが少年院を自治するという素晴らしさ!

 

狂人に会わねばならぬこの辛さ 会わずに済ませるこの嬉しさよ 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

筒井康隆著「敵」を読んで

2025-04-13 09:26:14 | Weblog

筒井康隆著「敵」を読んで

 

照る日曇る日 第2187回

 

1997年に執筆しされ翌年の新潮社の「純文学書下ろし特別作品」であるが、ちょうどこのころが、我が国の所謂「純文学」とこの多才な作家の黄金時代ではなかったか。

 

いまや世代と社会の中心軸となった「老年」をテーマにした、これまでのSFや実験小説の「成果」を取り込んだ「なうい」メタフィクションであるが、今となっては古典的な風格さえ帯びているようだ。

 

中味としては作家本人を思わせる主人公が、亡き妻への恋情を訴えたり、若い娘への欲望に駆られたり、華やかなりし大学教授時代の思い出に耽ったり、老後の貯えが尽きる前には自殺したいが、どんな死に方がよかろうかと考えたり、アリストテレスの「神」の省察に思いを致したりしながら、初老から死までの階梯をだんだん進んでいく、全部で43編の短編のコラージュとなっている。

 

さりながら、時折北からやって来た「敵」軍が、向こう三軒両隣を侵攻して死人も出る、というシュールでショッキングな断章もインサートされ、これが荷風の「断腸亭日乗」の日和下駄の世界ではないということを、思い知らせてくれるのである。

 

    気がつけば歓喜仏なるこの私見たこともない相方抱く 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村上春樹編訳・フィッツジェラルド後期作品集「ある作家の夕刻」を読んで

2025-04-12 13:11:09 | Weblog

村上春樹編訳・フィッツジェラルド後期作品集「ある作家の夕刻」を読んで

 

照る日曇る日 第2186回

 

44歳の若さで心身共にボロボロになって死んだアメリカの「失われた世代」の作家F・スコット・フィッツジェラルド(1896-1940)はどの作品を読んでもその仮面の虚構の果敢なさがまっすぐ胸にくるが、本書に収録された最晩年の短編を読むと、「少年老い易く学成り難し」という諺や、「芸術は長く、人世は短い」と慨嘆して死んだ坂本選手、おしまいには「朝に紅顔ありて夕には白骨となる」という和漢朗詠集や蓮如上人の御文章のさわりまでが思い出されてくる。

 

とにもかくにも悔しい作家なのであるが、しかしいくら零落のどん底で喘ぎながら綴られた短編小説「ある作家の午後」「アルコールに溺れて」「失われた十年」などを読んでも、その文体の鋭さと透明感にいささかの揺らぎもないことに驚く。

 

これは日本文学を例にとれば、三島由紀夫の遺作「豊饒の海」、大江健三郎の「晩年様式集」、さらには当然のことながら石原慎太郎の「遺書」の減衰ぶりと比較してもあきらかである(例外中の例外は、太宰治の「グッドバイ」くらいだろう)。

 

そんなフィッツジェラルドだが、本書の白眉は巻末に添えられた1936年2月、3月、4月号の「エスクワイア」誌に連載された「壊れる」「貼り合わせる」「取り扱い注意」の3篇と、その翌年10月の「アメリカン・キャヴァルケイド」誌に掲載された「若き日の成功」というエッッセイで、これはよくぞ収録してくれた、と感謝するほかない名品である。

 

14年経ちて我らは忘れたかあの震災も原発事故も 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンテックス作・倉橋由美子訳「新訳星の王子さま」を読んで

2025-04-11 12:54:35 | Weblog

サンテックス作・倉橋由美子訳「新訳星の王子さま」を読んで

 

照る日曇る日 第2185回

 

あまりにも有名な星の王子様であるが、時々手に取らないとどんな話だったかことごとく忘れてしまうので、今回は定評のある作家のほんやくで読んでみた。

 

王子様は、3つの火山とバオバブと4つのトゲのある赤い花が咲いているふるさとの星を出て、もう2度と戻らないつもりで放浪の旅に出るが、近所の小惑星で出会うジ人物がまことに面白い。

 

ことにすべての物事に命令したがる王様やうぬぼれ男が、某国の某大統領にそっくりなので、笑ってしまう。

 

4番目の星で出会うビジネスマンは、さながら欲望の自動機械人間イーロン・マスクのように星を欲しがるが、王子様は、そんなビジネスマンに向かってこういう。

 

「ぼくは花を一本持っていて、毎日水をやっているし、火山も三つ持っているんだけど、一週間に一度は掃除をする。休火山の灰かきもする。わからないだろうけどね。ぼくが火山や花を持っていると、それが火山や花の役にも立つんだ。だけど、きみは星のために何の役にも立っていない……」

 

私は、「この小説は子供ではなく、現代の大人こそが読むべき童話である」と説く倉橋選手に賛同する。

 

お立合い!トランプ劇場はじまるよ。今日は何をしでかすのやら? 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村上春樹作・高姸絵「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を読んで

2025-04-10 10:18:31 | Weblog

村上春樹作・高姸絵「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を読んで

 

照る日曇る日 第2184回

 

新作かと思ったのだが、そうではなく旧作の焼直し。表題作と「鏡」という短編に台湾の人気イラストレーターの挿絵をつけてのご機嫌伺いで、そこはそれ、さすがにプロの仕事ゆえそれなりの仕上がりではあるが、はっきりいうてがっかりした。

 

この作家は谷崎、大江という日本文学の本流を引き継いで次代につなぐ、とても重要な作家だと今でも思っているのだが、最近は創作意欲が枯渇したのか、生活費稼ぎの翻訳はともかく、こういう旧作の焼き直しや、映画の原作提供や、阿呆莫迦大学の記念館活動などにいそしむばかりで、本業の小説の新作におめにかかれないのがとても残念である。

 

彼のことだから、ひそかに構想を練ってちびちび書き進めているに違いないが、前作の出来がいまいち、いまに、いまさんだっただけに、この作家がもうひとりの村上選手に堕してしまわないことを切に祈るばかりである。

 

 

  2、3回寄付しただけで執拗にカンパを迫る国境なき医師団 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする