あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2012年霜月蝶人狂歌三昧

2012-11-30 09:42:44 | Weblog


ある晴れた日に 第118回


残菊や凡人小事のうれしさよ

圧殺の森の下生え紅き色

ザクザクと団栗踏んで山登る

秋の蚊を柔らかく叩いて殺す午後

父母すべて喪いし二人の秋の旅

高野山一日二食の聖かな

季語の無き俳句を憎む俳諧師

凩や行方不明者がまた一人

「いいね!」とは誰も言わぬ日十三夜

東西に老若二人のナポレオン

馬鹿殿は中国と戦争したがっている

馬鹿殿よ血迷うなかれ枯れ薄

秋深し伸びたる爪の不気味さよ

玉虫も死に絶えたりな里の秋

十三夜今年も馬齢重ねたり

木枯しや被災地からの犬吠えず

柿全部鳥に喰わせるお大尽

米櫃に穀象虫探す秋の夜 

蟷螂は鼓腹撃壌発条出せり

セブンイレブン中国と戦争しているやな気分

死してまた蘇りつつ世直しを未来永劫続ける洒落者

にしてもさっさと民社党を見限りシンクタンクに転職するという神奈川4区長島一由

にしても轢き殺されて地べたに横たわっている蟷螂はわたくしのようだ

亡くなりし義母の携帯解約できず机の上にまだ置いてある

新しきアクアのブルーを買わんとしたがシルバーを経てホワイトとなりぬ

列島の超高層ビルをことごとく平屋に畳めば愉快なるべし

革命の美名の下に屠られし草莽の民何処へ消えしか
 
自分にもよくは判らぬことだから超難解の言辞を一発

いたずらに愛国を呼号する莫れその君こそが国を滅ぼしている

国家より大事なものは個人のしあわせ君「愛国無罪」を叫ぶなかれ

二読三読四読まだ意味不明この新古今調のコンチキチン

野田橋下安倍石破慎太郎どいつもこいつも消えて無くなれ

尖閣や竹島よりも東北の喪失国土をとく回復せよ

権力を我がものにせんとつるみあう我利我利亡者に災いあれ

いつの間にか中国と戦争してもいいような気になる自分が怖い

ミラノ・コレに昔の名前で出ています「ジル・サンダー」byジル・サンダー

ジャガイモにするかタマネギにするか迷うも楽し百円野菜

左側にハンドルを切り高速を墜ちゆくときの軽き眩暈

タヒチの女性は髪に花を飾ってる恋人がいる人は左にいない人は右側に

豚の如く醜く肥りし人たちが現れ出る度テレビ消すなり

純白のヨットのように走り去る4173湘南ナンバー

小泉翁逝き吉田翁去り鎌倉は死者が棲む街

水撒けば末後の水求めてカラスアゲハ来る

練炭で三人自殺したアパートをライトブルーに塗ってるペンキ屋さん

ヒッチの如く画面の世界の一点景となりて人世を生きたし


♪新説亜細亜版桃太郎音頭

一、桃太郎さん 桃太郎さん
海に浮かんだ尖閣竹島
全部わたしに くださいな

二、やりましょう やりましょう
 これから北の征伐に
 ついて行くなら あげましょう

三、行きましょう 行きましょう
 あなたについて どこまでも
 仲間になって 行きましょう

四、そりゃ進め そりゃ進め
 一度に攻めて攻めやぶり
 つぶしてしまえ 北の熊

五、おもしろい おもしろい
 のこらず四島攻めふせて
 分捕物を えんやらや

六、万々歳 万々歳
 お伴の犬や猿雉子は
勇んで車を えんやらや

七、桃太郎さん 桃太郎さん
これであらかた片付いた
今度は東を攻めましょう

目の前の石ころを蹴飛ばすわれにブランキストの心ありや 蝶人
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レナード・ストラトキン&セントルイス響の「チャイコフスキー3大バレエ集」を聴いて

2012-11-29 08:35:12 | Weblog


♪音楽千夜一夜 第287回


年の瀬が近づくと聴きたくなるのはベートーヴェンのまたか「第9」などではさらさらなくてレオンタイン・プライスのクリスマス歌曲とバッハと「くるみ割り人形」です。

この超格安6枚組CDにはさらに「白鳥の湖」と「眠れる森の美女」の全曲も収められており、しかもストラトキン&セントルイス響はかつて全米のトップ3にランクされたこともある名コンビなので胸を膨らませたのですが聴いてがっかり、面白くもおかしくもありません。

肝心のテンポに知恵が無く強弱のメリハリも無い。どのバレエのどのシーンも無神経な音量でどんどんジャカスカ進行していく。これでは小澤征爾のやたら交響楽的な演奏と同様軽快さと精妙さに欠けているために、どんな優れたバレリーナでも踊れないでしょうね。

アンドルー・デイビスの跡を継いだBBC響ではプロムスなどで見事な演奏を披露していたというのに、君、この体たらくはないだろう。やはりチャイコフスキー3大バレエは若き日のプレヴィン&ロンドン響で決まりですね。


亡くなりし母の携帯解約できず写真の隣にまだ置いてある 蝶人
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ルイ・オーギュスト・ブランキ著『天体による永遠』を読んで

2012-11-28 08:55:06 | Weblog


照る日曇る日第551回

これはその生涯の大半を監獄で過ごした「黒服と黒手袋のダンディな革命家」の思想を知る上で非常に興味深い1冊だ。ブランキ(1805-1881)は政治改革者であったのみならず当代一流の天文学者でもあり、有名な「革命論集」のほかに本書のような天文と宇宙についての詩と霊感に満ちた科学書を残してくれたことは嬉しい驚きである。

美しい幻想と予言が宝石のように鏤められたこの不可思議な天文の書が綴られたのは1871年のパリ・コンミューンの翌年、監禁されていた倫敦のトーロー要塞の地獄のように劣悪な牢獄の真っただ中において、なのであるが、彼は当時の最新学説であったカント=ラプラスの「星雲論にもとづく太陽生成論」などを批判的に継承しながらも、いかにも革命家らしい大胆不敵な宇宙論を提起している。

彼は全宇宙が無限だとしても、その内部の恒星系群はおよそ100の元素のみによって構成されていることから、その元素が生みだす化合物の組み合わせ(その中には地球やわれわれ人類も含まれている)は有限であるため、全天体はそれがどのような天体であろうとも時空の中に無限に存在すると考えた。

その結果われわれ人間は、この瞬間にも自分と同じ人生を送っている無数の「自分」の分身をこの膨大な宇宙のあちこちに持つことになる。このような「地球&人間複数論」は、ほぼ同じ頃にボードレールやニーチェによっても唱えられて現在の宇宙物理学説に及んでいるが、ブランキのそれはきわめてメランコリックでペシミスティックな点がユニークである。

けれども「宇宙は限りなく繰り返され、その場その場で足踏みをしている。永遠は無限の中で同じドラマを平然と演じ続けるのである」と本書のエピローグで述べたブランキは、しとしとと雨降る今宵も、遥かなる宇宙の彼方で永久に終わることなき彼の孤独な革命運動を遂行しているのだろう。

死してまた蘇りつつ世直しを未来永劫続ける洒落者 蝶人
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マイケル・ウインターボトム監督の「マイティ・ハート」を見て

2012-11-27 14:50:59 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.353

パキスタンでテロリストに殺害されたジャーナリストの誘拐劇を、その妻の視点からリアルに描く2007年製作のドキュメンタリー風の映画です。

主演はアンジェリーナ・ジョリーで当時夫であったブラッド・ピットが製作していますが、彼らにこういう地味で政治的な素材に取り組む勇気と根性があったとは知りませんでした。いわゆるひとつの中級の佳作というやつですな。


ザクザクと団栗踏んで山登る 蝶人
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斎藤寅次郎監督の「東京五人男」を見て

2012-11-26 08:48:16 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.352

 5人の兵隊たちが敗戦直後の焼け野原になった東京に復員して大活躍をするというお話。アチャコ、エンタツ、ロッパなど往時の御笑い芸人たちががん首をそろえて下手くそな歌をうたったり、下手な芝居を連発したりするのだが、いまの感覚で鑑賞すれば面白くもおかしくもない。

 石田一松の「のんき節」なんてよくもこんなとろい歌詞や歌唱で笑ってもらえたもんだ。となるとけっきょく残るのは焼け野原の東京の無惨な光景のアーカイヴだけ。全世界を敵に回すという愚かで無謀な戦争の悲惨な結末を、石原、橋下、安倍、平沼、猪瀬のアホ馬鹿五人男にも見せてやりたいものだ。


列島の超高層ビルをことごとく平屋に畳めば愉快なるべし 蝶人
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鎌倉大御堂ヶ谷「勝長寿院跡」を訪ねて

2012-11-25 09:22:45 | Weblog


茫洋物見遊山記第96回 & 鎌倉ちょっと不思議な物語第266回

大御堂ヶ谷の奥にあった勝長寿院は、源頼朝が父義朝を供養するために建てた寺院で、往時の鎌倉では、八幡宮司と永福寺、大慈寺に並ぶ重要な聖地であった。頼朝はみずからこの地に何度も足を運んで墓所や堂舎の配置などの陣頭指揮にあたった。

文治元年1185年8月の末には父義朝の頸が鎌倉に着き、頼朝は稲瀬川まで迎えに出た。勝長寿院が創建されたのは同年10月24日で、小春日和のその日の午前10時、頼朝は多くの兵を従えて束帯姿で大倉御所を出て歩いてこの大御堂に向かい堂供養を主宰したのである。

その後勝長寿院には多くの僧が法要を営み、法華堂、新御堂、御所などの新たな堂宇が建立され、源氏の菩提寺として頼朝はもちろん政子、大姫、頼家、実朝などが盛んに参詣した。

承久元年1219年正月27日、甥の公暁に暗殺された3代将軍の実朝は、その死後に火葬されてこの地に彼の母政子とともに眠っていたのだが、その後時代が下って鎌倉が寂れるに従って勝長寿院に関する記述も途切れ、現在では伊豆石の礎石と小さな五輪塔と記念碑をいまに伝えるのみとなった。五輪塔は頼朝と鎌田正清の墓と伝えられているが、一書には宝戒寺から運んできたとあり、当地の伝承では住宅建設の際にたまたま掘りだされたものであるという。

いずれにしてももう少し真面目に史跡保存の手を尽くしておけば大慈寺ともども現況のようなつまらない住宅地に埋もれてしまうことはなかったであろうと悔やまれてならない。

なお実朝の「金槐和歌集」には勝長寿院を詠んだ歌が四首残っているが、ある年の旧暦三月の末に訪れたときの二首を紹介しておこう。

行きて見むと思ひし程に散りにけりあなやの花や風たたぬまに
さくら花さくと見しまに散りにけり夢かうつつかはるの山風

まるで現代に生きる人がきのう詠んだ歌のようではないか!

*参考 貫達人・川副武胤著「鎌倉廃寺事典」(昭和五五年有隣堂刊)


  
            残菊や凡人小事のうれしさよ 蝶人
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陳凱歌監督の「子供たちの王様」を見て

2012-11-24 09:29:16 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.351


1960年代後半、文化大革命時代に毛沢東が断行した「下放」政策によって都市の若者が中国の僻地へ送り込まれた。この映画の主人公は教育経験のない田舎の若者だが、人里離れた山の上の中学校の国語教師に任命され、突如教壇に立つことになる。

 などという背景はどうでもよろしいが、陳凱歌の映画では人物や事件や風物自体も美しくきっかりと描かれていて感銘を受けるのだが、正確にいうと彼が描こうとしているのは、人物や事件や風物自体ではなく、それらのアトモスフェールやたたずまいであり、そのたたずまいを成立させている静かな時の流れであると感じられる。彼は映画的事件ではなく、そのフレームの外を流れる静謐な時間そのものを直視しているのである。

 しかしこの映画は時の政治権力とは無縁な教育の理想的なあり方を追及する実験映画でもあり、専門教育の手あかにまみれた手法に無縁の素人の若者が、教科書を捨て、カリキュラムを捨て、辞書を捨て、即興的な試行錯誤を繰り返しながら、自発的に学ぶことの楽しさを徒手空拳で見出していくプロセスは感動的ですらある。

 中国であろうが日本であろうが、恐らくこのような地道な手作りの全人教育だけが本当の児童教育なのであり、それはかのジュリアン橋下ソレル市長などが大阪で取り組んでいる岡っ引き教育の対極に位置するものなのだろう。



二読三読四読まだ意味不明この新古今調のコンチキチン 蝶人
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川西政明著「新・日本文壇史第9巻」を読んで

2012-11-23 09:37:52 | Weblog


照る日曇る日第550回

本巻に収められたのは吉川英治、山本周五郎、大佛次郎、井上靖、吉村昭、司馬遼太郎、壇一雄、江戸川乱歩、松本清張、佐木隆三の面々で、著者はこれら「大衆文学の巨匠たち」の人生、代表的な作品が誕生するにいたった来歴を豊富な資料を駆使しながら、もはや自家薬籠中のものとなった自在な語り口で月旦するのである。

いちばん面白かったのは、吉川英治と直木三十五の間で昭和七年に交わされた「宮本武蔵論争」秘話である。著者によると、英治は武蔵が生涯六十三度の真剣勝負で一度も負けなかったから日本一の剣客である、と唱えたのに対して、三十五は柳生宗厳を「その弟子に破らせた」上泉信綱などの方が格上であると主張した。

三十五は、「武蔵は信綱、宗厳をはじめ当時の超一流の名人とは誰ひとり試合をしていない。もし試合の数だけなら塚原ト伝、松本備前守政信、波合備前守胤成に遥かに及ばないと数字を挙げて具体的に反論するとともに武蔵の人間性を問題にした。

確かに武蔵は小次郎を破り吉岡清十郎兄弟を斬ったが、その遺恨試合では幼少の又七郎を殺している。武蔵に弟子無く禄高は異常に低い。もっと問題なのは武蔵が著した「五輪書」である。そこには「われ十三歳にして初めて勝負を為して新当流の有馬喜兵衛という兵法者に勝ち、二十一歳にして都に上り、その後国々所々に至り、諸流の兵法者に行逢い、六十余度までも勝負すと雖も一度もその利を失はず」などと自慢そうに述べてあるが、これらは他人の筆で書かれるべき文章ではないだろうかというのである。

ここにおいて自らの不明を深く恥じた英治は、ただちに三十五への反論を取り止めて自分の中の武蔵像を確立しようと固く心に誓った。爾来幾星霜、研鑽努力の末についに誕生したのが彼の代表作「宮本武蔵」であったが、その生みの親である直木三十五は、連載が始まる前年の昭和九年二月二十四日にニッコリ笑って亡くなっていたという。


タヒチの女性は髪に花を飾ってる恋人がいる人は左いない人は右側に 蝶人
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ヴィンセント・ミネリ監督の「いそしぎ」を見て

2012-11-22 08:41:36 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.350

のび太「アメリカの西海岸を南北に走る国道101号線はサンフランシスコからロサンジェルスまで太平洋を間近に走っているんだけど、この恋愛映画の舞台になったのはカリフォルニア州カーメルに近い有名な観光地ビッグサーの海と町。住めるものならここで余生を過ごしたいと世界中の多くの人が夢見ているんだってサ」。

ドラエもん「僕、ドラエもん。そんな理想的な環境で絵描きをしているブタブタになる前のエリザベス・テーラーに牧師役のリチャード・バートンが一目惚れ。美しく貞淑な奥さんと2人の子供までいるというのに相思相愛の仲になるというお話だもんね。」

しずか「お固いはずの校長兼牧師さんがとつぜん「君が欲しい」なんて言うんだもの、びっくりしちゃう。おとこの人ってそうなの?」

スネ夫「知らない。僕まだ子供だもん。それよりエリザベス・テーラーって超色っぽいね。あの目でじっと見詰められたら僕だってどうにかなってしまいそう。」

ジャイアン「どうなるって言うんだ、この野郎。変なこというと許さないぞ」

のび太「まあまあ喧嘩するのはやめようよ。要するに大人はふだん偉そうなことばかり言ってるけど、いざとなると僕たち子供より滅茶苦茶なことをして泣いたり苦しんだりするっていう映画です。主題歌が大ヒットしたそうでーす」

ドラえもん「パチパチ、さすがのび太くん、うまくまとめたね。ご褒美に傷が治ったいそしぎと遊べるタケコプターをプレゼント!」


尖閣や竹島よりも東北の喪失国土をとく回復せよ 蝶人
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シャルル・ミュンシュの「1967年パリ管創立記念コンサート」を聴いて

2012-11-21 10:07:26 | Weblog

♪音楽千夜一夜 第286回 短くも儚く散った名コンビによる記念碑的な演奏!

シャルル・ミュンシュを音楽監督に迎えたアンドレ・マルロー肝いりのパリ管弦楽団の1967年11月14日のお披露目コンサートの実況録音を聴きました。所はシャンゼリゼ劇場、曲目はベルリオーズの「幻想交響曲」、ストラヴィンスキーの「レクイエム・カンティクルス」、そしてドビュッシーの交響詩「海」という素敵なプログラムで、普通なら「幻想」を最後にもってくるのでしょうが、「海」をトリに据えるというのが当夜のミュンシュの秘めた料簡であったことは、この2枚組の録音を聴くと実によくわかります。

1週間にも及ぶリハーサルでミュンシュによって徹底的に鍛えられたパリ管の「幻想」は、それまで同国を代表していたパリ音楽院管の、ろくに練習もせず、各人各様の個人技を展開していた放恣なアンサンブルに比べると雲泥の差で、欧米の超一流のオケをしのぐその冷徹なまでのアンサンブルには改めて驚かされます。

しかし曲の解釈と演奏自体は彼がかつてボストン交響楽団や63年にフランス国立管弦楽団とやった演奏と大きくは違わない。終楽章の「サバトの夜の夢」もいちおう青白く燃えてはいるのだが、なぜだか彼のライヴにしては狂乱の度が抑えられ、バーンスタインやモントゥーのむきだしの熱狂が恋しくなります。さすがのミュンシュとパリ管もデビュー演奏会ということで少し硬くなっていたようです。

ところが後半のストラヴィンスキーとドビュッシーは凄かった。それまで押さえていた熱と力と意志を満を持したように全開して、指揮者もオケも歌いに歌います。ドビュッシーの「海」もこの偉大な指揮者が何度も演奏し録音してきた名曲ですが、第3曲のトランペットの強奏を耳にしながらドビュッシーがインスピレーションを得たという葛飾北斎の「富嶽三十六景・神奈川沖裏」の映像が忽然と脳裏に出現したのには我ながら驚きました。

とかくドビュシーというと印象派の点描に似た曖昧模糊とした演奏が喜ばれるようですが、当夜の「海」は一切の文学的な霧のヴェールを取り去った純音楽的な名演で、「大爆発、驚天動地、未曾有、空前絶後、千載一遇」などという惹句はもちろん大仰に過ぎますが、短くも儚く散ったこの名コンビによる記念碑的な演奏であることは間違いありません。


ミラノ・コレに昔の名前で出ています「ジル・サンダー」byジル・サンダー
蝶人
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ジョン・フォード監督の「捜索者」を見て

2012-11-20 08:51:47 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.349

サザエ「先住民と新住民との争闘をあくまで後者の立場から描いている「明治元年現在」の西部劇。油の乗りきったジョン・ウェインを完璧にコントロールしているフォードの冷静な演出が光っています。物語をぐんぐん前に進めるようとする力がある種の麻薬的な快感を呼ぶのよね。」

マスオ「舞台は強烈な陽光がまぶしく降り注ぐモニュメント・バレーなんだけど、その反対に逆光と暗闇と陰の部分を強調した撮影が重層的な効果を上げている。」

イクラ「しかしいくら兄の家族を虐殺された復讐に一途に燃える男だとしても、ジョン・ウェイン演じる主人公のインディアンや混血児への偏見は、最後には少し是正されたように見えるものの非常に不愉快だわ。自分の姪なのに「もう白人ではない」と言って殺そうとするガンマンなんて人間じゃない。パブーン」

マスオ「確かに先住民も開拓者を襲撃して首を取ったり頭の皮をはいだり少女を捕虜にしたりするんだけれど、素晴らしい映画だけにその歴史的な背景を無視した単純な悪役と善玉の対比が気になりますな。」


 波平「ウエインよりも注目したいのは名脇役ワード・ボンドが演じた牧師兼ガンマン。アメリカではもうこの時代から武装したキリスト教原理主義者が重要な役割を演じていたんだね。」


いたずらに愛国を呼号する莫れその君こそが国を滅ぼしている 蝶人
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アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の「恐怖の報酬」を見て

2012-11-19 08:23:14 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.348

サザエ「初めて観たときはニトログリセリンがいまにも爆発するんじゃないかと思ってハラハラドキドキしたけれど、さすがに3回目になるとこれは単なる映画だと思って冷静に見られるわね。」

マスオ「はじめから終りまでスリルと人間ドラマがぎっしり詰め込まれた内容と質量のある映画だね。でも2時間半はちょっと長いので、前半の中米の酒場のシーンを少しカットしたほうがバランスがよくなると思う。」

波平「イヴ・モンタンとその兄貴分のシャルル・ヴァネルの関係が途中で逆転してしまう。歳を取ると臆病になってしまうんだというヴァネルの言葉が重いね。」

サザエ「それにしてもこの監督は俳優を徹底的に痛めつけ、酷使して自分の思い通りの世界を創造しようとしてるから見上げたものね。モンタンとヴァネルを重油まみれの泥沼ではいずり回らせるなんてよくやるわね。」

フネ「ラストで「美しく青きドナウ」に乗せて車と待ちうける人々が輪舞するシーンはさすがジョルジュ・オーリック。取り残されたモンタンの恋人(監督の元夫人ヴェラ・クルーゾー)が可哀想でした。」


セブンイレブン中国と戦争しているよな変な気分 蝶人
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ジョエル・オリアンスキー監督の「コンペティション」を見て

2012-11-18 09:40:09 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.347


プロのピアニストを目指す年長で貧乏なリチャード・ドレイファスと若くて美人で大金持ちの娘なんとかちゃんが、サンフランシスコのなんとかコンクールで宿命の対決をするといういかにもなお話。

この二人、国際コンペの常連で抜きつ抜かれつ争ってきた顔見知り。ドレファスは彼女と違って年齢制限でコンペは今回限りであり、これを逃すともうワールドレビューのチャンスはない。しかも自分の大成を支えてくれた父親が余命いくばくもないので必死なのだがお互い相思相愛の仲となってしまう。さあ大変。

恋も大事だが、でもグランプリはもっと大事。男は決勝でベートーヴェンの「皇帝」を、女はモーツアルトを止めて急遽(私の大嫌いな無内容でこけおどしだけの駄曲)プロコフィエフの3番に変更する。さて最後に勝利を収めたのはどっちだったでしょう。 

オケはサンフランシスコが会場なのに、なぜかロスフィルが登場。演奏はピアノもオケもあんまり良くないが、ドレファスがリハーサルの時にちょっとジュリーニに似た指揮者の解釈をやりこめる所が面白い。



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黒澤明監督の「乱」を見て

2012-11-17 10:27:29 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.346

この作品はこれまで何回かみているが、いつも圧倒されるのは原田美枝子が次郎の君の脇差を奪ってその場に押し倒し、首筋に切りつけながら脅迫恫喝するシーンで、ここでは完全に男女の立場が逆転している。その後根津甚八の馬鹿殿は兄の正妻にまるで女のように犯されたあと、今度は女に戻った楓に泣きを入れられ、美しく狡猾な彼女はそれからは馬鹿殿を自分のいいなりに御していくのである。

このシークエンスに比べると大殿と3人の息子たちやお付きのピーターとの掛け合いなどはずいぶん精彩を欠き、大殿自身の心理を含めて人間関係があざやかに描かれているとはいえない。

その代わりにすこぶる印象的なのは緑の大草原を疾走する馬に跨った武士たちの群像、紅蓮の炎を上げて燃え尽きる城やその中から死人のように白衣でよろけ出てくる大殿、画面狭しと移動する戦士たちの戦闘シーンで、そのさまはまるで一幅の華麗で悲愴な絵巻物を見せられているような気分である。

このような雄大な景観をバックにした勇壮な時代劇は、もはやわが国では二度と撮られることはないだろう。武満徹の音楽も地味ではあるが忘れ難い。


にしてもさっさと民主党を見限りシンクタンクに転職するという神奈川4区長島一由 蝶人
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古井由吉著「古井由吉自撰作品三」を読んで

2012-11-16 09:12:41 | Weblog


照る日曇る日第549回

全共闘運動華やかなりし頃は、政治思想の共同体の内部やその周辺で、メンバー相互の性的な共同性がアメーバのごとく緩やかに拡張されていた。それは戦前の日共細胞のハウスキーパー制度ほど固定的なシステムではないにせよ、同一の教理や思潮を信奉する仲間たちの間には、所謂フリーセックスにまでは至らなくとも、ある程度の性的親和性をお互いに交わし合う自由な風土というものが自然に存在していたと思われる。

 本巻に収められた「櫛の火」は、ちょうどその時代に青春を散らした主人公のその後の白々しいまでに荒廃した生の軌跡を、二人の女性との性的、実存的交渉をつうじて赤裸々に描き切った大作である。

バリケードの中のノンポリ過激派四人組の紅一点弥須子に突然死なれた主人公は呆然自失のまま大学を中退しリーマンに転身するが、そんな彼の耳朶を撃つのは「また抱かせてあげるね」という弥須子の最期の一言だった。

やがて主人公の前に登場する年上の人妻柾子の生に行き悩んだ挙句の性的波乱を著者は舌なめずりしながらこれでもかこれでもかと執拗に描写する。一本の筆を以て一人の女の実存を捉えきろうと真正面から挑む著者の異常なまでの努力は、小説の最後の最後でついに酬いられ、読者は究極の愛によって結ばれた二人の姿がとうとう血と肉を得る。そして小説に許されるその小さな奇跡を目の当たりにしながら、彼らの明日に幸多かれ、と祈らずにはいられないのである。


父母すべて喪いし二人の秋の旅 蝶人
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