あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

マリア・カラスの7分間の超絶的アリア

2018-04-30 10:00:17 | Weblog


音楽千夜一夜 第410回



昨年は、不世出のソプラノ歌手マリア・カラス(1923年12月2日 - 1977年9月16日)の没後40周年でしたので、私は彼女の記念アルバムを毎日のように聴いて過ごしました。

そのひとつは彼女が1949年から1969年までにスタジオでレコードした全69枚のCDセットです。1枚140円の廉価盤(MARIA CALLAS 「The Complete Studio Recordings」)でしたが、まず49年11月8日から10日にかけてイタリアのトリノで録音された最初のリサイタルを聴いて驚きました。

アルトゥーロ・バジーレ指揮、トリノ・イタリア放送交響楽団の伴奏に乗せておもむろに歌いはじめた「イゾルデの愛の死」は、録音こそ古いものの、まさしくカラスの胴間声そのもの。いささか青臭く、なんとなく自信なさげで、未熟といえば未熟な歌唱ではありますが、時折聴こえてくる、どすの効いた迫真のサビとうなりは、すでに彼女の自家薬籠中のものとなっています。

そうなのです。ハイCで切開される鋭い線のような高音はもちろんですが、このブルブル震えるような低音こそが、カラスなのです。

一度聴いたら二度と忘れられなくなる、懐かしくも恐ろしいその声。聞く者の内臓に食い入り、深々と肺腑をえぐっては泣かせる、この表情豊かで戦慄的なバスの音色こそが、カラスという人の専売特許なのでした。。

ベルリーニの「ノルマ」と「清教徒」からのアリアの抜粋も、じつに見事なもの。まさに「栴檀は双葉より芳し」を地でいく鮮烈なデビュー振りといえるでしょう。

今度は一転して、最晩年のカラスを聴いてみることにしましょう。1969年2月と3月にパリのサル・ワグラムで録音された、本当に最終期のカラスの歌唱です。

カラスは、ニコラ・レッシーニョの指揮するオルケストラ・ドゥ・ラ・コンセルバトワール管をバックに、ヴェルディの「シチリアの晩鐘」「アッティラ」そして「イ・ロンバルディ」からの3つのアリアを、かすれるような声で懸命に歌っています。

その音程は下がり、あの豊かだった胴間声は激しくきしみ、さながら魔女の断末魔の叫びのようにも聴こえます。
しかしその蹌踉たる絶叫のなかに、私は無残な老醜を、それと知りつつ超克しようとする女の誇りと意地のようなものを感じ取り、一掬の涙を銀盤に灌いだことでした。

この永久不滅の名盤に続いて、今度は彼女のライヴ公演のリマスター盤「マリアカラスライヴ録音1949-1964」(MARIA CALLAS LIVE「remastered live recordings1949-1964」)が登場しました。42枚と3枚のブルーレイ・ディスク、それに貴重な写真を収録した小冊子の付いた超廉価の豪華版です。

ライヴで一入燃えた彼女の真価は、前記のスタジオ版よりも、こちらのほうで発揮されているようです。
たとえば1952年4月26日、フィレンツェ五月音楽祭でトゥリオ・セラフィン指揮フィレンツェ市立劇場管弦楽団に伴われて歌ったロッシーニ「アルミーダ」第2幕のアリア「甘き愛の帝国では」においては、なんと驚いたことに、あの高い、高い、高いニ音が、3回!も、しかも音程をはずすことなく! トリルの連続する超絶技巧で歌われていて、聴く者を圧倒します。

満員の聴衆はもとより指揮をしていた彼女の恩師セラフィンも、この驚異的な7分間には、思わず息をのむほどびっくり仰天したのではないでしょうか。

   老ゆるともカラスはカラス鶴の声宇宙の彼方にさえざえと響く 蝶人
   君知るやカラスの後にカラスなくひばりの後にひばりなきこと

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岡井隆著「鉄の蜜蜂」を読んで

2018-04-29 10:03:59 | Weblog


照る日曇る日 第1057回



これは歌壇の最長老にして、第一人者の最新作です。

  今日もまたぱらぱらつと終局は来む鉄の蜜蜂にとり囲まれて

に因んだ題名ですが、さて「鉄の蜜蜂」とは、何の象徴でしょうか?

本書にはおよそ五百首の短歌に混ざって、短いながらも味わい深いエッセイも挿入されているのですが、「私が考へる良い歌とは」という設問に対して、以下のように答えています。

「自分なりの納得でかまはないが、短歌の韻律「五七五七七および破調、句またがり)を、一首のうちに包括してゐることが、「良い歌」の第一条件だらう」

それは例えば、

  行きたくない。だが、ねばならぬ会合に大岡詩集読みながら行く

  一輪の傘が咲くとき 不思議だなあ 雨の方から降ってくるんだ

  旧友の吉田はむかし農村の工作隊へ行つたときいた(何をいまさら)

などの近歌の韻律の内部にも変わることなく律動していて、そのなつかしい響きに耳目が接するたびに、「ああこれが岡井隆翁の肉声なのだ」、と、妙に納得したり安心したりさせられるのです。(ただし私が異見を懐いている、彼の皇室と原発に関する歌は別として)。

この歌人の特徴は、どんなに悲惨な状況を歌っても、その声音が小津作品の音楽を担当した斉藤高順のように平明かつ健康的でつねに「未来」を志向していることで、それが同じ前衛歌人の塚本邦雄や寺山修司との大きな違いではないでしょうか。朗唱にふさわしい軽やかな韻律の底には、いつも青空があるのです。

今回特に印象に残ったのは、巻末に置かれた「父 三十首」でした。ここには

  紀元前十四世紀のむかしより父と子はつねに妬み合いしか

  キリスト者として戦中を耐へし父。苦しき転向を重ねたるわれ。

  「マスコミにたてつくことは止めよ、隆。」いたき体験が言はせた至言

のような著者の親子の愛と相克を巡る力作が並んでいるのですが、実は先日歌人萩原慎一郎を自死に追い詰めた間接的な要因が、中学時代のいじめにあると知ったものですから、本書で、著者もまたおなじ目に遭った、という告白に接して刮目せざるを得ませんでした。

   十代にていぢめに会ひぬ「隆、それは耐へる外ないぜ」よ言ってくれたが

   学校側の知人にひそかに手をまはしをりたりとはるかのちに知りたり

私は漸くにして衰微の影が搖蕩しないでもない、著者第三十四番目の歌集を閉じながら、もしもその父親の恩寵の手なかりせば、この偉大な歌人の運命はいかばかりであったろう、と余計な思案をせずにはいられませんでした。

     あかねさすバベルの塔を攀じ登る九十翁の姿遥けし 蝶人

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萩原慎一郎歌集「滑走路」を読んで

2018-04-28 11:14:55 | Weblog


照る日曇る日 第1056回



 何か必死に探す事 格好悪いことじゃないんだ。暁の方へ
 木琴のように会話が弾むとき「楽しいなあ」と素直に思う
 この火とは誰のための火か?さつまいも一緒に焼こうよ。この恋の火で

この素直さ!この純情さ!
真夏の太陽の下で一輪の向日葵が咲き誇っている。しかし花の下には影一つない。
そんな不思議な印象を与えるあまりにも単純で裏表のない直情的な歌である。

彼にとって短歌は生涯の友人であり、生きる糧であった。

 「小説の時代だけれど俺たちでなんとかしようぜ。絶対にな」
 空を飛ぶための翼になるはずさ ぼくの愛する三十一文字が
 かっこよくなりたい きみに愛されるようなりたい だから歌詠む

しかし、生きることに急き、明るすぎることは、滅びの予兆で会ったのかもしれない。

 眼の前をバスがよぎりぬ死ぬことは案外そばにそして遠くに

歌壇の未来を拓く前途有為な若者として嘱望されていた作者は、本書のために準備万端を整え、「あとがき」まで用意していながら、上梓目前にして自死したという。

その理由は「あとがき」にも書かれているように、いじめにあったようだ。
中学時代の野球部で受けたこころの傷が、短歌への愛も癒せぬトラウマとなり、あまりにも早すぎる最期に至ったようだが、著者を悲劇に追いやったその「数人」がこの遺著を手に取り、心ゆくまで後悔と懺悔の道を辿るよう願わずにはいられない。



    空の果て光遍く天目指し勇気凛凛イカロス翔びぬ 蝶人

    地を蹴りて大空高く舞い上がり陽に溶け入りし君はイカロス 蝶人

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名匠たちの思ひ出

2018-04-27 11:52:36 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1336、37, 38、39


1)スタンリー・キューブリックの「現金に体を張れ」

競馬レースを悪用して巨額の売上金の強奪を図った男たちの野望と実行を緊張感を保ちつ描き切る演出力は凄い。


2)ヒッチコック監督の「ダイヤルMを廻せ」

浮気した妻のグレース・ケリーを、夫が遺産目当てに殺そうとして失敗する話なり。
アパートの鍵が殺人事件の鍵を握っているのだが、そのことが頭の悪い私にはやや分かりにくかった。
でも江戸川乱歩の探偵小説よりはるかに論理的な組み立てになっている。
しかし明日は死刑執行されるというのに、死刑囚の妻を警部が犯行現場に連れてきたりできるのだろうか。

3)小津安二郎監督の「東京暮色」

1957年製作の知られざる傑作である。
小津映画のテーマの大半が嫁入り話だが、この映画ではヒロインの有馬稲子が未婚の母になるも中絶したり、自分の出生の秘密に深入りしたり、いつもとは違って人世の暗黒面を深刻に描いていて興味深い。
もっとこういう方向を徹底的にえぐる映画も撮ってほしかったなあ。


4)フランチェスコ・ロージー監督の「シシリーの黒い霧」をみて

1962年製作のモノクロ映画だが、現地ではシチリアのロビンフッドとも讃えられる山賊の実に奇妙奇天烈な謎多き生涯を描きだす。
憲兵を殺害したり、義賊と呼ばれて民衆に施し物をしたり、シチリア独立に一役買ったりする一方では、イタリア共産党員を虐殺したり、マフィアと手を結んだり、やりたい放題の山賊の首領だから、仲間に裏切られて殺されても本望だったろう。

 トイレまであと一歩というところでパンツにぶちまけられたビチビチうんこ 蝶人
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「誰もが泣いて喜ぶ冠婚葬祭その他諸々スピーチ集」第28回

2018-04-26 11:16:49 | Weblog


蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話op.292



○異業種交流会/幹事のあいさつ


お忙しい中を、ようこそいらっしゃいました。

*1私は「21世紀ハイブリッド研究会」の幹事を務めさせて頂いております柳沼と申します。よろしくお見知りおき下さい。

さて当会も、本日で通算15回目の定例ミーティングを開催することができ、誠にご同慶の至りであります。「21世紀ハイブリッド研究会」は、異業種の方々のために設けられた情報交換、相互研鑚、切磋琢磨の場でありますが、

*2急変する国際情勢に迅速に対応するため、このほど各国大使館のご好意によりアジア、欧米諸国のメンバーとりわけ米国と中国の企業経営者や科学技術者の方々に大きく門戸を開き、とかく国産メンバー偏重であった当会の自己変革と構造改革をさせて頂くことになりました。

21世紀の雑種文化をたくましく育てよう、というのが当会設立の趣旨ですが、おそまきながらそのポリシーを海の外にも拡大し、真にグローバルな異文化異業種大交流の会へと進化させたいと考えます。

*3皆さまのなお一層のご支援、ご協力をお願い致します。

○ アドバイス
* 1 異業種交流会も数多いが、とかくマンネリに陥る危険がある。そこで幹事さんは一計を案じて新たなプランを練ることにしたのである。
* 2 つねにネットワークを更新し国内外を問わず新鮮な情報源をグローバルに添付することこそ会の発展強化につながると幹事は考えたのである。
* 3 以下、海外メンバーの紹介が続く。


 「辞任などは考えない」という麻生あ、そう、じゃあい今すぐ考えろよ 蝶人



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歯が痛い~親愛なるキシモト医師に捧ぐ

2018-04-25 11:49:56 | Weblog


これでも詩かよ 第240回


左の歯が痛い右の歯も痛い左の歯が痛い右の歯も痛い左の歯が痛い
右の歯が痛い左の歯も痛い右の歯が痛い左の歯も痛い右の歯が痛い
左の歯が痛い右の歯も痛い左の歯が痛い右の歯も痛い歯が歯が痛い

死ぬ死ぬ死ぬ キシモト先生助けて下され!
それはそれはお気の毒、
すぐにヨコスカまで飛んでらっしゃい

はい、飛んできましたよ キシモト先生!
こんにちは、ササキさん
死ぬ死ぬ死ぬ キシモト先生よしなにお願いいたします

大丈夫、人間、そう簡単に死にはしません
では、お口をおおきくひらきませう。
あーん、あーん、あーん

なーるほど、奥歯のシコンノウホウ(歯根嚢胞)ですね
今日は、歯茎をざっと洗いませう
ちょいと麻酔なぞいたしませうか

あーん、あーん、あーん
痛い痛い痛い 死ぬ死ぬ死ぬ
洗うなり 煮るなり 焼くなり センセにおまかせいたします

グオーン グオン ギュルグギュルギュル
グオーン グオン ギュルグギュルギュル
グオーン グオン ギュルグギュルギュル

ノオ、ノオ、ノオ
ああああ そこは神経が ま まだ生きておる
やめてけれ やめてけれ ズビズバア ズビズバア

チューン チューン チューーン ピクル ピクルブ ピピピビピピ
グギグギグギ ガリガリガリ グギグギグギ ガリガリガリ
ブウン ブウン ブウン ビカビカビカ ブウン ブウン ブウン ギタギタギタ

ササキさん
痛かったら 教えてくださいね
痛かったら 手を挙げてくださいね

グリグリグリーン ギャリギャリ グリグリ グリリン グエンカオキー 
ギャリギャリゼッポ グルーチョハーポ マルクスエンゲルス チェゲバラ グルリンパ
バズーン バズーン ドスバソス バズーン バズーン ドスバソス

oooooooooo nnngaaabubububugibugibububu
aaaaaaa guggi-----njyubobobobguhahahahagashigasigasigasisisisgga
denndendendenn zunnzunnzunnzunn baribaribaribagigigigizubizubizubarin

ニュン ニュン ニュン ガガガガガガ ニュンニュンニュン ガリガリ ガガーリン
ブブーン チュルチュル チュルンシュ パシュパシュ
ググーン ガリガリ ガリーン ザザザザザア

我痛し故に我あり初鰹 the end is the end is the end is the end is the end is the end
苦悶煩悶拷問苦悶煩悶拷問 the end is the end is the end is the end is the end is the end
七転八倒七生報国 the end is the end is the end is the end is the end is the end

チューン チューン チューーン ピクル ピクルブ ピピピビピピ
グギグギグギ ガリガリガリ グギグギグギ ガリガリ ガガーリン
ブウン ブウン ブウン ビカビカビカ ブウン ブウン ブウン ギタギタギタ

イタイオー イタイオー
ズビズバア ズビズバア
お願いだから もうやめてけれ

ギグギグギグ グルンン ガガンガガア
オペオペオッペル グララアガア
アヒアヒアヒヒ アビキョウカン

やめてけれ やめてけれ
生まれてきて、あい済みません
イタイオー イタイオー

ビンビビン ビビビビ ブウン ブウン ブウンン
チューン チューン チューーン 
ピクルピクル ブピピピビピピ ヌガア ヌガヌガア

はいササキさん おつかれさま
今日は、これでおしまいです
痛くなったら いつでもどうぞ

汗と血と涙の苦闘45分
ようやっと奥歯の歯根嚢胞の治療が終ると、
ヨコスカは黄昏 真っ赤な黄昏


よたよたとキシモト歯科を転がり出る男の影ひとつ
ほれ、また一日を生き延びた
キシモト先生 ありがとう

キシモト先生 さようなら
ああその時 ヨコスカは 真っ赤な黄昏
第7艦隊は 真っ赤に燃えていた


 歯が痛いああ歯が痛い歯が痛い歯が痛い時は行くキシモト歯科へ 蝶人


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家族の肖像その33~これでも詩かよ239回

2018-04-24 16:32:29 | Weblog


ある晴れた日に 第506回


お母さん、あした「こころ」みますお。
みてね。

お母さん、しまったっ、てなに?
失敗したなあ、と思うことよ。

危ういってなに?
危ないことよ。

お母さん、地主ってなに?
土地を持っている人よ。

お母さん、おもにって、だいたいってこと?
まあそうねえ。

お母さん、脳波ってなに?
頭の中の波を調べます。

お母さん、ジュンサイつるつるでしょ?
はい、つるつるですよ。

お母さん、ぼく今年も海行きますお。
そうなの。わかりましたあ。

お父さんお母さんが死んだら、耕君どうしますか?
ぼく、ホームで暮らしますお。

お父さん、要はかなめでしょ?
そうだよ。
ぼく要です。
要君こんにちは。

荒々しいってなに?
乱暴なことよ。

お父さん、テレビ壊れたの?
そう、線が入るようになったんだよ。

お母さん、ことしモリタカさんに会った?
会ったよ。
ぼく、モリタカさん好きですお。

モリタカさん、ネクタイしてた?
してなかったよ。
モリタカさん、笑ってた?
笑ってなかったよ。

モリタカさん、おうちでお仕事してるの?
もうしてないと思います。
ぼく、ぼく、モリタカさん好きですお。

オオツキサッチャン、どこに住んでいるの?
藤沢かな。
ぼく、オオツキサッチャン好きですお。

お母さん、腰痛めると、嫌ですねえ。
お母さん、木を切ったから、腰痛いよ。
腰痛めると、嫌ですねえ。

事故防止って何?
起こらないようにすることよ。

警察って、お巡りさんがいるところでしょ?
そうだね。

お母さん、イベントってなに?
催しよ。

お父さん、孤独ってなに?
そうねえ、とても寂しいこと、かな。


 手を叩けば金魚が顔を出すように躾けたいといううちの奥さん 蝶人


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夢は第2の人生である 第60回

2018-04-23 10:50:08 | Weblog


西暦2017年霜月蝶人酔生夢死幾百夜



その若い男がやくざであることは分かっていたが、実に些細なことで私にいちゃもんをつけてきたので、カッとなった私はそいつをボコボコにのしてしまった。11/1

ゼンちゃんと一緒に、どこか田舎の百貨店へ行こうとするのだが、ゼンちゃんは、いつのまにかどこかへ消えてしまう。久しぶりに会った弟なので、私はあちこち探し回るのだが、見つからないので、途方にくれてしまう。11/2

私は美貌の母娘の依頼を受けて、半年以上も作陶を続けているのだが、彼女たちがひっ切りなしにわが工房を訪れてあれやこれやとちょっかいを出すので、まるで作業が進捗しない。11/3

たいした選挙運動もしないのに、私は、なぜだか市会議員になった。
議場へ初登院しようとすると、入り口でヘルメットと角材を渡された。
「これで敵を思う存分ぶったたけ」と誰かが囁いた。11/4

上空から仁徳天皇の前方後円墳を眺めているうちに、この古墳は、カイコの五齢幼虫の姿を模したことが分かった。11/5

私は谷崎文藝に親しむあまり、文豪と同じように、右手では書けなくなってきたので、文豪に倣ってA嬢を秘書に雇って、口述筆記させていたのだが、彼女がファシスト政権の熱烈な支持者であると判明したので、即解雇した。11/6

私が勝手に広告を作って、いろいろな媒体に出稿するものだから、上司は、何も言わずに私を解雇してしまった。11/7

それまでは女性を抱きしめて押し倒しても、勃起不全に終わることが多かったのだが、その先の行為を、頭の中でシミレーションしているうちに、鬱勃と性器に精力が満ち満ちてきたようなので、これはもしかすると、きっとうまくいくのだろう。11/8

ようやく会社の近くまで戻ってきたら、ヨシダヨシオが、「タクシーに乗せて下さいよお」と甘い声でせがんだのを、私は断固として退け、馴染みの古本屋に入ると、昼寝していた主人が、慌てて飛び起きた。

この店には、なぜか水族館のような大きな水槽があって、アシカやペンギンが泳いでいる。ふと見ると、目の前にペンギンが立っているので驚いたが、おそらくこれは、水槽から飛び出て来たのだろう。

ヨシダヨシオが大声で「ペンギンだあ! ペンギンだあ!」と叫ぶと、ほかのペンギンやらアシカやらトドなんかも、連れだって私たちをぐるりと取り巻いた。

もう夜も更けたので、朝にならないうちに帰宅しようと焦っていると、AとBが「もう一軒行きましょうよ」としつこく誘うのを断り、私は中央駅の階段を全速力で駆けのぼり、どこへ行くのか分からない発車間際の電車に飛び乗った。

昔の私は、己の虚しさを糊塗しようとして、虚飾に満ち満ちた言葉をまき散らしていたのだが、最近は口を閉ざして、おのが空無そのものを、さらけ出すようになったらしい。11/8

自殺船というのは、毎年年1回公募による365名の自殺希望者を乗せて、365日間で世界を一周する。毎日1名の自殺者を予定し、本人も納得しているのだが、いざとなるとひるむ人もいて、およそ3分の1ほどが、死なないで戻って来るそうだ。11/9

大事にしている鞄を、ウンコがいっぱいに盛り上がった河に落としてしまった。しかたなく、ウンコが盛り上がった河の中に、抜き足差し足で入って、鞄を取り戻したが、家に帰って洗ったら、別の鞄だった。11/10

指揮者に憧れて弟子入りした私だったが、師匠が右手を挙げながら、右指を順に追って、曲の終わりを指示しているのを見て、指揮棒を折った。そもそも私は、オタマンジャクシが読めないことを忘れていたのだった。11/12

イマナカ、キムラ両氏が、大論戦を繰り広げている部屋を後にして、ランチに出かけた私が戻って来ると、ムラクモ氏が来客に自分本位に対応していた。60年代最終年のわが社に、果たしてどんな70年代が訪れようとしているのか、私しか知らなかった。11/13

「なんで家に帰って来なかったの?」と聞かれても、よく分かりません。
別に女ができたわけじゃなし、まあ猛烈リーマンですかねえ。
仕事が面白いから夜遅くまで働いても苦にならない。気がつけば電車が無くなっている。それで外泊しているうちに、家で寝るより安ホテル、とりわけカプセルホテルのほうが休めることに気がついた。利用したのは主に新橋、渋谷かな。11/14

洞窟のように狭くて、腰の上あたりに小さなテレビがついている。
そういう独特の空間でないと眠れないような精神と肉体状態になっていたんですね。
それでも時々は自宅に帰っていたんですが、ある日事件が起こった。

夜の渋谷で、格安で車のガソリンを売っている男がいる。ほとんどただのような値段なので喜んで買っていたら、最初はガソリンだけだったのが、ガソリンを餌にして、いろんなものを売るつけるようになった。

それで、「いい加減にしろ」とガツンとやっつけたら、そいつがヤクザだったので、幹部やら親分やらがが絡んできたので、夜の渋谷は鬼門になった。
それでまた家と会社を普通に往復するようになりました。いわば日常を取り戻したわけ。

夫を取り戻した家内も、ほっと一息ついたと思うけど、ある日、洗濯物が4つの場所に離れ離れに置かれていて、この4つの場所が、私がこの4年間に旅行した記念の場所なんだというのです。どうやら勝手に海外旅行をしていたらしい。

猛烈リーマンの私は、てんで知らなかったが、彼女はその4か所でそれぞれ土地を買って、4人の男に留守番をさせているというので、妙に気になって、その4人を日本に呼び寄せたら、口々にその土地を売ってくれと言うので、切り売りしてやりました。11/14

隣国でクーデターが起こり、皇帝が殺されたので、後宮の女性三千人が、我が王国に亡命してきた。毎晩一人としても全員を味見するのにおよそ一〇年間を要すると知った私は、茫然として業務など手がつかなくなった。11/15

私は愛機を低空飛行させながら、地上の人々に「早く逃げろ!」と叫んだのだが、そのうちに、上空から急降下してきた敵機の猛射を浴びて、たちまち火だるまになってしまった。11/16

ウッチャンはじめマンタ一家は、おせいちゃんがお金を持ってくるのをずーと待っていたが、お昼近くになっても彼女の姿が見えないので、イライラは絶頂に達した。お金がないと昼御飯が食べられないのだ。11/17

教室の学生たちが、いつまで経っても私語をやめないので、私はビール瓶を右手で抱えながら「いい加減にしろ!」と怒鳴りつけた。11/17

奥歯にはまだ神経が残っているはずだから、先生お願いだから麻酔をしてくださいね。麻酔なしだと、きっと気絶してしまうでしょうからね。11/18

私がアハハというと、ヨシダ君がアハハと応じる。そんな歌舞伎のような応答を2人でしばらく繰り返していたのだが、突然ヨシダ君が「ウーーウーーウーー」と救急車の真似をしはじめたので狼狽した。11/19

地中海クルーズのリーダーのY嬢に、持参したカセットやデッキを進呈したら、「これで航海中の徒然を慰めることができますわ」と、大喜びされました。11/20

敵の大艦隊が押し寄せてきた。私は1トン爆弾を積んだ改造漁船に乗り込み、先頭の敵艦に突入する決意を固めたが、そんなことは無理だということをよく分かっていたので、Y嬢と、手に手を取って逃げ出したくなった。11/20

わがブランドは、東コレを皮切りにNYコレに進出して地歩を固め、次いでパリコレで大成功した時点で、ピークに達したが、その直後に人気実力ともに急降下して、誰からも忘れ去られた。11/21

「あなたからは、おのれの欲しか感じない。だったら、おのれの欲の海で、立ち泳ぎでもしてな」と夏菜から言われたので、私はひと夏じゅう葉山の海で立ち泳ぎしていた。11/22

2人の子供とセミ公園に行きました。するとセミを追いかけて親子のライオンや白ヒョウが公園中を駆けずり回るので、怖くなって、みんなで脱出しました。11/23

野山を楽しく散歩した後で、私たちは固まってお弁当をつかった。11/24

急に外国からの賓客が来訪することになったので、私は新宿の本社と、長野、飯田工場の3か所を、ヘリに乗ってあわただしく移動せざるを得なかった。11/24

ミチコさんが、「これ以上私に何もしないでください」というので、私は何もしなかった。11/25

道教寺を舞台にして、いつのまにか毎日公演が行われていた。予算はゼロに近いのだが、常設のお神楽をBGMにして演劇やオペラを学んでいる学生を起用すれば、けっこう面白い見世物ができるのである。11/26

裂帛の気合いもろとも、突っ込んでいったが、あっという間に、剣を弾き飛ばされ、喉元に突きが入ったために、仰向けにどうと倒れた私は、両手を彼女にふんづけられ、屈辱的な敗戦を喫した。11/27

ともかく私は、1千万円を取り返さなければならなかった。たとえ来る日も来る日も、タコの足ばかり食べ続けなければならなかったとしても。11/28

つねに一打逆転で勝利を手繰り寄せてきた頼りがいのある男を、私はいつも、私の次の打順に据えてきた。我々がプロの世界から引退したあとも。11/30

  真夜中にカッコントオを飲みました喉が痛くてどうしようもない 蝶人


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春に紛れて

2018-04-22 10:52:36 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1333、34,35


1)リチャード・フライシャー監督の「海底2万マイル」をみて

久しぶりに懐かしい1954年の映画をみた。ネモ艦長はジェームズ・メイソン、カーク・ダグラス、ピーター・ローレも出ていたんだね。
はじめての時は夜目を光らせながら波を蹴立てて驀進するノーチラス号がなんだか怖かったのだが、いまみると全然そういうことがない自分にも、映画にも腹が立つ。

2)ノーラ・エフロン監督の「ユー・ガット・メール」をみて

実際は犬猿の仲なのに、それと知らずにSNSなどでお互いに本心を明かして肝胆相照らすことは、ままあることだ。
うまいところに目をつけたものだが、脚本、演出がしつこくて、途中でうんざりする。こういうのはもっと軽くやらないと。

3)J・リー・トンプソン監督の「ナバロンの要塞」

グレゴリー・ペックが大活躍して、独軍の要塞の大砲を爆破する。
が、これって本当の話なのだろうか。映画の中でさえ難しそうに思えるのだが。ジア・スカラがなんで内通したのか不明。されどいたく妖艶ずら。

こないだからずっと探している斎藤磯雄訳ヴィリエ・ド・リラダン「残酷物語」 蝶人

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須賀敦子詩集「主よ一羽の鳩のために」を読んで

2018-04-21 11:20:57 | Weblog


照る日曇る日 第1055回

1959年9月7日にヴィクトリア・ステーションの前で、「がつがつとパン屑をついばむ」を仲間たちに混じって、「ひとり背に首をうずめてうごかぬセピアいろの鳩」を見出した著者は、

 主よ 一羽の鳩のために
 人間 が くるしむのは
 ばかげてゐるのでせうか

という3行で、「同情」という題名の詩を終えています。

ここには、他人(たとえそれが動物であっても)、の弱さや苦しみに敏感な女性の繊細な心のトレモロが、詩人、というよりは敬虔な修道女の日誌のような生真面目な筆致でつづられているようです。

ところで、本書に収められているのは、没後20年にして発見された著者30歳の折の詩だそうですが、いずれも純粋無垢な世界の初々しい開陳であるとはいえ、完熟したプロの詩作のレベルからはほど遠い、未熟と言えば未熟な作品です。

恐らくは公開をためらっていたであろう試作習作の数々を、長い眠りの暗闇の奥底から掘り出され、いきなり白日の光の下に晒された著者は、喜ぶよりも恥ずかしさの余り、いささかうろたえているのではないでしょうか。

    財務省防衛省及び安倍内閣木っ端微塵に解体すべし 蝶人


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「鎌倉文学散歩」で由比ヶ浜周辺を歩いて

2018-04-20 13:23:28 | Weblog


蝶人物見遊山記 第279回&鎌倉ちょっと不思議な物語第399回


鎌倉文学館が主催する春の町歩きに参加しました。
今回は、由比ヶ浜方面ですが、別にどこだったいいののです。どうせ午前中で解散になるのですからね。

江ノ電の和田塚駅前に集合してから、和田義盛一族が悪辣非道な北条どもの陰謀によって無残な最期を遂げた「和田塚」に詣で、かつて多くの文人たちに愛された鎌倉海浜ホテルの跡地を訪ねました。

ここは昭和9年末から翌年の正月にかけて昨日紹介した与謝野鉄幹&晶子夫妻も滞在しています。そのとき晶子は、

 芝草の黄皮を著たる鎌倉のホテルの庭の初潮の音
 由比が濱外に反りたる白き身の内に巻かれて帰る波かな
 正月の五日大かた人去りて海のホテルの廊長くなる

などの歌を詠んでいますが、2首目などは明星派というより子規を思わせるアララギ派の写生ですね。3首目の心理詠もなかなか面白い。

大正から昭和のはじめにかけて、ここいらへんに久米正夫や芥川龍之介、里見弴などが住んでいたそうですが、当時は家屋敷はほとんどなくて、大半が砂と畑と松林だったようです。

次に訪れたのは「虚子庵跡」で、ここには

 波音の由比ヶ濱より発電車

という高浜虚子の小さな句碑が立っていました。家のすぐそばを、今も江ノ電がガウガウと走っているのです。

由比ヶ浜通りに出ると、川端康成なども愛好した鰻の名店「つるや」があります。
ここは最近では小川糸さんの「ツバキ文具店」を原作にしたテレビドラマで、現場ロケを敢行していましたね。
私もしばらく前にこの老舗の二階で貴重な鰻重をちびちび食したのですが、階下で勘定していると、なんと中国人のお客が大勢つめかけていて驚きました。
こんなところまで観光客が押し掛けるとは、ほとんど悪夢のようずら。

それはともかく、小川糸さんは数年間鎌倉に滞在して、あの小説を書かれたそうですが、題名のモデルになった文具店は、おらっちの推測では第二小学校の校門の向いにある小さなお店であろうよなあ。きっと。

散歩の最後は、笹目ヶ谷の奥の方にある作家星野天知の旧居跡を訪ねました。
この別荘には随筆家の相馬黒光が寄宿したそうですが、残念ながら私はこの2人についてなーんにも知らない人なのでした。

はい、皆さん、ちょうどお時間参りましたね。サイナラ、サイナラ、サイナラ。


  「出前市議!」をめざすとチラシが入ってきた自民党新人モリ議員 蝶人


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神奈川近代文学館で「生誕140年与謝野晶子特別展」をみて

2018-04-19 13:26:34 | Weblog


蝶人物見遊山記 第278回


与謝野晶子(1878~1942)という人は、堺の駿河屋という和菓子屋の3女として生まれたそうだ。父親は商売には不向きな文学青年だったので、母親を助けながら商売に勤しみ、その合間に父の蔵書であった源氏物語などの古典を盗み読みして教養を身につけたという。源氏などは音読していればだんだん真意に通じてくると後年いうておるようだが、これぞ夢のように理想的な正則的アプローチじゃのお。

文才、歌才。これは明らかに鉄幹によって手取り足取り磨き抜かれた。
鉄幹ときたら写真で見れば一目瞭然、眉目秀麗な長身のスマートボーイで、こんな才智が目から鼻に抜ける色男に惚れない女は、時代はまだ明治であるからなおさら、誰一人いなかっただろう。

そんなイケメンに袖にされた山川登美子は可哀想だったが、晶子は、はじめは処女の如く鉄幹に取り入り、しばらくすると脱兎の如く男を略奪し、最後は鳳凰の如く男を宙中にぶら下げて、文芸世界の空高く雄飛したのである。

晶子で驚くのは、その旺盛無比の生命力と生活力と創造力、だあな。

鉄幹が種を仕込んだ12人!!!の子供を、産んで、育てる(1名は生後間もなく死亡)かたわら、およそ5万首の歌を詠み、源氏物語を3回も注釈し、詩を作り、評論を書き、かてて加えて婦人&社会運動家として活躍しながら、63年の生涯を全速力で走り続けた。

特に凄いのは、妻の大活躍と裏腹に意気消沈した鉄幹を復活させるべく、不眠不休、獅子奮迅の奮闘努力で経費を工面して、夫を巴里に送り出したのみならず、自らも夫を追って長駆シベリア鉄道の旅を決行したことであって、小林天眠などの援助があったにせよ、なまなかにできることではない。(詳しくは森まゆみ著「女三人のシベリア鉄道」を参照のこと)

私は晶子の「みだれ髪」の「触れもせで」、や「こよひ逢ふひとみな美しき」、「 金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の丘に」、そして「君死にたもうことなかれ」の感動的な反戦詩(後に180度転向した!にもせよ)も好きだが、もっと好きなのは、鉄幹と再会した彼女が詠んだ「ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟われも雛罌粟」という燃えるような恋の歌である。

巴里を離れてフランスの田舎に遊び、遠くロンドン、ミュンヘンに遊んだり、2人は「明星」創刊の若き日に戻って、さながら生まれたばかりのアダムとイヴのように「第2の青春」「不滅の愛」を謳歌しているようだ。

また2人は巴里滞在中に授かったと思われる4男に、アウギュストという名をつけているが、それは彫刻家のオーギュスト・ロダンに会って感激したからだろう。

近代日本史上、男女を通じてこれほど巨大なクリエーターは滅多にいるものではない。
そんな偉大な文学者の軌跡を辿るにふさわしい膨大な作品、書画。展示品を周集大成した今回の展覧会であるが、意外なことに私がいちばん心に残った歌は、晶子ではなく夫の

  知りがたき事もおほかた知りつし今いまなにを見る大空を見る 鉄幹

という妙に現代的な述壊の歌であった。下4句、5句を音読していると、もしかすると鉄幹のほうが、太陽のように偉大な晶子よりも優れた歌詠みではなかったか、という思いがもたげてくるのである。

晶子の若き日のライバルであった山川登美子の遺品である、小さな小さな簪と櫛を一瞥し、この悲運の歌人の短すぎた薄幸の生涯に、一掬の涙を濺ぎながら、この貴重な展覧会場を立ち去ったわたくしであった。

 *なお本展は来る5月13日まで横浜中区の同館にて好評開催中。


  1%のセレブが世界の8割の富を独占しているそうだ 蝶人
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春の邦画いろいろ

2018-04-18 17:51:26 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1328,29,30,31,32


1)2)成島出監督の「ソロモンの偽証」前篇・後編


宮部みゆきの原作は読んだことがないが、思った以上にすごい映画だった。
学校で起きた学生の死亡事件を、学内の裁判で追及するなんてナンセンスだと思っていたのだが、実際にそれが具体的に展開されていくと生徒のイジメや悩みや友情、教師と生徒、家族間の問題などのありようが、迫真的に浮かび上がり、さすが宮部みゆきとうならされた。
ヒロインの藤野涼子が好演。


3)羽住英一郎監督の「おっぱいバレー」

試合に勝てば部活の可愛い先生(綾瀬はるか)のおっぱいを見せてもらえるというので、懸命に練習に励むバレー部員のお話。
タイトルがいいよね。


4)山田洋次監督の「故郷」をみて

1972年製作の「民子3部作の2作目なり。
瀬戸内海の小島で石運搬船で暮らしている家族が近代化の波にのまれて尾道の鉄工業の工員に転身するために故郷を離れるまでを描く。
しかし造船業の国際化とともに、その後この新しい職場も時代変化の波に飲み込まれていったに違いない。


5)宮崎吾朗監督の「コクリコ坂から」をみて

東京五輪前の横浜を舞台にした学園もの青春メロドラマであるが、なぜか父宮崎駿監督作品よりも自由でのびやかな感性が漂っているのは、長男の若さのせいだろうか。



「お母さんを6時までは寝させておいて」と頼んだので5時59分に電話してくる施設の耕君 蝶人


なにゆえに「港の見える丘」に旗はためくこれぞ「コクリコ坂」の家なるを

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オットー・クレンペラー指揮新旧フィルハーモニア管弦楽団によるモザールオペラ集全11枚組を聴いて

2018-04-17 10:11:53 | Weblog


音楽千夜一夜 第410回


偉大なる名人の棒による「フィガロ」、「ドン・ジョヴァンニ」、「コシ・ファン・トウッテ」、「魔笛」全4作品を11枚のCDに収めた今は亡き英国EMIの超廉価盤ボックスずら。

クレンペラーは大好きな指揮者だし、彼の超遅めのモザールも悪くないし、EMIにしては録音もいい方だし、超廉価はとてもうれしいのだが、いったい全体どうしてこうも心が弾まないのだろう。私の耳が悪いのか、歯痛や体調の悪化によるのもか、はたまた悪名高き猪八戒の醜悪な顔相と発音の副作用によるものなのか、てんで分からない。この中では「コシ・ファン・トウッテ」がいちばん良かったが、はてさて困ったことだ。

 働いても働かなくても年収およそ876万鎌倉市議はやめられません 蝶人


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ベートーヴェン、音楽、そして映画

2018-04-16 11:51:09 | Weblog


音楽千夜一夜 第408回&闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1328



昔から楽聖と呼ばれたベートーヴェンの音楽は、昔から映画音楽によく使われてきました。
けれども彼の音楽は男性的で、柔道一直線的な要素が強いので、映像との組み合わせが難しい。

スタンリー・キューブリック監督の「時計じかけのオレンジ」では、交響曲第9番がテーマになっていました。これなどは映画と音楽のつながりに必然性がありましたが、たとえばあの有名な「合唱」の調べを、感動的な映像シーンにかぶせると、なんだかダサくてしらけた映画になってしまうことが多いようです。

これと対照的なのがモーツァルトやラフマニノフのピアノ協奏曲で、「みじくも美しく燃え」とか「愛と哀しみの果て」や「逢びき」などのラブストーリーにはぴったり合うのですが、バートーヴェンはなかなか難しく、私が知っているほとんど唯一の例外はピアノ協奏曲第5番の第2楽章を印象的に使った1975年製作のオーストラリア映画「ピクニックatハンギングロック」くらいでしょうか。

私はこの曲を聴くたびに、ピクニックに出かけた美貌の女生徒が失踪するという「神隠し」事件を描いたピーター・ウィアー監督のこの隠れた秀作を思い出さずにはいられません。

そんな次第で映画とは縁遠かったベートーヴェンでしたが、最近になってなぜか交響曲第7番の第2楽章を鳴らす映画が頻繁に登場するようになりました。例えば2010年製作のトム・フーバー監督の「英国王のスピーチ」です。

ご存知のようにこの映画は、吃音に悩むジョージ6世(コリン・ファース)と、その治療に挑んで勲章をもらったオーストラリア人(ジェフリー・ラッシュ)との交情の物語です。

他の医者は、吃音を外部から物理的にアプローチして治そうとして失敗するのですが、その豪人は、吃音の真因が幼時からの父親との精神的な軋轢にあると見抜き、全人格的な関わりの中で溶解させようと腐心するのです。

なんとかかんとか吃音障がいを克服して、ヒトラーへの宣戦布告を告げるジョージ6世の演説の背後に鳴っているのが、ベートーヴェンの交響曲第7番の第2楽章でした。

あそうそう、この曲は、名匠ジャック・ドゥミ監督の名作「ローラ」でも使われていました。
これは1960年に製作された白黒のフランス映画ですが、ヒロインの踊子ローラに扮したアヌーク・エーメが、たとえようもなく美しく、チャーミングなんですね。

音楽を担当したのは「シェルブールの雨傘」で有名なミシェル・ルグランですが、ここであえてベートーヴェンをもってきたところ、見事にフィット。映像との違和感がまったく無いのは演出の魔術としか思えません。
撮影監督はジャン=リュック・ゴダールの無二の相棒ラウル・クタールでしたが、その「実存的な」キャメラが全編に亘って冴えまくっておりました。

驚いたことに、そのゴダール監督による2014年の3D最新作、「さらば、愛の言葉よ」でも、ベートーヴェンの交響曲第7番の第2楽章のアレグレットが実に効果的に使われていました。

意表をつく言葉と斬新な映像と大胆な音声音楽が三位一体となって、観客を驚きと混乱の極に陥らせ、おのれとおのれを取り巻く世界についての新しい光を投げかけるこの監督お得意の手法は、もはや定番といってもさしつかえないほどゆるぎなく確立された行き方です。

しかし今回は、それがさらに余裕と遊びを持ち、映画という古典的な領域を大きく逸脱しています。まるで重層的で知的な映像ゲームを楽しんでいるような錯覚を覚えるほどで、ここには今年87歳になった映像革命家がついに達成した、軽妙にして深淵な芸術世界が繰り広げられているようです。
ワーグナーが「不滅のアレグレット」と呼んだ、そのベートーヴェンの音楽に伴われて突如インサートされる森の若葉や紅葉の綺麗なこと! いつもと同様、いろいろカッコつけている映画ですが、結局ゴダールが見せたかったのは、四季を彩る自然のこの刹那の美しさだったのかもしれません。

それでは最後にベートーヴェンの交響曲第7番をカールベーム指揮ウィーン・フィルの東京ライヴの演奏で聴いてみましょう。
コンサートマスターは、1992年に哀れザンクト。ギルデンに散ったゲルハルト・ヘッツェル。彼の不慮の死から現在に至るウィーン・フィルの緩慢な没落が始まりました。
     https://www.youtube.com/watch?v=WB1Fd-kyGHY

「そういえば新聞の歌壇に出ないのね」「去年の暮れから絶不調なんです」蝶人

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