あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

ピエトロ・ジェルミ特集~西暦2024年長月蝶人映画劇場その7

2024-09-30 09:29:19 | Weblog

ピエトロ・ジェルミ特集~西暦2024年長月蝶人映画劇場その7

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3768~74

1)ピエトロ・ジェルミ監督の「証人」

ピエトロ・ジェルミ監督の1946年の監督デビュー作だが、プロットが無理筋で出来栄えはあまりよくない。

 

2)ピエトロ・ジェルミ監督の「無法者の掟」

若き正義の裁判官がシチリアのマフィアと戦う1949年の勇壮なお話。

 

3)ピエトロ・ジェルミ監督の「越境者」

シチリアの鉱山閉鎖で全てを捨ててフランスを目指したラフ・ヴァローネたち亡命者の苦難を描く1950年の秀作。途中でスト破りに加担してしまうシーンが「鉄道員」と似ている。

 

4)ピエトロ・ジェルミ監督の「街は自衛する」

銀行泥棒した素人が次第に警察から追いつめられて最後の少年だけは死なずに捕まる1951年のサスペンス。ジーナ・ロロブリジダもでるが、ここ数年のピエトロ・ジェルミ作品の脚本を書いているのは若き日のフェリーニである。

 

5)ピエトロ・ジェルミ監督の「妖艶なマドモアゼル」

ムーランルージュの踊り子S.パンパーニが司法界の大物たちをてんやわんやにさせてしまう1952年の小粋なコメディ。しかし「鉄道員」の監督がこんな捧腹絶倒の喜劇を撮っていたなんて。

 

6)ピエトロ・ジェルミ監督の「タッカ・デル・ルーポの山賊」

19世紀後半、イタリア統一後の南イタリアで山賊化した貧しい農民たちを鎮圧する正規軍の戦いを描いた1952年の歴史映画。

 

7)ピエトロ・ジェルミ監督の「嫉妬」

「鉄道員」の3年前の1953年に撮った素晴らしい悲恋モノガタリ。さすがの侯爵も階級差は埋められなかった。

 

「教会」とただならぬ仲でありにけり成敗されたる諸悪の根源 蝶人

 

 

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大原富枝著「婉という女 正妻」を読んで

2024-09-29 09:57:37 | Weblog

照る日曇る日 第2111回

 

江戸時代初期の土佐藩の家老、野中兼山は、そのドラステイックな藩政改革の実を挙げて立身出世を極めたが、その苛斂誅求が災いして同僚や領民の不平不満も絶えず、彼を一貫して支持してくれた老領主にもついに見捨てられ、憤死の止むなきにいたった。

 

彼の死後、無能な政敵による怨念の籠った懲罰は、無辜の一族郎党にまで及び、後継者の最後の男子が死亡するまで、じつに40年間の僻地幽閉を強いられたのである。

 

本書は、女ざかりの40年を残酷にも棒に振らざるを得なかった兼山の正妻、市と、四女の婉に寄り添う、というよりも、「その身に成り代わって生き直した」、知情意兼ね備えた小説というよりも、驚異的な想像力と執念の塊魂である。

 

かつて吉本隆明は、大原富枝を「わが国最大の女流作家」と褒め称えたが、今ならその「女流」を外すことに異存はないだろう。

 

一夜にして大将軍となりにけり「麻雀放浪記」の「坊や哲」 蝶人

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詩誌「アンエディテッド」2024.9.20号を読んで

2024-09-28 08:36:29 | Weblog

 

照る日曇る日 第2110回

 

思いがけず恵送賜った詩誌「アンエディテッド」を拝読しました。この詩誌は、水島英己、小林清明、フジイカズマサ、鈴木祟、郡宏暢の6名によって制作されている季刊誌ですが、前号同様その充実した内容に驚くと共に、大変新鮮な刺激を受けることができました。

 

今号の冒頭は、ゲストライターたる秋山基夫さんによるエッセイで、私がてんで知らなかった澤村光博という詩人と「幻影の日々」という作品を、1950年代の詩壇?を背景に記憶に止めることができました。

 

水島英己さんは、「オウィディウスの末裔たち」というエッセイと「彼方人へ」という詩を寄せておられますが、とりわけ小生は、「吾が待ちし秋萩咲きぬ今だにもにほひに行かな彼方人に」という万葉集の秀歌などに霊感を受けた詩編「彼方人へ」にいたく心惹かれ、このような古代歌謡を原器とした、「永遠の相」を保持するゲンダイ詩の可塑性と可能性に着眼した作者の、先見の明に大きな刺激を受けました。

 

フジイカズマサさんは、「八王子駅南口」という詩を書かれていますが、私事乍ら八王子には小生の次男が住んでいるので、なるほど彼はこんな躍動的な光景の中を行き来しているのか、とその光景が眼前に広がったような気持ちです。

 

鈴木祟さんは、「舟」というタイトルの17の俳句を載せておられるのですが、「太刀洗ひの水迸り夏はじめ」という作品は、私が毎日のように散歩に行く鎌倉五名水のひとつを、このように鮮やかに詠み下した腕前にいたく感服した次第です。

 

その他、郡宏暢さんの詩「お茶」と詩論、小林清明さんの「ブラック ジャコバンを読む」という、「史上一度だけ成功した奴隷による奴隷解放の革命」について論じた書評も大層興味深いものでした。

 

ことしの末か来年早々に発刊されるという、次号への期待が膨らみます。

 

午前午後来客がなく公邸でただ一人過ごす総理大臣 蝶人

 

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谷崎潤一郎著「疎開日記」を読んで

2024-09-27 10:33:29 | Weblog

谷崎潤一郎著「疎開日記」を読んで

 

照る日曇る日 第2109回

 

中公の全集は昔読んだのだが、大方は忘れているので、時々こうした文庫本を手に取ってみると、やはり大谷崎こそ荷風と並んで、(川端や三島なんかより)正統的な日本文学の巨匠だったことが如実に分かる。

 

時を同じゅうして岩波文庫から荷風の「断腸亭日乗」が全集から分売され始めたが、本書も谷崎の終戦日記と荷風や吉井勇との往復書簡がメインで、それにやはり全集から選ばれた短い随筆、小説、短歌抄をおまけにつけたもので、なかなか楽しいコンピレーションではある。

 

唯一の短編小説は谷崎の戦後の第1作「A夫人の手紙」である。

 

作家によって僅かばかりの潤色を施されたこの谷崎夫人に宛てられ、その反軍思想によって数年間発表を差し止められた有閑マダム森村春子の手紙は、あえていうならば「細雪」と並ぶ谷崎&森村文学の最高峰で、とりわけ第3信のスケッチ付の航空機飛行訓練の詳細を綴った文章は実に実に見事で9.11NYでワールドトレードセンターに突入した航空機をみて「美しい」というてのけた人物を思い出さずにはいられない。

 

ちなみに両御所の「日記」を比較すると非常に対照的で、荷風の文体が鴎外の歴史小説の典雅を目指した彫心鏤骨の擬古文であるのに対して、潤一郎の筆致は率直で悠揚迫らぬ平叙文であり、まるでゴッホとルノワールのようにはしなくも御両人の文学の違いが出ている。

 

谷崎のルノワール的豊潤と執拗さは、漱石の最後の恋人であったともいわれる京の佳人、磯田多佳女を巡るかなり長いエッセイを読めば分かるだろう。

 

   裏銀のシジミが親指にとまりたり葉月に逝きし画家の霊なり 蝶人

 

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ジャン・ルノワール特集~西暦2024年長月蝶人映画劇場その6

2024-09-26 09:38:31 | Weblog

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3758~62

 

1)ジャン・ルノワール監督の「牝犬」

悪漢の情婦に惚れたしがないアパレル会社の会計課長が、だました女を殺しながら自白もせずに「逞しく」生きていく1931年のトーキー第2作。

 

2)ジャン・ルノワール監督の「十字路の夜」

シムノンの「深夜の十字路」が原作の1932年のサスペンス。監督の兄のピエールがメグレ警視役を好演。色っぽいヴィンナヴィニフリートに何故か温情をかけてやる。

 

3)ジャン・ルノワール監督の「素晴らしき放浪者」

1932年の放浪者ミショル・シモンよりも自由勝手気儘に放浪する映画の傑作。

 

4)ジャン・ルノワール監督の「トニ」

南仏の男女の骨肉相食む愛憎劇を骨太に描く1934年の作品で、かのヴィスコンテイが助監督ずら。

 

5)ジャン・ルノワール監督の「ボヴァリー夫人」

フローベールの原作を、ヴァランティーヌ・テシエとピエール・ルノワールのコンビで1934年に映画化。

 

6)ジャン・ルノワール監督の「ランジュ氏の犯罪」

やりての経営者バタラにいいようにされていた能天気作家のランジュが、とうとう1発ズドンとやっちまう1936年のお噺。

 

7)ジャン・ルノワール監督の「ピクニック」

1936年の未完の、というより中抜けの名品。ルノワールの印象派の絵画から抜け出したような母娘を狙う2人の青年の恋のさや当て。しかして輝きに満ちたその1日の結末は!?

 

8)ジャン・ルノワール監督の「人生はわれらのもの」

ルノワール、ベッケル、ブレッソンなどがメガフォンをとった、ファシストや200家族のブルッジョワに対決する1936年のフランス共産党のプロパガンダ映画ずら。

 

9)ジャン・ルノワール監督の「ラ・マルセイエーズ」

フランス革命初期のマルセイユ義勇兵の活躍を、国歌「ラ・マルセイエーズ」の誕生と共に描いた1938年の歴史大作です。

 

10)ジャン・ルノワール監督の「大いなる幻影」

ご存じ1949年の名匠の、間然することなき代表作なり。

 

自堕落な大工が建てし家である近隣知れども家主は知らず 蝶人

 

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傘がない

2024-09-25 10:12:13 | Weblog

これでも詩かよ 第324回

 

さっきから「傘がない、傘がない、傘がない」と、陽水が歌ってる。

線状降水帯の集中豪雨を眺めながら、やけくそのように歌ってる。

 

いよいよ台湾有事の大戦争がはじまったが、

徴兵前に、好きな女を、も一度抱きたい。

 

だけど「傘がない、傘がない、傘がない」と

まるで拓郎みたく歌ってる。

 

傘がなければ、なくてもいいじゃんか。

雨に濡れ濡れ走っていけば、好きな女と、も一度デキルじゃん。

 

そう思うけど、このニッポン一の優男は、小名木のリバーサイドに佇んで

「傘がない、傘がない、傘がない」と、いつまでもカッコつけている。

 

なるへそあんたは、日本全土をすっぽり包む外国製の巨大な傘じゃなくて、

エゴマ油がぷんぷん匂う、小さな、小さな番傘が欲しいんだ。

 

 

相も変わらず「傘がない、傘がない、傘がない」と陽水が歌ってる。

線状降水帯の集中豪雨を眺めながら、やけくそのように歌ってる。

 

「どぜう」勝ち「虚人」も勝ちたる仏滅は国も滅びる予兆なるかも 蝶人

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人間の澱

2024-09-24 09:54:12 | Weblog

これでも詩かよ 第323回

 

毎晩風呂に入るので、毎朝風呂を洗っている。

 

たいていの汚れは落ちるが、擦っても擦っても落ちないのが、いつの間にか風呂の内側の壁面についた茶色い滲みだ。

 

それは、長年にわたって俺と妻と息子が、代わる代わるこの狭いプラスティックの箱の中に入って、擦りつけた薄茶色の澱だ。

 

それは、人間の澱。動物の澱。動物の体内からにじみ出る分泌物。

どういう成分だか分からないが、ともかく有機物の澱だ。

 

この薄茶色の澱をじっと見つめていると、なぜだか昔のいろいろを思う。

 

なぜ青山で一人暮らしをしていたトップモデルは、ぐらぐら煮えたぎる熱湯の中でまっ白な骨になってしまったのか?

 

なぜリーマン仲間のサカイくんは、深夜の浴槽で不慮の死を遂げたのか?

 

なぜユダヤ人たちは、アウシュビッツで殺され、なぜ私は、ぬくぬくと生き延びて、あたたかなこの湯の中で、ひと時のしあわせを享受しているのか?

 

いつか私も、父母のように突然心臓まひや脳卒中に襲われ、それがこの薄茶色の澱のついた浴槽で、声なき助けを呼びながら、ひとり真夜中に息絶えるのかもしれない。

 

「お父さん大好きですお!」と℡呉れるたった一人よ自閉の長男 蝶人

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西暦2024年8月18日の夜から19日の朝にみた夢

2024-09-23 09:19:12 | Weblog

これでも詩かよ 第323回

 

巴里の3つ星レストランへ行ったら、爺のくせに若者の顔をしたアラン・ドロンが、レストランじゅうにつるしたイカめがけてライフル銃を撃ちまくっているのだが、こいつが百発百中なので、店長もボーイも「イカス、イカス、イカス、セ・レ・レガンス・ド・ロム・モデルヌゥ」とフランス国歌のように歌いながら拍手喝采している。

 

左翼でもはた右翼でも構わない米帝に挑む政治家求む 蝶人

 

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西暦2024年長月蝶人映画劇場その5

2024-09-22 08:54:34 | Weblog

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3753~57

 

1)ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の「モンパルナスの夜」

メグレ警視はてんで冴えず、悪者役のチエコ人医学生が大活躍の1933年の一篇ずら。

 

2)マリオ・カメリーニ監督の「殿方は嘘つき」

ハンサムなデ・シーカが主演する1932年のコメディ第1弾。

 

3)マリオ・カメリーニ監督の「百万あげよう」

ハンサムなデ・シーカが主演する1935年のコメディ第2弾。

 

4)マリオ・カメリーニ監督の「ナポリのそよ風」

デ・シーカが2股かけてアッシア・ノリスの彼女とやっさもっさする1939年の軽妙なコメディ第2弾。

 

5)マックス・オフュルス監督の「永遠のガビー」

巴里で人気絶頂上の女優、イザ・ミランダが人世に絶望して自殺してしまう道行をドラマチックにモノガタル1934年の回想録ずら。

 

ミサイルからポケベルまでも武器にして敵地を叩く極悪モサド 蝶人

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17年蝉 

2024-09-21 13:41:33 | Weblog

これでも詩かよ 第322回

 

吾輩は、蝉である。

 

蝉なんだけど、この国のニイニンとか、アブラとか、カナカナとかミンミンのような、しけた蝉ではない。

 

17年に一度地上に出てくる17年蝉なのよ。

おらっちはいよいよ来年の夏に晴れて地上に出てくることになって、その最後の準備をしているところだ。

 

準備とは何か?

君らは知らんだろうが、蝉の生涯の大半は地下における幼虫時における宇宙的、哲学的思惟に費やされる。

 

17年蝉のおらっちが、17年間考え続けていたこと。

それは君たち人間と同じで、悪い奴と戦争をしてもいいか、絶対にダメなのかという大問題なんだ。

 

戦争反対を唱えたり、叫んだりするのは、簡単だ。誰にもできる。

でも実際にアメリカ兵とか、中国兵とか北朝鮮兵とか、ロシア兵とか、あるいは他ならぬわが国の自衛隊員が、われらに向かってワラワラ突撃してきたら、どうしたらいいのだろう?

 

ある人は、逃げろ、逃げろ、どんどん逃げろ、と勧める。

またある人は、自分で自分の身を守れ、と説く。

 

しかしどんどん逃げろといったって、貯えもないのに、いったいどこへいけばいいのか。身を守れといわれても、一人ならともかく、家族もいるのだから大変だ。

 

さいわいおらっちは蝉だから、戦争が終わるまでずっとこのくらい穴倉に閉じこもっていればOKだが、君たち人間はそうもいかんだろう。

 

敵が襲ってきたら、とるものもとりあえず、台所にある包丁を振り回して抵抗するだろうが、いずれは多勢に無勢で、捕まるか、殺されるだろう。

 

はなから無抵抗で両手を上げて降参すれば、場合によっては助けてくれるだろうが、その場で、家族ともども、皆殺しの悲惨な目に遇うかもしれない。

 

それに、幸か不幸か健常蝉であるおらっちは、逃げるにせよ、戦うにせよ、無抵抗で殺されるにせよ、いくつかの選択肢があるけれど、息子のような障害蝉にはそんな贅沢はない。

よしんば戦おうと思っても、戦うことすらできずに、赤子蝉のように殺されてしまうだろう。

 

「先天的に戦わない、戦えないことしか、武器にならない」、そういう存在が障害者だとしたら、おらっち健常者も、にわかに後天的な障害者になって、「戦わない、戦えないことを武器に戦いに臨む」ことが出来るかも知れないな。

 

食うか食われるか、のるかそるかのAI殺人兵器大戦争の最前線に、まるで時代遅れのガンジーか、山背大兄王のようなゾンビたちが、西馬音内盆踊りやブレイキンなぞを踊りながら、ふらふら迷い出てきたら、どうなるんだろうな。

 

この夏も多くの人が死にました老いも若きも死に急いでる 蝶人

 

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神奈川県立近代美術館鎌倉別館で「コレクション展ゴヤ版画きまぐれ」をみて

2024-09-20 12:18:08 | Weblog

 

蝶人物見遊山記第388回&鎌倉ちょっと不思議な物語第468回 

 

カマキンが誇るゴヤ展が始まりました。前半はゴヤ4大版画集から「気まぐれ」で、大層見応えがあります。

 

初版は1799年だから、1828年に82歳で死んだゴヤ円熟期の53歳の作品。ベートーヴェンのように聴力を失いながら制作に全精力を傾けたに違いありません。

 

自画像から始まる80点の壮大なコレクションの中には、庶民のちんけな暮らしぶりへの鋭い観察を主眼としながらも、王侯貴族や富豪や聖職者などの支配者階級への毒のある皮肉や風刺をたっぷりと含んでいるために、後世の我々からみればとても面白く、興味深いのですが、真実を深々と抉った芸術家の本人にしたらいわば命懸けの営為だったわけで、思うにいくたびもの逡巡躊躇のあと、宮廷画家のゴヤは本作を全部カルロス4世に献呈しています。

 

な本展はすでに終了しており、来る10月20日まで名作「戦争の惨禍」の展示が行われています。

 

大谷が51本塁打を記録した「グリコのおまけ」と言わて発奮 蝶人

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岩井寛著「森田療法」を読んで

2024-09-19 09:42:07 | Weblog

 

照る日曇る日 第2108回

 

1986年5月に全身をガンに冒されつつ「かつてヒマラヤで見た憧憬の蒼天に帰っていた精神医学者の最期の書である。他の多くの西欧的療法が、患部を切除して本体を守護しようとするのに対して、東洋的自然に立脚する森田療法は良いも悪いも「あるがままに」包摂して生の全体を回復しようとする。

 

その「あるがまま」とは何か、を理論的実践的に追及した本書は、「自分が可能な限り、目が見えなくても、耳が聞こえなくても、「人間としての自由」を守り通してゆきたい」と語った著者にふさわしい遺作だろう。

 

大谷に期待をするな気まぐれにホームラン打つグリコのおまけ 蝶人

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西暦2024年長月蝶人映画劇場その4

2024-09-18 09:29:53 | Weblog

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3748~52

 

1)クロード・エイマン監督の「ヴィクトル」

女と恋に惑うジャン・ギャバン選手の1951年のモンガタリだが、好きな女のために身代わりで入獄するてふシナリオについていけない。

 

2)リサ・ジョイ監督の「レミニセンス」

2012年の記憶に自在に潜入する噺。過去の一番美しい思い出に何度も出会えるちゅうわけ。

 

3)ジョン・ヒューストン監督の「荒馬と女」

モンローという無垢の女をクラーク・ゲーブル、モンゴメリー・クリフトが賞揚しているような1960年製作の悲痛な遺作。

 

4)バリー・レビンソン監督の「バンディッツ」

彼女はどこがいいの?唾だ。唾のどこが?大量に出るんだ。2001年の爆笑コメディ。

 

5)ジェームズ・マンゴールド監督の「ナイト&デイ」

2010年トム・クルーズとキャメロン・ディアス主演のアクション・コメディずら。

 

猫に小判、豚に真珠の日本国憲法 蝶人

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高橋和巳著「邪宗門下」を読んで

2024-09-17 10:34:52 | Weblog

 

照る日曇る日 第2108回

 

てっきり大本教の軌跡をなぞる小説家と誤解していたのだが、川西政明氏の解説を読むとそれは大いなる間違い。現に大本教への第1次弾圧は大正10年2月、第2次は昭和10年12月であるのに対して、本作の「ひのもと救霊会」への第1次弾圧は高橋和巳が生まれた昭和6年の春、第2次が昭和7年だから異同があるうえに、小説のラジカルアナキストの主人公に乗っ取られた「ひのもと救霊会」はわが故郷で武装蜂起し、それに続く民衆蜂起を経てあらゆる地方権力、行政、企業、農業&労働組合を傘下に収め、超短期間ながらパリ・コンミューンならぬアヤベ・コンミューンを実現してしまうんだからまるで夢のような噺である。

 

この時高橋和巳の脳内革命を領導した「ひのもと救霊会」の教義は、「三行、四先師、五問、六終曲、七戒、八誓願」であり、これなしに「邪宗門」という壮大な思考実験を理解することはできない。

 

五問とは「6人の子を産んで4人に先立たれ、残った母親の生に何の意味があるか」という半狂乱となった開祖が発する執拗な問いかけで、これが出口なおの「お筆先」と微妙にシンクロしていると、川西政明氏はいう。

 

「六終局」とは、ジャイナ教の教祖大雄と論争して敗れた古代インドの異端宗教家マッカリ・ゴーサラが空想した世界の終局の姿で、最後の一人に到る最後の殉難。最後の愛による最後の石弾戦。最後の悲哀を産む最後の舞踏。最後の快楽に滅びる最後の飲酒。最後の廃墟となる最後の火の玉。そして、宇宙一切を許す最後の始祖。である。

 

さらに1最後の飲み物 2最後の歌 3最後の踊り 4最後の挨拶 5最後の激しいあらし雲 6最後の香水を撒き散らす象 7最後の巨石を用いた戦い 8最後の始祖(ゴーサラ)「八終局」という補遺もある。

 

「八誓願」は「たとえこの世の破滅し、この世の永遠に呪われてあるとも、己一人にて救わるる心あらんよりは、むしろ世と共に呪われてあれ!」という強烈な呪詛をもって終わるのであるが、まさしくその通りの恐ろしい形相が「邪宗門」のフィナーレの地獄を、おどろおどろに彩るのである。

 

犬猫を移民たちが食べてると出鱈目を言うバンス、トランプ 蝶人

 

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ゲルツェン著・金子幸彦・長縄光男訳「過去と思索3」を読んで

2024-09-16 09:47:13 | Weblog

 

照る日曇る日 第2107回

 

本書の著者のゲルツェンは、1835年に「自分が出席すらしていなかった宴会の嫌疑で流刑!」にされてしまったが、何年も経ってからようやく監視下ながら言論活動が許されることになった。

 

ニコライ一世治下の帝政ロシアで西欧派の一員として「スラブ派」の論客たちと渡り合うわれらがゲルツェン選手!

 

その盟友のひとりがベリンスキーだが、ケッチエルとか、オガーリョフとか、グラノーフスキーとか、エウゲーニー・コルシとか、その名前さえ知らない数多くの思想家たちは、いまでは歴史の暗闇に消え去ってしまった。

 

いまをときめく右や左のあれやこれやの論客たちも、その言うやよしわるしといえども、間もなくくたばってしまい、哀しいかな誰からも忘れ去られてしまのだろう。

 

世直しを唱える権なき候補者がくわいくわくくわいくわくとうわごとをいう 蝶人

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