照る日曇る日 第1051回

1995年9月に不識書房から満を持して刊行された方代の全歌集です。
代表作「方代」、「右左口」「こおろぎ」「迦葉」に加えて、彼の初期作品や歌集未掲載作品も多数掲載されていて、愛読者の渇を癒してくれるのですが、後半の「資料編」では前半との重複をおそれず、制作年代順に全作品を右から左に並べてあるのがすごい。
もちろん年譜も、索引もつけてあるという親切さは、いかに方代選手が大下一真、岡部桂一郎、玉城徹などの編集委員に愛されていたかという証左のようなものでしょう。
古事記の建速須佐之男命以降、本邦はあまたの歌人を輩出したわけですが、石川啄木とこの山崎方代ほど、人懐かしさを覚える歌を詠んだ人はいなかったのではないでしょうか。
この本源的な懐かしさはどこから来るのか? 叙事と叙情、蒼茫と草莽のふたつごごろの共鳴は、生まれながらにこの漂泊の歌人の胎内に宿っていたと思われます。
1914年に山梨県八代郡右左口村に生まれ、2度の召集を経て1946年傷痍軍人として台湾から病院船で帰国した方代は、長年にわたる放浪生活を終え、1972年からは鎌倉市手広の4畳半の陋屋に侘び棲むようになります。
八幡様のすぐ近所にあった「鎌倉飯店」(ずっと夕方から方代も皿洗いをする中華料理屋であったが、現在は代が変わって蕎麦屋)の店主の好意によるものでした。
ようやく安住の地を見出した方代は、1980年から地元の文芸誌「かまくら春秋」のもとめに応じて毎月3首の作品を発表するようになりますが、その中からいくつかご紹介しましょう。代表作なんかには入りませんが、個人的に近しさを感じるものですから。
朝比奈の隠し砦のあとどころほたるぶくろは花吊しおる (前述誌9月号掲載)
朝比奈峠は自宅から歩いて5分もかかりません。ここは中世鎌倉と六浦港を結ぶ交通で、要害の地でしたから、その麓に天然の「やぐら」を活用した隠し砦が構えられ、それはいまも天高くそびえています。
ちなみに小学生時代の次男のケンくんと愛犬ムクなどは、彼の悪童仲間と一緒に、ここを拠点にターザンかトムソーヤーさながらの大冒険を楽しんでいたようです。
湘南のくまがい草も咲き移り短く寒く夏はゆくなり (同詩11月号掲載)
これは驚いた。1980年にはまだくまがい草が乱獲されずに私の地元に咲いていたんですね。
夕方の酒屋の前にて焼酎に生の卵を落としている (同上)
なんかあまりにもぴったしかんかんな光景ですが、この酒屋は近くの荒川さんか、それとも今は無き「泉水屋」か? あした荒川さんチに行って聞いてみようかな。
校長に若き女性も数見えて日本列島千本桜 蝶人