蝶人物見遊山記 第274回

初期から中期、後期、最晩年の油彩からスケッチ帖まで、私の大好きな作家の、じつに見ごたえのある盛沢山な一大ココレクションを堪能しました。
私は彼の後期の作品しかあまりみたことがなかったのですが、この展覧会では模索と彷徨、そして混沌の時代とでも呼ぶべき初期から中期の数多くの作品をまぢかに見ることができました。彼が実際に遭遇した列車への飛び込み自殺を題材にした「轢死」などは、時の経過もあって何が描いてあるのか分かりませんが、そのキャンバス全体を覆い尽くす暗黒こそが若き日の守一選手の身魂の象徴といえるのではないでしょうか。
「陽の死んだ日」「ヤキバノカエリ」など家族の悲劇を描いた慟哭にも心を突き動かされます。
やがて試行に次ぐ錯誤からじょじょに脱した守一の作風は、先行する泰西画檀の写実・印象等の諸潮流の動向も、機微に取り入れつつ、物体の輪郭を朱色かたどるユニークな手法やマチスそこのけの、斬新かつ大胆な色彩配置を自分のものにし、キュビズムとモダニズムの洗礼をうけつつも、それらを日本流、といううより熊谷流にアレンジして、まったく独自の、簡素にして象徴的な一乾坤、独創的な絵画宇宙を打ち樹てることに成功します。
そしてそれらの膨大な作品群の極北に燦然と輝いているのは、60年代以降に制作された「稚魚群鯉遊」「夜の月」「宵夜」「月夜」などの具象と抽象と心象が三位一体となった最晩年の油彩ではないでしょうか。
守一はこれらの油彩もいいいのですが、今回の展覧会のゆいいつの憾みは、私がいちばん好きな墨絵がわずかしか出品されていないこと。しかし右から左に「かみさま」と書かれた作品はそれこそ禅味と神品漂う飄々朴訥の天下の逸品で、これをこっそり持ち帰って神棚に飾りたいと思ったことでした。
左側の2番目の足から歩くアリ熊谷守一しかと見届く 蝶人