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あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

夢は第2の人生である 第57回

2018-03-05 11:01:32 | Weblog


西暦2017年葉月蝶人酔生夢死幾百夜 



おない年の古い友人、井出隆夫死去の知らせを受けた私は、いたずらに長生きしても仕方がないと、全財産を投じて、かねて買いたいと思っていた格安CDセットを、アマゾンで衝動買いした。8/1

私が喉を腫らして往生していると、あまり付き合いのなかった営業部の顔の大きな男がやってきて、「佐々木さん、これをすぐに飲みなさい、すぐに効きますよ」と言うて、白い錠剤をくれたが、はてさて飲んでいいのやら悪いのやら。8/1

全身身動きできない病気でベッドに縛りつけられている真夜中に、突然自地震がやってきた。ああ怖や怖や。8/2

一刀両断された巨大な鯉の半身の上に、跳躍した別の半身がぴたりと覆いかぶさると、元の見事な鯉の全身像が復元され、たちまち池の底に消えてしまった。8/3

私の留守中に奥村氏が訪問されたというので、私はすぐに家を飛び出してあとを追った。するとビルの壁面いっぱいに「拝啓佐々木眞殿、奥村土牛参上」と大書された横断幕が張られていたので驚いた。8/4

生まれ育った神田鎌倉河岸で、百坪の土地を手に入れた私は、その地で、ささやかな繊維会社を始めることにした。8/5

「地元民に限って、原爆の被害を見せてやる」と言うので、勇んで現地に駆けつけたものの、その眼を覆いたくなる惨状に言葉を失った。8/6

「海底と湖底のそれぞれに沈めてある私の玉の身に異常がないよう、くれぐれも注意してくれ」と言い置いて、私は牢屋に入った。8/7

40年間働いた御礼に貰ったキンコン船に乗って、港の外へ出て行こうとすると、の人々が、小舟に乗って別れを惜しんでくれた。8/7

朝カトウさんから「このたびわたくしウトウの君とケッコンいたします」というメモが来たので驚いた。なんでも、信号待ちの車で隣同志だったウトウが、窓からカトウの車に乗り込んできたのがなれそめだとか。8/8

ベテラン役者と称された私だったが、敵の首をちょん切ることだけは苦手で、いつも失敗していたので、汚名を挽回しようと、毎晩ひそかに練習を続けていた。8/9

ケンちゃんと一緒に電車に乗って、降りたところは、風がビュービュー吹き付ける賽の河原だった。仕方なくまた電車に乗って、次の駅で降りると、地下街で超マイナー作家の文庫本フェアを開催していたので、2冊買って、そこで藝大へ行くケンちゃんと別れた。8/10

激しい川の流れの中から引き揚げられたのは、2つのこんもりとした黒くて小さな塊で、私はその中のひとつが、自分の子供ではないか、とおののいた。8/11

私は人気の超高齢者番組に呼ばれて特別ゲストになったのだが、一言もコメントできなかったので、あっさり首になってしまった。8/12

賽ノ河原を歩いていると、「ササキマコト」と書かれた卒塔婆を見つけ、ずいぶん手回しが早いことだと驚いた。8/13

イソムラ氏は、さすが元NHKのアナウンサーらしく、私が持っていたレシーバーの4つのボタンを、最適のポジションにセットしてくれたのだが、その間に、本日のゲストの紹介が着々と進行していた。8/14

デパートの屋上にいる耕君のジャケットが、1階のエスカレーターの傍にあったので、私はそれをつかんで屋上まで昇ると、誰もいない。行き違いになったのだ。焦った私は、猛烈な勢いで、エスカレータを駆け降りた。8/15

大災害に遭った我が家に、いち早く駆けつけてくれた小人が呉れた竹筒の中には、おにぎりと小さな打ち出の小槌が入っていて、小槌を振るたびに、大判小判がザクザクと降ってくるのだった。8/17

ネットで私の名前を検索してみたら、生年と死亡年月日が記載されていたので驚いた。私は、もはやこの世の人ではなかったのだ。8/18

理事長は、いつも私の顔を見ると、私が講義している「春夏秋冬論」の中で、いろいろな年中行事の話を加味してほしい、と懇望するのだが、その都度私は無視して、聞き流してきた。8/19

私は「自分を語る」という番組に出ることになったのだが、キャメラが回り始めると、本当に自分が存在したのか、いまも存在しているのかよく分からなくなったので、スタジオから逃げ出して、満員電車に乗った。8/20

代々木駅で荷物を引っ張り出しているうちに、電車は新宿に向って発車してしまったので、私は、知人に挨拶もできずに別れてしまった。8/20

その高山鉄道は、麓の生誕駅からはじまって、少年少女、成人、恋愛、同棲、結婚、離婚、病気、老人、頂上の死別駅まで、10の名前がつけられていた。8/21

万博会場の跡地の最高塔がついに竣工したので、私はようやく、やすらかに永眠することができた。

サイトー君が、大枚を投じてカンヌで買い付けた映像は、映画祭の議事進行や、歴代の来賓の挨拶などを収録したもので、肝心要の映画とは、なんの関係もなかった。

私は暴漢に、何度も何度も刺されたようだが、その直前に友人のブログを乗っ取って、その友人になりすましていたたので、事なきを得た。

私は親類縁者のすべてに頭を下げて、港の外海に狭い漁場を確保していたのだが、新しい権力者が登場すると、そのささやかな利権は奪われてしまった。

イケダノブオの新ブランドは、毎年のように誕生したが、それがどこで、どのように販売されているかは、誰も知らないうちに、またしても新しいのが誕生するのだった。8/24

八木駅で山陰線に乗ろうとしていた私は、駅前に蝟集する不気味な黒集団に圧倒されたが、傍らのヤギが何か叫んだので、はっと気づいて、彼らの目の前にキャンバスを据えて、スケッチを始めた。8/25

前の理事長は、精力的に資金運用していたが、新任の理事長ときたら、そんなことにはまったく無関心で、部下に全部任せている。8/25

それにしても、真昼の海のどかな岬だ。しかし、こんなところにもなぜか映画会社があり、映写技師と私しかいない狭い試写会では、おりしもジョン・フォードの「捜索者」が上映されていた。8/26

恋に破れ、やけくそになったその女は、わが社をアポなし訪問して、「10万円を10日寝かせば投資で100万円にしてみせる」と、社員を見境なしに勧誘したが、誰も乗ってこないのだった。8/27

宇宙ロケットからクルーズ船、電車、新幹線、バス、飛行機、なんでも乗れてクレジットで買い物もできるという、汎用性カードが送られてきた。ワーイ、ワーイ。8/28

私は五体満足だし、知能もまあ普通だし、いわゆる一人の平均的人間と周囲からは思われていたが、おそらく式亭馬琴が「八犬伝」でいう「仁義礼智忠信孝悌」の仁義八行のうちのどれかが欠落している、と自覚していた。8/29

私がデザインしたキッズ用のシープスキンのジャケットは、企画課長が没にしていたのを、営業課長への直訴が成功して復活したのだが、売り場に並んだ途端、売切れになって、追加生産ができるかという問い合わせが、全国から殺到した。8/29

道場で勝負を所望してきた素浪人と2度立会い、2度とも技ありで退けたのだが、今度は「六条河原で真剣勝負したい」としつこく迫るので、三度目の正直で、首を斬りおとしてやった。8/30

私の目の前で、いかにもそれらしく振る舞ってはいたが、その若い男女は、本当にお互いを熱愛しているとは到底いえない確たる証拠を握っていたので、私はひそかにほくそ笑んだ。8/31


 仕事なぞてんでできない障害者でも自動的に雇用される世になればいいのだが 蝶人