照る日曇る日 第1044回

夫と別れて好きな男と一緒になったものの、肝心の男が彼女に(当たり前のことながら)120%密着してはくれず、他の女に色目を使ったりするので疑心暗鬼に駆られた哀れな女は、とうとう神経衰弱のようになって極度に錯乱し、発作的に鉄路に身を投げてしまう。
ああついに一巻の終わりかと思ったのですが、ト翁のペンは一向に止まらず、無神論者だったレーヴィンの感動的な改心に向かって全精力が注ぎこまれ、いわばアンナの身代りにレーヴィンが再生して生命の松明が引き継がれていくような楽天的&一瀉千里の終わり方をする。
私はロシア語なんて一語も解さないが、本書本訳の最後の一文はもはや正常な文法を大きく逸脱しており、あたかも1951年バイロイトにおけるフルトヴェングラーのベートーヴェンの「第九」終楽章の、音も命も宙に跳ぶような奇跡的な爆演を思わせるのである。
こういう小説は、あまりないのではないか。
表題こそ「アンナ・カレーニナ」だが、この大河小説の主人公は、彼女だけでなく、彼女の主人カレーニンや情人のウロンスキー、レーヴィン夫妻、オブロンスキー夫妻であり、この大河小説は、彼らの多様な人世、輻輳した家庭生活を描くことを通じて、当時の貴族や農民、帝制ロシアの階級社会、経済政治体制そのものを、重層的かつ個別具体的にえぐり出そうと試みた、「超」のつく意欲作だった。
こういう小説は、あまりないのではないか。
ホレみなよあっという間に忘れ去る死んだばかりの有名スタア 蝶人