4月28日は夕食後の19時57分に自宅を出発。 第二京阪道、近畿道、中国道、九州道、長崎道と渋滞もなく午前4時15分に長崎港ターミナルに到着。
何も考えずにひたすら走ってきたが、路駐するような場所もないし目の前には市営駐車場の明かりが煌々と輝いている。
今から駐車場に入れたら、どれだけの金額になるのかとビビっていると 30分/120円だが少し高いんじゃないか?
しばらく仮眠をして目の前のターミナルに行ってみると、夜明けとともに大変な賑わいだ。
島々の多い長崎県は、ここを起点にフェリーに高速船が出港して行く。
午前8時より軍艦島クルーズの受付が始まるが、すべて完全予約制で上陸プランでは行動、服装、履物、飲酒者不可の誓約書の提出が義務化されている。 そして小学生のみの参加は出来ない。
午前9時、いよいよ出港、帰港は午前11時40分。
海運都市長崎には世界規模のドックが目白押し。
そしてイージス艦も配備されてます。
以前、屋久島に行った時に鹿児島港から乗った高速船トッピーは錦江湾を出て外洋にでた途端、乗り物酔いをしない私でもオオっと思うくらい上に下にとピッチングしたが長崎港から19km沖合の軍艦島では船酔いする人も出ず快適なクルージングだ。
満員御礼の船内では乗客を2グループに分けて上陸後の見学に備えるらしい。
進行方向に軍艦島が見え始めたとアナウンスが入る。
船内は、にわかカメラマンの大移動が始まる。
しけの時は上陸できないらしいが今日は波も穏やかだ。
島の高台には上級職員用の宿舎が聳えている。 いつの時代もエライ奴は上から見下すか。
方言交じりの解説は味わい深い、多分に炭鉱OBだと思われる。
総合事務所には作業を終えた鉱夫の為にお風呂には湯船が3個あって、最初の湯船は海水を沸かしたもので服、靴を着けて入って2番目の湯船で体を洗い、3番目の真水の浴槽で仕上げをしていたようだ。 私の親父も炭鉱で働いていたので、いつも真っ黒で帰宅していた。 帰宅後の父親と社宅の共同浴場に行くのが小さい時は楽しみだった。
島では人口の増加に従い雨水だけではたりず、海水を蒸留して使っていたが、最後は給水船で運んでいたらしい。
総合事務所跡、この下に鉱夫用の浴場があった。
25mのプール、これも当初は海水を入れていたらしいが、給水船が来るようになってからは真水を使う様になった。
東西160m、南北480m、周囲1200mの島には5000人以上が暮らし、人口密度は東京を凌いで一番、パチンコ屋に赤線、神社にお寺も作られた。
海に面した側には一般作業員用の宿舎が建つが防波堤の役目も担う建物は塩害対策の為に、海側はすべて廊下になっている。
炭鉱華やかな頃には、この階段をたくさんの鉱夫が笑いながら上ったり下ったりしてたんでしょう。
島の高台に建つ、神社。
無人の島の住人は今は鳥だけです。
船内でうるさく島内ではトイレがないので環境維持の為にも船内で用を足すように言われたのに、どこからか湧いてくる釣り親父。 その辺で垂れ流し放題なんやろな。
島の反対側の住居地区、崩壊が激しく上陸コースでも見る事は出来ません。
よって船で周遊します。
高層宿舎群の上に山の頂上にある神社が宿舎の上に建っている様に見えるほど小さい島です。
堤防の高さは約10m。
当時、最新施設を誇った病院。(隔離病棟も併設)
島の中学校と小学校、同じ建物で上と下で分かれる。
島には墓地がありません。 炭鉱は親父が働いていた炭鉱でも、そうでしたが事故で年間に何人かは亡くなります。 火葬だけして長崎本土に葬るそうですが、火葬は軍艦島の近くの無人島に火葬場があったそうです。 海底炭田の軍艦島の坑道も無人島にはあったらしい。
赤いレンガのあとが火葬場跡です。
山に登って、いにしえの鉱山跡にも萌え、萌えしますが軍艦島には、それ以上、萌えました。 近代産業遺産は素晴らしい。
港に到着すると、こんな証明書、貰いました。
無事、ターミナルに到着して長崎道 大村PAで昼食。
もちろんチャンポン、ここのチャンポンは太めの麺がさらに少し太い。
そして車は古代遺跡を見る為に佐賀県へ
しかし、狙い目のHV車発表は6月下旬。
今ひとつ気分が乗らない季節です。
対策は万全に。
ちなみに午前4時18分入庫で午前11時58分出庫だったターミナル前の県営駐車場の料金は 1,440円でした。