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2022-04-20 22:20:04に記事にしましたが、図の追加など若干追加して再掲載します。よろしければお付き合いください(#^.^#)
刮目天一
参考になる話題をありがとうございます。たしかに伊勢遺跡というのは大和王権成立においてひとつの重要な役割を果たした女王台与(神功皇后のモデル)の父(息長宿禰王)の一族が支配した大規模集落だと推理しています。息長宿禰王は近江だけでなく、ヒスイの産地の糸魚川流域を支配下に置いた縄文海人ムナカタ族の一支族の長と推理しました。
この勢力と交流のあった、ヤマト王権成立の中心勢力であった尾張氏が支配下に置いたのが朝日遺跡です。先代旧事本紀から吉備で奴国を再興したニギハヤヒ大王の一族です。弥生終末期から古墳初頭(3世紀後半)の鉄鏃・銅鏃の出土状況からも分かります。当時日本列島の中心部のほとんどでは鉄鏃が使われていますが、朝日遺跡には鉄器はほとんど出土せず、鉄鏃は全く出土していませんので、尾張の勢力だけが銅鏃を使っていたことが分かります。そして東海の特徴的なS字甕が各地で出土しており、尾張氏が九州や北陸・東海などで活躍した日本建国の中心的な氏族だったことが分かりました(詳細は拙ブログ「【検証19】日本建国のための戦いだ!」参照)。日本書紀は日本建国の父として景行天皇の九州遠征やヤマトタケルの遠征の話にしましたが、実は尾張王建稲種命が正体であることを隠したと分かりました(「【検証20】景行天皇が建国の父だった!(その1)~(その4)」「抹殺された尾張氏の謎(その1)、(その2)」「サル・カニ合戦の元ネタは日本建国の戦いだった?」「尾張と言えばカニだ~わ!」参照)。
纏向遺跡の初期前方後円墳のルーツを調べるとやはり吉備にたどり着きます。楯築遺跡は双方中円墳という形式の古墳とされていますが、間違いなく前方後円墳のルーツです。それは特殊器台とその表面に描かれた弧帯文が証拠です(「弧帯文は龍蛇神(ナーガ)の文様だった!(^_-)-☆」参照)。
これはヘビを象ったものです。奴国の初代王は紀元前4世紀初頭の吉武高木遺跡に半島南部から移り住んだ天御中主です。中は奴(ナーガ=龍蛇神)であり、ナーガを信奉する部族の長を意味します。記紀神話でも高天原に最初に現れた神としていますが、10世紀に宋の太宗に献上された日本の王年代紀に神武天皇の前に北部九州の倭国を支配していた23代の王名が記されています。実際は18代奴国王スサノヲが奴国宮廷楽師師升らの反乱によって殺され(「倭王帥升(すいしょう)は何者だ?(´・ω・`)」「【検証22】難升米という人物は?(その1)」参照)、それを逃れた弟がニギハヤヒ大王だと突き止めました。第19代王天照大神尊とあり、倉敷市の楯築王墓の被葬者です。
何故わかるかというと、王墓の墳丘の上の神社の御神体が亀石と呼ばれる弧帯文石なのです。ヘビを象った蛇の目のある弧帯文が描かれた石に被葬者の顔が彫られていました。つまり人面蛇体なのです。これは中国神話の人類の始祖神である天皇伏羲氏と同じなのです。長江文明の担い手で、後に黄河流域で夏王朝を建て、さらに夏王朝を滅ぼした殷(商)王朝を滅ぼし周王朝を建てた姫氏と同族の呉の太伯の流れを汲むものです。魏略にかかれたとおり「倭人は太伯の後」の物証がこの亀石だったのです。八世紀にヤマトの大王が天皇と呼ばれた理由がハッキリと分かりました。そしてこのことを日本書紀は完全に隠ぺいしたことが分かりました(「【大発見だろう】天皇家のルーツの証拠!(*^▽^*)」参照)。
日本書紀ではニギハヤヒ大王を吉備の鬼退治をした吉備津彦として隠しましたが、貞観元年(859年)1月27日に特別な神階である二品を贈っていることから、吉備津彦の正体がばれてしまいました。普通の神は最高正一位ですが四柱だけがその上の品位なのですから、大和朝廷にとっていかに重要な神なのかが分かります。ちなみに残り三柱は、淡路国一宮伊弉諾尊、宇佐神宮八幡大神・八幡比売神が一品です。伊弉諾尊はスサノヲとニギハヤヒの父で第17代奴国王ですから皇祖神ですので分かります。八幡大神は応神天皇となっていますが、最初は八幡比売神卑弥呼を隠すために宇佐神宮で祀られた大国主久々遅彦(応神天皇の本当の父)でした。神宮寺の弥勒寺の御本尊でした(「卑弥呼は何故隠された?(´・ω・`)」参照)。これらのことからも吉備津彦は第7代孝霊天皇皇子イサセリヒコで、四道将軍の1人であると日本書紀は誤魔化しましたが、その正体がばれてしまいました(^_-)-☆
ちなみに中大兄(天智天皇としてヤマトの大王に即位していませんが、その名は奴国王の正統な後継者であることを意味します)の孫の光仁天皇(桓武天皇の父)から今上天皇までニギハヤヒ大王の子孫であることも分かりました(渡辺康則「万葉集があばく 捏造された天皇・天智 上・下」「聖徳太子は天皇だった」大空出版)。
ということでヤマト王権のルーツは奴国でした。日本は古の倭の奴国というのが正しいことが様々な証拠から分かりました。詳しくは拙ブログ「【検証7】桃太郎はニギハヤヒだった?(*^▽^*)」などを参照してください。どうもお邪魔しました( ^)o(^ )
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通説と違うので、初めての方は「古代史を推理する」をご覧ください。
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