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すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

【検証20】景行天皇が建国の父だった!(その1)

2021-07-17 21:50:05 | 古代史
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「日本書紀」巻7の景行天皇の九州遠征の記事と鉄鏃・銅鏃の出土地とがよく合致することをすでに、【検証6】倭国大乱の実相は?で明らかにしました。前回【検証19】では更に古墳時代初頭の列島全体の出土状況を概観しましたので、今回は景行天皇の事績から古代史の真相はどうであったのかを推理していきます。

ここでお断りしますが、刮目天は科学的な手法で歴史を明らかにするのが目的です。しかしこのような活動は、従来からの民間伝承や古社の由緒に基づく地方自治体の地域振興策や日本人の神への信心に反する部分が生じることになるかも知れません。できるだけ表現を考えるように努力しますが、つい調子に乗り過ぎたり、表現力が余りないので図らずも読者の心を傷つけたとしたら申し訳ありません。

といいますのも刮目天の立場は、既にご存知のとおり「日本書紀」は完成当時の権力者藤原不比等がその権力を将来に渡って維持する目的で、藤原氏と神社行政を仕切る同族の中臣氏のために創作したものだと考えて推論を組み立てています。「日本書紀」をよく読めば、至る所で真実を表す歴史でないことが分かります。不比等の意図は、日本建国で活躍した豪族を没落させて、藤原氏のみが繁栄できるようにするためだと確信しています。時には天皇家さえも貶める内容になってることからも分かります(注1)。

さて、そのような視点で景行紀の九州遠征記事を読み解いていきますが、遠征の切っ掛けは「十二年秋七月、熊襲(くまそ)がそむいて貢物を奉らなかった。八月十五日、天皇は筑紫に向かわれた。」ということです。周防佐波(防府市)に到着されるのが九月五日ですが、大和から周防までの鉄鏃・銅族の出土状況を見ると、途中の吉備や広島で戦跡が見られますから、かなりお疲れのようです。様子を部下に偵察させますが、そこに沢山の部下を持つ地元の女首長の神夏磯媛(かむなつそひめ)が白旗を掲げて天皇に背きませんから攻撃しないように言ってきました。さらに、皇命に従わない四人の悪い賊の情報を伝えてきました。賊の居る場所を表と図に示しました。天皇は部下に命じて、四人の賊を誘い出して全部殺したという内容です。


(クリックで拡大)

御木(みけ)川は中津市を流れる山国川ですが、その上流の賊耳垂(みみたり)は、恐らく筑紫平野を防衛する戦略的な拠点と考えられる日田盆地に配置された倭国側の武将でしょう。また、高羽の川上は彦山川の上流のようです。さらに緑野の川上は英彦山神宮の近く深倉川の上流のようです。緑野の地名の由来が「血みどろ」ということですから、激戦があったのでしょう(田川市添田町ホームページより)。福岡県東部海岸では戦跡が三か所見られます。ですから、最初の記事のとおり賊を全部退治したというのではなく、激戦の末、行橋市や京都郡で倭国勢を追い散らし、天皇は長峡(ながお)に行宮を建てましたが、西側の山地に遮られた田川やさらに奥の日田に配置された倭国勢によって阻まれたので、いきなり倭国の本拠地(福岡平野・筑紫平野・糸島平野)には進められず、宇佐方面に進軍したのだと推理できます。

宇佐の川上にたむろする鼻垂(はなたり)ですが、駅館川上流ということですから卑弥呼が居た宇佐市安心院町三柱山です。大国主が最初に国造りをしたのも安心院町佐田地区と推理していますが(「大国主の豊葦原の瑞穂の国はここだった?」)、三柱山は要害堅固の山城になっているので部下を配置していました(「誤解と幻想の卑弥呼」)。卑弥呼の宮室だった三女(さんみょう)神社の西側のV字溝の中から尾張勢が使う銅鏃が発見されていますから、押し寄せたと思われます。大国主の倭国側は半島南部の鉄をふんだんに入手できましたから、兵は銅鏃よりも強力な鉄鏃を使っているはずです。卑弥呼の侍女たちの居住区と推理している宮ノ原遺跡から鉄鏃や土製の投げ弾が見つかっています(「本当に卑弥呼の墓なのか?」)。この時は兵舎があったと思われます。天皇の軍勢は安心院を攻撃した後、直ぐに速見郡に移動していますから、ここを占領したのではないと思います。卑弥呼も死んでいるので、すでに戦略的にも重要な拠点ではなくなっているということです。

そして、次は阿蘇山に続く大分県側の山間部での激戦ですが、まだまだ先はありますので、取り敢えず今回はここまでにさせて下さい。

(注1)しかし現存する日本最古の正史という「日本書紀」は、日本の正統性の根拠資料であるとして、特に戦前の世代は皇国史観の教育を受けて来ています。戦後は学校では教えられなくなっていますが、父祖からそれを伝え聞いている現代の人々からも、「天照大御神」を否定する者は日本人ではないと言われかねない危険も伴います。刮目天の読者は、そういう先入観無しに、刮目天の意見には同意できない部分が多々あるとは思いますが、歴史の真相にご興味があるのでお付き合いいただいているものだと思っています。古代史の科学的探求によって世の中を引っ繰り返したいなどと言う大それたことは考えていません。ですが、唯物論を信じる権力者たちの利権のために今の日本がとても危機的な状況に陥れられているという事実の認識を共有していただき、できるだけ科学的根拠に基づき伝統的な日本人として行動しようとしていることをご理解ください。


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