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卑弥呼の墓は見つかってるよ!

2023-06-18 14:35:38 | 古代史
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2018-03-20 19:13:14に掲載した記事を少しだけ書きなおし、読みやすくしたつもりです。疑問点などをお寄せください(^◇^)

2020-06-03 15:17:42に記事にしましたが、世界最大の大仙陵古墳(全長525m)を周濠部を除けば上回るような、以下に紹介した田川市赤村の巨大前方後円墳の記事がまた報道されましたので、念のために地形を調べてみました。結果は下の図の通り、やっぱり古墳ではないと思います(;^ω^)


「卑弥呼の墓では」巨大な前方後円墳?謎の丘陵 日本最大に迫る全長450メートル 福岡県赤村
3/20(火) 10:08配信 西日本新聞

 赤村に巨大な前方後円墳-。こんな話が、地元住民の間やインターネット上でささやかれ始めている。地元の古代史研究グループによると、現場の航空写真から鍵穴型丘陵の全長は約450メートル。日本最大の前方後円墳「大山(だいせん)古墳」(堺市)の墳丘長に迫る大きさとあって、古代史ファンからは「卑弥呼の墓では?」といった期待の声も聞かれる。
<中略>
 現在まで発掘調査はなされておらず、真偽は謎のまま。田川地域の自治体の文化財担当者らは一様に、丘陵を「自然の地形」として、前方後円墳との見方を明確に否定している。
=2018/03/20付 西日本新聞朝刊=


この新聞記事はとても良心的ですが、新聞などマスメディアで取り上げられると、いかにも真実のように思えてきますので、その時代の大きな墓かもしれないという程度のものが報道されるようです。卑弥呼の墓が見つかるということは、日本建国の歴史が解明されたということです。邪馬台国問題は地域の村おこし、街おこしとして扱われる格好の材料ですから、無理もありませんが、歴史学や考古学などの関係学会がしっかりしていないからとも言えます。と言いますのも、なぜヤマト王権の始まりが分かるの?( ^)o(^ )で述べたように、最近までの考古学の成果によってほとんど解明できるまでになっているからです。

だから最早、邪馬台国畿内説、九州に在った邪馬台国の東遷説、最近復活してきた神武天皇東征説や九州の人々に人気の九州王朝説などの従来の学説は古臭いものになっているのです。

一番有望と思われている纏向遺跡も、簡単に言うと、「魏志倭人伝」では一大率を伊都国において女王への貢物などを間違いなく届けることになってますから、大率やその部下が行き来した痕跡がないことが外来土器の発掘で分かっているので邪馬台国ではないのです。詳細はこちらでどうぞ( ^)o(^ )
【検証5】纏向は邪馬台国じゃないよ!(^◇^)
【検証11】定説の根拠を疑え(^_-)-☆

卑弥呼が亡くなった当時は纏向遺跡にあった狗奴国ヤマトと対立していましたので、ヤマトのシンボルの前方後円墳などが卑弥呼の墓になりようがありません(「【検証18】倭国大乱の痕跡だ!」【検証6】倭国大乱の実相は?(*^-^*))。



そうなんです。

邪馬台国がどこかは、この図に示したとおり范曄の「後漢書 東夷列伝倭伝」に正確に書かれていました。「魏志倭人伝」で短里が使われていたという説も、各区間の一里当たりの距離がバラバラですから、そのような短里制はこじつけだと分かります。シナではどの時代でも一里は約450mと決まっていると東洋史家の岡田英弘さんも指摘していました。「魏志倭人伝」の邪馬台国への行程記事は、邪馬台国を置きたい場所に置くためのトリックというかデタラメでしたから、現代まで位置が確定しなかったということです(正史は正しい歴史なのか?|д゚))。

卑弥呼の墓の伝承も宇佐市にいくつかありましたから、間違いないですよ(^_-)-☆

ある伝承では宇佐神宮の本殿下の亀山だそうです。

でもその前には安心院町の妻垣神社(一柱謄宮または足一騰宮)にあったという伝承もありました。

しかし、「魏志倭人伝」に記された径百歩余りの墓はその妻垣神社の、安心院盆地を挟んで北側の台地(三柱山)にある三柱山古墳という国内最大の円墳でした(家族旅行村「安心院」内の旧冒険の森、現在ケビンなどが建っている、テニスコート南側の小山)。ヤマトが最も畏れた人物のひとりですから、二度も丁重に改葬されたようです。



卑弥呼が亡くなった理由は「魏志倭人伝」には書いてませんが、狗奴国ヤマトが倭国に押し寄せてくる前に日食が北部九州で観測され(北九州付近は皆既日食)、卑弥呼の霊力が衰えたとみて伊都国の男王が送った刺客に暗殺されたと推理しました(注1)。

卑弥呼が暗殺者によって引き出されて殺されたと思われる場所も分かりました。卑弥呼の宮室だった三女(さんみょう)神社の南西の河原は、日食に因む「ヒカケ」という地名が残されていました。そこに同名の小さな社が卑弥呼の墓(直径150メートルほどの円墳)を遥拝する位置に造られていました。



女王の居城(邪馬台国は卑弥呼の居城を中心に宇佐平野、大分平野などを含む周辺地域一帯です)





卑弥呼の墓と遥拝所の間の断面図をアップしました(^_-)-☆

30mほど土を盛り上げた急造りの径百余歩(直径約150m)の円墳です。魏志倭人伝の記述のとおりでした。残念ながら家族旅行村の建設や三女神社(ヒカケ)北側の道路工事などによってなのか、あるいはのちの時代に隠す目的だったのかよく分かりませんが、現在は卑弥呼の墓を目視して遥拝できなくなっています。


(注1)「魏志倭人伝」に「倭国から、使いが海を渡って中国に往来するときは、一人を選んで、その人に髪をとかさず、しらみもとらず、衣服も洗わず汚れたままにしておき、肉を食わず、女を近づけないで、人を葬るときのようにさせる。これを持衰(じさい)という。もし使節の旅が無事であれば、持衰する人に奴婢や金品を分けてやる。もし途中、使節が病気になったり暴風雨にあったりしたときは、その者の持衰の仕方が不謹慎だったからと言って殺そうとする。」とある(藤堂明保他「倭国伝」講談社学術文庫2010、p.109)

太陽神を祀る卑弥呼についても同様に、この日食(=日が欠ける不吉な現象)は卑弥呼が不謹慎であったために霊力が衰えたからと伊都国の男王も考えたはずです。狗奴国ヤマトの強力な軍団が倭国追討に向かっている噂を聞いていたから、不吉な前兆現象と捉え、それを回避したいために卑弥呼は暗殺されたと考えていいでしょうm(__)m

記紀神話「天岩戸(あまのいわと)」は日食のために殺された卑弥呼のこの事件の伝承をもとに、架空の女神アマテラスの話に作り変えたものだと考えています。日本書紀編纂時の権力者藤原不比等の命令で舎人親王が創作したものでしょう。面白いことに、卑弥呼の殺害現場の横に横穴群(遺跡ウォーカー「ヒカケ横穴群」)が作られているようです。後世に「天岩戸」をイメージして、大和朝廷がひた隠しに隠す、日本誕生の真実を伝えたいために誰かが掘ったのかもしれませんね。( ^)o(^ )

【参考記事】
日食図・日食計算プログラム(WindowsXP)
では、 日食が地球のどの地域で起きるかを表示する日食図、 さらにそれを拡大した拡大図、 各地点での食の推移の情報が得られます。プログラムをダウンロードして、解凍してECLMAIN.exeを実行してください(Windows 8.1 Proでも動きますよ(^^♪)。

メインの画面が出たら、計算年は247を入力すると日付が二つ出てきますので、3/24を選んでください。

さらに、地球時計の遅れDTは8700秒を入力してください(注2)。

「食の推移」のボタンを押し、観測地点の緯度・経度・標高を入力すれば卑弥呼たちが見た日食のアニメーションを見ることができます。

ちなみに安心院町下毛は北緯33度26分、東経131度21分、標高93m、時差9時間をセットして「アニメ」ボタンを押してみてください。

欠け始め 3月24日17時29分    食分 0
最大        18時6分40秒   食分 .9812

アニメと一緒に時刻と高度と方位と食分が表示されますよ(^_-)-☆

もう日没のだいたい1時間くらい前から欠け始めますから、太陽の高度が低いので、西側の山が邪魔すると直ぐに見えなくなりますが、恐らく楼観という物見やぐらではかなり長く見ることができたのではないでしょうか( ^)o(^ )

(注2)「247 年 3 月 24 日の日食について」(相馬,上田,谷川,安本、 国立天文台報第 14 巻,15-34、2012)で、以下のとおり結論が得られている。
「北九州市周辺は皆既になるが,福岡市や佐賀市は皆既帯からはずれ,いずれの場合も食分0.99ないし0.98となる.日食の間中,あたりは暗くならないことを指摘しておく.
天照大御神は卑弥呼のことが神話化・伝承化したものであり,天照大御神の天の磐戸伝承は卑弥呼の死と関係する,との見解がある([12]).卑弥呼の死の前後と見られる紀元 247 年に,北九州で,皆既または皆既に近い日食があったことは,注目に値する.」
[12]安本美典:『倭王卑弥呼と天照大御神伝承』,勉誠出版(2003).

ΔT=8500とΔT=8900の中間の値ΔT=8700を採用しましたが、ΔT=8700以上であれば卑弥呼の居城の在った宇佐市安心院町を含む北部九州の広い地域で観測できるということです。



【関連記事】宮ノ原遺跡発掘成果などについて以下の記事を参照ください。
本当に卑弥呼の墓なのか?(^◇^)
誤解と幻想の卑弥呼(*^▽^*)
卑弥呼の日食は珍しい日没帯食だったのか?(^◇^)
古代史の謎を推理する(^_-)-☆





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