刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

藤原鎌足は日本人じゃない?ブッブー!( ^)o(^ )

2024-02-28 06:13:11 | 古代史
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2024-01-30 11:01:34に記事にしましたが、関裕二さんの説はファンタジーという批判の権威主義的なコメントがあったので、反論しました。皇室や名家の血統のDNA調査に関するいい議論になるかも知れません。本文の末尾の【議論】に追加しました。この記事の掲載時点で相手からまだ回答が来ていませんが、よろしければお付き合いください(#^.^#)

2022-10-21 21:28:54に記事にしましたが、その後分かったことを入れて追加します。よろしければお付き合いください(;^ω^)

YouTubeに以下のような動画が見つかりましたので、さっそくコメントさせていただきました。おつきあいください(#^.^#)


高橋学長のむさしのチャンネル

刮目天のコメント
藤原氏のルーツが百済王子という関裕二さんの説は賛成ですが、日本人でないという説には賛成しません。
藤原氏は確かに武寧王の子孫と考えていますが、先代の百済王東城王と血縁関係はなく、呉の夫概の子孫だと推理しています。つまり、夫概は呉王夫差の伯父にあたります。そして日本最初の王は夫差の系統の呉王族だということが考古学の成果から分かります。紀元前4世紀(弥生前期末ないし中期初頭)に半島南部から福岡市早良平野の吉武・高木遺跡に移り住んだ天御中主から三代の王(天村雲尊、天八重雲尊)とその一族が日本最初の王墓群に埋葬されています。つまり天皇の皇祖神ということです。記紀神話では高天原に最初に登場した神としています(詳細は「【検証21】天孫降臨と草薙剣の謎?」参照)。

多くの皆さんは日本書紀の正体を理解していませんが、あれは天武天皇が編纂を命じたと思いますが、完成は崩御後34年たってからです。時の権力者は藤原不比等でした。藤原氏が権力を握り続けられるようにするために、不都合な歴史を改ざんし、藤原氏に都合の良い日本神話を創作して、史実も隠ぺいして歴史を改ざんしました。
関裕二さんのファンであるわたしも、関さんの影響を受けて記紀に疑いを持ちました。考古学と民俗学の成果から日本書紀の正体を明らかにし、日本建国の真相を突き止めました。詳細は拙ブログ「倭国大乱が分かれば邪馬台国も分かる!(^_-)-☆」をご参照ください。

最初の話に戻ると、武寧王はおそらく馬韓伯斉国の倭人の王です。遼西を支配していた本家百済が同じ扶余族の高句麗に滅ぼされ、馬韓に逃亡した東城王を殺して、百済王を名乗ったと推理しています。つまり背乗りです。ですから、その子孫である藤原鎌足の子孫も天皇家と同じ呉王族の血統で、部下たちの多くは江南出身の倭人です。中臣は奴(ナーガ=龍蛇神)国王の臣下という意味です。天御中主はナーガ(龍蛇神)を信奉する倭人の王という意味なのです。

日本人のY染色体DNA分析からも、北方アジア系のツングース族C2の男性は3%以下ですから分かります。平安時代にあれだけ多くの荘園を支配し、隆盛を誇った藤原氏がツングース系であれば、C2はもっと多くないと説明できませんから分かります。詳しくは拙ブログ「【衝撃】百済王のなぞ?いつ・誰が背乗りした?」を参照してください。お邪魔しました( ^)o(^ )


とコメントしましたが、塚田敬章「堂谿氏(秦氏の源流)」に以下の重要なことが書かれていたのを見落としていました。

「姓解」三巻に「夫餘」という見出しが有り、「風俗通、呉公子夫概、楚に奔り、子孫去らずは夫餘氏を称す。また百済王は初め夫餘を姓とす。(夫餘風俗通呉公子夫槩奔楚子孫不去者稱夫餘氏又百済王初姓夫餘)」という風俗通の逸文があります。

つまり扶余族は呉系楚人ということなのです。「扶余から高句麗が分かれ、高句麗から百済が分化している。百済が夫概の血を引くというのは事実なのです(魏志扶余伝・扶余史)。」ということですから、高句麗の人々は楚人系(O2)、百済の人々は夫概の子孫の呉王族(O1a)及び倭人系(O-47z)ということなのです。

そして、上で述べた伯済国の人々は恐らく馬韓に入り込んだん濊(かい)人系で、これも呉の倭人の可能性が高いと見て、上述のとおり伯済国の首長だった武寧王が百済を名乗ったとすれば、藤原鎌足とその子孫は現代本土日本人男性の約1/4の倭人系(O-47z)ということでいいと思います。ですから武寧王の系統の百済、そして鎌足の系統の藤原氏は呉王族(原始夏人系O1a)ではない倭人と考えています。

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【議論】
ただのファンタジー。関氏は学者ではなくて、歴史作家。彼の書いたものは、誰でも手に取りやすいような安い価格(1500円程度)で、書店で平積みされている歴史読み物なので、素人には目につきやすい。大学の学者が書くような1冊が1万円以上するような学術書ではないだろう?大学の学会では全く相手にされてないけど、なぜか素人には有名。その点、邪馬台国九州説で有名な古田武彦に似ている。

学者を著作物の販売価格で判定するやり方は妥当ではないと思いますよ!
歴史学であるならば科学的な手法を用いて歴史を解明する学問の分野です!関先生は学会に所属する歴史学者と比べて優れた着想と学者と同様な証拠に基づく推論が一般人にも評価されているので人気になっているのだと思いますよ!

最近、著名な考古学者が邪馬台国と卑弥呼について本を発表していますが、邪馬台国畿内説はそもそも文献と事実、つまり考古学の成果とが矛盾するものですよ!むしろこれは事実に基づかない空想、ファンタジーでしかないのですよ!
だから最早、学会の権威も地に堕ちていると思います。
勿論この方は多くの優れた実績のある考古学者ですから考古学者としては一流だと思いますけど。
関先生は歴史小説を書いている小説家ではない、真実を追求する学問の徒だと思いますよ!


関さんの著書は、学術書ではなく、都市伝説や陰謀論と同じ種類の娯楽系の読み物だと思ったら良いと思います。井沢元彦も小説家なので、関さんと同じ分類で良いと思う。
藤原氏の前身は中臣氏です。中臣氏の嫡流は常陸の鹿島にいた家系であり、その庶流が中臣鎌足を輩出した家系である。古代の祭祀を司る一族です。
モンゴルのチンギス・ハーンでY染色ハプロの研究でも有名な、オックスフォード大学の遺伝学研究チーム・Chris Tyler-Smith教授は、日本人の男性のY染色体の一塩基多型(SNPs)および縦列反復数(STRs)を解析した結果、皇室の祖先が日本に渡来していたのは約3万7000年くらい前、藤原氏の祖先が日本に渡来してきたのは約4000年前だと判別している。これはY染色体ハプロの分子時計で分かる。よって、関さんの説は科学的に成立しないです。


学術書の定義ですが、学問の徒が書いた内容的に学問の成果として評価できるものであればいいと思います。あなたが批判していた古田氏は大学に所属していたと思います。学者は何も学会に所属していなくても、大学などで教育研究に携わっていなくても、学問分野に対する科学的なアプローチで真実を探求している者であればいいと思いますよ。

藤原鎌足が中臣氏の庶流でなく、百済王子だという説です。根拠も納得できるものですので私も賛成しています。

あなたの学術的な反論を聞きたかったのです。
①Chris Tyler-Smith教授が日本の皇室のどなたのYーDNAを解析したのか教えてくれませんか?
②藤原氏の祖先というのはあなたは中臣氏とのことですが、サンプルはどこにあったのですか?



通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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