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タイトルを「尾張と言えばカニだ~わ!(^_-)-☆」から(その3)に変更しました(2022.5.22)
前回の「抹殺された尾張氏の謎(その1)(その2)」の続きです。やはり建稲種命(たけいなだねのみこと)は尾張氏の祖として名古屋市内、愛知県内各所で祀られています。前回、熱田神宮に居館を置いていたと推理しましたが、後で述べますがどうも本拠地は別のようです。
景行天皇として隠された建稲種命はすでに何度も述べたとおり、大国主久々遅彦と外交上女王とした妃台与、そして父の尾張王乎止与命(おとよ、記紀では仲哀天皇)を直接討ったと推理した赤坂比古(卑弥呼の弟、和邇氏の祖)らを九州遠征して討ちとり、見事仇討に成功しました(「【検証20】景行天皇が建国の父だった!(その1)~(その4)」参照)。さらに反転して東海地方・関東地方と恐らく東北地方まで遠征し、当初劣勢だった狗奴国(倭国王だった難升米が付けた旧奴国の蔑称と推理)を勝利に導く大きな貢献をしました(「【検証19】日本建国のための戦いだ!」参照)。丹波や吉備も建稲種命が平定したのかも知れませんが、その詳細は別の記事で述べましょう。
しかし、狗奴国政権は折角の尾張氏の功績を絶賛することが出来ない状況になりました。280年に狗奴国の後ろ盾だったと思われる呉が西晋に滅ぼされたからです。魏の実力者だった司馬懿の孫の司馬炎が265年に曹魏に帝位禅譲をさせたので、翌年朝貢した女王台与の倭国は西晋が後ろ盾になっていたと思います。
その倭国を滅ぼしてしまった狗奴国は強大な敵と一国で対峙することになります。狗奴国大王卑弥弓呼(記紀の崇神天皇のモデル)は支配したばかりの列島内の大国主傘下だった勢力が西晋の後ろ盾により復活して、狗奴国が窮地に陥ることを怖れました。崇神紀では民が疫病で半分近く死んだとありますが、狗奴国の人々は三輪山の大物主大神(大国主)らの祟りであると実際に怯えたのだと思われます。おまけに、そもそも尾張氏が卑弥弓呼大王を差し置いて倭国王に立ったことが原因と分かったので、ヤマト側の人々の大国主等への同情もあったのかも知れません(「【検証10】ヤマトはなぜ伊都国を捨てた?」参照)。
そこで、落ち延びて行方不明だった大国主・台与の王子(ホムダワケ・大田田根子)を探し出して、纏向に呼び寄せて、亡くなった両親の霊を祀る祭祀王としたと推理しました。対外的には女王卑弥呼と台与の後を継いだ応神天皇が王都を纏向に遷し、狗奴国をヤマト国(邪馬台国)ということにしたと推理しました(「なぜ大和をヤマトと呼ぶのか?」参照)。ヤマト政権は呉から亡命してきた工人に三角縁神獣鏡を大量に作らせて、卑弥呼が魏から賜った鏡とするために、魏の時代の紀年銘鏡まで作らせたと推理しました。
ですから、応神天皇を即位させて真っ先に、尾張王に討たれて久留米市祇園山に葬られていた父大国主と伊都国平原王墓に葬られていた母台与を纏向で改葬したと推理できます。それぞれ桜井市の茶臼山古墳と箸墓古墳です。
ヤマト政権の政治構造としては、卑弥弓呼大王と大王に近い親族(例えば大彦命)と遠い親族である尾張王が合議で政権を運営していたと考えられます。当初、応神天皇には実権はなかったはずです。
応神天皇の皇后は景行天皇の孫とされる仲姫命(ナカツヒメ)ですが、景行天皇は尾張王建稲種命のことですから仲姫命は恐らく尾張氏の一族でしょう。応神天皇との間に生まれた大鷦鷯尊(おおさざき、仁徳天皇)の母方は尾張氏ということですから、大鷦鷯尊が即位できたのは尾張氏の力によると考えられます。しかし、大鷦鷯尊がすんなり立太子され、即位したのかは疑問があり、四世紀末から五世紀にかけての倭の五王の時代までの間に大きな事件があったと思われますが、記録に残っていない失われた四世紀の話も後日に改めて記事にしたいと思います(詳細は空白の世紀と倭の五王の謎(その1)・(その2)・(その3)参照)。
さて、尾張王の本拠地の話に戻しますが、建稲種命が祀られている神社を調べると分かります。名古屋市内では、前回見たように熱田台地の南端の熱田神宮(熱田区)で祀られています。その直ぐ南側は当時は潟(現在の南区)になっており、それを挟んだ鳴海台地に成海神社(緑区)があります。
ヤマトタケルが東征に先立ち尾張王乎止与命の居所だった火上山(緑区大高台地)に立ち寄ったところで、その娘の宮簀媛(みやずひめ)を見初めたとあり、ヤマトタケルが薨去して宮簀媛のもとに草薙神剣が届けられたとなっています。熱田神宮の地は尾張氏の祭祀場所だったようで、後に神剣が熱田神宮に遷されたとのことで、史実ではないはずですが、この火上山の氷上姉神社では、ヤマトタケルと乎止与命と宮簀媛が祀られています。
建稲種命を祀る成海神社は鳴海潟を挟んだ直ぐ北側の台地(天神山)だったのですが、現在はその近くに遷されているとあります。ヤマトタケルが立ち寄って宮簀媛の居る火上山を眺めた歌が残っていますが、実際の所なぜその地に建稲種命が祀られたかはよくわかりません。そこからヤマトタケルの正体でもある建稲種命が東征に発った場所だからなのでしょうか(東征の帰路に駿河湾で水死して三河湾岸に流れ着いたという伝承があり、幡頭神社(西尾市吉良町)や羽豆神社(愛知県知多郡)で祀られています。詳しい内容は、名古屋神社ガイド「成海神社」参照)。
つぎに、前回お話ししたように建稲種命は、九世紀に創建された長久手市の景行天皇社で、景行天皇として現在祀られていますが、建稲種命の居館があったということではなく、恐らく当初は根の神として尾張氏にゆかりの人々(現在の景行天皇社横の弥生後期の集落宮脇遺跡の人々の子孫か)が祀っていたのではないでしょうか。
尾張氏の居館の本命は、名古屋市の北にある守山区の尾張戸(おわりべ)神社のようです。天火明命(アメノホアカリ、ニギハヤヒの別名)と尾張氏の祖天香語山命(アメノカグヤマ)とともに祀られています。
名古屋神社ガイド「尾張戸神社」によれば景行天皇の次の成務天皇の時代に宮簀媛の創建と社伝にあるそうですが、史実ではないので実際ははっきりしません。「名古屋市最高峰の東谷山(とうごくさん/198m)の山頂にあり、社殿は4世紀後半に作られたとされる円墳(前方後円墳とも)の上に建てられている。」とあります。被葬者が建稲種命ならば三世紀末から四世紀初頭のはずですが。『愛知縣神社名鑑』によると「『延喜式神名帳』に山田郡、尾張戸神社。『尾張本国帳』『尾張国神名帳』に従三位尾張戸天神と後者には従三位上尾張戸天神と記るす。社地は尾張氏一族の本貫の地として古くより開けた。」とあります。「東谷山から志段味の一帯に古墳を築造した一族が尾張氏だったかどうかは意見が分かれるところで、個人的には違うと考えている。少なくとも、火上山から熱田に進出して熱田社を建てた一族と志段味に土着して4世紀から7世紀にかけて古墳を築き続けた一族は別だろう。」と筆者が意見を述べられています。熱田社を建てた勢力はヤマトタケル伝説で尾張隠しのために動いた朝廷側の勢力ですので、「現在、山田郡尾張神社は小牧市小針の尾張神社(おばりじんじゃ)としているのだけど、地理的に考えて小牧市まで山田郡とするのはどうにも無理がある。」とありますので、やはり八世紀以降の藤原政権による尾張隠しが行われたと考えると、この尾張戸神社こそ『延喜式神名帳』の尾張国山田郡尾張神社である可能性が高いと思います。
「東谷山には他にも中社古墳、南社古墳があり、麓の志段味地区では4世紀から7世紀にかけての古墳が多数築造された。」とあります。中社古墳は四世紀中頃(古墳時代前期後半)に築造された前方後円墳で、東海地方で最古級の三角形の孔のある円筒埴輪が多数出土しています。南社古墳も同じ時期に作られた直径約30mの円墳です。七世紀までの尾張氏一族のものでしょう。ということで、この東谷山の地に建稲種命からその子孫の尾張氏が居住したと推理できます。
そして、尾張におけるカニの話ですが、
「名古屋市で今まで観察されたカニは、12 科 43 種である。淡水産サワガニ以外は、潮の干満の影響を受ける名古屋港南部のふ頭海岸(潮見・稲永・汐止・空見・金城)や市内を流れる河川の河口・河口干潟・ヨシ原に生息していた。」とあります(「レッドデータブックなごや2015 動物編 カニ類」より)。さらにふ頭岸壁下の岩・石の間に多く生息するイソガニ 1 種と、海底に生息しているカニは17種、河口、河口干潟、ヨシ原、カキ礁や転石の下に生息するカニは24種と豊富です。また、先ほどの守山区東谷山にはその淡水産のサワガニが生息しているとありますから驚きました!さらにモズクガニがほぼ市内全域にいましたよ。名東区の東隣の長久手市根の神にあった旧景行天皇社付近の蟹原にも当然カニが居たと思われますから、前回のカニが居なかったのではという記述は訂正しますね(*^^)v(注1)。
当時の尾張は、どこに行ってもカニが居るという印象じゃなかったかと思います。尾張氏の代名詞はカニで良いのだと思います(^_-)-☆
【関連記事】
久利とは石見国では「石」のことであった。「蟹」の関連ワードは? 2022-02-05
松浦郡での栗川が久里・久利郷となった。
とすると「栗」が一番始りの苗字だったのかもしれない。
そういえば、牛糞氏という苗字も本当にあった。
牛糞氏!あるもんですね!(^_-)-☆ (刮目天 一(はじめ))
いつもいいヒントをどうも有難うございます。
日向国高岡郷の牛糞氏は島津氏の祖鎌倉御家人島津忠久が鎌倉から連れてきたのですか(^_-)-☆
高岡郷ですが、東諸県郡(ひがしもろかたぐん)高岡村が宮崎市に2006年に合併されています。
島津忠久の出自ですが、?マーク付ですが、
父:惟宗広言(養父?)
母:丹後内侍(比企氏)?
忠久の母丹後内侍の夫は鎌倉御家人の安達盛長です。忠久は惟宗家の養子になったようです。
惟宗氏は讃岐国香川郡を本貫とする秦公(はたのきみ)とWikiにありました。ということは牛糞氏は武内宿禰(大国主久々遅彦)を祖とする波多氏の家人だったのではないでしょうか?
ということは大国主はスサノヲ牛頭天王の子孫ですから、やはりに睨んだとおり、スサノヲの時代からいつも金魚の糞のようにつき従っていた家人でしょう!これがホントなら面白いですね( ^)o(^ )
臼と蜂はニギハヤヒの父イザナギの部下だった海部氏の祖のような気がしますよ。子孫は物部氏の家人でしょう。またヒントをお願いします(*^-^*)
さるかに合戦 (kunorikunori)
刮目天 一(はじめ)様
さるかに合戦をあらためて軽く読んでみました。
このお話は、どの時代にも当てはまる!
そのために長らく伝わってきたのですね。
今の時代にも当てはまりそうな…
民話の中にも、このように埋もれている歴史がまだまだありそうですね。
仇討話はありふれていますが(刮目天 一)
確かに、仇討(あだうち)の話はどこにでもありますが、主人公がカニの子で、サルがカニの親を殺したという設定は、カニが尾張氏でサルが猿田彦(大国主の分身)だったら、三世紀の日本建国時代に起こった史実に基づく話と考えても間違いはないと思いますよ(^_-)-☆
サル・カニ合戦の元ネタは日本建国の戦いだった?
「神」はサルタヒコを示す暗号文字だった?!
「申」をなぜ「サル」と読むの?
天狗の正体もヤッパリ(^_-)-☆
(注1)サワガニは上掲の資料によれば、
山問の渓流や平地の清流に生息し、池や沼には生息しない。産卵で海に降りることもない。本種の生息地は限られており分散能力が低いので地域的に消滅を起こしやすい。市内では守山区東谷山で生息が確認されているが、東谷山周辺の丘陵地の開発、登山道工事などにより、渓流・清流が土砂で埋まったり、川水の汚濁によりサワガニは減少した。個体数が少ないので発見がむずかしい。とあり、【現在の生息状況/減少の要因】宅地造成・道路工事などにより渓流・渓谷が土砂で埋まるなど、サワガニの生息環境が荒廃したと考えられる。とありました。
モズクガニは東区を除く市内全区で見られるようです。
最後までお付き合い、ありがとうございます。
通説と違うので、初めての方は「古代史を推理する」をご覧ください。
いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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説得力あります。
「建稲種命を祀る成海神社」そして、神社のラインがみな尾張戸神社へきれいに結ばれるような気がします。
でも、建稲種命はヤマトタケルの部下で、海で先に死んだ…と云う伝承はどうなるのか心配です。同一人物なのかもしれないのですね??
明日また読んでみます。
一度では消化しきれず…
いつもお世話になります。またいいコメントまで頂き、とてもうれしいです。カニは日本中どこにでもいますので、ネット検索でハシ栗回りました。あ、ここにも栗?(笑)いや、別の脳みそをお借りするとダブルCPUで処理できますのでとても有り難いです。また、疑問やヒントをお願い致します。どうもありがとうございました(^◇^)
ヤマトタケルが漆を見つけたそうですが、
漆は接着剤の役目も果たし、矢じりに使われていたそうなのです。漆にかぶれた場合は、ワラビの根を煎じた汁、煮た沢蟹の汁、硼酸水などを患部に塗る民間療法がある。
サワガニが出てきております。
二重の意味で関係がありそう???
プチ情報でした。(笑)
建国の英雄ヤマトタケルは尾張王建稲種命をモデルに創作されたものですから!
漆かぶれにサワガニ!ということは名古屋市で守山区東谷山の尾張戸神社ということですから、この付近に尾張王の居館があったことを示唆しています。市内で一番高い場所のようですから、眺望はいいのでしょうね!この北側が庄内川ですから、王の館としては最適ですね。
それが、いまも建稲種命の父ヲトヨの本名を探すために尾張の神社仏閣を巡っています。緑区の氷川姉神社(熱田神宮元宮)にミヤズヒメが居て、ヲトヨの居館があったところとされていますが、どうも緑区から知多市にかけて和邇氏の痕跡がたくさんありました。
そして、熱田神宮との間の南区に鳥栖(とりす)という地名があってビックリしました。ヲトヨが赤坂比古に討たれて赤坂古墳に葬られた佐賀県鳥栖市と同じ地名です。
南区にはカグツチを祀る秋葉神社などが17社もありますから、やはりこの辺りに住んでいたようですね。なかなか終わりから離れられません。
またいい情報があればお教えくださいね!
どうも有り難うございました(*^-^*)