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本当に実在したウガヤフキアエズ王朝...日本の歴史が変わる世界最古の謎の古代文明と発見された前代未聞の巨人のようなあり得ないものの正体とは?【都市伝説 最新研究 解明】雑学ミステリー通@YouTube
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現存する最古の歴史書とされる古事記も9世紀の学者が突然表に出してきたものです。正史にその記録はないですし、日本書紀が参照した痕跡もないのです。日本書紀によって隠された史実をそれとなく暴露する暗号書の一種なのです。
ウガヤフキアエズは記紀神話の日向三代の最後の王で神武天皇の父ですが、本当の初代ヤマトの祭祀王の応神天皇と出雲・丹後王国の史実を隠すために日本書紀で創作された神話が日向三代と神武天皇なのです。古史古伝のひとつ『上記』(うえつふみ)がウガヤフキアエズと米神山の巨石文化とを結びつけているようですので、応神天皇とその本当の父大国主の隠された史実を暴露するものでしょう!長くなりましたのでブログ記事にしました。よろしければ「刮目天の古代史」にどうぞ(^_-)-☆
応神天皇の父は仲哀天皇とされていますが、日本書紀では父の日本武尊が薨去して38年後に生まれた計算になりますから、杜撰な作り話と直ぐに分かります。本当の父は仲哀天皇の熊襲征伐に登場する武内宿禰とされた、記紀神話に登場する大国主のことで、実在人物の高野御子です。日本海沿岸を根拠地とするムナカタ海人族を束ねる王で、父日高彦(魏志倭人伝の狗奴国の官狗古智卑狗、大国主の先代久々遅彦)の王子「日高の御子」の隠語として「高野御子」が使われています。弘法大師空海が真言密教の修行場とした金剛峯寺の山号が高野山なのですから、大国主高野御子の鎮魂がその目的だと分かります(詳細は「高野御子の歌(その1)・(その2)」参照)。
久々遅彦は豊岡市久久比神社の祭神でムナカタ族の王の襲名です。宗像女神市杵島姫卑弥呼の死後の内戦に勝利して列島の大部分を支配したので後世「大国主」と呼ばれたのです。ですから神武の父ウガヤフキアエズは大国主久々遅彦(高野御子)のことなのです。
大国主高野御子と卑弥呼(ムナカタ海人族和邇氏の祖)とはいとこになると、卑弥呼の墓の遥拝所「ヒカケ三女神社」の摂社から推理しています。卑弥呼の墓は宇佐市安心院町宮ノ原遺跡の三柱山古墳です。魏志倭人伝にあるとおり、径百余歩の冢(ちょう、直径約150mの土を盛り上げただけの円形墳墓)です(詳細は「卑弥呼の墓の遥拝所に何がある?」参照)。
大国主が外交上女王に立てた13歳の台与と共に三柱山古墳に弔問に訪れて、安心院町妻垣神社奥宮の一柱謄宮でも祭祀を行っています。ここが卑弥呼の墓と言う地元の伝承もありますが、最終的には宇佐神宮の本殿下の亀山に葬られたという伝承もあります。宇佐神宮の二之御殿の比売大神が卑弥呼なのです。
一之御殿が八幡大神です。応神天皇とされたのは創建後で、創建時は大国主を八幡大神として祀っていたのです。一緒に創建された神宮寺が弥勒禅院でしたので本地仏は弥勒菩薩と分かります。
米神山にはたくさんの巨石構造物が置かれていますが、山麓にある日本一立派なストーンサークル佐田京石で勝利を父祖に感謝し、この地を最初の都と定める祭祀を行ったようです。ここが大国主神話の豊葦原中つ国の瑞穂の国と突き止めました(詳細は「大国主の豊葦原の瑞穂の国はここだった?」参照)。
米神山の中腹の月の神谷に何本もの巨石棒を一斉に南西方向に向けていますが、二世紀末の倭国大乱の英雄日高彦の終焉地にある山鹿市茶臼塚古墳(4世紀に和邇氏によって作られた方墳)に向けられていることが、巨石棒の方位を測定して分かりました。
一方、古墳の墳頂に置かれた大日如来の石祠から、大国主の本地仏弥勒菩薩が曼荼羅で北東方向に描かれていますので、互いにそれぞれの方向を指しているのです。
さらにこの線を北東に約400km伸ばすと、豊岡市竹野町竹野の鷹野神社の元宮の五社大明神を正確に指していました(猫埼半島の付け根の小山)。鷹野神社の祭神は大国主に国譲りさせたタケミカズチ神ですが、相殿にアメノホヒが祀られており、浜の天神様と呼ばれています。菅原道真の祖神アメノホヒとスサノヲは共に牛が神の使いですので、アメノホヒがスサノヲの末裔と分かります。ですから、スサノヲの王子イタケルの孫日高彦の別名なのです。つまり、浜の天神様の伝承から元宮が日高彦の居城だったと分かりました。そして、その小山を半島側に下った浜に「誕生之浦」の石碑を発見しました。地元では大国主から国譲りさせたタケミカズチ神が上陸した浜だということになっていますが、竹野という地名は藤原氏が史実を隠すために強権で高野から変えさせたと推理できますから、石碑も藤原氏に配慮した伝承にしたようです。つまり、大国主高野御子の生誕地だったと推理しています。
< 石碑の裏側に「誕生之浦」と彫られています。 2024.6.7 撮影>
すべては米神山の巨石群からの大発見でした。茶臼塚古墳・米神山・五社大明神の三地点を結ぶレイラインを狗古智卑狗の霊ラインと呼んでいますが、古代人には超能力があったようで、とても不思議な話だと思います。詳しくは「【大発見!】大国主命の生誕地か?」・「米神山で大国主に会ってきた!」などをご覧ください(;^ω^)
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