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卑弥呼は何故隠された?(´・ω・`)

2024-02-26 09:59:21 | 古代史
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2022-02-26 14:43:51に下のとおり掲載しましたが、一カ所だけ赤字で訂正し、図のリンク切れを修正し、さらにその後卑弥呼を隠す理由を発見しましたので、記事のリンク先を【注目記事】に示しました。よろしければお付き合いください(#^.^#)

2020-07-24 13:35:22に掲載しましたが、少し説明を加えました。お付き合いください( ^)o(^ )

前回のブログ「卑弥呼は日食で殺されたムナカタの姫巫女だろう」で卑弥呼が縄文系ムナカタ海人族の姫巫女・比売神(宗像女神イチキシマヒメ)であることが判明しました。和邇(ワニ)氏は宗像氏と同祖で卑弥呼と特に関係が深いようです。卑弥呼を比売神として奉斎する氏族が、日本書紀で抹殺されて全く謎だった四・五世紀の有力氏族の和邇氏(和珥氏)でした。天皇の妃をたくさん出している氏族です。

ですから何故、卑弥呼が正史で抹殺されなければならなかったのかは明らかです。

藤原不比等が権力を維持するために、日本建国で活躍した由緒ある氏族は目障りな存在だからです。

そのために、正史では初代とする神武天皇の祖母豊玉姫も母玉依姫(祖母の妹)も近親婚のワニ(サメのこと)の一族として貶めて思い切り嘲笑したのです。

元ネタはありますがこれは大げさな作り話です(「神話が隠した不自然な史実」参照)。初代祭祀王の応神天皇の母神功皇后の正体が、和邇氏と同族の息長氏一族の台与(トヨ)だったのです。息長氏も縄文海人ムナカタ族で卑弥呼ともイザナミとも同じワニの一族なのです(注)。


タイガー・シャーク(イタチザメ) できれば遭いたくない…日本にも生息する危険な人食いサメ3種類とその対処法 より



二世紀初頭に奴国の宮廷楽師師升らがクーデターを起こし、スサノヲ大王が殺されました(「倭王帥升(すいしょう)は何者だ?」参照)。東方に逃れた旧王族らに対して、和邇氏の祖のムナカタ族が沖ノ島経由で半島南部の鉄素材を供給したようです。スサノヲの子孫狗古智卑狗(久々遅彦として代々襲名)がスサノヲの縁故によって半島南部の秦人や倭人の製鉄従事者から鉄素材を確保し、ムナカタ海人族の助けを借りて丹後半島などに運び、鉄器生産を行ったようです。

日本海沿岸の首長たちは鉄の総元締めの久々遅彦の傘下となり鉄器を入手して飛躍的に生産力を伸ばし、勢力を拡大したと考えられます。それぞれの地域の首長はリーダーとしての権力が高まったことで、従来行われていた祖霊祭祀から首長霊祭祀に発展し、出雲地方で大型四隅突出型墳丘墓が出現します。出雲王久々遅彦との繋がりから各地の首長の序列化も行われ、同じ形式の墓が作られるようになりました。その後の古墳時代はこれが契機となったと考えられます。



クーデターから脱出したスサノヲの弟ニギハヤヒは久々遅彦から鉄製武器を入手して吉備を平定し、奴国の王位を継承し、ヤマト王権の基礎を築きました。死後、楯築王墓で丁重に埋葬されました。「宋史 王年代紀」記載の第19代奴国王天照大神尊です。「先代旧事本紀」によれば物部氏や尾張氏の祖です。(「【検証7】桃太郎はニギハヤヒだった?」参照)。

半島が混乱した二世紀末から三世紀初頭の(第一次)倭国大乱で活躍した大国主の先代久々遅彦(「魏志倭人伝」の狗古智卑狗、スサノヲの子イタケル直系の子孫)が倭国王難升米に討たれたました(「【検証24】狗古智卑狗の墓発見!(その1)(その2)」参照)。王を失って途方に暮れた玄界灘のムナカタ族の族長赤坂比古(のちの和邇氏の祖)が難升米王に介入され、卑弥呼を女王に共立し、纏向の狗奴国を裏切って対立しました。卑弥呼は、実際はムナカタ海人族の伝統的な太陽神信仰で神託を王に伝える姫巫女ですが、後に公孫氏が魏の実力者司馬懿に滅ぼされたので難升米王が魏に朝貢した際に、司馬懿の功績を称揚する目的から倭国を女王が統治するエキゾチックな大国であると魏の朝廷の人々に理解させ、卑弥呼は対外的に女王とされました(「【検証22】難升米という人物は?(その1)~(その3)」参照)。

邪馬台国が登場して狗奴国に鉄が供給されなくなったのでニギハヤヒ直系の大王(「魏志倭人伝」に登場する狗奴国王卑弥弓呼(ヒコミコの誤写、ニギハヤヒ大王の後継者として代々襲名したようです。記紀では第九代開化天皇)が、ヤマト纏向に旧奴国王族らを集結させました。連日、奴国を滅ぼした師升王の子孫の難升米王と狗奴国を裏切った卑弥呼の一族への呪いの祈祷を行った模様で、纏向遺跡で大量の桃の種の発見されたことから想像できます。初代卑弥弓呼王(開化天皇)の墳墓が纏向で210年頃築造とされた最初の前方後円墳の石塚古墳でしょう。

ヤマトの邪馬台国遠征軍の主将の尾張王乎止与(ヲトヨ、ニギハヤヒ大王の子孫で纏向に集まった有力者)が伊都国の男王難升米が支配する倭国を滅ぼし、狗奴国を裏切って自ら倭国王に立ったので、久々遅彦と内戦になりました。久々遅彦に寝返った卑弥呼の弟赤坂比古によって尾張王が討たれたと推理しました(乎止与の墓が鳥栖市の赤坂古墳、九州最古級の前方後方墳、「愛宕権現の正体は赤坂比古か?」参照)。久々遅彦は卑弥弓呼王の親族の尾張王を殺したことから、丁度倭国に来ていた魏使張政の進言によって親魏倭王卑弥呼の宗女台与を女王に立てて、魏を後ろ盾にして纏向ヤマト(狗奴国)と対立することになります(「【検証23】魏使張政って?!」参照)。卑弥呼が支配した九州・四国・中国西部に加えて、山陰・北陸などを版図とする倭国を作ったので、後世、大国主と呼ばれます。

この頃、尾張王を殺し纏向ヤマトを裏切り倭国王となった久々遅彦への恨みから、狗奴国ヤマトの勢力が大国主傘下の日本海沿岸の集落をしきりに襲撃したと思われます。青谷上寺地遺跡の無防備な住民への大量殺人事件です。鉄鏃が使われていたはずの丹後半島の函石浜(はこいしはま)遺跡や江津市の波来浜(ならはま)遺跡でこの頃の近畿のものと思われる銅鏃が発見されています(日本海沿岸では鉄鏃を使う兵士以外は狩猟用などで石鏃か骨鏃が使われています。鉄欠乏症の畿内や東海の兵士は銅鏃を使ったと推理しています。)。

ムナカタ族は、270年ごろ北部九州の倭国を占領した物部によって一掃された模様ですが、280年頃に応神天皇が祭祀王として呼ばれ、ヤマトで即位したことにより、復活した模様です。おそらく息長氏と和邇氏は半島南部の鉄資源確保に必要だったこともあります。

しかし、前回の日牟禮(ひむれ)八幡宮の由来の話で、藤原不比等が強引に「日群(む)れの杜」に社名を変えさせたことが判明したので、和邇氏が祀っていた原八幡神は比売大神(宗像三女神)卑弥呼だと分かりました。応神天皇が日輪が重なるのを見たという八幡宮の由来は後で作られたものです。

もともと5世紀末ごろに、卑弥呼を宇佐市稲積山などで渡来系秦氏に繋がる辛嶋氏が祀っていました(辛嶋勝姓系図ではスサノヲの子イタケルを祖とするので、秦(波多)氏と同じ大国主久々遅彦の後裔)。これについてはまた述べますが、藤原不比等は建国の歴史が正しく伝承されるのを嫌って、原八幡神卑弥呼を隠しました。

そのために、大田田根子(応神天皇)を祖とする大神氏を宇佐に派遣し、鷹居社を造らせ、大国主を八幡神として祀らせ、さらに小山田社に移して祀らせた模様です。八幡神の影響を宇佐地方から隠す目的でしょう。不比等の死後725年、藤原氏が宇佐神宮を現在の地に創建して一の御殿に八幡大神として祀り、その後733年に八幡比売神卑弥呼を二の御殿に祀るようにしました。(2024.2.26 赤字訂正)

wiki「八幡神」によれば、「八幡神を応神天皇とした記述は『古事記』・『日本書紀』・『続日本紀』にはみられず、八幡神の由来は応神天皇とは無関係であった[4]。」八幡大神を大国主から八幡大菩薩応神天皇とする伝承は八世紀後半に作られた模様です。それ以前からの宇佐地方での卑弥呼の祭祀についても含めて「卑弥呼はどのように隠された?」で述べていますのでご参照ください。

【注目記事】
富雄丸山古墳に隠された大きな秘密?
不比等はこの秘密を隠すために卑弥呼も宗像三女神として神話に閉じ込め、日本書紀を完成させたのですよ(;´Д`)
日本神話は不比等が創ったものなのですよ( `ー´)ノ
卑弥呼が正史から消された理由?(^_-)-☆

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卑弥呼はどのように隠された?
卑弥呼は日食で殺されたムナカタの姫巫女だろう(@_@)

卑弥呼の墓の伝承の謎だよ(^_-)-☆
卑弥呼の墓は見つかってるよ!

(注)その神話の元ネタですが、天武天皇の皇后鸕野讚良(うののさらら、持統天皇)の子の草壁皇子(662年生まれ)と、持統天皇の異母妹の阿陪皇女(元明天皇、661年生まれ)との間に軽皇子(文武天皇)が生まれたので(683年)、神話も叔母との近親婚の話にしたということです。しかし、神話では妹に乳飲み子を成人になるまで面倒見させて、結婚したというトンデモない話を作り、天皇家を思いっきり貶めていますから質が悪いですね。(卑弥呼の墓の伝承の謎だよ(^_-)-☆)

宗像大社に「ムナカタの子はスミヨシ」という伝承があるようです(関裕二「海峡を往還する神々」PHP文庫、p.188)。スミヨシはイザナギから海の支配を任されたスサノヲです。つまりイザナミはスサノヲの母ですからムナカタ族です。スミヨシはまた、スサノヲの直系の大国主でもあります。首長霊信仰は首長の祖霊と一体化するのが特徴のようです。卑弥呼がイザナミと同じ母系だというのは、朝廷が贈った神階から分かります。

神階のうち、皇族だけに贈られる位階と同じ品位(ほんい)が四柱だけなのです。淡路伊弉諾神宮伊弉諾尊、宇佐神宮八幡大神がそれぞれ一品(いっぽん)で、八幡比咩神(比咩大神、宗像三女神)が最初は二品でしたが最終的に一品、備中吉備津神社吉備津彦が二品を贈られています。伊弉諾尊は皇祖神ですから分かります。八幡大神は応神天皇となっていますが、何故第十五代天皇だけ一品なのか、他の二柱も全く謎でしょう(^_-)-☆

八幡大神は本当は応神天皇の父大国主のことだと考えています。首長霊信仰から大国主と応神天皇は一体なのです。八幡比咩神は宗像女神イチキシマヒメ卑弥呼であり、台与も含まれると考えられます。台与は大国主との神婚伝承のある宗像三女神(タギツヒメ、タギリヒメ)、豊受大神、正一位稲荷神(宇迦之御魂神、うかのみたま)、白山比咩命、豊岡姫、淀姫などとして全国で祀られ、崇敬されています。そして吉備津彦の正体が天照大神尊ニギハヤヒでした。

王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆





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