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弧帯文は龍蛇神(ナーガ)の文様だった!(^_-)-☆

2022-03-01 23:28:06 | 古代史
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直弧文
2022-02-28 08:46:23 世界の街角さん


ナーガでしょう!(^_-)-☆ (katumoku10)
弧文円板の文様も弧帯紋も蛇をかたどったものだと思いますよ(^_-)-☆
天御中主は高天原に最初に降り立った神ですが、天は海を、御中主は龍蛇神国の主、江南をルーツとする倭人の王つまり奴国の龍王です。学説として最初に宇佐説を唱えた富来隆先生(「卑弥呼-朱と蛇神をめぐる古代日本人たち-」学生社、昭和47年)から学びました(^_-)-☆


Unknown (mash1125(世界の街角))
kasumoku10さんへ
おはようございます。コメントありがとうございました。
S字文は蛇・龍文様の簡略版と云われていますが、直弧文や弧帯文もそうですか。


Re:Unknown (katumoku10)
いつもいいヒントをありがとうございます。
弧帯文・直弧文は古墳時代に出現する日本独特の文様のようですが、中でも一番古いものは楯築王墓の特殊器台に描かれた弧帯文のようです。そして墳頂にあった楯築神社の御神体の亀石は施帯文石と呼ばれますが、人面が描かれています。臼井洋輔氏の「施帯文石(亀石)展開図作成と考察」文化財情報学研究第8号、H23 ,p.5 で江戸時代は龍神石と呼ばれていたとあり、「顔を持つ蛇神か龍神の化身のよう」と表現されています。

ですから、二世紀の後半の吉備を平定した奴国の王族のもので、ずばり人面蛇体の天皇伏羲氏と同体のニギハヤヒ大王の顔が描かれていると考えています。ここが起源のようです。



纏向遺跡の弧文円板やその後の石棺に描かれた直弧文は吉備で発生した弧帯文の変形と見ていいと思います。つまり、ヤマト王権は吉備を平定した第十九代奴国王天照大神尊ニギハヤヒ大王の子孫が纏向で始めたと推理しています。ヤマト王権の祭祀型式や前方後円墳のルーツは吉備であって、楯築王墓の中円双方墳がルーツだと考えています。
また、いい話題を頂いたので、ブログに図入りで説明しようかと思います。よろしければまた、お越しやす( ^)o(^ )


石野博信先生は「邪馬台国時代の吉備と大和」岡山市埋文センター、2016.1.16 の中で「ヤマトにはキビ系の特殊器台や特殊器台系の円筒埴輪が多い。」とおっしゃっており、また、纏向石塚古墳出土の弧文円板は二世紀末に成立していた組帯文(楯築遺跡の弧帯石の文様)を刻み三世紀初頭に使用したものとされています。

また、奈良県唐古・鍵遺跡で出土した絵画土器に図のようなS字形の龍の文様のものが幾つかあります。これも二世紀末葉(大和Ⅵ-2・3)の様式です(田原本町「唐古・鍵遺跡考古資料目録Ⅰ」より)。



また、異形高坏(文様040)など特殊土器には精緻な櫛描きの簾状文・山形文などが施文され、特化された櫛描文様として成立することになるが、後期前半以降は消失する。これらに代わるように弧帯文様(文様043)が成立し、後期後半以降は壷を中心に散見するようになる。」とあり(p.16)、文様044-045は大和Ⅵ-3様式ですので弥生後期末葉(二世紀末)のものです。つまり、弥生後期後葉(二世紀後半)の楯築遺跡の弧帯文がヤマトに伝わったということです。
「田原本町 唐古・鍵 総合サイト 弧帯文」にカラーの写真と説明がありますよ(*^-^*)

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