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伊都国が古代史解明のカギだった?( ^)o(^ )

2024-02-17 00:00:04 | 古代史
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いい動画を見つけたので早速コメントしました。よろしければ、お付き合いください(#^.^#)

【ゆっくり解説 】魏志倭人伝にも登場する「伊都国」とは?

いい話題をありがとうございます。伊都国という国名は殷王朝初期の有名な政治家伊尹(いいん)に因む嘉字です。伊尹は放蕩者の王を追放したことでその評価が議論される人物です。そのような事績と同じことが倭国内で起こったことが示唆されます。


范曄後漢書にある107年に160人の奴隷を連れて後漢安帝に朝貢した倭国王帥升です。原本が残っていないのですが、原本を引いたと思われる後続の史書の内容から、倭面土国王師升のようなのですが、魏志倭人伝に7・80年は男王が倭国を統治していたとあり、師升の時期と合いますので、白鳥庫吉は面を回の俗字の誤写と見て回土国(ウィトコク)だとしました。そして師姓を調べると周王朝の前から宮廷祭祀を行う楽師の官位を表す姓だと分かります。つまり師升は57年に後漢光武帝から金印を賜った倭の奴国王から倭国を奪って回土国に都を置いた人物だったのです。師升らの反乱で殺された最後の奴国王が宋史王年代紀第18代王素戔嗚尊、記紀の高天原から追放された暴れん坊の神スサノヲだったのです。

その回土国が魏志倭人伝では伊都国とされましたので、そのような政変を示唆する国名を書ける人物が特定できました。景初三年六月、魏への朝貢のために帯方郡に出かけた大夫難升米です。当時、三雲遺跡の番上地区に楽浪土器が集中して出土していますので、華僑たちの居住区だと分かります。彼らと交流して孟子や史記を読む教養人です。難は儺、つまり「追儺=鬼やらい」を意味する文字なので、師升の子孫の伊都国男王だと分かります。日本書紀仲哀紀にも奴国のあった博多を儺県(なのあがた)とあります。編纂者も史実を知りながら高天原神話にしたのです。

これらのことから、魏志倭人伝の邪馬台国へのデタラメな行程記事は本当の倭国王難升米が書いて教えたことが分かります。

これによって記紀神話と邪馬台国の謎が解けました。


詳しくは「伊都国の意味がヒントだった?(@_@)」をご参照ください。お邪魔しました(#^.^#)

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伊都国が鬼払いの発祥地か?(^_-)-☆


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