5月23日に藤田嗣治の事を書いた。
その続編だけど、 この人がパリで成功して帰国後戦争になり
軍の依頼で戦争画を描くことになるわけだが、 この時(昭和
18年頃)既に日本画壇の頂点にいて、「芸術院会員」で、歳
も45~6歳、 画家としてあぶらの乗り切った時期で制作(大作)
意欲満々だったろう事が伺える!
さて、軍が当時の画家達に描かせた戦争画の所在が分かっ
た。 矢張り「東京国立近代美術館」の倉庫にあった。
「BSプレミアム」
総数なンと153点で、戦後アメリカに接収されたがその後返還
され、現在の場所に収納されているらしい。
そのうち藤田嗣治は全部で14点描いている。
戦争画153点の中でも藤田の絵は突出してうまい! 中でも
最高傑作と言われる 二点。
「アツツ島玉砕」
まず北のアリューシャン列島の日本軍拠点、アツツ島が米軍
の総攻撃を受け全滅 「美化して 玉砕 と言った」した時の状況
南のガダルカナルと北のアツツが日本敗因の先駆けとなった。
最高傑作と言われるもう一つが 縦 1,9メートル 横 2,6メートル
の超大作
「サイパン島玉砕」
絵の上手さは最高峰と言われ、当時巡回展覧された時、これを
見た人達が手を合わせて涙したとも言われている!。
このような凄惨、悲惨極まりない凄まじい状況をリアルに描い
た藤田も、これをよしとした軍部、 今にして思えば、色々疑問は
残るが ・・・・ 。
軍としては、本土決戦を意識し、国民にこの様な覚悟で最後ま
で戦って力尽きたら自害しろ!との意味か?
藤田は、画家として後世に(出来れば世界的に)残る戦争名画
を残したい? ・・・ たとえばドラクロアの「キオス島の虐殺」と
か「民衆を導く自由の女神」の様な大作を残したかったのでは
なかろうか? これはもう本人がいないから分からないが!
私は 〝好戦も厭戦”もない だ芸術家として制作意欲に燃え
た ・・・ 結果戦後 軍部におもねり積極協力した、ということ
で、バッシングを受ける ・・・ これも又仕方のないこと・・・・
戦後間もなく日本に嫌気がさし、アメリカ経由で愛するパリに
帰りかくして、藤田嗣治はフランス人になった。
今の様な日本の事情、世情ではこれらの戦争画がすんなり
日の目を見るのは難しかろう! 今しばらくは時間が必要だ
ろうと思う!
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