新約聖書「ヨハネによる福音書」の12章24節に、「はっきり
言って置く、一粒の麦、若し地に落ちて死なずば、ただ一つ
にてあらん、死なば多くの実をむすぶべし」 ・・・ これは有名
な言葉で、よく出てくる。
この意味は難しい、どうにでも解釈が出来る!(聖書の言葉は皆そう
だが)アンドレジードの小説に「一粒の麦」があるが、読んでない
から分からない。
私的解釈では、イエスキリトが「私が十字架に架けられて死ぬ
ことにより、多くの人が神の教えを知る事になり救われる事にな
る?」 ・・・ かな ?・・・ 違うかな ?
これを、哲学的に難しく解釈する人もいるから ?
殉教をものともせず、地の果て(日本や南米の山奥)までキリスト
教徒を増やすため)まで行った ミッションの宣教師の人達も、この
言葉に触発されたのではなかろうか??? 一粒の麦となって死
を賭して、神の福音を広める???
〇 ところで、朝 ぼんやり ラジオを聞いていたら、一粒の麦ではな
く、米の計算では、 一粒の米が地に落ちれば(植えられれば)10本
位に “ 分けつ ” して大体 600 ~ 800粒になるらしい ・・・
なるほど!!
最近「一麦会(イチバクカイ)」という、プロテスタントの宗派がある事も
知った。
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