博多から宗像市に家を建てて移ったのが、昭和48年だか
ら丁度今年で43年になる。 総じて住みよい所と 満足している
「旧官幣大社 宗像神宮」 の故事 (日本書紀)に纏わる歴史
の事などで、 今年 「世界遺産」 に認定され さも 市中大騒ぎ!
・・・ 実はそうでもない!?
この地は 福岡市と 北九州市との丁度中間点のベッドタウン
として市になった ような所だから、 市民は何が どう珍しいのか
何が世界的価値なのか、 よく理解しかねているのではなかろう
か?と思っている。
私は戦前の教育を受けた者だから可成詳しいが、 戦後教育
を受けた人達が 何なにの尊がどうして・・とか・・・興味あるかな
ー ・・・
それよりも、この宗像から 大正 ~ 昭和にかけて、 日本画壇
に名を残した有名な画家 「日本芸術院会員」が二人も出てい
る。 中村研一 と 中村琢二 の 兄弟。 弟の琢二は 東京帝大・
経済を出ているのに、 兄がフランスから帰ってきたら、 自分も
さっさと絵かきに転向して、成功している。 多くの賞を総なめ
・・日展の顧問から ・・・ 紫綬褒章も授章している。
二人の生家は今も保存されている。 我家から 2~3キロの
所 旧「唐津街道」の中に残っている。
※ クラブの展示会用に、中村琢二(弟)の作品を PC 画 で描
いて見た。
題名 「 大原の老女 」
________________________
註、おはらめ (大原女) 京都のはずれ 大原の女は紺の筒袖で
白はばきを前で合わせて、二本鼻緒の草履を履いて、頭に薪や花
を乗せ、 京都の町を売り歩いた ・・・ 一昔まえまで見られた、
京都の風物詩
古い写真より " ー 花は いらんかね ー ”