行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

中国の元スクープ記者が沈黙を破った異例の幹部批判

2016-12-08 14:18:52 | 日記
河北省石家荘の「聶樹斌事件」で、すでに死刑執行された青年に冤罪の判決が出たことは前回に触れた。2005年、「自分がやった」という“真犯人”が出現したことを河南省の地元紙『河南商報』がスクープし、再審に大きな弾みをつけた。だが、それから11年を要したのは、公安を牛耳っていた周永康・元党中央政法委書記の一派がもみ消しを図ったからだ。河北省の公安トップは周永康の腹心で元同省政法委書記の張越だった。

権力の無法な舞台裏については、記事をまとめた同紙元代理編集長の馬雲龍が6月15日、『財新ネット』の取材を受け暴露している。張越が摘発され、これまで沈黙を強いられていた人々が次々に口を開き始めたのだ。これから始まる責任追及にも大きな影響を与えることだろう。

インタビュー記事のタイトルは「聶樹斌事件 11年の多難な道 驚きの大転換」だ。スクープ記事の後、当時の河北省政法委書記、劉金国はすぐに関係部門の会議を開き、専門チームを発足させて迅速に調査を完了し、1か月後には記者会見を開くと決めた。だが馬雲龍は語る。

「予想もしなかったが、1か月後に結果を出すと約束した劉金国は、その1週間後、異動を命じられた」

馬雲龍はずっと「だれが彼を外したのか?」と自問を続けてきたが、「今なおこのなぞは解けていない」という。こうして1か月が過ぎ、1年が過ぎ、10年が過ぎていった。バックに大きな力が働いているのは紛れもない事実だった。

その後、馬雲龍は驚くべき事実を耳にする。すでに本件を自供をした真犯人の王書金に対し、河北省当局が供述を翻し、否認をするよう働きかけているというのだ。「彼らは王書金を殺そうとしている」とさえ、馬雲龍は心配した。冤罪を晴らすための報道は、権力との「闘争」だった。

「張越は、聶樹斌事件の重要証人である王書金を暗殺しようと決意し、二審の前に、彼を河北省のある秘密の監禁場所に連れて行き、拷問とリンチを加えた。王書金に拷問で罪を認めさせるのではなく、すでに認めている罪を否認するよう脅迫し、殴り、供述を翻すよう迫ったのだ」

張越の支配する河北省政法委は裁判のリハーサルまで行い、王書金を暴力で脅して虚偽の話をするよう仕向けた。だが、馬雲龍がブログで舞台裏を明かし、王書金が自供を覆す法廷劇はお流れになった。

この間、4月30日、中央テレビの人気番組『焦点訪談』は、河北省の意図を代弁するような番組を流し、中国政法大学教授の洪道徳は、聶樹斌事件は犯行の手口や過程や現場の状況が合致していると悪だくみの片棒を担いだ。まだまだ張越サイドの抵抗は続いていたのだ。

記者の執念が生んだスクープ記事、弁護士、メディア、学者ら心ある人々の支援、そして決定的な力を及ぼした反腐敗の政治力。司法の中から政治が実現されたのではなく、様々な個人の力と偶然が重なりあって実現したものである。馬雲龍はこう言葉を残している。

「司法が独立していないことが、冤罪や誤判を生む原因だ。中国の司法改革を進めなければ、冤罪はまだまだ起きる」

死刑執行21年後の正義「権力の邪悪は自ら振り上げた拳によって暴かれる」

2016-12-03 15:34:14 | 日記
河北省石家荘で1994年に起きた「聶樹斌事件」について、中国最高人民法院が無罪判決を言い渡した。溶接工の聶樹斌(当時21歳)が翌年、犯人として死刑に処されたが、2005年、「自分がやった」という“真犯人”が出現し、遺族から再審請求が出されていた。21年後、遅れてやってきた正義だ。



この事件については6月15日のブログ「20年を要した婦女暴行殺人事件の再審決定に周永康の影」でも触れた。
(http://blog.goo.ne.jp/kato-takanori2015/e/f83074e7b682fbf058372e07f08995af)

父親の聶学生は当時、絶望の末に服毒自殺を図り、半身に後遺症が残った。母親の張煥枝がメディアや学者、弁護士らの有志に支えられ、冤罪の訴えを続けてきた。私も2度会った。彼女と一緒に、聶樹斌の墓参りもした。土を盛っただけの粗末なものだった。彼女は若くして人生を終えた息子が不憫だと、白血病で亡くなった6歳下の女性を2000元で嫁として受け入れ、同じ墓に葬っていた。地元の風習に基づく供養だった。無罪の報に接した母の思いはいかばかりだっただろうか。ネットに流れた写真には彼女の笑顔があった。



直前、ちょうど2週続けて、担当の授業でこの事件の背景を分析したばかりだった。新聞学院の学生たちにもほとんど忘れられている事件だ。



真犯人の出現は、河北省ではなく、隣接する河南省の地元紙『河南商報』がすっぱ抜いたスクープ記事から始まる。2005年1月、出稼ぎ先の河南省で挙動不審から警察の取り調べを受けた河北省出身の王書金が、自分の地元で犯した婦女暴行殺人4件を自供し、そのうちの一件が聶樹斌事件だった。河北省のメディアであれば、地元公安の妨害にあって難しかったであろう。権力の隙間を縫った「異地監督」の成果である。



王書金の逮捕を発表する河南省地元公安局の記者会見で部下が聞いてきた話を、『河南商報』デスクの馬雲龍が注目し、記者を事件現場に派遣して調査させた。記事は「転載無料」として各メディアに提供し、全国の100を超える主要紙に掲載された。地方の名もなき新聞の特ダネが、全国の注目を集めた。



報道だけでは大きな力にならない。著名な法学者や弁護士、メディア界の有志60人が石家庄でシンポジウムを開き、「法によって国を治める」理念を実現し、再審の手続きを進めるよう求める文書を決議した。



同事件の再審査に抵抗していたのは河北省で公安を牛耳っていた元同省政法委書記の張越だった。習近平が進める反腐敗キャンペーンで摘発された周永康・元党中央政法委書記の腹心だ。張越も4月、党規律違反で摘発され、大きな障害が排除された。中国の司法が政治の力と不可分に結びついている権力構造の実態を物語るものだった。授業では、政治をも含めた大きな土俵での理解が必要であることを強調した。

学生たちは、無罪のニュースに敏感に反応した。ある学生は「守得雲開見月明(あきらめずに続けていれば必ず、雲間から月明りがのぞくように、いつかは実りがあるものだ)」とコメントした。

恣意的な権力の行使が弱者をおとしめ、いたぶり、苦しめる。これほどの不正義があろうか。だが真理はいずれ現れる。権力の邪悪はいずれ、自ら振り上げた拳によって暴かれる。信じること。あきらめないこと。楽観を忘れないこと。そうすれば、雪だるまがふくらんでいくように、微小な力も大きくなっていく。たとえカタツムリの歩みであっても、ゴールは必ずやってくる。そんなことを今回の事件は我々に語り掛けている。