行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

「声無きは声有るに勝(まさ)る」と沈黙の重さを切り取った白居易

2016-12-17 22:56:39 | 日記
「沈黙の10分間」をめぐる期末課題で、ある女子学生が白居易の代表作「琵琶行」の一節を引用した。

別有幽愁暗恨生 別に幽愁(ゆうしゅう)と暗恨(あんこん)の生ずる有り、
此時無声勝有声 此の時 声無きは 声有るに勝る。

船上で琵琶の調べを聞いている。奏者は日の当たらぬ暮らしをしている年増の女だ。若いころは売れっ子の芸妓だったが、家が落ちぶれて商家にもらわれた。そろばん勘定の世界では、情緒にひたる時間もない。幾多の苦難を経てきたのだろう。月夜に照らされ、心中の叫びを吐き出すかのように音色が編み出される。「説き尽くす、心中無限の事」の境地である。自在にバチが弦の間を飛び交い、夕立の音かと思えば、うぐいすのさえずりが聞こえる。自然界の絵図が次々と描かれるように曲が流れていく。

そして泉水が凍り付いたかのように音がやむ。

「声なきは、声あるにまさる」

沈黙の静けさが、琵琶の音色を引き立てる。

東船西舫悄無言  東船(とうせん) 西舫(せいぼう) 悄(しょう)として言無く、
唯見江心秋月白  唯だ見る 江心に秋月の白きを。

東西に船の姿は消え、川の上に秋の月が白く浮かんでいるだけだ。月の薄明りが沈黙を照らしている。

ピカートが『沈黙の世界』で、ラジオの喧噪にあふれる現代社会が、言葉を支える沈黙を失っていると嘆く1世紀以上も前に、白居易がすでに静寂の重さを量っていたのは驚きである。

沈黙は絵画の余白にも似ている。雑音で埋め尽くされた生活から脱し、余白のある空間を描く。余白は沈黙同様、思考が無限に広がる宇宙である。無の中にこそ尽きることのない豊饒がある。

現代人は忙しすぎる。忙しさの意味もわからないまま、時間の奴隷と化している。沈黙を奪う喧噪と、余白を塗りつぶす疲弊によって、かごの中に捕らわれた鳥となっている。鳥かごの中の小鳥をながめながら、実は自分が檻に閉じ込められていることに気付いていない。

古人は船の舳先で羽を休める小鳥を置くとことで、人のいない静寂と伸びやかな自由をを描いた。そんな豊かさを取り戻す時間があってもいい。