行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

山登りをしながら学生たちと語り合った就職、結婚、人生・・・

2016-12-15 21:51:00 | 日記
担当クラスの女子学生4人に誘われ、今朝、6時から大学の裏にある山に登った。みな4年生で、選択科目が少ないため、平日でも時間がある。まだ真っ暗な朝6時にスタートし、昼食に戻ってくるまで約7時間、山道を歩き、途中でお茶をしながら語り合った。

山道の途中には個人の墓があり、寺があり、字を刻んだ奇石があり、単調ではない。日の出とともに眼下が開け、キャンパスや市街地が一望できる。幹線道路を挟んだ大学の向こうに、地表が大きくえぐられた一角を見つけた。学内にいて時々、激しく響く爆発音は、あの土地造成のために仕掛けられたダイナマイトだと合点がいった。静かなキャンパスにいると気付かない、町の変化を知ることができた。











さすがに女子なのでおしゃべりが途切れない。しばしば現代用語が飛び交い、私には理解不能な内容となる。お構いなしに話がどんどん弾んでいく。来夏に卒業を控え、最も気になるのは就職だ。1人は大学院への進学を決めている。その他は、メディア業界でジャーナリズムの理想を追い求めようとするもの、全く別のビジネスの道を進もうとするもの、さまざまだ。

学部では企業でのインターンが義務付けられているが、その間、給料をもらえない場合、大都市ならば家賃や食費は持ち出しとなる。実家には弟や妹がいるので、これ以上、親に負担をかけたくないと悩む。だがインターンをしなければ、就職の機会もない。ある学生は、同じ広東省の深圳の企業からオファーがあったが、給料が税引き前で5000元しかないので断ったという。家賃と食費だけで2000元以上はかかる。社会保険料もバカにならない。貯金をする余裕もない。

近くの日系企業でどこか手を差し伸べてくれるところはないかと考えるが、知り合いがいないのでどうしようもない。日系企業の多い上海はどうかと思うが、生活費が高いので勧められない。悩みを聞いてあげることしかできない外国人教師の情けなさを痛感する。途中の寺で焼香をし、彼女たちの明るい前途をお祈りするしかなかった。

ある学生が、金持ちの相手を見つけて結婚し、楽な暮らしをしたいと言うと、他の学生が一斉に「そんな計算づくの人生はごめんだ」と反論する。「でも金が金がなければ子どもをいい大学にも入れられない」と聞くと、「それもそうだけど・・・」と認めざるを得ない。厳しい現実を前に、みなが人生の価値観を模索している。学生たちは実によく教師、学校のことを見ている。良くも悪くも、驚くほど社会の仕組みに精通している。大学の授業が、少しでも彼女たちの健全な人生観を育つのに役立ってほしいと願う。



印象的だった言葉がある。大学院進学を決めた学生が、腕輪などに身につける「玉」の話をしてくれた。玉は人の幸運のカギを握っている。そしてまた、長く身につけていると、人の心や体の働きが玉に反映するようになる。体調が悪くなると、それが玉の色にも表れるのだという。それは「人养玉,玉养人(人は玉を育て、玉は人を育てる」と表現される。人は玉を大事にし、玉は親しむうちに人になじみ、持ち主を見守るようになるという意味だ。

ものをいつくしむ気持ち、見えない天の力を信じる心。それは信仰を生む精神の働きなのだろう。有意義な平日の山登りだった。







「日本はなぜみなが進んでごみ分別に協力するのか」という中国人学生の質問

2016-12-14 13:14:26 | 日記
先日、授業が終わると、2人の学生が寄ってきて、「これから学内のごみ分別宣伝コンテストの表彰式をやるので、是非、参加して欲しい」と誘われた。各大学生のイノベーション(創新)能力を高める国家プロジェクトがあり、その一環として、ごみ分別に使用する効果的なステッカーのデザインを募集した。優秀作には100元前後の賞金が贈られるが、その授与を行うのだという。私には出席と同時に、日本のごみ分別の経験を話してほしいとの要望も加わった。いつも前もって準備ができないものかと思うのだが、走りながら考える中国流のメリットでもあるので、顔を出すことにした。

日本と言えば、少子高齢化で社会の活力を欠いているという現実のほか、環境保護では先を歩んでいるとの認識が強い。

「授業中、先生が日本人だということに気付いたので、ごみ分別の会にはピッタリのゲストだと思いついたのです」

学生の話は正直だ。ごみの分別は生産者から消費者、収集からリサイクル処理まで一貫した工程が不可欠だ。学内のステッカーだけではどうにもならないが、少なくとも、学生の意識を高める効果はある。徐々に意識は高まっているが、社会のシステムが出来上がっていないため、なかなか根付かない。ただ地道な努力をしているうちに、突然、強制的な政策が打ち出され、一気呵成に実現していくのがこの国のやり方だ。この先、どう変わっていくのか目が離せない。

「日本はなぜみなが進んごみ分別に協力するのか」と問われた。日本も数十年前は、まとめて埋め立てていただけだ。埋め立て場所がなくなり、焼却施設の立地が困難になり、またオイルショックで資源の有効活用に目が向くようになって、ようやく行政と、企業、民間による取り組みが始まった。学校でも環境保護教育に力が入れられ、民間による資源回収運動も拡大した。多くの曲折を経、今なお模索の段階である。胸を張って話せるほどではない。困難な歩みを共有し、協力していくことが、地球規模の環境問題を解決するうえで意義を有する、と答えるしかない。

期末課題に「身近なニュースから社会、世界を語る」というテーマを与えた。最初に提出した女子学生の作品は「一握りの紙くず」だった。バスで見かけた光景を通じ、住民の環境意識を論じたものだ。

バスの走行中、乗客のある女性が一握りの紙くずを窓から放り投げた。乗り合わせた女子学生が、「これが汕頭(スワトウ)人か」とあきれながらも、無視して携帯をいじくり始めた。すると運転手が現地方言で叱り始めた。

「何やってるんだ!バスの中にごみ箱があるだろう。なぜそこに捨てないんだ。外に捨てるのはよくない!」

すると女性は、

「バスの中に捨てたんじゃない。窓の外に捨てたんだ。ごみ箱があるなんて知らなかった!」

2人のやり取りが終わると、バスの中は再び平静に戻った。そこで彼女は考えた。

「よく汕頭人の公衆マナーは悪いというけれど、私はなぜ、あの女性に注意をできなかったのか。私も汕頭人としてこの街を愛しているというのならば、見て見ぬふりをした私にも責任があるのではないか」

自分を反省すると同時に、彼女は法律やルールよりも、その根本にある道徳意識が重要だという認識にたどりつく。ごみのポイ捨てはいけない、ごみを分別しようといくら叫んでも、それを守ろうとする意識がなければ絵に描いた餅でしかない。彼女に言わせれば、「道徳は家で、道徳はそれを支える柱だ」という。いくら外観が立派な家を建てても、柱が細ければ、いつの日か家はつぶれてしまう。順法精神の欠如は、道徳観のマヒである。後者の方がより深刻だ、と彼女は書いた。

そして彼女はさらに論を進める。もし大人がごみをポイ捨てするのを子どもが見たら、全く白紙状態の子どもは、その行為が当たり前だと認識し、まねるだろう。だとすれば、社会の一人一人が模範を示し、子どもの白いキャンバスに美しい絵を描かなければならない。注意をせずに見過ごした自分は、大人の社会的な責任を果たしていないことになる。

若い目が育ってきている。それをどう育てていくか。環境先進国と仰がれる日本はきっと多くの協力ができるのではないか。

「日中関係悪化の責任はどちらにあるか?」という中国紙主催のシンポジウム

2016-12-12 22:36:10 | 日記
今日、北京にいる旧知の中国紙記者から携帯電話に連絡があり、是非、新聞社主催のシンポジウムに参加してほしいという依頼があった。籍を置く大学は外部への寄稿や講演を奨励しているので、ためらいもなく承諾し、シンポジウム担当者からの具体的な説明を待った。すぐに電話が来た。日中韓関係に関するテーマで、本来、中国人学者のみを予定していたが、日韓にも声をかけようということになったというだった。

そこまではよかった。テーマは何なのかと尋ねると、「日中韓、特に日中関係が緊張した責任はだれにあるのか」だという。「日本人だからといって日本の立場に立つ必要もなく、中国にいるからといって中国の味方をする必要もない」と補足までするので、私はその言葉をさえぎって、「だれのせいだということじゃなくて、現状の原因や背景を分析するのなら意味があるが・・・責任を言ったらみんなの責任としか言いようがない」と答えると、「では、だれの責任が重いのか、それを話してもらえればいい」と追っかけてくる。このままシンポジウムを開いても、どうみてもまともな議論にはならない。

私は試みに聞いてみた。
「日中関係というけれど、その定義は?」

相手は黙ってしまった。私は言葉を続けた。

「みんなは政府の関係や政治指導者の会談を念頭に置くかもしれないが、経済だって、文化芸術の民間交流だってある。私は大学で中国人学生と相対し、まさに日々、日中関係と直面している。私が描く日中関係というものは、もっと広い概念だ。わざわざ北京まで行って、そんな狭い話をするつもりはない。私はむしろ、メディアがそういう軽薄なテーマの会議を開くことには批判的な立場だ。メディアは政治とは距離を置くべきだ」

すると相手はむきになって、こう反論した。

「日中関係が悪いのは客観的な事実で、否定できない。その責任はだれにあるのかを探ろうというのがわれわれの考え方だ」

そこで尋ねてみる。

「日系企業が中国にどれだけあって、どれだけの従業員を雇用しているか知ってるか。上海にどれだけの日本料理屋、日本ブランド店があるか知ってるか。毎年どれだけの中国人が日本に旅行に行っているか知っているか」

すると反論がかえってくる。

「経済や文化はそうかも知れないが、日中関係が緊張しているのは否定できない。それは世界がみな認めることじゃないのか」

どうしても「緊張」していないと商売ができないらしい。こうなるともうお手上げだ。悪いのだとしたらどう改善するかを話し合うのが、メディアの社会的責任ではないのか。「だれが悪い」「いやあいつが悪い」と激論を交わし、テレビのトークショーのように刺激的な話題を作りたいのだろう。すでに上司が決めた方針だろうから、下の者はそれをおうむ返しのように繰り返すしかない。インターネットが話題性の高いニュース(中にはデマも多いのだが)でアクセス数を稼ぐものだから、新聞まで同じ浅薄な商業主義に染まっている。これは他国においても多少なりともみられるお粗末な現象だ。

私が「メディアはそういう無意味な論争をするのではなく、むしろ政治から距離を置き、冷静な分析や提言をすべきではないのか」と諭すと、相手の担当者は「少し上司と相談して返事をする」と電話を切った。断りのメッセージである。

果たしてどんなシンポジウムが行われ、それがどんな記事になるのか。想像がつくだけに、やるせない気持ちになる。メディアが取材ではなく、自らニュースを作ることをメディア・イベントと呼ぶ。これは典型である。メディアの権威は、こうした功利的な、商業主義丸出しの、公共性や公益性を全く考えない行為によってますます落ちていく。良心的な記者の勇気ある言動も、利得しか考えないこうした行為が帳消しにしてしまう。その罪は重いと言わざるを得ない。

最初に話を持ってきた知り合いの記者から、「ふさわしくないテーマで申し訳ない。いろいろな声を取り入れればよいのだが・・・」とお詫びのメールが送られてきたが、私は、担当者に伝わるように次のメッセージを返信した。

「だれの責任か。結局、それはメディアの責任じゃないのか」

この反省がないと、政治を変える力は生まれない。

静かな夜に懐かしい人を想う韋応物の詩

2016-12-10 02:07:31 | 日記
唐代、自然を詠んだ詩人4人を「王孟韋柳(おう・もう・い・りゅう)と呼ぶ、と知り合いに教えられた。盛唐の王維と孟浩然、そして中唐の韋応物と柳宗元の4人だ。韋応物は韋蘇州とも呼ばれる。

岩波文庫の『中国名詩選』には3首が収められている。夜の詩が際立つ。しんと静まり返った時間に、故郷や懐かしい人を想う。秋の夜、旧友に贈った詩がある。

懐君属秋夜 君を懐(おも)うて秋夜に属す、
散歩詠涼天 散歩しつつ涼天に詠す。
山空松子落 山空(むな)しうして松子(しょうし)落つ
幽人應未眠 幽人(ゆうじん) 応(まさ)に未だ眠らざるべし。

涼しい秋の夜に散歩をしていると、森閑とした山の中で、松かさの落ちる音がする。わずかな音が静寂を引き立てる。そして友もまた眠らずに、自分のことを想ってくれているのではないかと想像する。

韋応物を思い出したのは、知人が彼の詩「全椒の山中道士に寄せる」を送ってよこしたからだ。

今朝郡斎冷、忽念山中客。
澗底束荊薪、帰来煮白石。
欲持一瓢酒、遠慰風雨夕。
落葉満空山、何処尋行跡。

今朝の書斎は寒く、そのためか突然、山中に隠遁するあの人を想いだした。あなたはきっと谷川の底で薪を拾い、家に帰って粗末な食べ物を作るのでしょう。一升瓶を抱え、遠くで雨風をしのいでいるあなたを慰めに行きたいが、落ち葉が山道をふさいでしまい、どこを探せばよいのかわからなくなってしまった。

山中はいつも森閑としている。人は自然の中で、その恵みにのみ支えられて暮らしている。人は自然に生かされ、自然の一部となって溶け込み、その姿さえも隠れて見えないほどだ。だがいつの間にか人は山を捨て、自然からかけ離れた存在になってしまった。自然はともにあるのではなく、外にあって支配する対象となった。松かさの落ちる音も聞こえず、酒をぶら下げて歩く趣も失われた。

江戸時代の陽明学者、熊沢蕃山はこう言っている。

「万物一体とは、天地万物みな大虚の一気より生じたるものなるゆえに、仁者は一本一草をも、その時なく、その理なくては切らず候」

宋学が教える「天人合一」とはこのことであろう。




魯迅が語った、中国における沈黙の特別な意味

2016-12-08 23:37:36 | 日記
期末課題として示した「10分間の沈黙」に関する論考について、何人かの学生が作品を提出した。授業の冒頭10分間、私が予告なしに、言葉を発しない沈黙の時間を設けた。その時、学生たちが何を考え、何を感じたかを振り返ることによって、沈黙、そして言葉の重み、公共空間としての教室の意義、ステレオタイプに対する反省を考察をするという内容だ。

この試みをある知り合いの中国人文学者に伝えると、「中国人の思考方法において沈黙は様々な側面を持っている」といって、処世術としての「沈黙は金」と、もう一つ、意見を述べない「沈黙の大多数」、つまり「順民」になることの二つがあると教えてくれた。順民には古来、名利に惑わされず天命に従う達観の姿がある一方、近代以降の反植民地時代においては、他国の侵略にも抵抗せず、阿諛追従する怯懦への戒めも込められている。

文化大革命で迫害死に追い込まれた作家の老舍は『四世同堂』で「国が滅びても、頭を下げて歩く順民」とののしった。

物言わぬ順民の「沈黙」を攻撃した筆頭は魯迅だ。1926年、22歳にして軍閥政府の弾圧に倒れた女子学生、劉和珍に贈った一文「劉和珍君を記念する」にこう書いている。

「私は衰亡する民族の、黙して語らない理由を悟った。沈黙よ、沈黙よ!沈黙の中で爆発するのではなく、沈黙の中において滅亡するのだ」

沈黙する順民への痛烈な警句である。声を発しなければ滅亡する。激しい覚悟に支えられた言葉だ。だが特殊な時代の、特殊な国情における警句だろうか。そうではない。今の日本を見てみればわかる。平時の、事なかれ主義が蔓延する社会においてもまた、同じ真理は通用すると受け止めるべきだ。

魯迅はまた「沈黙」を用いて、全く別の批判を展開する。散文『半夏小集』の中で、フランスの文芸評論家、サント・ブーヴ著『我が毒』に、「ある人を軽蔑すると公言するのは、まだ十分に軽蔑していないのだ。沈黙こそ唯一至上 の軽蔑だ」とあるのを引用し、「最高の軽蔑は無言だ。しかも目の玉さえ動かさずに」と言い放つ。

怒りや反発、反感はまだ相手に感情を抱いている証拠だ。無視、無関心ほど相手を傷つける仕打ちはない。人は常に社会の中で生き、生かされているからだ。この沈黙が強いものに対しては最大級の抗議になるが、弱いものに対しては陰湿ないじめを生む。世の中ではしばしば抗議の手段としてではなく、弱い者いじめの道具として使われることが多い。

要するに沈黙を支えているものの正体が何かということなのだ。豊饒な言葉が控えているのか、燃えるような熱情がたぎっているか、それとも砂漠のような冷淡がよこたわっているのか、ということである。