期末課題として示した「10分間の沈黙」に関する論考について、何人かの学生が作品を提出した。授業の冒頭10分間、私が予告なしに、言葉を発しない沈黙の時間を設けた。その時、学生たちが何を考え、何を感じたかを振り返ることによって、沈黙、そして言葉の重み、公共空間としての教室の意義、ステレオタイプに対する反省を考察をするという内容だ。
この試みをある知り合いの中国人文学者に伝えると、「中国人の思考方法において沈黙は様々な側面を持っている」といって、処世術としての「沈黙は金」と、もう一つ、意見を述べない「沈黙の大多数」、つまり「順民」になることの二つがあると教えてくれた。順民には古来、名利に惑わされず天命に従う達観の姿がある一方、近代以降の反植民地時代においては、他国の侵略にも抵抗せず、阿諛追従する怯懦への戒めも込められている。
文化大革命で迫害死に追い込まれた作家の老舍は『四世同堂』で「国が滅びても、頭を下げて歩く順民」とののしった。
物言わぬ順民の「沈黙」を攻撃した筆頭は魯迅だ。1926年、22歳にして軍閥政府の弾圧に倒れた女子学生、劉和珍に贈った一文「劉和珍君を記念する」にこう書いている。
「私は衰亡する民族の、黙して語らない理由を悟った。沈黙よ、沈黙よ!沈黙の中で爆発するのではなく、沈黙の中において滅亡するのだ」
沈黙する順民への痛烈な警句である。声を発しなければ滅亡する。激しい覚悟に支えられた言葉だ。だが特殊な時代の、特殊な国情における警句だろうか。そうではない。今の日本を見てみればわかる。平時の、事なかれ主義が蔓延する社会においてもまた、同じ真理は通用すると受け止めるべきだ。
魯迅はまた「沈黙」を用いて、全く別の批判を展開する。散文『半夏小集』の中で、フランスの文芸評論家、サント・ブーヴ著『我が毒』に、「ある人を軽蔑すると公言するのは、まだ十分に軽蔑していないのだ。沈黙こそ唯一至上 の軽蔑だ」とあるのを引用し、「最高の軽蔑は無言だ。しかも目の玉さえ動かさずに」と言い放つ。
怒りや反発、反感はまだ相手に感情を抱いている証拠だ。無視、無関心ほど相手を傷つける仕打ちはない。人は常に社会の中で生き、生かされているからだ。この沈黙が強いものに対しては最大級の抗議になるが、弱いものに対しては陰湿ないじめを生む。世の中ではしばしば抗議の手段としてではなく、弱い者いじめの道具として使われることが多い。
要するに沈黙を支えているものの正体が何かということなのだ。豊饒な言葉が控えているのか、燃えるような熱情がたぎっているか、それとも砂漠のような冷淡がよこたわっているのか、ということである。
この試みをある知り合いの中国人文学者に伝えると、「中国人の思考方法において沈黙は様々な側面を持っている」といって、処世術としての「沈黙は金」と、もう一つ、意見を述べない「沈黙の大多数」、つまり「順民」になることの二つがあると教えてくれた。順民には古来、名利に惑わされず天命に従う達観の姿がある一方、近代以降の反植民地時代においては、他国の侵略にも抵抗せず、阿諛追従する怯懦への戒めも込められている。
文化大革命で迫害死に追い込まれた作家の老舍は『四世同堂』で「国が滅びても、頭を下げて歩く順民」とののしった。
物言わぬ順民の「沈黙」を攻撃した筆頭は魯迅だ。1926年、22歳にして軍閥政府の弾圧に倒れた女子学生、劉和珍に贈った一文「劉和珍君を記念する」にこう書いている。
「私は衰亡する民族の、黙して語らない理由を悟った。沈黙よ、沈黙よ!沈黙の中で爆発するのではなく、沈黙の中において滅亡するのだ」
沈黙する順民への痛烈な警句である。声を発しなければ滅亡する。激しい覚悟に支えられた言葉だ。だが特殊な時代の、特殊な国情における警句だろうか。そうではない。今の日本を見てみればわかる。平時の、事なかれ主義が蔓延する社会においてもまた、同じ真理は通用すると受け止めるべきだ。
魯迅はまた「沈黙」を用いて、全く別の批判を展開する。散文『半夏小集』の中で、フランスの文芸評論家、サント・ブーヴ著『我が毒』に、「ある人を軽蔑すると公言するのは、まだ十分に軽蔑していないのだ。沈黙こそ唯一至上 の軽蔑だ」とあるのを引用し、「最高の軽蔑は無言だ。しかも目の玉さえ動かさずに」と言い放つ。
怒りや反発、反感はまだ相手に感情を抱いている証拠だ。無視、無関心ほど相手を傷つける仕打ちはない。人は常に社会の中で生き、生かされているからだ。この沈黙が強いものに対しては最大級の抗議になるが、弱いものに対しては陰湿ないじめを生む。世の中ではしばしば抗議の手段としてではなく、弱い者いじめの道具として使われることが多い。
要するに沈黙を支えているものの正体が何かということなのだ。豊饒な言葉が控えているのか、燃えるような熱情がたぎっているか、それとも砂漠のような冷淡がよこたわっているのか、ということである。