行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

魯迅が語った、中国における沈黙の特別な意味

2016-12-08 23:37:36 | 日記
期末課題として示した「10分間の沈黙」に関する論考について、何人かの学生が作品を提出した。授業の冒頭10分間、私が予告なしに、言葉を発しない沈黙の時間を設けた。その時、学生たちが何を考え、何を感じたかを振り返ることによって、沈黙、そして言葉の重み、公共空間としての教室の意義、ステレオタイプに対する反省を考察をするという内容だ。

この試みをある知り合いの中国人文学者に伝えると、「中国人の思考方法において沈黙は様々な側面を持っている」といって、処世術としての「沈黙は金」と、もう一つ、意見を述べない「沈黙の大多数」、つまり「順民」になることの二つがあると教えてくれた。順民には古来、名利に惑わされず天命に従う達観の姿がある一方、近代以降の反植民地時代においては、他国の侵略にも抵抗せず、阿諛追従する怯懦への戒めも込められている。

文化大革命で迫害死に追い込まれた作家の老舍は『四世同堂』で「国が滅びても、頭を下げて歩く順民」とののしった。

物言わぬ順民の「沈黙」を攻撃した筆頭は魯迅だ。1926年、22歳にして軍閥政府の弾圧に倒れた女子学生、劉和珍に贈った一文「劉和珍君を記念する」にこう書いている。

「私は衰亡する民族の、黙して語らない理由を悟った。沈黙よ、沈黙よ!沈黙の中で爆発するのではなく、沈黙の中において滅亡するのだ」

沈黙する順民への痛烈な警句である。声を発しなければ滅亡する。激しい覚悟に支えられた言葉だ。だが特殊な時代の、特殊な国情における警句だろうか。そうではない。今の日本を見てみればわかる。平時の、事なかれ主義が蔓延する社会においてもまた、同じ真理は通用すると受け止めるべきだ。

魯迅はまた「沈黙」を用いて、全く別の批判を展開する。散文『半夏小集』の中で、フランスの文芸評論家、サント・ブーヴ著『我が毒』に、「ある人を軽蔑すると公言するのは、まだ十分に軽蔑していないのだ。沈黙こそ唯一至上 の軽蔑だ」とあるのを引用し、「最高の軽蔑は無言だ。しかも目の玉さえ動かさずに」と言い放つ。

怒りや反発、反感はまだ相手に感情を抱いている証拠だ。無視、無関心ほど相手を傷つける仕打ちはない。人は常に社会の中で生き、生かされているからだ。この沈黙が強いものに対しては最大級の抗議になるが、弱いものに対しては陰湿ないじめを生む。世の中ではしばしば抗議の手段としてではなく、弱い者いじめの道具として使われることが多い。

要するに沈黙を支えているものの正体が何かということなのだ。豊饒な言葉が控えているのか、燃えるような熱情がたぎっているか、それとも砂漠のような冷淡がよこたわっているのか、ということである。





中国の元スクープ記者が沈黙を破った異例の幹部批判

2016-12-08 14:18:52 | 日記
河北省石家荘の「聶樹斌事件」で、すでに死刑執行された青年に冤罪の判決が出たことは前回に触れた。2005年、「自分がやった」という“真犯人”が出現したことを河南省の地元紙『河南商報』がスクープし、再審に大きな弾みをつけた。だが、それから11年を要したのは、公安を牛耳っていた周永康・元党中央政法委書記の一派がもみ消しを図ったからだ。河北省の公安トップは周永康の腹心で元同省政法委書記の張越だった。

権力の無法な舞台裏については、記事をまとめた同紙元代理編集長の馬雲龍が6月15日、『財新ネット』の取材を受け暴露している。張越が摘発され、これまで沈黙を強いられていた人々が次々に口を開き始めたのだ。これから始まる責任追及にも大きな影響を与えることだろう。

インタビュー記事のタイトルは「聶樹斌事件 11年の多難な道 驚きの大転換」だ。スクープ記事の後、当時の河北省政法委書記、劉金国はすぐに関係部門の会議を開き、専門チームを発足させて迅速に調査を完了し、1か月後には記者会見を開くと決めた。だが馬雲龍は語る。

「予想もしなかったが、1か月後に結果を出すと約束した劉金国は、その1週間後、異動を命じられた」

馬雲龍はずっと「だれが彼を外したのか?」と自問を続けてきたが、「今なおこのなぞは解けていない」という。こうして1か月が過ぎ、1年が過ぎ、10年が過ぎていった。バックに大きな力が働いているのは紛れもない事実だった。

その後、馬雲龍は驚くべき事実を耳にする。すでに本件を自供をした真犯人の王書金に対し、河北省当局が供述を翻し、否認をするよう働きかけているというのだ。「彼らは王書金を殺そうとしている」とさえ、馬雲龍は心配した。冤罪を晴らすための報道は、権力との「闘争」だった。

「張越は、聶樹斌事件の重要証人である王書金を暗殺しようと決意し、二審の前に、彼を河北省のある秘密の監禁場所に連れて行き、拷問とリンチを加えた。王書金に拷問で罪を認めさせるのではなく、すでに認めている罪を否認するよう脅迫し、殴り、供述を翻すよう迫ったのだ」

張越の支配する河北省政法委は裁判のリハーサルまで行い、王書金を暴力で脅して虚偽の話をするよう仕向けた。だが、馬雲龍がブログで舞台裏を明かし、王書金が自供を覆す法廷劇はお流れになった。

この間、4月30日、中央テレビの人気番組『焦点訪談』は、河北省の意図を代弁するような番組を流し、中国政法大学教授の洪道徳は、聶樹斌事件は犯行の手口や過程や現場の状況が合致していると悪だくみの片棒を担いだ。まだまだ張越サイドの抵抗は続いていたのだ。

記者の執念が生んだスクープ記事、弁護士、メディア、学者ら心ある人々の支援、そして決定的な力を及ぼした反腐敗の政治力。司法の中から政治が実現されたのではなく、様々な個人の力と偶然が重なりあって実現したものである。馬雲龍はこう言葉を残している。

「司法が独立していないことが、冤罪や誤判を生む原因だ。中国の司法改革を進めなければ、冤罪はまだまだ起きる」