行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

最後の授業で感じた学生たちのまっすぐな視線に感謝!

2016-12-27 01:33:17 | 日記
今日は、担当クラスの一つが16週目、最後の授業だった。手探りで進めてきた授業が一区切りついた。期末論文の審査が残っているので完全に終わったわけではない。明後日にはもう一つのクラスの最終授業がある。だが、大きな肩の荷が下りたことは間違いない。

時には遅刻をし、眠たい目をこすりながら席に座っていた彼ら、彼女ら。始業前にきちんと決まった席に座る几帳面な女子。読んだばかりの本を手に、率先して無理難題を吹っかけてくる活発な男子。見た目はおとなしいが質問をすると立て板に水のように答えが返ってくる女子。共有のチャットで喜んで連絡係を引き受けてくれた女子・・・いろいろな顔を目の前にして、最後にあいさつをした。

「みんなに感謝することが五つあります。まず最初は、教師として初めてとなる私の授業をとってくれてありがとう(参加)。すべての授業を皆勤してくれた学生もたくさんいました。そして、みんなが真剣に答え、議論をしてくれたことで、こちらがたくさんの勉強をさせてもらいました。そのことにありがとう(啓発)。また、困難で混沌としたメディアの難しいテーマを扱いながら、常に前向きで、明るい将来の展望を語ってくれたみんなの熱意にありがとう(希望)。たくさんの元気をもらいました。中国語での授業、文章のやり取りは骨の折れることだったけれど、みんなは根気強く付き合ってくれた。だから苦しいとか、辛いとか思ったことはなく、いつも楽しかった。そのことにありがとう(快楽)。そして最後に、一歩一歩、みんなの反応を見ながら、主体性を引き出し、独自の、独立した思考を育てるように努めてきて、完璧ではないけれど、確かな手ごたえを感じさせてくれた。これからの授業に対する意欲を与えてくれた。何よりもそのことにありがとう(自信)」

最後に学生たちが、一緒に記念撮影を撮ろうと言ってくれた。メールで手紙を送ってきて、「外からの目を学べて収穫が大きかった。何度かずる休みをしたけれど、どうしても朝が弱くてしかたがなかった。本当にごめんなさい」と伝えた女子もいた。「自分を表現することに臆病になっていたけれど、逃げずに自分と向き合い、自らに問いかけることを教えてくれてありがとうございます」とチャットでメッセージをくれた男子もいた。今度ゆっくり単独で話を聞いてほしい、という女子もいた。次の学期の授業もとっているのでよろしく、と如才ない女子もいた。

これから点数をつけなければならないが、数字で格差をつけるのは気が引ける。みんながそれぞれに自分の頭で考え、引き出したものには等しい価値がある。90点台が続出しそうだが、偽りがないのだからしょうがない。上層部から〝甘い点数〟を問われたら、自信をもって「誇るべき若者たちへの激励だ」と答えることにしよう。出身地もばらばらで、家庭環境も様々で、そんなでこぼこの若い芽が、切磋琢磨し、時には衝突し、刺激しあい、分かり合い、将来への一歩を踏み出そうとしている。もらった自信を頼りに、ともに歩んでいこうと誓った。かけがえのない1日だった。