J OKAYAMA ~岡山スポーツの桃源郷へ

岡山トップスポーツファミリー(ファジアーノ等)、スポーツ文化情報リスペクトブログ(共同運営)。

友情寄稿13

2012-11-14 00:04:30 | 友情寄稿

 事例紹介コラムです。
 先日の清音で開催された傍士理事の講演会及び座談会に参加された高岡助協さんから、レポをいただきました。また、当ブログのレポとは視点が違い面白いと思います。謹んで紹介させていただきます。「twitterとfacebookで投稿した内容をふくらまし、再構成しました。文責を負いますので、twitterとfacebookのアドレスを載せていただいて結構です」という事です。
facebookアドレス:http://www.facebook.com/atsushi.takaoka.77
twitterアドレス:http://twitter.com/spcommunicate
以下、原文そのままです。
 
   
【きよねスポーツクラブ10周年座談会まとめ】twitter再構成
 2012年11月10日(土)、岡山県総社市清音のきよね夢てらすにて、きよねスポーツくらぶ10周年記念イベントが開催された。
 基調講演は、(財)日本経済研究所 地域未来研究センター長の傍士銑太氏による「清音の未来と原動力」と題して行われた。そして,「みんなの座談会」と題したきよねスポーツくらぶのこれまでの運営をふり返るシンポジウムが開催された。司会は大橋美勝氏(岡山大学名誉教授)、シンポジストは片岡聡一氏(総社市長)、越川茂樹氏(岡山県立大学准教授)、窪田禅氏(山陽新聞運動部副部長)、野上幸恵氏(岡山県体育協会)、高岡敦史(筆者・岡山大学助教)、傍士銑太氏、江口仁志氏(きよね夢てらす理事長)が登壇した。 

 講演会と座談会をふり返り、レポートしたい。
 到達点は「クラブづくりは人づくりを通したまちづくりである」ということだった。「人づくり」とは生活圏としての地域に誇りに感じ、地域意識の表現力があり、自らの手と頭で地域をより良くしたいと思える市民を育てるということだ。
 そういった市民性は、①シンボルとしてのクラブとクラブハウス、エンブレムの存在、②自らの手で創り上げたという体験の蓄積、③壮大な遊びとしてのクラブづくり・まちづくりの体験の蓄積という3つの要因によって育まれる。

 ①クラブとクラブハウスは、地域住民が「わが町」を再確認し、当該地域の市民であることを意識するシンボリックな「場」である。クラブや町を表すエンブレムは、地域住民が自らの地域意識を表現するための素材であり、同時に市民としての誇りを醸成してくれるものとなる。
 ②自らの手でクラブや地域を創り上げる体験と、③それらの体験を「壮大な遊び」として蓄積することは、市民性を育む重要な契機となる。これらの事柄は、座談会において筆者が主張したことなので、以下に詳説する。

 クラブづくりやまちづくりは、「できるかな?できないかな?」「うまくいった♪嬉しい♪」「失敗した~!次はどうやったらうまくいくかなぁ?」という没入体験(フロー体験)になることで「学び豊かな遊び体験」となり、初めて意味を持つ。しかし、クラブづくり・まちづくりを企画・運営することが目的化すると、地域住民を動員することになってしまう。クラブづくり・まちづくりを楽しい遊びの場と捉え直すことで、多くの仲間が集まり、没入的・体験的学びが広がり、結果として協働的ネットワークが生まれるのだ。
   
 クラブづくり・まちづくりを壮大な遊びと捉え直すということは、スポーツを含めた地域活動すべてを遊びと捉えることとリンクする。競技スポーツも、子どもたちのおにごっこも、大人たちの文化活動も、ママさんの子育ても、すべて楽しい遊びである。まちづくりも遊びだ。ひとつの施設の整備や運用に頭を悩ませ、指定管理者制度の導入をお金のやりくりとして捉え、ステークホルダーとの衝突(コンフリクト)に陥るのではなく、そこに暮らす人たちがいかに豊かに生きるか、というコミュニティ・デザインと捉えれば、夢に溢れるトピックになるはずだ。

 スポーツ施設の活用は、地域全体のスポーツ環境のデザインだ。橋のデザインが鉄骨構造の設計ではなく、向こう岸へ渡るコンテクストのデザインであるのと同様に、地域住民がどのようなスポーツ生活をおくるか、という生活のコンテクストのデザインなのだ。同様に、スポーツクラブの運営・組織化も、地域のスポーツ生活のコンテクストのデザインだ。ごく一部の専門家集団が企画したものが地域全体のコンテクストを生み出せるわけがない。多くの地域住民自身が楽しみながら協同的に考え合うからこそ、彼・彼女らの生活を変えることができる。

 これからの地域スポーツ振興とまちづくりは、地域住民が遊びとして没頭できる機会にならなくてはいけない。そういう場や機会は地域住民の遊び場なのだ。成功:失敗=50:50だから楽しい。誰かに用意されるのではなく、自分たちでつくり出すから楽しいのだ。
 クラブづくり・まちづくりを「遊び」と断じることは、それらに真剣に取り組む諸氏の反感を買う可能性があるし、誤解を生む可能性もある。しかし、官製の「総合型地域スポーツクラブ」言説が普及し、国家政策として市民が動員されつつある現状に対して、クラブづくり(豊かなスポーツライフづくり)とまちづくり(幸福なコミュニティづくり)を市民の手に返すために、耳障りの良くないコトバを用いるべきと判断した。

 人間は古来より「遊び」から文化を生み、育ててきた。近代化にともなって経済活動や社会活動の公式化が進展し、社会のあらゆる人間の営為は「遊び」から「仕事」へと変化した。それにともなって、制度や公式的組織が生み出されてきた。そして現代、公式化した社会に不適応な人は、「鬱」や「コミュニケーション不全」、「ニート」などと定義づけられ排除されつつある。

 ポスト近代に立つ私たちは、人間と社会のあり方の再考に迫られている。スポーツやコミュニティの公式化から脱却し、市民を育む空間を構成するために、学びと文化創出の契機としての「遊び」の復権を目指すべきではないだろうか。
 きよねスポーツくらぶが歩んできた10年と、それに先立つ旧清音村・江口猛村長の人づくりと村づくりの歴史は、今後の人間と社会のあり方を先取りして見せてくれている。きよねスポーツくらぶ10周年記念イベントは歴史から学ぶ素晴らしい機会になった。
文責:高岡敦史(岡山大学助教)

 今回は、講演会&座談会のレポでしたが、またの機会に先日の奉還町の「サポーター座談会」のレポもお願いしております。お楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする