迷建築「ノアの箱家」

ひょんなことからNOAに選ばれし者として迷建築「ノアの箱家」に住むことになったKOKKOの笑ってあきれる自宅建築奮戦記

セルフビルド考⑩(0円ハウス)

2010-10-30 07:26:23 | セルフビルド考

おっ、お~っ、やっと発見。

あの時の彼は「坂口恭平」君だったのか。

何年も前になる。朝日新聞の囲み記事に「大学の卒業制作で撮ったホームレスの家の写真ばかりを写真集にした人がいる」というのを読み、なかなか面白いお兄ぃさんだと思い、その写真集を買おうと思って記事を切り抜いたはいいが、未整理状態のたくさんの切り抜きの山に紛れ込んでしまって、彼の名前も本の名前もすっかり忘れ、買えずじまいになっていた。

 

たまたま昨日ネットを見ていたら、坂口恭平君の生い立ち記事が延々と書かれたサイトを発見。

めちゃくちゃ個性的!! 独創的で自由奔放。いいねぇ!

どんどん読み進んでいった。

建築学科に入ったのは、石山修武(ドリトル先生動物園倶楽部事務猫白足袋の飼い主君)設計の幻庵の写真に衝撃を受けたからというくだりでおや?と思って、またまたどんどん読み進んでいった。

坂口君は「都市の再生」という課題で他の学生が設計図らしきものを描いて提出している中、ただ一人ビルの屋上の廃貯水タンクに生活している自分の姿を映像化して提出し、石山氏に気に入られたというか、「それをみんなの前で発表せよ」とのお声がかかったそうである。

あっ! あの時の写真集のいきのいい主はこやつ、このお兄ぃに違いない!と直感。

早速“0円ハウス”をアマゾンで注文した。

 

しかし、石山氏は彼の映像を見てドキドキわくわくしたであろう。嬉しくなって興奮したのではないか。

教師は見込みのある生徒、何かをやらかしてくれそうな生徒との出会いを心待ちにしているものだから。

他の学生の提出したなまじ設計図に描ける程度のものは“再生”という言葉に相当しないちゃちなものだったのではないだろうか。その中で坂口君のはひときわ突出していたのではと推測する。

根底から家とその集合体である都市のあり方について身を持って問いかけたのだから、他の学生にとってもそれはそれは衝撃的だっただろう。ただ、最後まで消化し切れなかった学生もいたのではないか。

石山氏は、「これからは勉強など一切せず、お前の道を突っ走れ。」と彼に言ったというが、よい師でもあるナァ、イシヤマサンワとまたもや超絶美的魔女オバサンは感激してしまうのであった。

生徒の個性をどうやれば伸ばせるか生かせるかを見抜くのも教師の能力だ。坂口君には型にはめず勝手にとことんやらせた方がいいと判断したのだろう。

センスや自分の立ち位置というのは天性のもの、また自分で磨き自分で掴んでいくものである。人に教えられて身に付くものではないことを師匠の石山氏はよく知っており、自分のかつての姿を彼の中に見い出し、ときめいたかもしれない。少なくとも面白いと思い、はっぱをかけたくなったに違いない。

で、風来坊を延々とやり続ける彼を世田谷村に呼んでプノンペンでレンガ積み(ひろしまハウス)などさせてみたが、坂口君はその後も自由奔放に独自の道をスッタスタ。好き勝手にやり続 けた。石山氏に飲み込まれることは無かったようである、たぶん。

 

しかし、類は類を呼ぶ。この師弟関係は、ひょっとして共犯者に近いかも。

石山氏は、ホームレスの家を設計しようと考えていたことがあったのを「SELF BUILD」に書いている。

0円ハウスの防水シートの上から垂れている紐の先には水の入ったペットボトルが重しとしてぶら下がっているが、その様相など、今夏葛を誘引するのに石山氏がえいっとばかり投げ落とした世田谷村のペットボトルそのものじゃないか。

おまけに石山氏はガムテープで家具の修理をしたり、バス停のベンチで「ホームレスみたいだ、こんな姿は見られたくない」と言いながらも結局は平気で寿司を食ってしまうし、坂口君は坂口君で貯水タンクでホームレスをやっちゃうし、なんとまあ・・・とんでもない師弟達である。実にいい。

天下の早稲田だ、金字塔の頭脳達が最底辺と蔑まれがちなホームレスに通じることをしているのだから、そのこと自体がある種の人間にとっては“毒”となりうる。

“再生”なんて、奇麗ごとじゃできっこないってことを身を持って提起してくれてるんだな。

いいね、まっすぐで。

惚れこんじゃうね、度肝抜いてくれちゃう人間には。

またもやはまってしまいそう、“0円シリーズ”に。