迷建築「ノアの箱家」

ひょんなことからNOAに選ばれし者として迷建築「ノアの箱家」に住むことになったKOKKOの笑ってあきれる自宅建築奮戦記

ドリトル先生動物園倶楽部通信

2010-10-13 06:06:58 | 建築一般

ほんと、はちゃめちゃだね、この人。

石山修武なる白足袋の飼い主君が、とうとう事務作業を自分でやり出した。

ドリトル先生動物園倶楽部の2号通信が昨日届いたのだが、1号通信と比べると1号の方が出来がよい。つまり、飼い主よりも猫の方が編集デザイン能力が優れているということになる。白足袋は、会員からの郵便物を飼い主に代読させるなど事務猫としての心構えは今一の精進ぶりではあったが、センスだけは飼い主よりもいいもの持ってるナァと思うのである。

そのうち猫の下克上事件がおきて、飼い主君は世田谷村を放り出され、世田谷村は限界集落どころか化け猫屋敷になってしまうやも知れぬ。

いや、下克上なんてそんな恐ろしいことを白足袋はやるわけがない。何しろ、焼却炉送りから救出してくれた飼い主様だもんな。早く事務猫としての作法を覚えて、猫にだって恩返し出来るんだということを世に知らしめていただきたいものだなどという冗談はさておき、この2号通信は、誤字だらけ、おまけに上からくちゃくちゃ殴り書き修正したまんまにしてあるという、まあ、どえらい通信になってしまっている。何でも白足袋に事務猫としての作法を教えるために集中出来なくてそうなってしまったとのことだが。

いや、、本当は飼い主君は鼻歌まじりにニタニタしながら作業していたのだろう。そして、事務猫白足袋は、会長自ら事務作業をしているのも何処吹く風で寝そべりでもしていたに違いない、何て奴だ。

しかし、こういうことを軽くやってのけてしまえるところが、いいねえ!!

さぞや、ファンも多いことだろう、イシヤマサンワ。

発達心理学的見地からいうと、多分に“多動傾向”がある人物とお見受けしている。

脳内は常にあちこちせわしく動き回っているが、身体もあっちへ行ったりこっちへ行ったりと実によく動いている。おそらく、子ども時代は今よりもっと賑やかにちょこちょこ動き回っていたに違いない。

お歳の割りにエネルギッシュな人物なんである。

 

さて、通信に「考える人」(新潮社)に記載された白足袋の飼い主君の文章が同封されていた。

私のドリトル先生⑥ 題して「ドリトル先生動物園倶楽部」

そこに、ニコライという猫の出奔死のことが書かれていて、私が以前飼っていたチョビというトラ猫の出奔死のことを思い出した。

黒猫・トラ猫の二匹のメス猫(成猫)を飼っていたところに、チョビはやって来た。

雪の降る夜、どぶの中でにゃーにゃー鳴いていたのを見て、「二匹飼うのも三匹飼うのも、もう同じだ」と思って拾ってきたオスのトラ猫だ。

突然の闖入猫に雌猫たちは、フーッ、フーッとやっていたが、チョビの方は猫肌が恋しくて寄って行って甘えようとしては二匹の攻撃に遭っていた。それでも雌猫に寄って行きじゃれついている姿をみるといじらしかった。

3匹の猫たちは、私が帰宅すると門扉の開く音を聞きつけて玄関口で大中小きちんと横一列に並んで三つ指ついて迎えるということが習慣だった。(夫の帰宅時は何処吹く風の体をして寝ていた。)

チョビは日増しにでかくなり、雌猫たちの二倍ぐらいの体格の立派なトラ猫になった。

 

その猫たちが次々奇病に侵されていった。

時々狂ったようにそこらを走り回ったかと思うとでんぐり返りをし、瞳孔は開き、口から涎を垂らして恐ろしい声で鳴き声をたてて苦しむようになり、とうとう二匹の雌猫が死んでいった。

動物病院から「亡くなりました。」の電話が二度も入ると、さすがに精神的に堪えた。医者の方も申し訳なさそうだった。

二匹のメス猫は、吹田の片山公園の桜の木の下に埋めた。

坂口安吾だったか梶井基次郎だったかの「桜の木の下には死体が埋まっている」に因んでのことである。

桜となって蘇れ、そう思った。

三匹とも吹田の小儀動物病院で世話になったが、原因不明のまま。医者も困惑していた。

雌猫たちより発症が遅かったチョビは、皮膚を触ると体中ぷちぷちぷちぷち空気玉を押しつぶすような変な音もし始め、入院させた。数日後、小儀院長から「呼吸困難に陥りましたので、緊急に手術させていただきました。」と夜に電話があった。

チョビは気管切開手術を受け、喉からチューブを出して長い入院生活を送った。

病院のケージの中に横たわっている痛々しい姿を見て悲しかった。

だが、チョビは生き抜き、奇跡的に回復した。

「入院してから、対症療法しかしていなかったのですが、次第によくなっていきました。何が原因だったんですかね?ここ最近は全く症状がなくなりました」と院長。

今思うと、猫用の缶詰の中身が問題だったのではないかという気がする。

牛の内臓である。

だが、当時は原因不明の猫の死・病気として“事件”は終わった。

退院後も例の症状は消えたままだった。

餌を換えたのである。勿論、病院での餌も普段の餌とは違っていた。

チョビは元気な大柄の雄猫として元のように近所を徘徊するようになった。1~2週間の放浪後、早朝に哀れな声で庭のガラス戸の前で「入れてくれ~」と鳴く。戸を開けてやると怪我をしていることはしょっちゅうだった。テリトリー争いによる“大怪我→入院”を繰り返した。オス猫の喧嘩の凄まじさには驚くばかりだった。

 

ある日、チョビは放浪の旅ではなく本当に姿を消してしまった。

初めは「例によって、彼女を追いかけているんだろう」ぐらいに思っていたが、2週間を過ぎ3週間を過ぎても帰ってこない。いつもより放浪期間が長いので、不安になり近所中を探し回った。

やがて、近所の人から「これ、オタクの猫のとちがいますか?」

届けられた首輪には住所・電話番号・飼い主の名前・猫の名前が記載されていた。

その家の勝手口裏の通路に落ちていたという。

明らかに喧嘩による引きちぎれだった。

死んだことを直感した。

怖がってちっとも外に出て行こうとしなかった子猫時代を経て、病に打ち勝ち、恋に生き、自由を満喫して猫生をまっとうしたのであろうと思うと、悔いはなかった。

25年前のことである。

首輪と肖像写真は今も大事に飾っている。

 

あらら、本題に入る前に話が横道にそれてしまった。

マ、いいや、このまま記事終了といこう。