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消防人生(自分史) 20 平成24年(2012年)4月 新たに防災人生の始まり?

2012年03月31日 | 消防防災人生(自分史)

 平成24年3月末で消防人生は終わりましたが、4月以降、市から仕事をいただけることになりました。

 自由時間もほしいし…、仕事もしたいし…、自分のスキルを生かしたいし…

 

 単純、平日に自転車に乗りたい!

 

 結局、市役所の危機管理室で実施されている防災講習会(出前講座)を一手に引き受けることになりました。 

 しかし、初めての試み、現在のところ身分は不安定で、職業としては、自由業になってしまいました。

 市専属の防災講習会の講師という待遇なので、ある程度の融通とある程度の収入が見込めそうですが…

 

 あとは、今後、どのように展開していくか?

 

 私は、自分史のとおり、平成3年、4年と市地域防災計画の見直しを行い、平成19年、20年は市防災担当として新型インフルエンザ対策や危機管理室の設置に参画しました。

 このように消防職員ながら防災行政にも首を突っ込んできましたので、その結果がそのまま仕事として生かされそうです。

 

 本来、このカテゴリーは終わるつもりでしたが、消防人生から関連する防災人生にになりましたので、引き続き「消防人生(自分史)」を続けることにします。

 カテゴリーは「消防人生(自分史)」のままですけど・・・

 

 平成25年3月28日、カテゴリーに「防災」を加え「消防防災人生(自分史)」に変更しました!

 

 

  何か変化があればブログ記事にしたいと思います。

 

 

 


再開版 消防人生(自分史) 19 平成23年(2011年) 消防長3年、消防人生に幕・・・

2012年03月31日 | 消防防災人生(自分史)

平成23年4月 消防長3年目となりました!  

  消防職員定数131人から144人となる。(平成23年9月)

  彦根市人口112,082人(管内人口135,335人)

  第19代消防長 笠原恒夫  (平成21年4月~平成24年3月)



 平成23年4月の人事異動では、市長事務部局から次長級職員を出向していただき、次の布石とさせていただきました。

 そして、私自身の今年度の目標と言うか、戒めというか、自分に対するテーマを次のように定めました。

 

 「資質の高い消防職員を育成することは消防力の増強である」

 「しっかりした消防組織は、資質の高い消防職員によって運営されなければ、未来は暗澹たる状況になる」

 「まず、幹部職員の資質を高めていくことが重要である」  

 (以上「消防通信社」 社説 小倉与子雄氏より )

 

 考えてみれば、この3年間は、資質の高い消防職員の育成を目指して意識改革に取り組んできたように思います。

 しかし、意識改革ほどむずかしいことはありませんね…人は簡単には変わりません。

 

定数改正に至る経過!

 私の消防長としての最後の仕事は職員定数の改正、すなわち消防職員の増員です。

 就任当初からこれまで水面下で仕事をしてきました。まあ、色々やりました…

 消防職員の増員ができれば、それなりに大きな仕事ですから、思い残すことはありません。

 ナント言っても消防の管理者である市長から増員のOKをもらわなければ実現しません。

 また、単独市の消防機関の場合、消防職員の定数改正は、市職員の定数条例を改正しなければなりませんので、所管は総務部人事課で、消防本部でどうすることもできません。当然、条例ですから市議会の承認が必要です。

 6月市議会定例会に条例改正案を上程できるよう平成23年1月5日に文書(上申書)を市長に提出しました。

 その後、紆余曲折はありましたが、9月市議会定例会で条例改正案が議会で採決され、その結果、懸案であった増員が確定しました。

 その数は、救急隊1隊の増隊、救助要員の確保として、週休要員を含み13名の増員です!

 また、県の消防学校教官として、これまで職員1名を出向させていましたが、平成24年4月から一旦、他の消防本部に譲りましたので、この分と合わせると実質14名の増員ができたということになります。

 ところが、平成24年度から2年間、滋賀県防災危機管理局へ職員を当本部から派遣することになり、消防学校教官分の1名増員は、2年間お預けとなりました・・・

  なかなか人員確保はむずかしいですね…

 

後はよろしくお願いします!

 後になりましたが、非常備消防(消防団関係)についても、職員の皆さんの協力により、これまでの懸案事項が少し解消されました。

 10年来の消防団第9分団車庫と第8分団車庫の移転問題は、それぞれ移転新築で、その方向性が確定しました。

 すでに第9分団車庫は平成24年3月25日(日)に竣工式が行われ、退職直前に出席させていただきました。ありがとうございました。

 また、消防団員の年報酬も全体として2割UPすることができました。

 

 話は、常備消防(消防本部)に戻りますが、今後は、消防救急無線のデジタル化や救急隊の増隊をはじめ、まだまた取り組むべき業務も山積しています。

 

 

 しかし、やれやれ、私の仕事は、ここまで…

 次の時代を背負う職員の手で一つ一つ前進していくことを願っています。 

 

 38年間お世話になりました!

  職員の皆さんには、わがままでセッカチな私を支えていただき、ありがとうございました。

    

 消防長室には、3年間お世話になりました!

 

 

 これで私の38年間の消防人生を閉じます・・・・・・ 

 

 やっと、肩書きのない「普通のおじさん」になりました。

 ホットしています・・・やっと自由? 

 しかし、やりたいことは一杯あります。

 どこまでやれるか・・・

 まあ、人間、コロっと逝くかも知れませんので、こればかりはわかりません。 

 

 

 ナニはともあれ、このブログカテゴリーは完結しました。

 

 これからは自転車ブログを中心に、日々の生活ブログに変化していくと思います・・・・

 

 

 平成23年 5月 1日 危機管理主任4級 認定 

 

 

 


再開版 消防人生(自分史) 18 平成22年(2010年) 消防長2年!

2012年03月31日 | 消防防災人生(自分史)

 平成22年4月 消防長2年目!  

  消防職員数131人 彦根市人口111,607人(管内人口134,998人)

  第19代消防長 笠原恒夫  (平成21年4月~平成24年3月)



 平成21年4月、正念場となる消防長2年目に突入しました。

 

 これまで、3年前からくすぶっていた懸案事項、検証すると、見えてきました。なぜ、うまくいかなかったのか。

 どうも、組織が組織としてマネジメントされず、いい意味でも悪い意味でも一部の人で動いていたのです。

 これでは、組織として全体をまとめているとは言えません。

 

 私は、再度、その懸案事項をそれぞれの所属に返し、所属内で徹底した議論を行い、そ結果を求めました。

 時間はかかりしたが、その結果を見ると、何と、大きく修正した解決案が出たのではありませんか・・・・
 

 

 これで、しめたもの・・・・

 私は、組織全体の合意を形成するための働きかけをするだけで、大きく前進を見ました。

 時間はかかりましたが、これは組織全体で検討した結果であり、私はそのかじ取りをしただけです。
 

  

 消防の精神の源流は、「郷土愛」であり、「使命感」であり、命をかけて火に向かう猪突猛進的なイメージがあります。

 今の時代は「郷土愛」と言われても引いてしまい、「使命感」と言われても、それで生活が成り立つのか?と、どうやら大変な時代に向けて進んでいるように感じます。

  消防像!

  写真の「消防像」は、現在、京都市南区の消防活動総合センターに建立されているものですが、以前は、京都市伏見区の消防学校の玄関にありました。
 多くの小学校敷地内にある二宮金次郎の銅像的な、一つの「目的」を象徴するものでしょう。

 

 「意識改革」の話に入ります。

 昨年は、懸案事項の解消に向けて取り組んできましたが、同時に、これまで継続して職員の意識改革にも取り組んできました。

 しかしながら、「人間の意識」というものは、一朝で変わるものではありません。

 まして、組織としてこれまで活性化を図ってこなかった中で働いている職員は、そのまま漫然と働いている者、組織の批判や不平、不満をぶつける者はあっても、自らの意識を変えようとする者は少なく、意識改革の輪を広げる体質はなかなか変わりません。

 おそらく、私を含め、消防士になった時、火災や救助現場で一人でも多くの命を助けようと意欲に燃えていたと思います。

 「初心忘れるべからず」は有名な言葉ですが、「初心年とともに忘れる」も格言ではないかと思いす。

 基本的に人間は弱い動物ですから・・・・

 

 私の中では、今も途上であり、今後もあらゆる機会をとらえ、また、あの手この手で継続しなければならない終わりの見えない「意識改革」ですが、2年目に入り、懸案事項の解消を進める中で、最近、少しは効果が出始めているように感じます。

 

 すでに昨年から一部を実践してきましたが、平成22年4月以降、懸案事項の解消とともに職員の意識改革に向けて私が打った手は次のとおりです。

   1 組織の修正を行う。(組織を改革したと職員が認識できるような規程等の改正などの具体的な事実を示す) 

   2 人事異動により職員の適材適所の配置を図る。(人事異動は組織優先、人事とは何かを職員に見せる)

   3 毎月のトップによる訓示の内容を最終的に職員の意識改革につなげる内容とする。(趣旨一貫、趣旨貫徹)

   4 会議の名称の変更、会議のスタイルの変更など、組織を変えるというイメージを伝える。(職員に対して目に見えるものに)

   5 懸案事項の解消過程を全職員に伝達するため、所属長自らが組織の末端までの伝達できるようにする。(所属長は組織の要)

   6 トップ直接のメッセージを庁内LAN等で配信し、トップの考えを直接伝える。(一方通行だが節目には必要)

   7 最後は、とにかくコミュニケーションが必要。人間の前進はここから始まる。

 

 しかし・・・意識改革は、これで終わりにはなりません、これからも頑張ってくたさい。

 

 平成22年度において、これまでの懸案事項はほぼ解決か・・・・しかし、新たな懸案も浮上!

 


 「消防像」が教えてくれていることは、今も昔も変わらないと思います。今も「郷土愛」や「使命感」は必要です。

 ただ、社会が高度になり過ぎ、それに人間が追いついて行けない現実があり、社会そのものが複雑怪奇になってしまった結果、相手の立場を考えたり、協調したり協力したり、思いやったり、自分の住んでいる地域を好きになったり、なりたい職業を目指したりすることができなくなってしまったのではないでしょうか・・・・

 

 高度な社会に対応する努力も必要ですが、人間本来の意識を取り戻す必要があります。


 変化し過ぎた社会の中で、強いリーダーシップが発揮できない日本の首相は、誰が就任しても、可哀そうですね。

 

 では、もう一年、頑張ります・・・・ 終わりに近づいてきましたねぇ…
 
 

 


再開版 消防人生(自分史) 17  平成21年(2009年) 消防長就任!

2012年03月31日 | 消防防災人生(自分史)

 平成21年4月 第19代消防長に就任  消防長1年目!  

  消防職員数131人 彦根市人口111,728人(管内人口135,233人)

  第19代消防長 笠原恒夫  (平成21年4月~平成24年3月)


 平成21年4月、「消防長」いわゆる消防機関の長に就任しました。

 その時点から、さらに遡ること2年、組織内部で色々と問題があり、当時の副市長が、「長く総務課長をしていると、敵も多くなり、大変だから、一度、市役所で仕事しなさい」という一言で、2年間、消防本部から市へ出向し、市の防災担当をしていました。

 当時、あと3年で定年退職だし、市役所には、危機管理の専門官(危機管理監)を置く必要があって、私はその設置を自ら提案し、自らその席に座ろうと、いろいろと策略を巡らしていました。

 そして、市役所で定年を迎え、もう、消防の世界には戻らないと、ほぼ、私の策略は成功に近づいていました…

 

 ところが、天の声か?!、大どんでん返し。

 

 消防長として、また消防の世界に戻ることになってしまいました。(前回のあらすじ)

  私は実に自分勝手だったと・・・後で反省しました。


(ここから消防の世界)

 戻ってびっくり、平成20年11月には山岳救助の滑落事故で職員が死亡、その1週間後には救急搬送中の死亡事故も重なり、懸案事項も山積で組織はバラバラ、職員のモチベーションも最低ライン、市議会対応も後手後手で、ある意味、組織崩壊の危機でした。

 少なくとも、私はそう感じました。その後、私以外からも危機感が伝わってきました。

 もう「腹を括る」しかありません・・・

 

 人間、人生において、「腹を括る」ことが何回かあると思います。

 私は、現状を受け止め、ここで自分が責任をとる立場にあることを認識し、やれるだけのことれることはやると、決意しました。

 命までは取られないのだから、自分にできることを自分だけでやろうせす、協力を求めることは、立場を超えて心からお願いすることで通じると思いました。

 こう思えるようになった時が、実際に腹が括れた時です。



 世間では、もっと大きな問題に対して腹を括っている人もあるでしょう。

 

 

 こうして、消防長の仕事が始まりました・・・・・


  蘭の花のプレゼントが消防長室へ・・・

 平成21年4月初旬の話です。

 消防長就任の挨拶回りから帰庁したら、事務所でガヤガヤ「蘭の花がきた」と騒いでいました。

 写真は、その蘭の花です。二か月半ほど消防長室で大切にしていました。

 すっかり忘れてしまっていたのですが、この2年間は、市役所で防災担当をしていたので、飲み会は「居酒屋」さんばかり・・・(笑)

 二次会も行きませんでしたので、彦根市の歓楽街である袋町のスナックには縁がなかったのですが、消防の世界に帰ってみると、やはり、宴席は半端じゃありまん。
 

 蘭の花は、以前、二次会でよく使っていたスナックのママさんからの贈り物でした。
 

 少なくとも2年間は行っていなかったので、商売とはいえ、感謝するとともに、改めて、社会は色々とつながっていることを理解しました。

 

 私はまたこの世界で生きるのか・・・・・お酒で健康を害するかも?

 

 また、私を見ている人がいる、見られているから、やはり何事にも人として外れることはしてはいけないと再認識しました。
 

 さらに、自宅に帰ると、別のママさんから就任祝いとしてビールが届いていました。このママさんは現在77歳で現役。頑張っています。
 

 もちろん、消防団幹部のOBや以前上司だった元消防長等、たくさんの激励の手紙をいただき、その重責を改めて感じました。
 

 このように職種が違っても、人は見ています。

 つまり人は常に人を通して社会から見られているのです。

 見られているからやるのではなく、人としてどのように生きているか、が問題となるのでしょう・・・

 今の人格では消防長は務まらない・・・もっと人格を磨かないと!

 

 さて、消防長に就任し、何をすべきか。
 

 何しろ、組織はガタガタでしたから、まず、問題点の洗い出しですね。
 

 出てくる。出てくる。完成された組織の場合、その問題点を探すのは大変な作業ですが、問題が有りすぎると、返って楽ですね。

 まず、問題点を徹底的に検証すれば、何が問題なのか、見えてくるものです。

 私は、ハードを含む比較的簡単な事業を3つに絞り込みました。

 その上に問題となるのが、職員の意識を向上させなければならないという大きな命題も浮かんできました。

 まず、殉職者が出て山岳救助の問題、次に、水難救助の問題、そして、2年間放置されていた消防戦術の改革の問題でした。
 

 そこで、プロジェクトチームを3チーム作り、期限をつけて消防長に上申するよう命じました。

 5月に指示を出して、8月中にチームリーダーから報告書の提出を受け、9月の補正予算で措置するものや、直接、市長に談判し、10月には一定の方向性を決定することができました。

 

 さらに、職員の意識改革に取り組みました。
 

 これまで、連絡会議という名称だったものを所属長会議に変更し、私が自ら議題を設定し、これまで1時間で終わっていた会議が、余りに議題が多く、3時間になってしまいました。

 そして、平成21年度が終了し、概ね80パーセントの懸案事項が解消しました。と私は勝手に思っています。

 

 結論として言えることは、懸案事項を解消することは、意外に簡単であるということでした。


 それは、トップが危機意識を持ち、率先垂範の姿勢を持つこと。また、職員を信頼し、任せることはしっかり任せ、その結果を実現してあげることです。

 

 まだ、平成22年度には、残り20%の懸案事項が残っています。

 今、振り返ると、平成21年度は、昼休みを含め、休んだことはありませんでした。

 

 また、自慢話になってしまいましたが、人間、腹を括れば、何とかなると思いました。

 

 注) ここでお断りしておきます。私が市役所に出向したから組織が悪くなったと言っているように捉える方があると思います。言い訳をしますと、近年消防長の1年交代が続く人事背景や、これまでの組織体質の問題など、様々な要因が複雑に絡みあっていたもので、私自身も組織を悪くしていた一人だったと反省するところがあります。したがって特定の消防長さんの責任ではありませんし、返って殉職対応なと大変なご苦労をいただいたと思っています。


 

 

 やっと、平成22年度の話に入れそうです。…

 

平成21年11月 8日 第5回彦根城下町検定 合格 

 

 

 


再開版 消防人生(自分史) 16 平成20年(2008年) 危機管理室の設置に向けて!

2012年03月31日 | 消防防災人生(自分史)

 平成20年 新型インフルエンザ対策と危機管理室の設置

  消防職員数131人 彦根市人口111,297人(管内人口134,953人)

  第18代消防長 横井康素 氏(平成20年4月~平成21年3月)



 市長事務部局の総務部副参事(防災担当)に就任して2年目!


 昨年、私と入れ替わりに市役所から出向していただいていた消防本部次長が消防長に就任されました。

 

 この1年も山岳救助現場で職員の滑落事故や救急搬送中の死亡事故など、その対応に大変ご苦労をいただいたことと思います。

 振り返ると、これらも「組織」の膿を出さなければ目が覚めないという現象の一つではないかと思います。

 私は側面から協力しましたが、当時は、市役所の業務が主体です。

 

 幸いにして市長の危機管理意識が高く、市の危機管理に関し市長から呼び出しが・・・・・・・何回となく

 市長との話の中で、本市の新型インフルエンザ対策に取り組め!との指示。

 当時、鶏に起因する新型インフルエンザ対策が必要とされており、WHOの勧告にも拘わらず、日本においては自治体の取り組みは進んでいませんでした。

 さっそく行動計画の素案を策定し、市長とのキャッチボールの結果、平成20年11月に市の「新型インフルエンザ対策行動計画」第1版が完成しました。

 

 全国の市町村では何番目というほど早い方です!


 

 この行動計画は、県内の多くの自治体の参考となったようです。(また自慢してしまいました。)

 

 この他にも、防災行政無線の導入、気象庁地震速報の導入、市幹部に対する防災教育の実施、新型インフルエンザ対策備蓄品の大量購入など、国の経済対策も活用して平成21年度補正予算と平成22年度予算に組み入れていただきました。

 一方、私は、もう消防には戻らず、市の防災・危機管理体制を強化し、総務課から独立した「危機管理室」を設け、部長級の「危機管理監」を配置して、その第1号に私が座るという個人的秘密の計画を企てていました。

 「消防人生(自分史)1 プロローグ 参照」

 

 危機管理体制としては、せめて県内草津市と同レベルの組織が必要です・・・

 平成20年度の後半は「危機管理室」の組織図案を示して市幹部と折衝しました。

 

 その結果、職員の人事交流も含め、概ね了解を得ることができました。

 

 しかし、ここから、また、大逆転!

 忘れもしない平成21年3月6日、副市長から呼び出され、計画変更、私は消防に帰るよう命令されました。

 (あいつの言うことばかり聞けないということでしょうか?)



 退職まであと3年、私は危機管理監として2年だけ頑張り、1年早く希望退職するつもりでしたが・・・

 えーい、ここで開き直り!

 約3週間、消防本部の人事を集中して考えることになりました。

 もちろん、新設の危機管理室の機構改革も同時進行です。

 

 もうやるしかないですね!


 そして私は消防長に・・・・・・・・・・・・

 新型インフルエンザは、なんと、私が消防長に就任してから、本当にメキシコで発生し、国内に感染が拡大していきました・・・・・・・

 

 大きな被害がなく、今ではホットしています。

 

 

 平成20年 3月23日 個人情報保護士 合格

 


再開版 消防人生(自分史) 15 平成19年(2007年) 2度目の市長事務部局への出向!

2012年03月31日 | 消防防災人生(自分史)

 平成19年  2回目の市長事務部局への出向  市の「防災担当」!  

  消防職員数131人 彦根市人口111,031人(管内人口134,879人)

  第17代消防長 小倉伸夫 氏(平成19年4月~平成20年3月)

 

 
 前任の消防長が早期に退職された関係で、消防署長(定年退職まで1年の人です。)が消防長に就任されました。

 

 逆に私は、市役所へ2回目の出向です。(左遷ですかねぇ)

 

 職務は市の「防災担当」で、役職名は総務部「副参事」です・・・

 当時の市の危機管理体制は、総務部総務課の傘下に「防災・危機管理係」として専従職員が2人だけのお粗末な組織でした。



 市の防災業務を担当するのは15年振り、初めてではないので、あまり心配はしていませんでした。(楽天家?)

 当時、一緒に仕事をした市職員も総務課の係長になっていて、違和感なく溶け込めました。

 

 さっそく神戸市の「人と防災未来センター」(「人防」と呼ばれています。)に1週間、防災専門研修「エキスパートコース」に研修出張させていただきました。

 ここで学んだ災害対策本部の演習や防災クイズなどは、帰ってから市の幹部を集め防災研修を行いました。

 これまで、このような研修は行われていなかったようです。

 また、地域防災計画の定期的な見直しではなく、具体的に動ける組織にするよう一部改正も行いました。

 就任当時、とにかく毎日、毎日、書類の整理です。

 

 防災業務が総務課の仕事の一部でしかないので、まずは何から手をつけるか、広く業務を知るため、手っ取り早いのは、書類の整理でしょう(この方法は、全体が早くつかめます)

 私は、文書など整理して必要なものは残し、あとはスッキリ捨てるものだと思っています。

 

 それと、今後のプレゼンを考えて、これまでやったことのなかった「パワーポイント」に挑戦しました。

 注) 今では、プレゼンだけでなく出前講座、講演にパワーポイントは当たり前になっていますね。 

 

 何しろ、ある意味、単独の部署ですし、市長とも直接話ができるので、好きなようやろうと決めました。



 それから3か月・・・・

 なんと、防災対策の不備、危機管理意識の低さ・・・・・

 私は一年目から飛ばしました。

 

 後半は、市長との話の中で、本市の新型インフルエンザ対策に取り組め!との指示を受けることになってしまいますが・・・・

 

 直接、市長からのお呼び出しが多くなっていきました(笑)

 

 このように市長と話す機会が多くなったことは、私が消防本部に帰るにあたりプラスになったことですが…

 この時は、そんなことは考えていません。

 

 

 


再開版 消防人生(自分史) 14 平成17年(2005年) 消防本部次長(消防総務課長兼務)の2年!

2012年03月31日 | 消防防災人生(自分史)

 平成17年 消防本部次長兼ねて消防総務課長 激動の2年!

  消防職員数131人 彦根市人口109,806人(管内人口134,072人)

  第16代消防長 疋田正則 氏(平成16年4月~平成19年3月)



 この年、すでに消防総務課長を4年、誰か私の代わりはいないのか、そのまま課長を兼務して消防本部の次長に就任しました。


 多分、全国各地で多くの消防本部が抱えている人材不足によるものでしょうか…

 消防総務課は、都合10年(課長補佐4年、課長4年、次長兼務課長2年)在籍することになってしまいました。、

 

 当時、疋田消防長と私の考え方はほぼ同じ方向でした。

 トップとの意思疎通は良かったのですが、同じ考え方の人間では双方に成長しませんね・・・ 
 

 今、振り返りますと、この2年間は、組織内部の膿(うみ)が出た2年でした。

 

 今になって俯瞰すると、組織は、このような変遷を経て成長していくのだと思います。


 消防総務課長時代の後半2年は、私の対応のまずさで消防長にも随分迷惑をかけてしまいました。

 逆に、このことで多くの事を学んだことも事実です。

 

 結局、疋田消防長は、本来、定年まで6年あるのに3年を残して退職されました・・・

 

 理由は答えてもらえず、モンモンとしています。


 

 私は、次長2年で市役所へ・・・2回目の出向となりました。

 



 

 平成17年12月20日 法学検定3級(一般コース) 合格

 平成18年 8月24日 日本防災士機構 防災士 認定

 平成18年12月19日 法学検定3級(企業コース) 合格 


再開版 消防人生(自分史) 13 平成14年(2002年) 消防総務課長時代は色々ありましたⅡ!

2012年03月31日 | 消防防災人生(自分史)

 平成14年 消防長を市役所から迎えることに

  消防職員数131人  彦根市人口108,660人(管内人口133,016人)

  第15代消防長 西村俊明 氏(平成14年3月~平成16年3月)

 


 久しぶりに市役所から消防長を迎えました。

 いくら市役所の部長級でも、消防の世界はズブの素人です。

 まず消防を知っていただき、消防本部のために働いていただかなければなりません。

 西村消防長は前任の消防長とよく似て温厚な人で、消防団とも摩擦なく約2年の任務を終えられ、無事、消防長で定年退職を迎えられました。



 お酒は強くはなかったので、飲むとすぐに寝てしまう人でした・・・・・・

 

 退職から5年、残念ながら突然の心臓発作で亡くなられてしまいました。

 

 人生はわからないものですね。

 そのまま市役所で定年退職されていたら、その後の人生も変わっていたのかも知れません?


 私のように胃がんになっても復活する人間もいるわけですから・・・・・

 人間の寿命はわかりませんけれど

 

 消防総務課長となって何をしたのか?

 振り返っても、これと言ったものが出てきません。

 ただ、毎日、問題解決をしていたら年月が経過したという感じです・・・・

 
 

 特に平成16年から俗に言う「不祥事」が続きました。

 「組織」は生き物です。

 発展期、衰退期、動乱期、低迷期など様々なバイオリズムが重なり合って動いています。

 

 今思うと、その時期が「組織」の膿を出す時期であったのかも知れません。

 平成の時代に入ってから、「パワハラ」ではないか?と思われる要因によって若手職員の退職が続きました。

 今、振り返ってみると、これらの問題は、本来、いつ表に出てもおかしくない実態が潜んでいたのでしょうね。 
 

 

 この時期、管理職の中途退職も続きました・・・

 管理職が退職に至った明確な理由の裏付けはありませんが、私は本部と現場の軋轢や、上司と部下の関係を超えた「パワハラ」(年齢差による部下からのパワハラを含む。)がその要因の一部に存在していたと思っています。

 今、振り返ってみると、消防総務課長時代の前半は、まだ私自身が社会を見ているようで、見えていない状態で仕事をしいたように思います。

 

 人間、一生勉強、できれば一生青春でいたいですね。(「あいだみつを」さんの言葉の引用です。)

 

 ほんと、この時期の生々しい事案をブログにしたいところですが、やめます・・・・

 

 すべて - カット -

 

 

 

 次にいきます!

 

 

平成15年 9月 1日 法学検定4級 合格

平成15年 9月 1日 法学検定3級(民事訴訟コース) 合格

平成16年12月20日 法学検定3級(企業コース) 合格

 

 


再開版 消防人生(自分史) 12 平成13年(2001年) 消防総務課長時代は色々ありました! 

2012年03月31日 | 消防防災人生(自分史)

 平成13年 長過ぎた 消防総務課長時代のはじまり

  消防職員数131人  彦根市人口103,381人(管内人口132,693人)

  第14代消防長 柴田一海 氏(平成13年4月~平成14年2月)

 

 2001年、新しい世紀に入り、9月11日には、いきなり米国同時多発テロが発生しました!


 この年、消防総務課長に任命されました。

 消防の世界では最右翼の課長という位置づけです。

 

 一年目、いきなり消防長が就任直後から病気になられ、治療も甲斐なく、復帰は困難で、8月からはすべての消防長用務を次長が代理するという事態となりました。

 

 本人から2月末で退職の申し出があり、せめて3月末で退職されてはと慰留しましたが・・

 2月末で退職、翌3月に亡くなられました。

 

 消防長の退職が決まってから、後任の消防長を誰にするか、市長事務部局と何回も調整し、結果、市役所から消防長を受け入れることになりました。

 
 亡くなられた柴田消防長は、私が消防の世界に入った時、直属の上司(分隊長)でした。

 温厚でよく気がつく人です。

 若い時、よく面倒をみていただきました。

 今更ながら、人間の命のはかなさ、無情を感じます・・・

 

 一方、「組織」とは、トップが欠けても、その「組織」がなくなってしまうことはありません。

 「私がいなければ組織が潰れる!」と思っているのは自分だけで、「組織」は動いていきます。

 人間、そう思いたいものですが・・・・・・・・・・・

 ただ組織が発展するか衰退するかは別問題です。



 その「組織」を愛し、「組織」を構成する人が自らが人格を高め、これらの人が「組織」のレベルを向上させ、問題解決に取り組めれば、「組織」の総合力が高まり、発展するでしょう。

 その推進役として、トップの人間の役割は大きいものがあります。

 

 結局、私の消防総務課長は次長兼務を含め6年間も務めました。

 自分でも長過ぎたと反省しています・・・

 

 この時期、余りにも多くの出来事があり、申し訳ありませんが、内容は省略させていただきます。

 

 
   - カット -

 

 

 さて、次の消防長は久しぶりに市役所から来ていただきます・・・・・

 


再開版 消防人生(自分史) 11 平成11年(1999年) 現場の責任者 消防署副署長!

2012年03月31日 | 消防防災人生(自分史)

 平成11年 副署長 大規模工場の特別査察を実施!

  消防職員数131人 彦根市人口106,719人(管内人口131,396人)

  第13代消防長 加藤甚三 氏(平成11年4月~平成13年3月)



 この年、「消防司令長」に昇格し、副署長となりました。

 市役所でいえば課長級です。

 当時、消防署長は消防本部次長が兼務していましたので、副署長という立場は、実質的に消防署の100人の責任者ということになります。

 仕事は部下がやってくれるので、総括的な立場です。



 さっそく、気になったのが、出火危険の大きい大規模工場です。

 

 調べてみると静電気火災の危険性が高い工場が見つかりました。

 以前にも火災が発生したB○○彦根工場とS○○彦根工場です。

 

 まずは偵察、部下とあらかじめ打ち合わせ、特別講演を設定し、その後、特別査察をするという仕組みです。

 

 B○○彦根工場は世界規模の工場です。

 当時、1か月くらいかかって担当職員が査察を行いました。

 その結果、分厚い改善通知書を工場長に手渡すことになり、防災に対して目を向けていただいたと思っています。

 

 なんと! 

 それから僅か2年後、栃木県でB○○黒○工場から出火、大惨事が発生しました!損害額は何十億円でしょう。


 その後

 改善通知書を工場長に手渡してから10年が経過・・・

 平成21年、消防長に就任してからのこと、B○○彦根工場からの申し出によって防災モニュメントの除幕式に招かれ、講演をすることになりました。

 当日、工場長から「もしも特別査察がなかったら、明日は彦根工場だったかも知れません」と感謝され、私の独断先行の性格も役に立ったと、また鼻が長くなってしまいました・・・・・・

 
 この頃から私も考える時間が多くなってきました。

 いままでは考える前に動いていましたが・・・・・(笑)

 


 退職まであと10年。。。今から何がやれるか?簡単になれない職業は?

 。。。私は、司法書士試験を受けようと思いました。
 

 まずは民法から、関係法令をその後も5年間ほど勉強しましたが、自分の実力を自覚し、結局、モノになりませんでした。

 その間で、法学検定試験を5回ほど受けましたので、自分なりに納得しています・・・

 

 このようにして副署長は2年で終わり、長い総務課長としての仕事が待っていました・・・・・・
 

 


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