蟹・道楽日記

まこヲタ蟹の右往左往を綴る日記

2002年 ③

2005-12-08 02:15:57 | 過去記録
8/25(日) 長野 エムウェーブ

この長野公演も、「遠征をしよう」と思っての遠征ではない。
FCチケの枠を埋めるのに、「とりあえず近そうなところ」で選んだ会場だ。
参加したのは夜公演だけである。そのためだけに新幹線で出かけたのだから
贅沢な話だ。今なら昼チケも入手して昼夜見たであろう。

長野駅につくと、ちょうど昼公演が終わったところで、シャトルバスで客が続々と
長野駅に帰ってくる。駅前の広場や駅通路を娘。のグッズ袋を持ったヲタや家族
連れが行き来し、「今日モー娘。コンサートやってますよ!」というムードに包まれる。
この時代ならではの光景だった。

エムウェーブはオリンピックのスケートの会場だった。今はコンクリートも寒々しい
巨大なハコである。屋根があるのがありがたい。席は前から5列目くらいと、
良かったのだが、右端のほうだったのでステージは遠かった。
この公演、まこは左寄りが多かったので、右側にいると寂しい思いをする。
この公演に限らず、2004年以前はまこはほとんど端っこ担当だったのだ。
ちなみにこの日、まこうちわを持っている人は2人しか見かけなかった。
前回の長岡から激減である。

帰りの足が心配だったので、アンコールの「でっかい」の途中で退場。
新幹線のホームにつくと、ヲタがウロウロしてる。娘。が乗るのでは?と探して
いるのだ。結局娘。の姿は見えずに発車。

ところが隣の上田駅から乗ってきたらしい。トイレに行った時、娘。いる車両の
様子を伺おうとするヲタの姿を目撃。
東京駅につくと、娘。車両の出入り口には黒服がずらりと並んで壁を作っていた。
「娘。の移動って大変なんだなぁ」と感心した。娘。と同じ乗り物に乗るのは
このときが始めて。


9/21(土) 神奈川 横浜アリーナ
9/22(日) 神奈川 横浜アリーナ
9/23(祝) 神奈川 横浜アリーナ

今思うと、後藤卒業の横アリって、3日間もやっていたんだね。
しかしまあ、印象に残っているのは最後の「本番」ということになる。

この最終公演だけはセンターの前から14列という、当時としてはかなりの
良席がきた。ヤフオクの相場を見たら同じ列で16万程の値がついていた。

さて、タンポポ祭である。
成功するかどうかは半信半疑だったので、一応高輝度ではないものの
黄色のサイリウムを用意しておいた。
黄色の紙を配布していたヲタもいたが、係員に回収させられていた。

タンポポの出番が来て黄色サイを折る。後ろを振り向いた。
まっ黄色である。「おおおおお」というどよめきが広がる。
多くの人は客席側からステージに向かって黄色のたんぽぽ畑を見たのだろうが、
ステージに近い席から客席に向かって眺めた時の、この黄色の海は大迫力で
視界いっぱいに広がっていたのだ。

タンポポの4人が手を繋いで出てくる。彼女達が客席を向いた瞬間、
あっ!
という小さな驚きの声が聞こえた。
梨華ちゃん、加護ちゃんが泣きじゃくり始める。
飯田さんの、「タンポポが一杯だよー」という歴史的な名言が発せられ、
この祭は大成功に終わった。
この後、娘。もヲタも異常なテンションとなったように思える。
一気に最後まで突っ走り、そして中澤卒業以来、つまりまこにとって始めての
卒業セレモニーが始まった。
メンバーが一人一人、後藤に挨拶をする。
まこの番がきた。
何を言うのか?と思っていたら、泣きながら
∬∬´◇`)<ピヨピヨ
というだけである。

本当に、「ピヨピヨ」としか聞えなかったのだ。そのことをヒバスレに報告したことで、
その後「ピヨまこ」という言葉が生まれたりした。

コンサートが終わっても、「ごーちん!ごーちん!」のコールは延々と続いた。
こんなに長くコールが続いた卒コンはその後見ることが出来なかった。

2002年 ②

2005-12-08 01:30:09 | 過去記録
モーニング娘。CONCERT 2002夏 ~LOVE IS ALIVE~
8/04(日) 新潟 長岡・国営越後丘陵公園

まこの初めての凱旋コンだというのに、FCはCブロックなどというふざけた
チケットを送ってきた。仕方ないのでAブロックのチケを買い直す羽目になった。
後におとめコン新潟でも同じ目に会うことになる。
初の遠征となったわけだが、新潟は地元だしこの時期やたらと車で往復
していたので特別な所へ行くという感じはしない。

諸々の準備を整えていた時、予想だにしない7.31事変が起きる。
大混乱に陥ったヲタに追い討ちをかけるANNでの矢口号泣。
その矢口が前日の広島公演で倒れ、救急車で運ばれたという悲報が
伝えられる。ネットも現場も騒然としている状況で、まこ凱旋ムードは
全く消え失せてしまった。

ともあれ早朝の関越道をひた走り、長岡市へ。
国営越後丘陵公園には結構な規模の駐車場があるのだがこの日は閉鎖され、
観客は数キロはなれた日赤病院隣の臨時駐車場を使用する。
この駐車場とJR長岡駅から、越後交通のシャトルバスが出ているのだ。

会場に入ると、広い綺麗な芝の広場に巨大なステージセットが組まれている。
荷台に大型モニターを据えつけたトラックがステージ両サイドに置かれている。
野外ステージは初めてだ。
青い空に白い雲。アイスクリームなどを買って暑さをしのいでいると、
こういう野外コンサートもいいかなと思えてくる。
客席後方は傾斜地となっていてステージは見えるのだが、距離はかなり遠い。
そんな状態でもお客さんは沢山入っていた。

グッズ売り場で、まこうちわを買う。この時のまこうちわは、歴代の中でも傑作の
1つだろう。ツアーパンフのまこも異常に可愛く映っている。
この日の公演は初日ではなく、すでにパンフの画像などはネットに流れていると
思っていたが、そうではなかった。
この日俺が帰宅して、夜中にちょこっとうpした画像が、意外にも初めて流れた
画像だったようだ。結構有名なサイトでも俺がうpったまこ画像が転載されていて
驚いた。だったらもっとちゃんとキャプしたのに。

さて、この会場で初めて自分以外でまこうちわを持っている人を見たw
結構沢山いて嬉しかった。「ああ、やっぱり凱旋なんだなぁ」と、少し明るい気分に。
また、明らかにまこの友人や親類の方と思われる方々も来ておられた。
俺の近くにも老夫婦がいて、「誰だろう」と思っていた。この日は分らなかったが、
その後、新潟の公演で何度もお見かけする事になるまこのおじいさん、
おばあさんであった。その二人と挨拶している若い女の子たちがいたが、
まこの友人か親類かもしれなかった。

コンサートが始まった。
野外、そしてまだ日が高いため、会場が暗転するわけではない。
明るいステージでライトがチカチカしてるだけで、ロックのイベントのようだ。
昨日倒れたという矢口も普通に参加している。
ただし「アイ~ン!ダンスの唄 」は省略されていた。
最初のMCで、「地元新潟県出身の小川麻琴です!」と挨拶。
凱旋のセレモニーはそれだけであった。
7.31についてのコメントはほとんどなく、メンバーも余計なことは喋らないぞ、
という雰囲気で、コンサートはあっという間に終わってしまった。
夏の野外コンのセットリストは短いということを始めて知った。
春のSSAが長かったから、かなり違和感があった。
セットリスト的にも、炎天下で「王子様と雪の夜」とか、ピンと来ない曲も多く、
スタッフが投げやりになってるのか?と疑いたくなってしまった。

コンサートが終わるとあいにく雨が降ってきた。
規制退場なので黙って濡れるしかない。新潟のローカル番組で活躍する
堀アナウンサーがステージで退場の仕切りをする。
それだけのために、堀アナが呼ばれたとはおどろきである。

老夫婦はタオルで雨をしのいでいたが、係員がやってきて誘導されていった。
まこの友人らしい女の子たちはじっと静かに待っている。
それにひきかえ、ヲタの見苦しいことと言ったらない。
ステージに近いAブロックは最後の退場と説明されると、大ブーイングである。
ステージの堀アナウンサーや係員に向かって、「早く出せよゴルァ!」と
罵声を浴びせつづける。ゴミも散らかし放題で、まったく酷い連中だ。
まこの関係者たちに彼らの態度がどう見えてるのかを考えるとやりきれない思いだ。
俺もヲタである異常、彼らと同類とみなされているわけで・・・・

ようやく会場から出ると、シャトルバス自体は極めてスムーズに運行されており、
あっという間に臨時駐車場まで帰り着くことが出来た。数ヶ月前のW杯のおかげで
新潟はこういうバスの運用に慣れているのだ。

帰途の車でラジオをつけると、中澤裕子のANNがはじまる。
木曜のANNで矢口号泣についての投降が紹介され、今回の騒動について
語り始める中澤だったが、「みっちゃん・・・・・・」と言ったまま絶句してしまった。

ハロプロメンバーもヲタも、まだ現実として受け止めることが出来ない深い悲しみと
怒りに打ちひしがれているようだった。
こうして人知れず麻琴の初凱旋公演は幕を閉じた。