8/25(日) 長野 エムウェーブ
この長野公演も、「遠征をしよう」と思っての遠征ではない。
FCチケの枠を埋めるのに、「とりあえず近そうなところ」で選んだ会場だ。
参加したのは夜公演だけである。そのためだけに新幹線で出かけたのだから
贅沢な話だ。今なら昼チケも入手して昼夜見たであろう。
長野駅につくと、ちょうど昼公演が終わったところで、シャトルバスで客が続々と
長野駅に帰ってくる。駅前の広場や駅通路を娘。のグッズ袋を持ったヲタや家族
連れが行き来し、「今日モー娘。コンサートやってますよ!」というムードに包まれる。
この時代ならではの光景だった。
エムウェーブはオリンピックのスケートの会場だった。今はコンクリートも寒々しい
巨大なハコである。屋根があるのがありがたい。席は前から5列目くらいと、
良かったのだが、右端のほうだったのでステージは遠かった。
この公演、まこは左寄りが多かったので、右側にいると寂しい思いをする。
この公演に限らず、2004年以前はまこはほとんど端っこ担当だったのだ。
ちなみにこの日、まこうちわを持っている人は2人しか見かけなかった。
前回の長岡から激減である。
帰りの足が心配だったので、アンコールの「でっかい」の途中で退場。
新幹線のホームにつくと、ヲタがウロウロしてる。娘。が乗るのでは?と探して
いるのだ。結局娘。の姿は見えずに発車。
ところが隣の上田駅から乗ってきたらしい。トイレに行った時、娘。いる車両の
様子を伺おうとするヲタの姿を目撃。
東京駅につくと、娘。車両の出入り口には黒服がずらりと並んで壁を作っていた。
「娘。の移動って大変なんだなぁ」と感心した。娘。と同じ乗り物に乗るのは
このときが始めて。
9/21(土) 神奈川 横浜アリーナ
9/22(日) 神奈川 横浜アリーナ
9/23(祝) 神奈川 横浜アリーナ
今思うと、後藤卒業の横アリって、3日間もやっていたんだね。
しかしまあ、印象に残っているのは最後の「本番」ということになる。
この最終公演だけはセンターの前から14列という、当時としてはかなりの
良席がきた。ヤフオクの相場を見たら同じ列で16万程の値がついていた。
さて、タンポポ祭である。
成功するかどうかは半信半疑だったので、一応高輝度ではないものの
黄色のサイリウムを用意しておいた。
黄色の紙を配布していたヲタもいたが、係員に回収させられていた。
タンポポの出番が来て黄色サイを折る。後ろを振り向いた。
まっ黄色である。「おおおおお」というどよめきが広がる。
多くの人は客席側からステージに向かって黄色のたんぽぽ畑を見たのだろうが、
ステージに近い席から客席に向かって眺めた時の、この黄色の海は大迫力で
視界いっぱいに広がっていたのだ。
タンポポの4人が手を繋いで出てくる。彼女達が客席を向いた瞬間、
あっ!
という小さな驚きの声が聞こえた。
梨華ちゃん、加護ちゃんが泣きじゃくり始める。
飯田さんの、「タンポポが一杯だよー」という歴史的な名言が発せられ、
この祭は大成功に終わった。
この後、娘。もヲタも異常なテンションとなったように思える。
一気に最後まで突っ走り、そして中澤卒業以来、つまりまこにとって始めての
卒業セレモニーが始まった。
メンバーが一人一人、後藤に挨拶をする。
まこの番がきた。
何を言うのか?と思っていたら、泣きながら
∬∬´◇`)<ピヨピヨ
というだけである。
本当に、「ピヨピヨ」としか聞えなかったのだ。そのことをヒバスレに報告したことで、
その後「ピヨまこ」という言葉が生まれたりした。
コンサートが終わっても、「ごーちん!ごーちん!」のコールは延々と続いた。
こんなに長くコールが続いた卒コンはその後見ることが出来なかった。
この長野公演も、「遠征をしよう」と思っての遠征ではない。
FCチケの枠を埋めるのに、「とりあえず近そうなところ」で選んだ会場だ。
参加したのは夜公演だけである。そのためだけに新幹線で出かけたのだから
贅沢な話だ。今なら昼チケも入手して昼夜見たであろう。
長野駅につくと、ちょうど昼公演が終わったところで、シャトルバスで客が続々と
長野駅に帰ってくる。駅前の広場や駅通路を娘。のグッズ袋を持ったヲタや家族
連れが行き来し、「今日モー娘。コンサートやってますよ!」というムードに包まれる。
この時代ならではの光景だった。
エムウェーブはオリンピックのスケートの会場だった。今はコンクリートも寒々しい
巨大なハコである。屋根があるのがありがたい。席は前から5列目くらいと、
良かったのだが、右端のほうだったのでステージは遠かった。
この公演、まこは左寄りが多かったので、右側にいると寂しい思いをする。
この公演に限らず、2004年以前はまこはほとんど端っこ担当だったのだ。
ちなみにこの日、まこうちわを持っている人は2人しか見かけなかった。
前回の長岡から激減である。
帰りの足が心配だったので、アンコールの「でっかい」の途中で退場。
新幹線のホームにつくと、ヲタがウロウロしてる。娘。が乗るのでは?と探して
いるのだ。結局娘。の姿は見えずに発車。
ところが隣の上田駅から乗ってきたらしい。トイレに行った時、娘。いる車両の
様子を伺おうとするヲタの姿を目撃。
東京駅につくと、娘。車両の出入り口には黒服がずらりと並んで壁を作っていた。
「娘。の移動って大変なんだなぁ」と感心した。娘。と同じ乗り物に乗るのは
このときが始めて。
9/21(土) 神奈川 横浜アリーナ
9/22(日) 神奈川 横浜アリーナ
9/23(祝) 神奈川 横浜アリーナ
今思うと、後藤卒業の横アリって、3日間もやっていたんだね。
しかしまあ、印象に残っているのは最後の「本番」ということになる。
この最終公演だけはセンターの前から14列という、当時としてはかなりの
良席がきた。ヤフオクの相場を見たら同じ列で16万程の値がついていた。
さて、タンポポ祭である。
成功するかどうかは半信半疑だったので、一応高輝度ではないものの
黄色のサイリウムを用意しておいた。
黄色の紙を配布していたヲタもいたが、係員に回収させられていた。
タンポポの出番が来て黄色サイを折る。後ろを振り向いた。
まっ黄色である。「おおおおお」というどよめきが広がる。
多くの人は客席側からステージに向かって黄色のたんぽぽ畑を見たのだろうが、
ステージに近い席から客席に向かって眺めた時の、この黄色の海は大迫力で
視界いっぱいに広がっていたのだ。
タンポポの4人が手を繋いで出てくる。彼女達が客席を向いた瞬間、
あっ!
という小さな驚きの声が聞こえた。
梨華ちゃん、加護ちゃんが泣きじゃくり始める。
飯田さんの、「タンポポが一杯だよー」という歴史的な名言が発せられ、
この祭は大成功に終わった。
この後、娘。もヲタも異常なテンションとなったように思える。
一気に最後まで突っ走り、そして中澤卒業以来、つまりまこにとって始めての
卒業セレモニーが始まった。
メンバーが一人一人、後藤に挨拶をする。
まこの番がきた。
何を言うのか?と思っていたら、泣きながら
∬∬´◇`)<ピヨピヨ
というだけである。
本当に、「ピヨピヨ」としか聞えなかったのだ。そのことをヒバスレに報告したことで、
その後「ピヨまこ」という言葉が生まれたりした。
コンサートが終わっても、「ごーちん!ごーちん!」のコールは延々と続いた。
こんなに長くコールが続いた卒コンはその後見ることが出来なかった。