「私は7時に起きます」という意味だ。
なのに「Mi(私を)」で始まる。
直訳すると「私を私は7時に起こす」ということになる。
「io(私は)」という単語は使われていないのに「私は・・・」と訳すのだ。
alzoに「私は」という意味が含まれている。
イタリア人は自分で自分を起こすらしい。
私も長く生きてきたが、自分を起こしたことはない。
また、こんな例もある。
Mi piace la cucina italiana.
(私はイタリア料理が好きです。)
なんと、この文の主語はイタリア料理なのだ!!
直訳すれば、「私にとってイタリア料理は好ましい」となる。
ラテン系の言語は、こんな語順らしい。
それは、日本語に似ているような気がしないでもない。
「私に頂戴」とか「俺を何だと思っているんだ」等々、目的語で始まる文が結構ある。
今日は、一日中、prendere(取る)の未来形の活用を暗唱していた。
prendero' prenderai prendera' prenderemo prenderete prenderanno
Ciao, a domani.(また明日)
なのに「Mi(私を)」で始まる。
直訳すると「私を私は7時に起こす」ということになる。
「io(私は)」という単語は使われていないのに「私は・・・」と訳すのだ。
alzoに「私は」という意味が含まれている。
イタリア人は自分で自分を起こすらしい。
私も長く生きてきたが、自分を起こしたことはない。
また、こんな例もある。
Mi piace la cucina italiana.
(私はイタリア料理が好きです。)
なんと、この文の主語はイタリア料理なのだ!!
直訳すれば、「私にとってイタリア料理は好ましい」となる。
ラテン系の言語は、こんな語順らしい。
それは、日本語に似ているような気がしないでもない。
「私に頂戴」とか「俺を何だと思っているんだ」等々、目的語で始まる文が結構ある。
今日は、一日中、prendere(取る)の未来形の活用を暗唱していた。
prendero' prenderai prendera' prenderemo prenderete prenderanno
Ciao, a domani.(また明日)
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