many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

モンスターフルーツの熟れる時

2012-11-17 18:54:02 | 小林恭二
小林恭二 2001年 新潮社
私の好きな作家、小林恭二の著作のリストアップも、あと少しで一段落しそう。
というわけで、ここに挙げたことのなかったもののなかから、ひさしぶりに読み返した。
渋谷の猿楽町(著者が住んでたことがあったんだっけ?)が舞台。
「わたし」の二歳年下で近所に住んでいた君枝は、三白眼で前歯が反っ歯で醜い子供だったが、やがて猿楽町の女神になる。
「わたし」の同級生で小学生のころから付き合いのあった友子は、やがて消息を絶ち、猿楽町に戻ってきたときには、透き通るような肌と瞳をした容貌で、スーパースリムと呼ばれる新たなファッションの象徴的存在となった。
「わたし」の幼なじみの千原は、小学生のときから自分はナンバー2の座にいて組織を操るような存在だったが、ひさしぶりにあった「わたし」を今度は渋谷区のある委員会のオブザーバーに誘う。
「君枝」「友子」「千原」「わたし」の四章からなるが、おぼろげな記憶では君枝のことをモンスターフルーツに喩えてたような気がしてたんだけど、どうやら違ったみたい。
ラストに向かって物語が加速するような感じ、改めて、読んでおもしろかった。
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2012-10-06 18:01:58 | 小林恭二
小林恭二 1999年 講談社
私の好きな作家・小林恭二のリストアップが、ずっと停まってたんで、ひさしぶりに再開。あと少しで完了しそうだし。
これは、いわゆる私小説と呼ばれるものに近い、実の父親のことを書いたもの。
前に短編で『瓶の中の父』というのがあったので、それの続編ということになるか。
主人公である著者の父は大正11年生まれ。
成績優秀スポーツ万能の神童で、一高・東大へと進むが、戦中戦後の時期には、不運にみまわれる。
自身は結核にかかり、肺を4分の3(片方全部ともう片方の半分)失う。家族は、大陸から引き揚げることはできたけど、財産を失い、何人かは重篤な病にかかる。
肺をとって、休職してた会社に戻ったあとの、昭和32年に著者が次男として生まれる。
父は会社でも、変わった感じのひとだったが、部下には怖がられる一方、能力はまちがいなく高いんで、社長にはなれなかったけど、やがて役員になって経営陣に加わった。
そんな父親の一生を、親戚や同級生や会社関係者にも話を聞いて、自身の体験とともに書いていく。
なんせ「自分より頭のいい人間を見たことがない」って自分でいうくらいだから、アタマいいんでしょ。
何かに凝りだすと没頭するらしく、御影に住んでいたときは、周囲から「花屋敷」と呼ばれるくらい庭を花でいっぱいにする園芸に取り組んだし、そのあとは仏教を勉強する。
で、著者の十代は、夕方5時になるとすぐ退社して帰宅してくる、そのころの父親とディスカッションを繰り返す毎日だったそうで。
そういう知識が豊富で、考え方もクリアな、頭の切れるひとと問答を日々していれば、そりゃ嫌でも鍛えられるんでしょう。
ちなみに、著者の兄も特異な才能の持ち主で、「地理は白紙から正確な地図が書ければよい」とか言って、実際に細部から書き始めて、カンペキな地図を書いちゃったり、二けた掛ける二けたの掛け算は全部暗記してるから計算が速かったり、ほかにも歴史年表の記憶とか図形問題とか得意だったそうな。
著者の小説に、ときどきスゴイ(偏執的といってもいいような)天才キャラが出てくる(「ゼウスガーデン衰亡史」なんかにごろごろ出てくる)んだけど、あれってそういうすごい家族に囲まれて育ったから、自然と着想が出てくるのかなという気が改めてした。
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数寄者日記

2011-05-13 19:56:42 | 小林恭二
小林恭二 1997年 淡交社
前回から、茶道つながりで。
タイトルは「すきモノ」である。副題は「無作法御免の茶道入門!」。
自らを無作法、無器用、無教養の三重苦と認める著者が、茶の湯を学ぶことで、人間性に目覚め、あるいは数寄に目覚めていくところを、同時進行形でエッセイに記してほしい、と出版社に依頼されて、書かれたってことになっています。ときは平成6年から平成9年。
ひさしぶりに読んだけど、やっぱ面白い。「ファンシイダンス」とかと比べちゃいけないかもしれないけど、ある独特の世界に門外漢が入ってくよーな、そういう話が私は好きなんである。
いきなりのデビュー戦が、11月の大橋茶寮での口切の茶事。と言っても、読んでる私もどれだけ重要な場なのか、わかんないまま読むんだけど。
白い靴下を持ってく以外には何の準備もなしに、茶事に紛れ込んで、そこを通っちゃいけないとか、それに触っちゃいけないとか、周囲をハラハラさせつつ、席に座らされ、懐石を食べて、さいごお茶を飲むまでのさまは、抱腹絶倒ったら大げさかもしれないけど、面白いよぉ。
そのすぐあとの3月には、テレビの企画もあいまって、夜咄(よばなし)に出ることになって、そのための稽古をお願いしに行った先で、お茶の先生を絶句させる。
そうやって面白おかしく書いてるけど、さすが俳人なんで、目のつけどころは確かだったりする。
あるとき、盆略手前をする番で、お茶を点てたまではよかったけど、下がるときに、足がシビレて立てなくなる。そこで、正座を崩して、手前座で胡坐をかいたら、周囲は驚いたみたいだけど、本人はそのときに、手前座というのは周囲の風景がよく見渡せる場所だということを、発見したりする。
またあるときは、茶杓の勉強に行くんだけど、そこで千利休が天才であることに初めて気づいて驚く。その言い表しようが、
仮にここに審美眼はまったく人類と同じだが、茶はおろか人類の芸術についてはまったく無知な宇宙人を連れてきたとする。それに茶杓箪笥の茶杓を全部並べて「どれが基本だと思いますか」と訊ねてみるとする。その宇宙人は絶対に利休の茶杓をさすだろう。
だなんていうのがシャレている。
で、最後、平成9年に、とうとう自分が亭主になって、お茶会を催すことになる。
茶碗も茶杓も花入も、自分で作るんだが、ここでも花入の材料の竹を無造作にチョイスして、竹芸家の池田瓢阿氏に「茶杓のときもそうだったけど、小林さんは僕がいちばん渡したくないと思う材料を持ってゆきますね」と評価されている。
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浴室の窓から彼女は

2011-01-24 17:18:37 | 小林恭二
小林恭二 1992年 角川書店
ちかごろ、また順に読み返してみようと思ってる、小林恭二。
タイトルは「SHE CAME IN THROUGH THE BATHROOM WINDOW」って歌からとられたらしいけど、私は知らない。ビートルズ?
帯の背に「著者初の恋愛小説」ってあるけど、まあたしかにそれまでの小説とはちょっと感じが違うとは言える。
まわりが驚くくらい、お互い似ている僕と彼女の話で、そうやって互いにそっくり同士のカップルが集まるパーティーに出たり、夏に「世界でいちばん殺風景な海辺」を探し求めて三週間もドライブを続けたり、冬に「コー・イ・ヌール」という架空の世界をつくったり。
妄想を現実化するということをめぐって、恋人同士が語り合うんだけど、作中のセリフにいわく、ひとは妄想を軸にして三つのタイプに分かれるとされている。
妄想は最小限にとどめて、できるだけ目に見える現実の中で生きてゆこうとするタイプ。
現実との接触を最小限にして、できるだけ自分の妄想の中で生きてゆこうとするタイプ。
妄想と現実の間をいったりきたりする人。
三つ目のタイプが、おカネが儲かるタイプだってのが、思考で遊んでるふりして、また妙に現実に引きつけた議論だったりするとことか面白い。
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瓶の中の旅愁

2011-01-10 21:21:13 | 小林恭二
小林恭二 1992年 福武書店
小林恭二つながりで、副題は「小説の特異点をめぐるマカロニ法師の巡礼記」という長編小説。
物語の主人公である「マカロニ法師」(松尾マカロニというんだが、本名は田中一郎)が、「最高の言葉」を探し出そうと旅に出た、っていう話、ときに2091年のこと。
物語と言葉をめぐる、独自の世界の小説なんだけど、すごい久しぶりに、ただいま読み返し中。
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