高校時代は、生存競争としての学力競争

2012-11-06 16:09:10 | Weblog
高校時代は、生存競争としての学力競争

 学校での学力伸長が、生前競争としての一断面を持っていることを否定できません。
中学生までの間なら、社会への奉仕と同時に自己の生活基盤を築くための「労働や仕事」の意義や価値を考えて、基礎学習に専念すれば良いのですが、高校になれば、否応なく将来の職業を意識した全国レベルでの激烈なエリート大学入学に向けた学力競争が始まります。
 もちろん、小・中学生の間から、既にそうした生存闘争の側面を直視して我が子の学力を鍛えておられる家庭もありますので、世間の実相は甘くはありません。
 とはいえ、一般的には、高校3年間(及び浪人時代)での学力競争での勝ち負けが大学入試での成否を分けることが多いと考えられます。
 なぜなら、学力養成期間が小学生から高校時代までの12年間ないしはそれ以上の長期に及ぶため、その学力競争は、しばしば約40キロメートルの長距離マラソン競争に例えられ、そのマラソン競争での胸突き八丁である30キロメートルを過ぎた辺りに当たるのが、高校1年生ないしは2年生という時期に当たり、この2年間の過ごし方が際立って重要だからです。
 翻って、社会に尽くす奉仕の精神を現実化する労働や仕事での成果をもたらすための崇高なあるいは純粋なはずの学業と高度な知的水準の達成に向けての努力が、何故、人間社会の生々しい生存闘争の断面から逃れられないのかと言えば、この地球上での人類や民族・歴史・文化・国家などの多様性とそれぞれの量的な多さとが大きく原因しているからです。
 すなわち、各文明・文化や民族・国家などが、長い歴史の中で(時に協力しつつも)生存闘争をし続け、未だにその闘争の終焉が予想されていないため、(競争)社会の構成員である小集団や個人のレベルにまでも生存闘争の側面が波及してきているのです。
 そこで、その生存闘争の中で、少しでも有利な地位を築き、様々な意味での稼ぎを多く勝ち取りたい人間の欲望が、学力競争=エリート大学入学競争=エリート大学の卒業生の社会での活躍や築いた地盤の大きさ=高い社会的地位(生存闘争での勝利)確保の可能性の高さという鎖の輪(あるいは、「梯子の段」)を登っていくことを動機づけているのです。
 こうして、学力形成と伸長は、義務教育時代の純粋かつ基礎的な知識獲得から、高校時代以降での将来の職業・職種、就業先などをも意識した生存闘争の側面を持った厳しい精神的・知的競争となっているのです。
 そうした現実をしっかり見て対応していかなければ、その競争に負けない気力や意欲を湧き立たせ、引き出すことはできないかもしれません。人間生活の楽しみを増長するはずのスポーツや音楽・文学などの芸術ですら、職業として追及する場合には、さらに激しい実力主義・点数主義の世界が展開されています。
 かくて、学問も芸術も、ほとんどの分野が質的な側面においてのみならず数量でも厳しく相対評価され、優劣が決せられることになります。
そこで、高校生になれば、良し悪しを問わず、将来の社会的地位・職業を目的化しての勉学に励む合理性と勇気を持って欲しいと思います。

平成24年11月6日 火曜日
朝日塾中等教育学校 校長代理 岡村寛三郎

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