全国の公立中高等学校が、TETEに移行したとき・・・

2005-11-29 22:09:07 | Weblog
2008年度
全国の公立中高等学校が、
英語で英語を教える新しい教育態勢(T.ET.E.)に移行したとき、
(1)塾業界はどう対応しているか、(2)また将来的にどう対応するだろうか?

全滅したマンモス同様の運命を辿る?!

(1)塾業界は、英会話学校ではなく、受験指導や補習授業が専門であると自負しているから、そのような学校の新指導法への対応策を、全くか、ほとんど用意していない。
塾業界の通念によれば、各段階の入試は、いずれも、100年この方変わらず、読み書き・文法中心の英語力の試験であるとされ、其の傾向は、多少の変化はあっても基本的には、今後も永く続くと考えられているからである。
しかし、そのような固定的・画一的見方は、既に根本から覆されつつあります。
其の証拠は枚挙に暇がありません。全国の高校入試の実態や大学入試の傾向を、25年分ほどに遡って今日の実態と比較すれば明らかでしょう。この記事は、そのような論証を試みることを目的とはしていませんから、詳細は割愛します。
要するに、聞き取り能力が際立って重要視されつつあり、さらには、近い将来、スピーキング能力のテストさえも果たされようとしています。
個人向けの機器が技術的にも発達し、聞き取りや発話能力のテストも、人間の手を通してではなく、機械を通して、同時一斉に、多面的かつ正確に行われうる時代に到達しているのです。そこから得られたデータの処理が正確かつ迅速にできることは言うまでもありません。
それらは、いずれも、国際化が急速かつ全面的に進展している現代社会の大きなうねりに対応して、2003年3月31日に発表された、文科省における「英語が使える日本人」育成計画の基本方針に基づくものです。しかも、文科省は、本気で其の計画達成に取り組んでいる節が窺えるのです。
ところが、これらの分野の能力を伸ばすには、根本的に英語教育のありかたを変えていかなければならないのです。そのため、2008年度から、(それまでの5年間を準備期間としつつ)全国の公立中・高等学校で、一斉にTETEをスタートさせると発表しているのです。
即ち、子供たちがまだ小学生時で、頭脳の極めて柔らかい、吸収力の高い頃から、劇的に、聞き取りや発話練習の機会を大量に提供した授業に移行していかなければ、聞き取りや発話の能力は、十分には伸ばしきれないのです。それでも、勿論、英米語圏で生まれ育つ人々と比較すれば、天と地の差がつくでしょう。
しかし、一気に2008年度の激変に突入するのではなく、段階的であり、2006年1月の大学センター入試では、リスニング問題が果たされ、2007年度からは、小学3年生以上からの英語科必修教科が実現され、2008年度へと準備が整っていくのです。
さらに、表面には出てこないので気がつきにくいのですが、全国の多くの学校の先生方のTETE実施に向けての準備・研修強化には凄まじいものがあります。その方面に関する研修会への出席の先生方の熱意の高さや数の多さを見れば、容易に想像が付きます。

文科省や学校側でのそういった動きに比し、塾業界は、対応に極めて遅れを取っています。
塾の大半は、入試・受験指導を専門とする旨の自負を持ちながら、入試傾向の変化振りに意外にも気づいていないのです。
あるいは、意図的にそのような傾向を軽視ないしは無視しているのかもしれません。
これらは、いずれも、時代の動きを機敏に察知することと、その変化の時流に備えることとの難しさを示しています。
大げさに聞こえるかもしれませんが、環境に都合よく適応し、地上の王者になりながら、今度は、突然訪れた氷河期という、逆の環境激変に対抗しきれず、絶滅していった恐竜の悲惨な歴史を、塾業界の行く末に重ねて思わざるを得ません。

では、逆に、学校でTETEがスタートしたとき、❶「子供たちが其の新しい形態の授業に付いて行けず」、あるいは、➋「其の反動(副作用)として、読み書き能力が落ち込み」、その補習に、塾業界が今までと同じように、あるいは、今まで以上に期待されるという事があり得るでしょうか?

➊学校でのT.E.T.E.の授業に付いてゆけず、英語の聞き取りや発話能力を育成しなければならないとき、日本語と文法中心で授業する旧来の塾スタイルが頼りにされる筈がありません。
英語の聞き取りや発話が出来ないとき、逆に、日本語をいくら聞いたり話す練習をしても、何の益も効用もないからです。
英会話学校が生徒を集めるばかりです。

➋読み書き能力の衰えや衰退を補う必要があって、塾に来るでしょうか?
当分の間は、旧来の惰性の名残があって、利用され続けるでしょうが、学校でのTETEが軌道に乗ってくれば、これまた文科省の強い意向の下に、それに併せた定期考査が行われ、入試が行われ、やがて「英語の読み書き」の比重低下は避けられず、塾の使命は尽き、かつてのマンモス同様に地球上から消え去るでしょう。

■長文読解にしても、いちいち日本語に置き換えて解釈していれば、単純に計算しても時間が2倍以上も掛かる上に、言語のニュアンスの違いから、解釈の方向や筋の逸れてくることもあり得ることを考えれば、英文は、英文のままで理解を進めていくTETE学習の方が絶対的に優れていて、英文を、一旦日本語に置き換え解釈・説明する、旧来の翻訳を介在させる、多くの学習塾が得意とする方式の非効率と誤りとは、明らかです。
従って、学校で、効率的、かつ正確に理解を進めやすいTETEを推進しているときに、旧来の逆効果を伴う読解指導を、いくら文法説明と共に熱心にしてみても、百害あって一利なしで、結局は、「旧来の翻訳方式」=「塾の得意スタイル」は廃れていくでしょう。
それに、後述しますが、文法規則やその例外は、英語圏の文法学者ですら迷うほどに極めて複雑であり、決して日本人教師の一存で統御できるような生易しい相手などではなく、これを物知り顔をして生徒たちに対して、倫理道徳を説くが如くに教えようとすることは、
大きな誤りであって、決してしないで欲しいものです。
後年、教師達の教えが誤りであったことを発見したときの、大きな驚きと日本の英語教育のあり方や教師への不信感とは、抜きがたいものとなります。
英語圏の人たちが習う文法教科書の極端な薄さを考えれば、英語とは、文法から入って文法から卒業するようなものでは決してなく、書物やスピーチの多数の実例から、そこに共通する法則を自分で学び取り、応用し発展させていくように出来ていることが、よく分かります。
議会主義の先祖である英国自身、日本や米国のような「文書に書かれた憲法」を持っていないことを知っていますか? 慣習法の積み重ねで、問題も無く、一国が統治されてきているのです。

■英語圏の国々でも、聴解能力や発話能力、そして読解力に比し、書き取り能力のレベルが低いことが、時として問題になることはありますが、深刻な問題にまでは発展していません。
その理由は様々でしょうが、英語の世界の(驚異的な)間口の広さと奥の深さを考えれば、聞き取り・発話・読み・書きの全ての分野で、100点満点を取る必要は全くなく、4分野のうちで、聞き取り・発話・読み・書きの3分野でそれなりの成果を上げているならば、ものを書く能力は、「文法分野を含めて」、各人の目標と生活レベルで間に合う限り、それでよいのであって、少々の誤りは、文法学者ですら時に犯すことであって、日常生活のうえで何らの差し障りもないのだという、寛容な精神と考えが根底にあるからです。
日本人の皆様なら、外国人の方々が、しばしば、「誤りを恐れずにどんどん発表しなさいよ・・・」と励ましてくれたことを記憶している方も多いかと思いますが、それは、英語の苦手な日本人向けの慰めばかりではないのです。英語圏の人たちの間での、日常の暮らしの中でのれっきとした「生活の知恵」なのです。
※この点は、極めて大切ですから、資料として次のエッセイを掲げます。ぜひ、御参照ください。   The Daily Yomiuri, Nov.29, 2005 “Even grammar gurus make mistakes”
by Michael Swan, an author of “Practical English Usage”
➌いや、塾は、英語だけではなく、国語や数学・理科・社会も教えているから、この方面でまだまだ利用され続けるであろう・・・・という期待についてはどうでしょうか?
多数の生徒を集め、力を増大させた英会話塾が、それらの科目も併せて指導し始めるでしょう。何故なら、生徒側は通塾の便宜さを求め、力をつけた英会話学校側は、時間割や学級編成などの都合から、科目の増設を始めるでしょう。また、入試対応の技術開発も、弱体化した塾から移籍したベテラン教師を活用して開始するでしょう。
塾がTETEを提供できない故に、子供たちは、最低、週1回は、英会話学校には通わなくてはならないわけですから、同じ場所で、其のついでに他の科目も受けられれば、別途にまた学習塾に通うより、ずっと便利なわけです。

➍以上、学校でTETEが始まれば、それは、塾には厳しい試練となるであろうとの予測を、率直に表明しました。
今日、英会話学校が、毎年、対前年比80%、50%増という想像を絶する割合で生徒数を増やしている現実を直視しなければなりません。それは、英会話塾の営業努力の賜物というよりは、世間の若い世代の親子の願いの現れだとみなさなければなりません。
誕生間もない赤ちゃんから、就学前の低年齢児までが、英会話学校の生徒増の原動力となっていて、小学校高学年生以上を主なターゲットにしている学習塾には、まだ直接には影響していないから・・・と、事態を軽視・無視している塾も多いのですが、それらの子供たちが長じ、小学校でも3年生以上で英語教科が必修となる2007年度以降、そして全国の中・高等学校で、TETEが日常的に始まったとき以降、新しい英語教育法であるTETEを出来ない学習塾には、もう見向きもしなくなっている可能性があります。

■金沢市の状況
低年齢から英会話を習い始めている子供たちが、2004年度からTETEをスタートさせている金沢市の小学校でも中学校においても、英語授業の中で、初めて習う子供たちを尻目に、習い覚えた会話力を基に活発に発言する様子が伝えられており、学力の2極化が生じてきています。
石川県では、未だ、金沢市だけがTETEに取り組んでいて、他の地域では将来課題とされているため、高校入試の形態は従来と同じであり、金沢市の新指導に沿ったものにはなっていません。しかし、2008年度に、全県下でTETEがスタートした以降は、入試の形態が変化することが、十分に予想されます。


平成17年11月29日 火曜日
岡村ゼミナール㈱社長


英語で英語を教えるために・・・

2005-11-28 17:05:45 | Weblog
要点
■全国に何万と有る学習塾の中で、唯一塾、「英語で英語を教え学ぶ方式(T.E.T.E)」を、3年間で完成させる計画で、2005年度より始めています。
■全国の公立中・高等学校で、T.E.T.E.がスタート予定の2008年度の前年・2007年度をもっての完成となります。
■全国でただ一つ、岡村ゼミナールの塾生のみが、公立学校でのT.E.T.E.元年を、余裕を持って迎えることが出来ます。
■そしてその時、他塾が、公立学校や当塾のT.E.T.E.に追随することは、ほぼ100%期待できません。

ご挨拶
皆様のご清栄をお慶び申し上げます。
また、日ごろよりの当塾への御愛顧に対しまして、心より御礼を申し上げます。
さて、平成17年度・2005年は、奇しくも「改革の嵐」の年となりました。
9月以降での郵政民営化を巡る政治と選挙の舞台での激変と改革の実現とが、何よりも印象的です。
しかし、教育の分野でも、それまでの地殻運動が、きっぱりと表面化し始めました。
平成18年度からの中学校での新教科書では、どの教科においても、長年にわたって学力の危機を招いてきた「ゆとり教育」是正の措置が具体化され、より豊かな知識と深い思考力とが求められることになりました。

英語教育の改革スタート
とりわけ、英語教育の分野での指導法・学習法の改革と進展ぶりは目覚しく、添付の資料に於いてご覧いただけますように、金沢市での全公立小・中学校での「英語で英語を教え学ぶ方式(T.E.T.E.=Teaching English Through English)」の実施は、明治以来の日本の英語教育の根幹を覆す画期的かつ大規模な初の試みとなっています。
金沢市の特例だけではなく、全国各地で、同様の試みが、公立・私立の区別なく、また子供たちの年齢の枠を超えて行われています。
英語教育におけるリスニングとスピーキングの能力の向上の待ったなしの必要性は、日に日に認識度が深まり、まるでとどまるところを知らないかの如くです。

具体例
(1)例えば、文科省は、「2005年11月において、全国各地から選んだ1500人もの中学3年生を対象に、詳細かつ精細にスピーキング能力の調査を行う」旨を発表しましたが、その作業は、やがて高校入試において、リスニングとスピーキングの能力評価を、50%にまで高めるための基礎資料の収集にあると指摘されています。
(2)さらに、2006年1月の大学入試センター試験からは、リスニング・テストが導入開始され、
(3)2006年度から、TOEFL(米国等の大学入学のための英語力検定試験)に、新たに、スピーキング・テストも加えられるとの発表があり、
(4)2007年度から、全小学校で、英語教科の必修化がスタートし、
(5)これら一連の教育改革の総仕上げとして、遂に、2008年度から、全国の中・高等学校で、「英語で英語を教え学ぶ方式(T.E.T.E.=Teaching English Through English)」が正式にスタートされると、文科省より発表されています。

改革の理由
これら英語教育の改革は、大多数の国民の永年の悲願でもあった「実際の相互交流の舞台で使える英語力の育成」の実現を目指した文科省の断固たる決断に従うものです。
それは、外国や外国の人々との貿易・経済取引や文化・情報の交流・交換にとどまらず、観光や芸術・スポーツ・・・・など、生活の全ての分野に付いて、しかも子供から老人までの年齢を問わず、全国民に関わるレベルでの国際化が、急激に進展しているという事実に基づくものです。
とりわけ、中国や韓国・シンガポールなど、アジアの人々とお付き合いするにも、英語が欠かせない言語手段になっているという現実と、添付の『北京の英語教育視察レポート』にもありますように、それらの国々の子供たちが、日本の子供たちより、はるかに高い英語教育を受け、かつ高いレベルの英語力を身につけるに至っているという現実とが重なり、相対的に極めて遅れていることが明白な日本の学校教育での改革は、もはや瞬時のためらいをも許さない段階にまで至っています。
さらにまた、添付の資料にありますように、➊国内各社での勤労者の給与平均におきまして、男性・女性共に、英語を仕事において活用しているか否かにより、各々、18%、40%という大きな格差がついています。❷ノーベル賞獲得競争に於いても、英語での論文発表の有無や数が、優劣の決め手になっていて、国際比較の上からも、日本人若者の英語力の向上が強く求められています。

全国でただ一塾、岡村ゼミナールだけの挑戦
岡村ゼミナールでは、これら文科省・公立学校の動きと実際社会での必要性、そしてまた子供たちの未来に明るい希望の灯をともすため、英語教育の改革とその実践に懸命に取り組んでいます。
いや、全国の何万と有る学習塾の中で、唯一つ、「英語で英語を教え学ぶ方式(T.E.T.E)」を、3年間で完成させる計画で、2005年春よりスタートしています。
全国の公立中・高等学校で、T.E.T.E.がスタートする2008年度の前年に当たる2007年度をもっての完成となります。
かくて、全国でただ一つ、岡村ゼミナールの塾生のみが、公立学校でのT.E.T.E.元年を、余裕を持って迎えることが出来ます。
そしてその時、他塾が、公立学校や当塾のT.E.T.E.に追随することは、ほぼ100%期待できません。

全国でただ一塾だけという快挙の理由
何故、そう断言できるのでしょうか?
➊その理由の第一は、T.E.T.E.を開始するには、最短で10年、いや実際には20年・30年といった長期の年月に及ぶ格段の情熱と準備とが求められるからです。
文科省・公立学校も、表に隠れた部分で、それだけの準備や工夫と努力とを重ねてきていると言えるでしょう。
当塾では、(a)多数の外国人講師や大学教授のアドバイスを戴き、(b)日本国内で最も著名なT.E.T.Eの先駆者・関西大学教授・斉藤栄二先生の御指導を仰ぎ続ける傍らで、(c)徹底的な学習や模擬授業大会、(d)毎週延べ数回に及ぶ社員講師の能力向上のための社内研修・・・などなど、無数の行事と懸命の努力、(e)そして多額の出費・・・これらを精力的にかつ計画的にこなして参りました。
(f)しかし、そんな努力とは裏腹に、生徒や保護者の皆さんから、新しい教育法実施についての不安を取り除き、積極的な同意を得られるかどうかという最も重要な問題についての解決法が、どうしても見つからないため、T.E.T.E.の推進を不安に感じた塾内の一部の反対派から絶叫に近い悲鳴が聞こえるに及び、推進責任者の小生は、文字通り、崖っぷちに立たされた地獄の苦しみを味わわなければなりませんでした。
その解決法が見つからなければ、T.E.T.E.は遂に実施できず、膨大な時間と費用、そしてかけがえの無い『我々の夢』と情熱とを傾けた長年の研究・準備活動は、全て無駄に終わり、21世紀での当塾の成長と発展の最大の原動力を失うことにもなりかねなかったのです。そのようにして、もがき苦しみ続けていたある日、ふと、正に地獄の苦しみを一気に打ち破るアイデアを、姫路獨協大学教授の池下幹彦先生やストレイン・園子先生のお二人から、順次ご紹介戴いた関西大学教授・斉藤栄二先生の著書の中にて発見しました。
かくて、そのアイデアは、今では、当塾にとって、一時は不可能かと思われたT.E.T.E.への挑戦を可能にさせた門外不出の貴重なノウハウとなっています。
そして、岡村ゼミナールの講師・職員にとって、何よりも大切な生徒の皆さんの期待に沿っての新しい、素晴らしい英語教育ができる運びとなっています。

❷理由の第二は、永年、「読み書きや文法・長文解説を、日本語ですれば良い。」という考え方をもって英語教育だと錯覚してきた古参の英語教師たちによる、自分達の職場確保のための必死の反乱が、予想外に大きな障害となるからです。
彼らが反乱しなければならないのは、それほどに、自らのリスニングとスピーキングの能力、さらに、それらを合わせた以上の英会話力や指導テクニックを、生徒達を指導できるのに十分なレベルにまで向上させることが、極めて難しいという事情が背景となっています。
しかし、彼らは、彼らに不都合なそういう真の理由を認めたがらず、英語の早期教育が、日本語教育を駄目にするとか、各段階での入試で求められている学力とは、まだまだ文法・長文解釈中心の学問的英語能力であるから・・・と、数々の根拠なき理由を言い立てます。(ここでそれらの諸説に本格的に反論する暇はありませんので、ご希望の方は、メールでお問い合わせください。okamura@oksemi.co.jp )
それにしても、もはや文科省内に設置された、有識者で構成された特別の委員会においての永年の激論を通して『もはや、英語教育におけるT.E.T.E.については、是か否かの総論を終えました。今は、どうやって推進するかの各論段階に入っています。』と伝えられているこの時期になって、今更、民間の教育者レベルで、その議論を初めから蒸し返してみても、何の益もなく、時間と精力とを無駄遣いするだけです。
にもかかわらず、塾内ですら、TETE推進に向けての確たる支持を得ることは容易ではなく、絶えず、幾多の反論や消極的姿勢と戦い、説得を試み・・・それでも時に止む無く、それぞれに歩む道を別々にしなければならないことも、度々ありました。

➌第三に、これらの幾多の障碍と戦い、かつそれらを乗り越えていくためには、先ず、リーダーにおいて、どの職員よりも遥かに勝る改革への情熱と英語力、そして全般的な企画力・決断力とが必須となります。
リーダーにおいて、志してより数年も掛かる遥かな道のりを、目標ラインに到達するまで、辛抱強く歩み続けることができるかどうか、そこまで十分な能力を養い確保できるかどうか、ここでも極めて大きな試練が待ち受けています。

➍T.E.T.E.推進を旗印に掲げて以来、(a)当塾の内外で、(b)教育改革を真っ先に理解・支持し、様子見の他の職員の動静を大きくリードした若手・中堅教師達の意欲的な姿勢と、(c)彼らの研修参加や模擬授業での腕試しを通じてのその目覚しい英語能力の向上こそ、TETEの実施に至った原動力であったと、特筆しなければなりません。
彼らが居なければ、彼らの活躍がなければ、今日の岡村ゼミナールはあり得ませんでした。
かくて、彼らこそが、英語教育の改革全体を情熱的に推進し続け、やがて来るべき成功へと導く不可欠のエンジンであり、エネルギーであったし、今後もそうあり続けるものと言えるでしょう。

簡単に述べるだけでも、以上のような数々の高いハードルを飛び越え続けなければなりませんし、数々の幸運にも恵まれなければなりません。
TETE推進を巡る運動は、決して大げさではなく、塾のリーダーにとっても、塾に勤務する職員全員にとっても,正に明日に向けての「生か死か(life or death)」の闘争なのです。

最後に
 岡村ゼミナールの職員は、全力を挙げて、大切な生徒の皆さんの未来を約束するために「大きな夢を抱き、勇気をもって挑戦」し続けて参ります。

2006年、英語教育改革2年目です!










英語を勉強するときの重要注意点

日米語の比較
English = fire(火) の如し         日本語=水の如し
■複雑で多種類の音声の組み合わせ     ■単純な音声の組み合わせ
■極度に抽象化された文字の組み合わせ   ■絵文字を母体にした漢字 
■多様な文例中心〔無数の変形表現が可能〕 ■複雑な文法規則
■同義語多し               ■同音異義語多し

英語と日本語との間には、なんらの共通性もありません!

(1)単純な音声構造の日本語で、はるかに複雑な音声構造の英語音を表現することは、どの様にカタカナ文字や記号などをいじくり回しても、全く不可能です。
小が大を兼ねることは不可能なのです。
カタカナ読みやローマ字読みを、絶対に止めましょう!!!!

(2)単語や熟語、慣用句などは、それぞれ無数に及ぶため、それらの用法(語法)を含めての文法規則を、細部にわたってまで予め学習・記憶し終えることは、全く不可能です。
さらに、原則に対する例外や論理的な帰結による表現の多様性も無数に及ぶため、あらかじめ,それらを細部にわたってまで学習記憶することを目的とする『文法先行・文法中心』の授業や勉強の仕方は、学習した項目を実際に使用する機会がほとんど無いため、直ぐに忘れがちであり、無駄と徒労に終わります。
逆に、文法や熟語・語法等は、実際の読書(「多読」を薦めます)の過程で、意味の取れない英文や語句に出会ったときに、辞書を参照し解明するだけで良いのです。
しかも、これらの参照・解明作業は、ほとんど一人でやっていけます(自学自習可)から、教わる必要もありませんし、わざわざ『文法学習』と銘打って、特別な時間枠を作って大げさに授業で指導する必要もないのです。

(3)従って、文法的知識や単語・語法・熟語に関する知識も、後年、習い覚えなければならない必要性や機会に遭遇したときに取り組めばよく、幼・少年時には、大人になってからでは身に付かない聴解力(listening comprehension)や会話力(speaking)の養成に重点をおきましょう。

(4)無数にある単語や熟語を巧みに使用する英語圏の人たち追いつくことは不可能です。
例えば、大英辞典に登録されている単語数は、50万語を超えるそうですが、このうちの1割の5万語程度が、英語圏諸国で日常的に使われていると思われます。
日本では、高校卒業生レベルの英語検定2級の試験で、5000語レベルが要求されているそうですが、この単語数レベルでの5万語:5千語=10:1の比率は、ランチェスターの自乗比の法則に基づいて「実際の英語力」に換算すれば、「100対1」に迄拡大されます。
彼我の力量の巨大な差異を知り、謙虚に、まじめに、かつ根気良く、英語学習に取り組む必要があります。
決して、結果を急がないでください。
時間がかかって当然なのです。
それでも、努力を続けていれば、必ず実力は向上し続けます。
Good luck!
以上
平成17年11月27日 日曜日
岡村ゼミナール㈱社長

今後の英語学習と教育の根幹、とりわけ高校教育の進むべき道

2005-11-26 22:49:19 | Weblog
English is a language.
Many people have experienced long stay and/or life in English-speaking countries.
Many of them could succeed in acquire an ability to be able to fluently speak English.
Then there were at least two factors. One of them was his or her own serious exercises and endeavor to improve English ability. Another was an environment itself which gradually made them adapt to an English–speaking surrounding.
If someone can’t go abroad to study, he or she must actively study all things composed of writing, reading, listening comprehension and speaking.
The more you concentrate too much yourself on reading and writing, the less you’ll acquire the ability of speaking and listening comprehension. It’s very regrettable that moreover, abilities of both speaking and listening comprehension can’t be greatly improved in the late of life.
Which ability should be earlier? The answer is that abilities of both speaking and listening comprehension must be in priority. Reading and writing ability can be enough ensured after acquiring speaking and listening comprehension abilities because a lot of abstract work or task like memorizing words’ spelling and study of both grammar and the usage of words are better for senior students.
❶Indeed, most of elementary school students are learning rather exercises of speaking and listening comprehension.
➋At junior high school it’s better at the same time to study all of four abilities: speaking, listening comprehension, reading and writing.
➌How about senior high school?
(a)Many universities are changing the style of entrance examinations into the adding of listening comprehension test.
(b)The national center test of university entrance admission will start listening comprehension test too in January, 2006.
©It has been announced that from next year TOEFL will impose speaking ability test too.
Judging the above trends, improvement of listening comprehension and speaking abilities is absolutely necessary to great extent as well as that of reading and writing abilities.
Then, how should we effectively instruct students?
The final resolution should be to use English more and more.
On the contrary, it’s inevitable to refrain Japanese from using as possible.
2005/11/26
Kanzaburo Okamura

◆◇◆◇◆ OK-magazine 2005年11月号 ◆◇◆◇◆

2005-11-25 20:22:56 | Weblog
http://www.oksemi.co.jp/
                       
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            ◆◇◆Index◆◇◆
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 ☆教育情報☆
    ┗ 平成18年度兵庫県公立高等学校入学者選抜における
            複数志願選抜を実施する学区等について

 ☆教育コラム☆
    ┗ 風をよむ

 ☆お知らせ☆
    ┗ 今後の予定


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   24時間受け付けています。
   お気軽にメール下さい。同じような悩みをお持ちの皆様のために、
   コーナーにおいて匿名にてご紹介させていただく場合もございます。
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 ☆教育情報☆

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 ○平成18年度兵庫県公立高等学校入学者選抜における
            複数志願選抜を実施する学区等について

  ≪姫路・福崎地区≫

   県立姫路別所高等学校
   県立姫路西高等学校
   県立姫路飾西高等学校
   県立姫路南高等学校
   県立網干高等学校
   県立家島高等学校
   県立夢前高等学校
   県立神崎高等学校
   県立福崎高等学校
   市立姫路高等学校
   市立琴丘高等学校
   市立飾磨高等学校
      (第1志望加算点25点)

  ≪加印地区≫

   県立加古川東高等学校
   県立加古川西高等学校
   県立高砂高等学校
   県立高砂南高等学校
   県立松陽高等学校
   県立東播磨高等学校
   県立播磨南高等学校
      (第1志望加算点25点)

      平成17年11月17日 兵庫県教育委員会 発表


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 ☆教育コラム☆

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 ○風をよむ

 今日は「子どもの教育」を離れて、理科の教師としての私の話を読んでもらい
 たい。今日は「風」について書いてみた。

 「北半球では台風(低気圧)の中心は、背中から風を受けたとき、左手斜め
 45°の前方にある。」ということを提唱したのは ボイス・バロット(オラン
 ダ人)である。これを「ボイス・バロットの法則」という。このことを知って
 おれば(応用すれば)私たちは日常生活において大変役立つことがおわかりだ
 ろう。

 例えば、テレビで台風位置が確認できれば、その方向を左手前方へ指すと、背
 中から風が吹いて来ることになる。そこをしっかり戸締まりすべきなのだ。
 和歌山県の方に台風が上陸したとしよう、左手前方を和歌山の方へ向けると、
 背中からつまり北から風が吹いてくることがわかる。家の北側を防備すべきだ。
 また、台風は反時計回りに風が吹くので、台風の中心より東側では進行速度が
 加わるので風速が強くなり(プラス10m/Sくらい)、反対に台風の西側で
 はマイナス10m/Sとしてもよい。

 この「ボイス・バロットの法則」は何も台風のときだけの応用ではなく、自分
 で明日の天気を予想するときにも使える。つまり、「明日旅行する」という前
 夜、北風や西風が吹いておれば天気を悪くする低気圧の中心はすでに兵庫県よ
 り東にあるので翌日は好天が予想できる。
 もし、東風や南東の風の時は低気圧は自分より西にあり、これから天気は悪く
 なる。
 ボイス・バロットの法則は日常生活に大いに生かせるものと思う。

 風についてのメモ
 「南風」と書いて「はえ」。フグで有名な下関市の南風泊港は「はえどまりこ
 う」といい、トラフグの全国の80%を占める。「青風」も南風。「西北風」
 と書いて「あなじ」。「東風」は「こち」、「こち吹かば・・」、菅原道真公
 で有名である。「金風」は秋風のこと。

 「からっ風」は冬の関東地方一帯に吹く風。「やませ」は北海道、東北地方で
 夏の初めの頃に吹き、冷害の原因になる。海風と陸風が交代する朝夕、風が全
 く吹かない状態を「凪」(なぎ)といい、「瀬戸の夕凪」は当地方での夏の夕
 方、とても暑い気象現象を起こす。

 「偏西風」は赤道を挟んで南20°、北60°を西から東に吹く風。「貿易風」
 は赤道の北側では北東から、南では南東から吹く風。

 「人は誰もただ一人旅に出て・・・」で始まる「風」は、はしだのりひことシュ
 ウベルツ。

 「逆風」は向かい風、「順風」は追い風。ゴルフの「アゲンスト」と「フオロ
 ー」である。

 陸上競技では2m/S以上の追い風のときは公認されない。「追い風参考記録」
 という。
 何かの参考になれば・・・

   平成17年11月17日
              岡村ゼミナール 教育顧問 大 西 豊 司



■□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■

 ☆お知らせ☆

■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□■


 今後の予定
   ・スキー合宿
    2006年1月7日(土)・8日(日)・9日(月祝)

   ・中学入学準備講座開始!

   ・体験授業
    中1・中2 12月5日~14日(3回)

   ・冬季講習
    《冬季講習日程》
    ○中3生 全8日間
    12/23・24・26・27・28・1/5・6・7

    ○中1・中2生 全7日間(補習日あり)
    12/23・24・26・27・28・1/5・6

    ○小5・小6生 無料3日間招待
    12/26・27・28または1/5・6・7

    ○小4生 無料3日間
    12月23日から1月7日のうち、教室で指定する3日間

   ・中3対象 正月特訓
    綿町教室で実施
   (1クラス30名 3クラス 先着順で締切予定)
    12/30・31・1/1・2・3




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(c)OKsemi MailMagazine

金沢市教育特区のTETE実施への塾業界の対応

2005-11-25 07:28:45 | Weblog
「金沢市では、教育特区の制度を利用して、既に小学校6年生からスタートして、全市立中学校の全学年で、英語を英語で教えるTETEを実施しているが、塾業界の対応は?」

金沢教育特区・中国北京市への視察報告をまとめた、Mr.Tとの交信

平成17年11月24日 木曜日
From: 岡村 寛三郎
To: Mr.T
Hi!
You gave us detailed information about situation of TETE(=Teaching English Through English) at public school in both Beijing City, China and Kanazawa City, Japan.
So, I’ll visit Kanazawa City to inspect the current situation at cram school.
I’d like to know what influences the experimental or legitimate performance of TETE at public school is extending to cram school and what countermeasures against it cram school lis taking or going to prepare in future.
Luckily a jyuku school in Kanazawa city, Mr.Torii in Kyoto introduced it to me, will welcome me and discuss about those matters next Tuesday.
See you.

From: "Mr.T"
To: "'岡村 寛三郎'"
Dear Mr. Kanzaburo Okamura
Thank you for giving me some information, and also sending me some scripts translated into English by you for my essay.
As far as I know, very few juku teachers have interest in TETE.
But next year I'll make a speech at Ishikawa-ken juku union.
Thank you.
Sincerely yours

From: 岡村 寛三郎
To: Mr.T

Hello!
I know that TETE is not popular in juku school world and will not spread so rapidly across Japan because its implementation is extremely difficult or impossible except my school. 
But this poor situation applies to only juku school world.
As you know well, it's too true that English conversation school and a lot of private/ public school in not only Kanazawa city but also other regions are already tackling with or boldly trying to perform TETE.
Furthermore, they are indeed attracting more interests from parents and children.
For example, my school has succeeded in acquiring many students. Compared with the student number in the previous year, this year it has increased by about 15 % in number.
For next year we have a plan to increase as many as one thousand students in the merit of TETE.
I actually feel and convince of the greatness of expectation for TETE by students and their parents.
I'll send you my script of TETE through the Internet. Please read and refer to it when talking about or discuss TETE with your current and prospective customers. I'll absolutely back your position.
In any way, we must save our jyuku school and its industry.
Jyuku school industry is much lagging behind public school and the like. It's dangerous for jyuku’s future.
If we leave this poor situation without any countermeasure, jyuku will be gradually defeated by the above mentioned school in future.
Good luck!
See you.


Innovation in English Education(Part 2)

2005-11-24 07:56:54 | Weblog
(3)While the results of start of T.E.T.E. aren't yet evaluated through the form of questionnaires for students and their parents, we confidentially believe in good results because the number of students is prominently increasing by no less than 15% compared to the same period of last year.
Why my school is going so well?
(a) Both parents and students greatly expect to be able to improve students’ English ability via the new method. Indeed, some teachers have reported students’ better willingness for English study than before.
(b) Almost all teachers are eagerly tackling with company training every week at school before due work. This company training aims to grade up both teachers’ conversational ability and their teaching technique. My school has implemented it since the spring in 2004. Teachers have made great efforts forward higher level of their skills.
Those teachers' desire and vigorous attitude have intensively influenced students and brought good fruits in their classes.
Their skills aren’t yet so excellent but apparently better than before. There are more than one year until the spring in 2008 when public schools will officially start T.E.T.E. We surely expect teachers’ far better condition at that time.
My school teachers will dedicate much more students and parents through highly trained skills of English.
It must be mentioned that teachers’ motivation to march forward has been raised by providing them with a deal of scholarship.
(c)The top leader who orders and supervises the steady and lasting promotion of both company training for teachers and the implementation of T.E.T.E. for students must carefully schedule and attend a lot of meetings and opportunities to give advice, talk about various problems and support all of them.
Needless to say, the top leader himself or herself must be able to command English very well. Honestly speaking, this condition absolutely makes the facilitation or implementation of T.E.T.E. nearly impossible.
Therefore, unless he or she can continue to endeavor or discipline himself or herself to hone English ability for at least more than several years, any school will not be able to start T.E.T.E.
(d) At any school are surely there severe or fierce opponents against adoption of T.E.T.E.
First, older English teachers stand at the opponent side and resist thoroughly the introduction of T.E.T.E. They would indeed insist various reasons. They sound just at first.
For example, too early English education will much weaken and damage the fosterage of Japanese language ability. Other example is that the current entrance examinations require not speaking or listening ability but academic ability such as grammar, reading and writing ability.
But the learning hours exercised for T.E.T.E. are actually far fewer than those for Japanese language. No problem to obstruct the fosterage of mother tongue will happen.
Adversely, both listening and speaking ability can’t grow so much in the training after coming of age day.
Next, the form of entrance examinations at any level are obviously and rapidly changing into new one in which a communicative English ability is highly valued.
Indeed, reading and writing abilities attained to some extent can’t work so much for us abroad. It means that English ability without listening or speaking ability is absolutely meaningless or ridiculous on both business and other rapprochement-exchanging scenes not only abroad but also at home.
Second,younger teachers too resist adoption of T.E.T.E following older teachers. They are intrinsically indulging themselves in a traditional method needless to study new things. You’ ll honestly try to persuade them to employ the new method. But you’ll soon study that such a trial is utterly useless.
You must boldly decide to give them the elbow. If you can’t do so, you must give up adopting T.E.T.E. Yes, this decision is absolutely a life-or-death choice at once you and your school.
If you don’t adopt the new method, some neighbors or rivals should adopt it and you will not compete with them. It means that you’ll be soon defeated by some of them and have to retire from the market.
There is no choice here. Good luck!!!

Innovation in English Education

2005-11-23 07:46:00 | Weblog
(1)Everything needs support of science or rationality.
The European world went through with “Renaissance” from the fourteenth through the sixteenth centuries. Then Classical Culture of Greek and Rome was considered as a good model for the new cultural movement which would lead a new age in which humanity should be highly estimated. It meant a liberalization of humanity from religious restrictions in the medieval age.
Therefore, Renaissance meant also an opening of modern science. The authority of medieval churches dwindled and the value of churches too degenerated.
The skepticism appeared against the absolute authority.
The sprout of scientific spirits against doubtful theories which can’t satisfy human beings’ experiences and sense sprung in the Renaissance period.
While the medieval Christianity had long taught the relief of souls after death without admitting the worth of this living world, after the fifteenth century many people began frankly to approve the real world of which existence and rules were be able to be verified by experiences and sense.
A lot of innovation in the fields of literature, art, natural science, a printing technique by Gutenberg, navigation skills across oceans, medicine, mathematics, philosophy and the like very much developed the entire society, culture, industries and economy.
On the contrary, around the fifteenth century, Islam scholars began to curb scientific study. They began to study only religion, insisting that only those who study religion-- particularly Islamic jurisprudence – gain merit in the afterlife.
The result was intellectual regression at the very moment that Europe began embracing scientific and mathematical knowledge.
And so, as Muslims were intellectually regressing, Europeans began developing improved ways of meeting their needs, including the manufacture of weapons that eventually allowed them to dominate the world.
On the other hand, Muslims fatally weakened by neglecting, even rejecting, the study of allegedly secular science and mathematics. By concentrating on reading of religious works they couldn’t develop modern science at all and at last they are now destroying themselves or Islamic civilization itself, while such an Arabic culture had once attained the highest position in the world before the Western Renaissance. They look nearly lost their way in the world. (Please refer to an essay by Mahathir bin Mohamad, ex-prime minister in Malaysia listed on the Japan Times as of November 4.)
The above situation resembles Japan short before the end of WW2 because Japan of the day desperately focused only on the mind encouragement while lacking in various materials and mineral sources absolutely needed to sustain the warfare.

(2)Support of science or rationality is needed so as to improve English ability, too.
Teaching English through Japanese is never an ideal English education method.
Most of Japanese schools have adopted such a half-English education method for more than one hundred years since the beginning of the Meiji Restoration.
Not to say, this old and poor method does never have any rationality to improve true English ability. The more this traditional method is implemented, the worse students are suffered from it.
Even admitting such a fact that Japan couldn’t deploy so many native-like teachers across the entire country mainly due to financial shortfall, the Education Minister has almost ignored or lacked making efforts to better the absolutely poor condition in English Education by deploying teachers who couldn’t perform conversational English at all.
It’s not exaggerated to say that the results of the negligence are utterly miserable or tragic to be laughed by surrounding countries in Asia because of the lowest points in TOEIC including listening comprehension test.
We must immediately innovate in such an ineffective English teaching method.
The current Education Minister has properly facilitated a good plan to start a new method of T.E.T.E.(=Teaching English Through English) in 2008. Furthermore, it has a wonderful schedule officially to begin English classes as a required subject even at elementary school in 2007.
A lot of teachers and officials concerned are eagerly preparing in every fields to realize those plans. These movements are absolutely right.
We citizens should not indifferently stand outside but willingly and actively support those efforts. It means that citizens or our private schools should support the Education Minister’s new plans and public schools’ smooth implementation of the new method.
Namely, we citizens concerned English education should prepare for them through more research and rehearsal of the new method before the implementation at public schools.
Okamura Seminar located in Himeji city, Hyogo prefecture has partly started the new method of T.E.T.E. since this spring. This trial or preparation will be completed at the end of 2007, the just previous time of the official start of T.E.T.E.

(3)While the results of start of T.E.T.E. aren't yet evaluated through the form of questionnaires for students and their parents, we confidentially believe in good results because the number of students is prominently increasing by no less than 15% compared to the same period of last year.
That’s all.

Tuesday, November 22, 2005
Kanzaburo Okamura

北京の英語教育事情・視察報告

2005-11-22 15:49:10 | Weblog
Inspection Tour to Elementary and
Junior High School in Beijing

I visited Beijing in order to inspect the movement of English Education in Beijing, China with many people concerned with English education. The group was formed by centering Principal Kageyama who is very famous for his invention of so-called “Calculation Exercise by Using 100 Spaces. “
We attended English classes at highest-level elementary and junior high schools in Beijing such as an elementary school from which the current President Hu Jintao in China graduated.
I’ll step by step report as to fruits brought from those useful inspection and opinion-exchanging meetings.

(1) The common situation among English education in Beijing is that students are all vivacious and active in giving their opinions before strangers.
A university teacher who accompanied me told that it might be from soldiery as a state system for students to be very vivacious and disciplined in their classes. Furthermore, most of them strongly desire to speak. Many students want faster to speak the results of pair work than others and desperately raise their hands.
Such a culture or style is established in their classes as it’s better for students positively to speak their opinions.
It gave us very fresh and astonishing impression that almost all students spoke loudly without any hesitation.

(2) Both teachers and students can pronounce nearly like a native.
Most of them haven’t studied abroad. Nevertheless, their pronunciation is very good. All of them seemed to have made efforts to acquire such a good pronunciation by themselves.
When an observer asked to some teachers whether such a good pronunciation was been acquiring at some English conversation school or not, one teacher answered that he was learning at a graduate school. It means that teachers usually go to higher level schools in order to hone their abilities or teaching skills.
And people who want to acquire some licenses or conversation skills go to English conversation schools.
Moreover every teacher is given in a teacher’s room a personal computer which is connected to the Internet and he or she learns English through the Internet after regular work.
By the way, Chinese language is called one of the most difficult languages in the world in its pronunciation. While Chinese may surpass Japanese in pronunciation, we can't help feeling that Chinese teachers have greater passion and are more endeavoring to better their abilities and skills than Japanese.
Although they can pronounce well, they still ask eagerly how they can improve their abilities more and more. This straight or serious attitude to chase a higher goal was so much impressive.

(3)Teachers always teach English through English except such a time as students wouldn’t understand or teachers must use extremely difficult expressions.
Moreover, both asking and answering are very smoothly and naturally done.
But they couldn't answer so fluently for my questions after classes. It may mean that while they had completely prepared teaching materials before their performance, their ability isn’t so flexible outside classes.

(4)Teachers’ ability is prominently high and they are all professional even in elementary school.
The advantages are as follows.
(a)Teachers’ pronunciation is very good.
(b)Classes are performed very rhythmically.
© Pair work is very often employed.
(d)A communicative method is conspicuously adopted.
(e)Fluency is preferred to accuracy.
(f)Examples are practical and taken very much from everyday life.
(g)Reading aloud and recitation, too, are employed very often.

(5) Junior high school has indeed various tools or equipments to make classes effective.
For example, electronic boards are utilized in all classrooms for both teachers and students. Big size screens and plasma displays are necessarily furnished for projecting of images made by a personal computer.

(6)Learning level is very high.
Classes for elementary sixth-year students include how to use subjunctive, infinitive, past tense, passive mood and the like. The sixth-year students at a certain elementary school learn at least one thousand words and they can attain the level of being able to compose an essay by using 150 to 200 words in 40 minutes.
Other elementary schools don’t so much consider that writing is inevitable. While their students can speak and listen to pretty long sentences, judging from their workbooks, they can’t write so many correct words. Their teachers say that for elementary school students being familiar with sound of English is enough. Writing and grammar will be learned at junior high school.
But learning hours of English are conspicuously many. There are two or three classes a week and elective classes are added.
On the other hand, a certain junior high school has eight classes a day. It is as if a cram school were added to a regular school. In fact, optional learning generally seems to be limitedly performed at the week end. Many students are taking English or PC courses.


Conclusion
All of our visitors and inspecters could not help feeling there is an incredible big gap between Chinese English education and that of Japanese.
Principal Kageyama, the chief of our expedition, frankly confessed to us that, sadly, we Japanese don’t have any advantage to be able to be proud in our education.
He himself is attaining better results in Japanese education society, but the entire Japanese education is much lagging behind Chinese’.

Next time, I will thoroughly consider and explain the reason why our Japanese education has so completely failed.
That’s all.

注釈集:若者になぜ英語学習が重要なのか?

2005-11-21 16:53:09 | Weblog

注1. ソクラテス・プラトン、特に、アリストテレスに代表されるギリシャ哲学に関する膨大な量の「ラテン語で書かれた著作集」は、ラテン語に通じていたはずの
ローマ帝国の学者たちが研究して書いたものではないのです。
実は、バグダッドに首都を置き、アラブ文化の最盛期を現出させたバグダッドに首都を置いた、イスラム教帝国のアッバス朝(AD 750~1258)時代に、地理的条件で、ギリシャ語とラテン語の双方に通じていたイスラムの学者たちが、まず、ギリシャ時代の哲学・科学を研究して作り上げた「アラブ語での著作物」を、次いで、12世紀末までに、彼ら自身が「ラテン語に翻訳」したものなのです。
そして、これらの翻訳本が、後にやってくる〔主に、14~16世紀〕北イタリアの富裕な諸都市から始まったルネッサンスにおいての、ヘレニズム文化〔ギリシャ文化〕再発見の学問的土台になったということは、容易に推測されます。
   →「添付資料」の中段部分を、ご参照ください。

注2. 英語における次の言葉は、アラビア語起源です。zero, (de)cipher, almanac, algebra, alchemy・・・→「添付資料」の下段

注3.更に、「数の計算」は、インド人の発明を発展させて、アラビア人が、現代の簡単な計算方式を編み出しました。→「添付資料」の上段
    
注4.商業に関する言葉も、今に使われ続けています。→「添付資料」の下段
(例)英語のtariff, magazine、フランス語のdounae
収支計算の出納帳も、アラビア人の創作によります。→「添付資料」の下段
The Arab merchants taught Christians how to keep accounts.

注5.数えられない名詞や抽象的な意味の名詞など、いわゆる不可算名詞も、例外的に(原則的に?)、形容詞・形容詞句などでその性質や状況が特定されていくと、〔具体的・具象的〕な事物へと転換すると考えられて、可算名詞化するとされています。
しかし、元来、ほとんど全部の名詞が、形容詞で修飾されなくとも、それ自体で、既に、抽象的・無形的な意味で使用されるのか、具体的・特定的な意味で使用されるのかの違いによって、不可算名詞として扱われもすれば、可算名詞としても扱われるという性質があります。
ですから、「形容詞・形容詞句などで特定化/具体化される場合」と断る必要もありませんし、逆に、形容詞で特定されても、頑として、不可算名詞として扱われ続ける”weather”などもあります。ところがそのweatherにも、「れっきとした例外がある!」と聞けば、もう、流石の貴方も、すっかりlabyrinthに迷い込んだ気分でしょう・・・
また、何が単数で、何が複数なのかの定義についても、うっかり「2個以上が複数!」などと単純な定義をしていると、2と1との間の小数や、1と0との間の小数が、すべて単数になってしまって、多くの複数表現に出会って吃驚してしまいますよ。ここでも原則と例外とが入り混じっての戦争に要注意です。
また、0はどちららに属しますか・・・例:zero times, zero degrees, zero hours,

大原則/不可算名詞、例外にまた例外あり
   (a) weather
He remained a good friend in all weathers.
・ ・・運の良いときにも、悪いときにも, 英国では、「どんな天気でも」
✰ただし、adviceの場合は、against all advice
(b) fish, fruit・・・特に、「種類」をあらわすときは、複数可fruits
 ・・・魚屋さん・八百屋さん・水族館などでの多種類の魚・果物の販売・展示
(c) damage・・・「損害額」を意味するときは、damages
work・・・「作品」を意味・・・works可
  paper・・・「書類document・文書・記録・資料・証明書」を意味するときは、papers
identification papers「身分証明書」
confidential papers「機密書類」
(d) sky・・・「空模様・天候/気候、風土」を意味するときは・・・skies
「[天国・heaven]を意味するときは、 the skies

注6-1.単複の区別は、完全ではない例、その1
as follows・・・「次の通りで(に)」・・・主語の時制や単数・複数の区別無く
           The results are as follows : ・・・

注6-2.単複の区別は、完全ではない例、その2・・・ここでは、「彼ら」が、一塊で捉えられている。
     Probably their minds were not focused on people at all. They were a blur of anger and hatred against something much bigger –society, organized life,” Western values, ” meaning any kind of advanced or industrialized society.
( The Japan Times on July 14,2005; an article written by David Howell: a former British Cabinet minister)
注6-3.単複の区別は、完全ではない例、その2・・・ここでも、複数個の主語が、補語では、一塊で捕らえられている。
     Alfred’s innovations were a creative effort of government unique in Europe.

注6-4.単複の区別は、完全ではない例、その3・・・此処では、複数主語にもかかわらず、堂々と、三単現のsがつけられている。理由は、読者の耳に響きの良い強弱のリズム感を創出するためか?
    With the decision to create an advance directive comes concerns about legal issues, particularly for those who travel frequently. 
   (The Washington Post)

注7.needの用法・・・文法書や辞書によれば、「助動詞的に、疑問文か否定文中で使われる。ただし、米国では、本動詞としても使われる。」とされています。しかし、次のような使用例もあります。
    Twelfth-century Mongolia is as far back as a search for their origins need go.
    ( p.377 of ”The Penguin History of The World ” authored by J.M.ROBERTS)
〔肯定文中で、助動詞的に使用されている〕

注8.多様な例外事例、その(1)
[目的格の関係代名詞]に限らず、「主格の関係代名詞」もまた、[数種類]の場合で、省略されることがあります。
    一例:Though they(=the ‘Franks’) were to abandon Constantinople and the ( Byzantine) emperors would be restored in 1261 the Franks wouldn’t again be cleared from the old Byzantine territories until a new conqueror came along, the Ottoman Turk. ( p.361 of ”The Penguin History of The World ” authored by J.M.ROBERTS)
※ 上記の2行目末尾は、通常は、“・・・the Franks which・・・”とされるところです。

一例:Taiwan looks down the ever-enlarging barrel of the People’s Republic of China, which stubbornly refuses to forswear the use of force against the proud island entity it frets is trending toward formal independence. (UCLA professor Tom Plate)
※ 上記の3行目は、通常は、“・・・entity which, it frets,・・・”とされるところです。

    一例:There was no take-off into sustained growth such as the flowering of commerce and the emergence of moneyed men outside the ruling and military hierarchies might have seemed to promise.
( p.372 of ”The Penguin History of The World ” authored by J.M.ROBERTS)
※ 上記の3行目は、通常は、“・・・hierarchies that might ・・・”とされるところです。
    
注9.多様な例外事例、その(2)
「倒置」・・・数多くの場合と形態があり、それぞれ文法的にも重要ですが、
特に、(1)hardly, never, rarely, not only, onlyなどの否定の意味の副詞が、文頭で先行したときは、その後の文章は、「疑問文」の形式〔語順〕を取ることが普通です。
しかし、(2)特に「場所」(や「時」)を表す副詞句が文の先頭に来たときの「倒置」は、通常は、述語動詞だけが、主語に先行しますが、❶助動詞+本動詞・➋完了形(have+P.P.)・➌受身形(be+P.P.)であれば、これらがセットで、主語(主部)に先行します。ところが、その副詞や副詞句が、後に続く文章との間でコンマで区切られれば、倒置は起こりません。
例文: On them were built towns whose sites are still inhabited today.
( p.409 of ”The Penguin History of The World ” authored by J.M.ROBERTS)


注10.多様な例外事例、その(3)・・・時制の一致と例外
    これも、どちらが原則で例外なのか、迷うほどです。「例外」に埋め込まれている共通法則による縛りが緩いため、歴史的な大事件の場合はともかくも、日常の出来事においても、どんどん例外が登場します。 

注11.多様な例外事例、その(4)・・・仮定法
これは、英語の特有性であって、欠点ではないのですが、「仮定法」の時制や型についても、助動詞、とりわけwould, should, could, might など助動詞の過去形が、「現在・未来の推量」を表すことも多いため、一見すれば、「if節の現在時制」と「帰結節の過去時制」とが混在し、日本の学生たちをしばしば混乱させています。

注12.多様な例外事例、その(5)・・・「to不定詞」の”to”が省略される場合
The one thing women don’t do in South Africa, however, is tell their husbands to use condoms. (Ilene Wong, a physician at Stanford University Hospital and Clinics; “Safety net for poor women” The Japan Times on July 21,2005 )


注12.実際、私は,英語の文法に関して、英語研究の専門家である友人(2004年度・通訳ガイド試験合格)から次のような手紙をもらっています。
その要点は、英国の伝統では、「文法規則よりも、実際的適合性pragmatismこそ」が優先されるというものです。
I have attended the class of British culture once a week in Osaka.
I remember that according to the lecture featuring English grammar,
"Something which has helped the language in its adaptations has been
a tradition of pragmatism, which has meant that there is no English Academy
to legislate on questions of correctness. There is no big grammar book lays down the law. Actually, there is the Comprehensive Grammar of the English
Language written by Quirk, Greenbaum, Leech and Svartvic, but this book
describes how the language is used, not how it should be used.
In addition, although software makers such as Microsoft include grammar checkers in their word processing packages, most British people quite rightly ignore them, because they think the checkers are still fairly primitive. And British people fear of those grammar book and checkers becoming the grammar police." So the conclusion is that basic rules of grammar is necessary but people should put importance on pragmatism, I guess.
Thank you. See you.
Wednesday, July 06, 2005
Akihiro Kasagi

注13.その仮定法では、特に、各助動詞の意味する「可能性・実現度」の差に、注意を払う必要があります。
➊絶対的な実現可能性  [ must → will→ would ](可能性100%~90%)
❷かなり信頼できる可能性 [ ought to → should → can ](80%)
❸可能性は低い[ may → might → could ]〔50%以下〕
最新の「ジーニアス英和辞典」によれば、この9段階の順で、実現可能性が減少していくとされています。
この点は、英語の言語としての「論理性・科学性」主張の一つの根拠とされています。

注14.ラテン語・ギリシャ語系の一例
(a)philanthropy慈善事業, philharmonic音楽(好き)の, xenophilia 外国人好き、Philadelphiaフィラデルフィア・米国の都市名(兄弟愛) pedophilia小児愛, philosophy哲学,
(b)evangelist福音伝道者、apostle指導者、
(c) ’tain’ (保持する)を語幹とする重要語群・・・maintain, retain, detain, contain, sustain, entertain, obtain, captain
(d) star星, asterisk星印, astronaut宇宙飛行士
(e)’ten’(ピンと伸ばす)を語源とする重要語群・・・antenna, tend, tension, attend, attention, extend, extension, intend, intension, pretend, pretension, contend, contention,
(f)’cap’(頭)を語源とする重要語群・・・captain, capital, capitalize, capitalism, cape, caption, decapitate, decapitation,
(g)’di-’(二つに分かれる)を語源とする重要語群・・・dividend, diploma, diplomat, dividers, divide and rule, division, devisor, dialog, dioxide, diatomic, diverge, (h)’-cide’(殺す)を語源とする重要語群・・・suicidal, suicide pilot, pesticide, autocide, regicide, matricide, insecticide, homicide, parricide, herbicide, fungicide
(i) ‘geo’(地球・土地)を語源 geometry, geology, geopolitics
以上
平成17年7月14日 木曜日
岡村ゼミナール㈱社長
岡村寛三郎

若者にとって、「英語学習」がなぜ重要なのか?

2005-11-21 16:50:27 | Weblog
若者にとって、「英語学習」が
なぜ重要なのか?

「どの科目も重要であるに変わりは無いはずなのに、なぜ、外国語の『英語』が、数学や国語と並んで重要三科目の一つにされているのだろうか?」
小生は、30年余りも、(当塾で)専ら、算数・数学担当の教師をしていたせいもあって、こんな疑問を絶えず持ち続けてきました。
もちろん、多くの人たちが、その理由らしきことを言ってきました。
➊最近の文科省の人たちなら、さしずめ「経済的・政治的・軍事的分野で、世界のトップの座を占める英米の人たちや国々との間で、円滑に交流や相互理解を促進したり、市場開拓・貿易促進等のために不可欠・・・さらには、最近では、成熟度を増しつつあるアジアの人たちとの間での交流推進手段としても極めて重要だから・・・」という理由を挙げるでしょうか。
❷しかし、学校教育の中で、「英語」は、既に、明治時代の昔から、国家近代化の必要のための富国強兵政策の旗印の下、「欧米諸国の圧倒的に優れた文明・技術を吸収するため」という理由で、重要科目に指定されていたように思われます。
❸一方、英米人は、こんな風に言っています。「日本語は、古来、〔多様に解釈できる〕曖昧さと情緒性とをもって誇りとしているが、英語は、単数・複数の区別をするだけではなく、時制も多様であり,言語数も極めて多く、精密な論理的思考を進めるのに適した言語なので、科学的論証や論文にも向いていて、次第に世界中で広く採用され続け、従って、ノーベル賞も圧倒的に獲得しやすい、世界中で最も秀でた言語・・・」
しかし、実際に、英語を深く勉強し続けていけば、これらの理由が必ずしも当たらないことが分かります。なぜなら、すべての文法規則や原則に対して、合理的な説明の出来ない多数の例外があり、またさらにその例外もあるなど、風に吹かれる雲の動きに似て、安定性や一貫性に著しく欠けているといわざるを得ないからです。
ただ、そのため、文法上の大原則や規則に厳しく縛られること無く、個々の場合に応じた、よりきめ細かい多様な表現が可能であり、また、時代の流れや環境の変化に機敏に対応しながら、極めて柔軟に変化し続けていて、それが、逆に英語の長所でありメリットであるとも言えるでしょうか。〔→注をご参照ください。〕
後述しますが、歴史的に、ヨーロッパ大陸の文明との間で、絶えず大きな摩擦を繰り返してこざるを得なかった英国や英語のたどった道から推察すれば、文法上の原則に対する尊重・固守は、事実上不可能であったし、極めて柔軟に変化し続けていくことが、むしろ必要不可欠だったのでしょう。
しかし、もともと、どの言語も、大なり小なりそんなものでしょう。だからこそ、多くの種類の言語が、各地・各国で、2千年、3千年・・・いや、時には数千年以上に及ぶ環境や思想の変遷にも耐えて、なおかつ使われ続けているのでしょう。(→「注」参照)
それにしても、東洋の果ての小さな島国で、長年の間、鎖国を通して平和を維持できた日本では、そういった大きな変遷の必要性は遥かに少なく、「原則」を尊重・固守し、「例外」を厭い嫌う習慣と思念とが、極めて強く養成されて来たのでしょう。
かくて、一般的に、何事にも柔軟性に乏しいこの国民性は、日本人全体のことが、欧米人から、よく”homogeneous〔均質的〕”であると揶揄はされても、なかなか”monolithic〔一枚岩的〕”であると言う表現で褒められはしないことの原因にもなっていると推測されます。
こういった英語の世界と日本語の世界との根本的な由来と性質との違いをしっかりと認識しておかないと、日本語上のルールに慣れきった日本人は、英語の大きな異質性に戸惑うばかりでしょう。
西洋文明と言語の核は、ギリシャ文明の思想的基盤であった、「自由と個性と多様性の尊重」であって、決して、「秩序・全体性・均質性の尊重」に頑固にこだわり続けることではないことを、改めて認識するべきでしょう。
ですから、日本の大方の学校における伝統的な英語教育が、固定的な文法原則中心で行われ、それでいて(そのため?)効果が極めて小さく、英語を使う能力の点では、世界の特別の後進国に位置して久しいのも、単に、学校での学習時間数が極めて少ないということだけが理由なのではなく、他にも理由のあることなのです。
➍私は、英語学習が重要とされる理由について、多くの人たちが説明するような、主に実用的な、直接の実益ばかりを狙った理由とは異なる、真の答えが他にあったのではないか、あるいは、今も存在し続けているのではないかと、最近、強く思い始めました。
話を元に戻しますが、その答えは、ズバリ言って、「英語を学ぶことは、単に英米語を学ぶということを意味しているのではなく、根源にさかのぼって、人類・世界の文化と歴史の最も重要な部分を学ぶという意味と効果とを併せ有している。」がゆえに、重要不可欠な学習科目となっているのではないでしょうか。
私に、このような考えが芽生えた最大の理由は、次の通りです。
(1)先ず、習得する英単語数が、1万語(英検1級レベル)を越えて増え続けるに従い、いくつかの単語のグループ毎に、それぞれ顕著な共通特性があることに気づき始めたのです。
即ち、多くの漢字が,多種類の冠や辺、それにつくり等で構成されているのと類似の原理です。英語では、それらは、接頭辞・語幹・接尾辞と呼ばれています。
(2)次に、その三要素のうちで、最も根幹をなす大切な「語幹」が、実は、フランス語であったり、ギリシャ語・ラテン語であったりすることが、極めて多いのです。時に、アラビア語であったりします。(→添付「資料No.1」をご覧ください。)
即ち、英国の歴史を反映して、(a)最初に、紀元前50年頃のローマ帝国軍・シーザーによる征服や、紀元後601年以降のキリスト教文化の植え付けによって、ラテン語が大量に流入し、(b)ついで、5世紀のゲルマン人(北ドイツ)による移住・征服で、ドイツ語、(c)そして、3番目に、1066年のノルマン人〔北フランス〕の征服以降300年間に渡るフランス語の〔強制的〕公用語化・・・という言語それ自体の激変の歴史が、外来語を極めて多くすると同時に、文法規則の例外を多くしている原因となっていると推測されます。
フランス語系は、今日でも、50万語前後を数える総単語数の25%以上に及んでいる様子ですし、今日の電子辞書〔ジーニアス英和大辞典〕で参照する限り、ラテン語(及びギリシャ語)となれば、その割合は、その2~3倍に達しているのではないかとさえ思われます。(→添付「資料No.2」をご覧ください。)
(3)かくて、習得単語数が、2~3万語あたりに達して、例えば、日本で毎日発行されている「ザ・ジャパン・タイムズ」に掲載されている、各国の批評家・学者の手になる「政治・経済・文化・社会に関する論説記事」をスムースに読解し、かつ、世界史とりわけギリシャ哲学の真髄を、英語を通して学べるレベルに達した時、それは、英語の学習というよりは、もはや、今日の欧米文化の2大潮流となっているギリシャ文化(ヘレニズム文化)と、キリスト教文化(ヘブライズム)との融合した世界を、自由に遊泳しているのと、なんら変わらなくなってきます。
しかも、それは、「自由と合理的精神」とを根源とするギリシャ人の世界と、「正義と愛」とを原理とするキリスト教の世界の双方の、奥深くにまで立ち入っていることを意味しますから、人類の歴史と文化の主要部分を習得しつつあることをも意味します。
母国語である日本語を通じての中国文明や仏教・儒教等の精神の習得は、日本人なら、誰でも容易に出来ますが、英語を介して、ヨーロッパ文明、とりわけギリシャ文明等を理解するには、そのための、かなりの努力の継続が不可欠となります。
しかし、わが国の歴史と文化をしっかりと捉える傍らで、広く西洋世界の潮流・源流をも併せて把握した上で行動するという、バランスの取れた態度は、今後、世界を舞台に活躍したいと願っている日本の若者については、一人でも多く、是非とも期待したい所です。

わが国は、今、国際連合の安全保障理事会の常任委員に立候補をもくろんでいますが、単に気前よく世界中に、各種の援助金や運営金をばら撒いたり、紛争地に自衛隊を派遣するといった協力ができるというだけで、真に世界のリーダーとしてふさわしい資格や能力が備わっているということにはならないのです。
世界的な広がりと歴史の深みとを踏まえての、哲学・政治思想(自由と民主主義)・宗教観・社会観(個人の独立と国家の繁栄)などなど、できるかぎり多くの分野にまたがる深い知識と人類愛とが基になっての決断と行動が、真に求められています。
これこそ、わが国で「英語学習」が、長年にわたって「重要科目」とされ続けてきた、そして、今後もされ続けるべき「真の理由」ではないでしょうか。