全国私立学校振興協会 設立記念セミナー

2012-11-24 16:31:56 | Weblog
各位

皆様のご清栄をお慶び致します。
さて、一般社団法人「日本教育者セミナー」 では、私立学校間で年々激化する生徒獲得に向けての知恵比べ競争に対処し、少しでもお力添えができるようにとの願いを込めて、過日に下記の協会設立協議会を開催しました。
同協会は、上記の日本教育者セミナーの一事業部として発足し、下記3名が役員就任を了承ました。
そこで、今後は、各種のセミナーや研修会を開催する傍らで、コンサルタント派遣等を通じまして、私立学校の益々の成長・発展に微力ながら貢献し、我が国の青少年の教育内容の充実と社会全体の発展に寄与するべく邁進しますので、今後とも何卒よろしくお願いします。

平成24年11月26日 月曜日
全国私立学校振興協会 理事長 岡村寛三郎

携帯090-9097-76213, e-mail:okamura3@oksemi.co.jp
事務所:〒101-0052東京都千代田区神田小川町3丁目8番 神田駿河台ビル8階
電話03-5577-6373 Fax.03-5577-6372
姫路事務所:〒670-0877姫路市北八代1丁目7番2号、
℡079-284-0253、 Fax.079-284-1427

理事長 岡村寛三郎(一般社団法人 日本教育者セミナー 理事長)
副理事長 山田未知之(「私塾界」代表取締役Tel.03-3987-0838 )
会計担当 理事 本田慎一(ラインズ(株)役員Tel.03-6861-6200)

≪設立記念セミナー≫

開催地:東京、
午後1時~5時:4時間の徹底的研修会

第一回セミナーは、2013年5月26日(日)
取手聖徳女子中学高等学校. 校長 長野雅弘先生

第二回セミナーは、2013年6月16日(日) 
小野正人先生(東京都市大学付属中学校・高等学校 校長)
       
以上

学力・成績向上へのヒント集…勉強法:たえざる工夫が成果を生む

2012-11-20 13:01:04 | Weblog
結局のところ、成績向上が決めて

≪上昇へのステップ≫

先ずは、動機づくり
1.教員から、生徒への生活指導
人間性+基礎学力+職業上の高度な知識・技能=生活力
2.生徒における学業の必要性への意識の明確化・強化や熱意[情熱]の向上
3.赤裸々な競争社会の現実を知る
4.顧客ニーズに応えることこそが「社会貢献」となる=人が生まれてきたこと、生きることの意味=
「世 のため人のために尽くすこと」

次いで、効果的学習法の追求と提示
1.数学=積み上げ型の体系的学問・・・教科書の徹底的繰り返し読破と思考

2.英語
()「文法の基礎知識」・・・教科書の徹底的分析
+()実践「短い文章や話を聞くこと・音読すること」
+()反復暗唱「単語数」
+()三段式『長文読解』問題の征服法
①まずは、「生の実力」で意味を理解し解答する、
②次には、参考書や辞書等を使いつつ、なおも自力で意味をより正しく理解、
③最後に、先生の解説を聞いたり、模範解答を見て正確に理解

3.国語
  ()上記の英語学習法に類似
  ()毎日、必ず長文読解問題を30分以上は手掛けること
     読書+問題練習=著者が主張する内容の分析・吟味

4.理科
  ()無限の興味、興味が尽きない宇宙や生物界などの不思議な現象をどこまでも追いかける姿勢での
   探究的 学習
  ()①戸外での環境調査・自然探索・探検活動等に参加、
   ②プラネタリウム・図書館・博物館や理科系の展示室・実験室・体験施設
                                   ・・・などを積極的に訪問

5.社会
  ()歴史や地理は、具体的な事実に基づく知識の獲得なので比較的覚えやすいのですが、無限の広さが
あるため、要点・纏め集ノートをいかに手早く作成するかにかかっています。
  ()その要点集ノートを試験前に繰り返し効率的に復習する。ただし、実際の定期考査などでの
    試験問題等に照らして不足があればそれを補い、役に立つノート作りに励む。

                                             
                            11月20日
                            朝日塾中等教育学校 校長代理 岡村寛三郎



中学進学を控えた親子の皆様方へ、中高6年一貫教育の利点と最終目標

2012-11-10 07:49:44 | Weblog
保護者の皆様方へ

我が子の青春時代でのより良い選択
中高6年一貫教育が目指すもの
=大学進学で成功するための生活環境の安定性と整備

皆様のご清栄をお慶び致します。
さて、親に依存するばかりの子供時代を経て、自我が形成され始め自主独立の兆しを次第に明確化する青春時代=中学・高校時代は、理想の自我とか人間像とは何かを探し求めてさまよい、苦しむ時期でもあります。
未だ知識や思考力も不十分のみならず、社会での経験も少ないために、理想の自我・人間像を描ききれない、つかみきれない年代であるにもかかわらず、それを求めてさまよい歩く試行錯誤の時代です。
そのようなときには、できる限り、生活・学習環境や条件、生活スタイル・人生観などの基本的な枠組みを変更しないで、同じ条件や人生観を継続しつつ生きて行くことの方が無難なのです。
中学生から高校生に成長するときに、生活・学習環境や人生観などの基本的な枠組みを変えたい気持ちが強く起こりがちですが、中学生3年間の内で慣れ親しみ、それなりに上手く対応できた生活・学習環境は、本人や親には気づかれなくとも、極めて貴重な人生の土台を形成しているのであって、これを高校生になるのを機会に大幅に転換していく選択は、意外にも失敗に終わりやすいのです。
なぜなら、中学生時代で慣れ親しみ、かつ成功してきた生活環境や学習条件は、その環境や人生観が共に正しかったことを意味するのであって、単に高校に進学するというだけの時期や機会において変更するのは、かえって極めて危険なのです。
僅かに中学3年間を経ただけの生活・学習環境や人生観・考え方は、その延長線上でまだまだ改善や発展させることができる発展途上の「土台」であり、3年終了時でそれを壊して変更することは極めて危険なのです。
なぜなら、高校入学後の基礎的条件の変更は、それが一見すれば成長の過程であるように思われても、その新しい生き方や環境に慣れて成果を上げていくには、高校3年間は短すぎるからなのです。
せいぜい県単位や市単位の狭い地域内での争いでしかなかった中学時代の競争とは異なり、高校生時代には、一挙に何十倍もの大きさに土俵を広げて、数十万人という全国の同級生や浪人生相手の熾烈な大学進学競争が待っているのです。
そのため、高校時代の時間は、一瞬一瞬といえども極めて貴重であり、高校進学をきっかけにして大きく変更した新しい生活・学習環境や人生観に慣れて、それらを使いこなすようになるための助走の時間枠を取っている余裕などは全くないのです。
高校3年間は、中学3年間で使い慣れ、ある程度成功してきた生活・学習環境や人生観を土台にして、(それらを多少は改善・効率化する必要はあっても)とにかく猛烈に勉学に打ち込むべき3年間なのです。
全国の数十万人という巨大な単位の競争者を相手とし、しかも学習内容のレベルの高さや分量の多さなどは、それらの相乗効果を考慮すれば、一挙に数十倍にまでも増大するのであって、中学時代に抱えていた荷物の重さとは全く比較できない(過激なまでの)重さになります。
こうした高校時代に起こるべき大きな特徴や変化を、多くの中学生や時には保護者すらも気づいていないことが多いのです。
とりわけ、それなりに厳しかった中学生時代の競争を勝ち抜いて地域のトップ[エリート]高校に入学した場合、それだけで親子ともどもが大いに満足であり、往々にして、保護者も我が子はもはや人生の競争での勝利者になったかのように勘違いして、後はもう学校に任せておけば悠々と一流大学に進学できるという錯覚に陥りがちなのです。
しかし、実はその後の高校生時代こそが、入学した高校にすべてを安心して任せてはおけない、長い人生でも最も厳しい大学進学競争に突入するという過酷な現実に気づいていないことが多いのです。気づいていても、入学後において勝利感・成功感に浸って暫くでものんびり過ごしていたことがスタート遅れの重大な原因となり、その後の学力維持や向上面での致命傷となりがちなのです。
毎年数百名もの中学生・高校生・大学受験生を同時に見つめてきている私ども学校関係者は、そういった地域の一流高校に進学後の悲劇を(毎年)数限りなく見てきているのです。
高校での学習量や課題の質の飛躍的上昇は、高校で習得するべき英単語の語数やその抽象的難解さで例えれば分かりやすいかもしれません。
即ち、中学時代では、せいぜい(公立中学なら)1000語足らず、ないしは(私立中学でも)1500語程度を習うのみですが、高校時代では、大学受験時期の早期化と相まって、中学時代よりも短い僅かな2年間半ほどで、難関大学受験用に、綴り字(スペル数)も多い上に、往々にして抽象的・観念的な意味でしかなく、視覚や触覚などで具体的に捉えることが難しく、極めて覚えづらい単語を、新たに少なくとも5000語余りも習得することが必要なのです。
つまり、高校時代の3年間は、そういった急激に増大する課題量や競争激化の精神的重荷に対してしっかりと対処することに全力を注がなければならない時代であり、生活・学習環境や人生観を変更するような思いや作業などに捕らわれて無駄に過ごして構わないような余分な時間的・精神的「暇=余裕枠」などは全くあり得ないのです。
以上の理由と事情こそが、「中高6年間一貫教育体制」が目指す「途中での高校受験での成功ではなく、最終目的の大学受験で成功するための秘訣」そのものなのです。

ちなみに、人生はマラソン競争に良く例えられますが、大学受験時期の6年間をマラソン競争(42.195㎞)に例えましょう。実際のマラソン競争では、30キロメートルを過ぎてからが、本当に苦しくなる「心臓破りの丘」だそうです。

大学受験に向けての中高6年間なら、4~5年目の高校1~2年生に当たります。
そこで、この時期こそがいかに大切かが良く分かるでしょう。
私たち、中高6年一貫教育学校では、その大事な時期に生活・学習環境や人生観の大きな変更をして、その新しさに慣れていくのに費やすことになる無駄な時間とエネルギーなどは瞬時もあるべきではないと考えているのです。
皆さまの一人でも多くが、朝日塾中等教育学校[6年生]に入学されて、しっかりした
教育体制の下で、学業形成の最終目的である大学入試においてこそ、不朽の栄冠を勝ち取っていただけますようにとお祈りいたします。

平成24年11月10日 土曜日
朝日塾中等教育学校 校長代理 岡村寛三郎



高校時代は、生存競争としての学力競争

2012-11-06 16:09:10 | Weblog
高校時代は、生存競争としての学力競争

 学校での学力伸長が、生前競争としての一断面を持っていることを否定できません。
中学生までの間なら、社会への奉仕と同時に自己の生活基盤を築くための「労働や仕事」の意義や価値を考えて、基礎学習に専念すれば良いのですが、高校になれば、否応なく将来の職業を意識した全国レベルでの激烈なエリート大学入学に向けた学力競争が始まります。
 もちろん、小・中学生の間から、既にそうした生存闘争の側面を直視して我が子の学力を鍛えておられる家庭もありますので、世間の実相は甘くはありません。
 とはいえ、一般的には、高校3年間(及び浪人時代)での学力競争での勝ち負けが大学入試での成否を分けることが多いと考えられます。
 なぜなら、学力養成期間が小学生から高校時代までの12年間ないしはそれ以上の長期に及ぶため、その学力競争は、しばしば約40キロメートルの長距離マラソン競争に例えられ、そのマラソン競争での胸突き八丁である30キロメートルを過ぎた辺りに当たるのが、高校1年生ないしは2年生という時期に当たり、この2年間の過ごし方が際立って重要だからです。
 翻って、社会に尽くす奉仕の精神を現実化する労働や仕事での成果をもたらすための崇高なあるいは純粋なはずの学業と高度な知的水準の達成に向けての努力が、何故、人間社会の生々しい生存闘争の断面から逃れられないのかと言えば、この地球上での人類や民族・歴史・文化・国家などの多様性とそれぞれの量的な多さとが大きく原因しているからです。
 すなわち、各文明・文化や民族・国家などが、長い歴史の中で(時に協力しつつも)生存闘争をし続け、未だにその闘争の終焉が予想されていないため、(競争)社会の構成員である小集団や個人のレベルにまでも生存闘争の側面が波及してきているのです。
 そこで、その生存闘争の中で、少しでも有利な地位を築き、様々な意味での稼ぎを多く勝ち取りたい人間の欲望が、学力競争=エリート大学入学競争=エリート大学の卒業生の社会での活躍や築いた地盤の大きさ=高い社会的地位(生存闘争での勝利)確保の可能性の高さという鎖の輪(あるいは、「梯子の段」)を登っていくことを動機づけているのです。
 こうして、学力形成と伸長は、義務教育時代の純粋かつ基礎的な知識獲得から、高校時代以降での将来の職業・職種、就業先などをも意識した生存闘争の側面を持った厳しい精神的・知的競争となっているのです。
 そうした現実をしっかり見て対応していかなければ、その競争に負けない気力や意欲を湧き立たせ、引き出すことはできないかもしれません。人間生活の楽しみを増長するはずのスポーツや音楽・文学などの芸術ですら、職業として追及する場合には、さらに激しい実力主義・点数主義の世界が展開されています。
 かくて、学問も芸術も、ほとんどの分野が質的な側面においてのみならず数量でも厳しく相対評価され、優劣が決せられることになります。
そこで、高校生になれば、良し悪しを問わず、将来の社会的地位・職業を目的化しての勉学に励む合理性と勇気を持って欲しいと思います。

平成24年11月6日 火曜日
朝日塾中等教育学校 校長代理 岡村寛三郎

学習への意欲を湧き立たせよう!

2012-11-06 14:20:43 | Weblog
学習への意欲を湧き立たせよう

人間がこの世に生まれてきた理由、そして生きるということは、他の人のため、世間や社会の人たちに(幸せをもたらすために)尽くすということです。
 尽くすというのは、奉仕するということですが、通常の意味での奉仕とは、「無料奉仕」を意味することが多いのですが、有料の奉仕であっても、(損得を考えない程に)精一杯、相手に大きな満足や喜びを与えるほどにまで真心をこめて行われた奉仕は、無料の奉仕に近く、純粋(=無料)の奉仕にどこまでも近づくことでしょう。
 こうした真心のこもった奉仕をするためには、あるいはそんな奉仕ができるためには、
世間や社が本当に求めているもの、手にしたり与えられたりすれば、とても嬉しいようなものを提供する必要があります。
 例えば、足が悪くて、ほんの近くのお店にまでも歩けない人にとっては、椅子に座ったままで、あるいは床に寝込んだままで、その行きたいお店にまで自分で運転して移動できる車があればどんなに助かるでしょうか? あるいは、欲しいものが家にまで配達される配達・運搬システムを手軽に利用できれば、どんなにか嬉しいでしょう。
 しかし、そのような便利な小型の車や宅配システムにしても、大勢の人たちがそれぞれに分担し合って作った多くの部品や作業の連鎖があって始めて実現しています。
 手軽さやスピード、あるいは丈夫さや価格などでの面での今後の改善も、製造業者や配達業者による絶えざる工夫と努力が求められます。
 そういった改善・工夫には、実は、教養としての幅広い基礎知識と実業面で役立つ奥深い専門知識・応用知識との両方が必要なのです。数学や理科の知識を基礎として始めて、専門技術の習得が可能となるからです。
その数学や理科の知識も、書物を効率よく読んで理解し身に着けていくには、国語の他に、外国の文化をも吸収する有力な手段である英語などの語学学習も不可欠です。
 もちろん、それらの勉強の過程では、人間として大人として自立し、実社会で生活していくのに必要な地理・歴史・文化や、心身のバランスが取れた健全な成長を図るためのスポーツ体育や家庭科・音楽・文学・芸術などにも興味を持つことが、そういった分野での交流を通じて多くの友人や知人を獲得し、生活に潤いや幸せを生み出すことにつながります。
 以上のような意味で、学校や教室では、多くの先生や友人たちと一緒に、将来、人や世間に奉仕しつつ我が身も幸せな暮らしをするために必要な知識や技能を習得していく極めて貴重な場所なのです。
そういった貴重な機会となっているのが、君たちの目の前にある1時間1時間の教室での授業なのです。
時間は二度とは戻ってきません。今日という日は、二度と戻ってきません。青春時代も二度と戻ってきません。
そこで、しっかりと目を明けて先生の方を向いてお話に耳を傾けましょう。