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国民主権と大衆支配は違う

2020-05-24 23:57:15 | 歴史
最近のテレビやネットで安倍ヤメローなどという言葉が声高に叫ばれているけど、指導者は大衆の罵声や文句あるいは賞賛に左右されて統治をおこなう人気商売ではない。

有権者は自らの確固たる自由意思に従い自らの基準で複数の候補者からだれを選んでもよいし、誰かに投票行為についてケチを付けられるいわれはない。
そして国民総出で選んだ指導者に従って国家を運営させ結果について国民総出で責任を負う。

メディアやSNSが醸し出すムードに指導者が怯え・服従するとなるとそれは主権在民ではなく大衆支配の世の中であり、衆愚政治の典型である。

断っておくが安倍のおっさんが気に入らないことを声に挙げることや、不支持の姿勢を鮮明にすること自体が悪いと言ってるわけじゃない。そんなものは言論の自由の反中でありそんな声を聴くのが我慢できないなら最初から指導者にならなきゃいい。ましてや投票行為を通じて指導者に退場を求めることは国民の当然の権利といえよう。

指導者は国民の下僕ではない。統治するものを国民の自由と責任において選んでいる。国民が統治者に従うのは当然だが、統治の内容が気に入らなければ国民の総意で退場を求めればいい。そう、統治をおこなう実質的な君主に従わなければならないが、一定の期間をおいて君主の退場を求めることができ、その選定の基準は国民一人一人が自由に基準を決めた投票行為をもってするというのが国民主権ではないだろうか。

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