なんと小さく無力であるかを、大自然の猛威を見せ付けられるたびに思い知らされる。
地球全体から見ればほんの表面の小さな歪が震えたに過ぎないのだが、その威力の凄まじさはニュースで悲惨な状況を見せ付けられるたびに偉大な自然の力への畏れと悲しい気持ちがこみ上げる。
そして映像になっていない浜辺に打ち上げられた多くの遺体は想像を絶する光景なのであろう。
私達の日常がかくも一瞬で無残に破壊されるのか・・・・
平和な海辺の集落では、その日の朝は前触れになる津波でメチャメチャにされた養殖筏などに頭に来ながらもその日の夕べには家で普通に家族そろって夕飯を食べるものと思っていたことであろう。
それが集落を津波が呑み込み、廃墟と屍の山に変わり果てると誰がその日の朝に思ったであろうか・・・・
被災者の皆様にはお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた方々の御冥福を心よりお祈りいたします。
Mozart - Requiem
今回の地震はプレート型の地震であり、前から近々起こるものと言われていた。
ちなみにこの手の予測の場合、台風情報やノストラダムスの予言などのように外れてその年に起こらなかったからといって脅威が過ぎ去るわけではない。
却って歪にエネルギーが蓄積され脅威は増大する。
そしてどこかで歪が開放されると他の箇所の歪が増大する。
日本の周囲はプレートの境界線が余りにも多く存在する。
私達は被災者を援ける為にそれぞれが出来得ることをすべきなのであるが、同時に今回災害を免れたからといって決して対岸の火事ではなく、いつ自らに降りかかってもおかしくないと自らを戒めるべきなのであろう。