5月25日は、春の最大のお祭り
「まいづる田辺城まつり」が開催されました。
まいづる田辺城まつりは、西舞鶴の町内や学校、保育園や幼稚園など
市民一丸となって、作り上げる、
舞鶴の春の最大のお祭りです。
私も、今年は、息子が和太鼓の演奏とチビッコ武者行列に参加することから、
朝早くから、「まいづる田辺城」に入り、お祭りを満喫しました。
さて、まいづる田辺城を全く知らない方に、
少し説明させていただくと・・・
天正8年(1580年)に丹後の国は、
細川幽斎(藤孝)、忠興親子の領国となり、
舞鶴田辺城を築きました。
まいづるの人気ゆるキャラ「ゆうさいくん」は、
この舞鶴田辺城の城主の「細川幽斎」のこと。
歌人として、有名な方です。
また、その息子の嫁は、明智光秀の娘、
そして歴史上の麗しき悲劇のヒロインとして有名な
「細川ガラシャ」です。
まいづる田辺城まつりでは、
関ヶ原の戦いの前哨戦で、(徳川家康が、上杉征伐に行っているすきに)
石田光成軍に攻められ、 田辺城で籠城を強いられるところから始まり、
芝居仕立てで、祭りが進められます。
舞鶴城の歴史の一コマを知ることができる幽斎の「古今伝授」や
舞鶴ゆかりの歴史上の人物にふんした武者行列。
今年の武者行列には、舞鶴市のお隣の福井県から、
越前朝倉隊が参戦してくださいました。
各町内の出車やおみこし、
和太鼓演奏、小学生の講談などなど
市民や子供たちが参加して盛り上げるイベントがいっぱいで、
思う存分楽しませていただきました。
そして、何といっても、今年の祭りの目玉は、
京都府の無形文化財にもなっている
「吉原太刀振り」が上演され、お祭りを盛り上げてくれたことです!
迫力のある演技に 感動!
この「吉原太刀振り」の由来も、
田辺城の歴史を深く関わっています。
細川幽斎が舞鶴田辺城は、関が原の合戦の前哨戦として、
石田光成方から多勢で攻め込まれ、
少ない軍で籠城しなければならなかった時、
漁村吉原の漁師たちが田辺城を守るため援護し、
功績を残したことが由来のようです。
いつもは、朝代神社の秋の祭礼の11月3日のに
4年に1度奉納される伝統芸能なので、
なかなか見ることができないので、
今年は、多くの方に見ていただくことができ、
本当によかったですね。
(ちなみに、嶋七かまぼこの高校生のバイトくんも吉原太刀振りで活躍しています!!)
実は、舞鶴のかまぼこづくりが発展した理由も
漁師たちの功績をたたえられ、
魚の加工などを自由に行える権利を
得ることができたことが一因とも言われています。
嶋七かまぼこが、生まれ育ったのも、この「吉原」。
吉原の漁師たちが、この田辺城を守るために奮闘しなければ、
「嶋七かまぼこ」も、今、
存在してなかったかも知れませんね。
さて、この日は、舞鶴港に
イタリアの豪華客船「コスタ・ビクトリア」が入港したので、
外国の方もお祭りを見に来られていました。
嶋七かまぼこを販売しているとれとれセンターのお土産店でも、
外国の方を多く来られたそうで、
「ちぎり天 笹がきごぼう」を、
英語と韓国語で聞かれたそうなのですが・・・
どなたか、どのように説明すればよいか、ご存知ですか?
ちぎり天 笹がき ごぼう
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