2021年9月12日(日)
京丹後市弥栄町鳥取に500mほどの巨大な狼が出現です。
ジャッカルか狐にも見えますが・・。
この地上絵は、蘇我入鹿の墓と、ウガヤのうさぎさんとで、ケプラー三角形となる場所に造営されています。
これは、蘇我入鹿がウガヤの流れであり、ユダヤの12部族で、南のユダ王とともに行動したベニヤミン族にも深く縁を持っていたことを物語ってるようにも思えます。
蘇我入鹿が中大兄皇子と藤原鎌足に殺害された乙巳の変の一つの真相を教えてくれる手がかりとなるようにも思います。
日本に帰ってきたユダヤの北の十部族と南の二部族との争いが日本でも続いていたように推測できそうです。
それにしても、ウガヤのうさぎさんは、綺麗に造営されていますねぇ。
2019年9月3日(火)
何を教えているのだろうか・・。佐伯一族の財宝の在処なのだろうか。 それとも・・、龍が持つ玉をくれると言ってるのだろうか。
大分県佐伯市大字狩生にある狩生鍾乳洞の位置を、岡山県の臥竜山と広島県の臥龍山と空海様の墓とで教えています。
狩生鍾乳洞では、1932年に洞窟内からオオカミの完全な骨格が見つかっているとのことですが、太龍寺の空海様と狼とが示唆的でもあります。
臥竜山と空海様の墓と狩生鍾乳洞の位置は、2:1:√3の基本形である直角三角形を描きます。
臥竜山と臥龍山と狩生鍾乳洞の位置は、40° 50° 90°の直角三角形を描きます。
又、空海様の墓からと狩生鍾乳洞からと等距離になる場所で、空海様の墓と臥龍山とで凡そ2:1:√3になる地点に玉取山があります。
ここにも磐座がありそうです。
これらの図形は、あまりにも正確で規則正しい関連性を示しています。 ベンチマークの磐座も存在しています。
これらは、空海様の墓を教えるとともに、空海様のメッセージでもあるようです。
「龍が持つ玉を狩生の鍾乳洞から取りだせ!」と、言って居られますかねぇ。
それとも・・龍宮城の玉手箱の在処を教えているのでしょうかぁ。
遥か古代から受け継がれていた平家の財宝の在処でしょうか。
いえいえもう私は、龍神様たちから、素晴らしい玉を頂きました。
テラファイトコアが玉であり宝珠なのでした。
2019年8月6日(火)
ツアーで最上稲荷へと立ち寄りました。
暑い日でしたぁ。
階段を上がるのも下りるのも・・、大変な暑さでしたぁ。
・・それで、昼食には「ビールはいかがですかぁ!」とお店の方の勧めに、
「じゃんじゃん持ってきてください!」「じゃんじゃん飲んでくださいよ~~!!」と私。
今までのツアーでお昼にビールを飲んだのは初めてでした。
「岡山名物の桃で作ったソフトクリームは美味しいですよ~~」と、これまたお店の方。
「私はビールは飲めませんからデザートにソフトクリームをいただいても良いですか!」と私の後ろに座っていたNマさん。
「良いですよ~!」
「ビール飲んだ人も飲まなかった人も食べてくださいよ」
「お勘定はまとめて私が払いますから!」と大きな声でお店の方に聞こえるように私。
「お客さん・・うちの流れのものが一生懸命に働いています・・。でもお客さんが少ないんです。 見てください・・、悪いようにはしませんから、ちょっとでも売り上げにご協力してもらえませんか。悪いようにはしませんから・・」
食事の席で、近くの人に話した内容をバスの中でもした私でした。
「あと一人お客さんが来てくれたら・・行けるのにねぇ」と。
「きっと良いことがありますから・・」と・・。
「言われたことを実行したら、必ず翌日には注文が来るんですぅ」と皆さんに話しました。
そして・・その翌日の今日の事です。
「エ~~ッ! そんなに注文があったんですかぁ」と私。
不思議な不思議な物語は今も続いています。
「あのぉ~、もう着いたんですがぁ・・」
「夢ですかぁ・・??」
いえいえ、夢の中が現実の世界で、現実の世界は夢の物語の世界のようです。
武部さんが今一番気になる場所と言ってた、神河町長谷にある「犬塚」から最上稲荷までと伏見稲荷が同距離です。
何か大きな意味が隠されているようです。
イヌとキツネですかぁ・・・??
最上稲荷本殿の裏にあった石の彫り物の上の図案は、昨年のツアーで行った木山寺の彫刻の鍾馗(しょうき)と同じに見えてしまう私です。
2019年1月8日(火)
ヒストリーチャンネルの「古代の宇宙人」を見るのが好きな私ですが、日曜日深夜まで見ていたら・・。
「古代の宇宙人(シーズン11)-ダ・ヴィンチ禁断の暗号」で、
レオナルド・ダ・ヴィンチが画いたイエス・キリストの肖像画であるサルバトール・ムンディについてのことが語られていました。
それは・・、イエスが菩薩像と同じように描かれていて、左手には宝珠を持っていると・・。
そしてその宝珠に映る三つの光は、オリオン座を表していると・・。
ウトウト眠りかけていた私は、エッ!と思わず聞き入り目を覚ましました。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、イエスにまつわる秘密を知っていた!と言うことです。
そうなのです。菩薩はイエスであり、イエスは宝珠を持っていて、このことはモーセの教えを引き継いでいます。
すなわち菩薩はモーセでありイエスなのです。
イエス・キリストの墓は、地表に降ろされたオリオン座のベテルギウスにあることを告げています。
世界中でイエスの墓を探していることでしょうが、近畿に降ろされた巨大なオリオン座で一番大きく赤く輝くベテルギウスの場所に造られたことが語り継がれているのです。
そのイエスの墓は、聖地神河の山頂で標高833mの地点に造られた墳長250mほどで、ベテルギウスを表す赤い土だけで造られ、その横にはイエスを表すハートの丘が造られていることが証拠です。
語り継がれていたことをダ・ヴィンチもサルバトール・ムンディに描き残したのです。 これだけの重大な秘密を描いた画ですから、2017年11月15日にクリスティーズのオークションにかけられ、手数料を含めて4億5031万2500ドル(当時のレートで約508億円)で落札されたことも、おおいに神仕組みと言うことのようです。
全てはシンクロしています!
イエスの陵墓の近くの宍粟市の山には、宝珠岩もありました。
宝珠岩の場所を教える庭田神社もありました。
イエスの墓を教え、狼(大神)を祀る岩上神社もありました。
先日、射楯兵主神社で祈るとイエスの陵墓に手を合わせるようになっていると書きましたが、
ここまで明らかになると・・、
播磨国一宮である伊和神社一帯が伊和族の本拠地ということですが、伊和は岩であり石であり、ペトロも石であり岩であり、・・と考えると、イエスの12使徒の一人ペトロの子孫が伊和族であり、伊和大神は、ペトロだったと言えるような思いがしてきました。 意外とそうかもしれません。
・・だとしたら『播磨国風土記』の中の宍禾郡に、伊和大神が国を造り堅めたとあるのは、大国主命=イエス・キリストのもとで弟子のペトロが国土経営をしたということでしょう。大国主命は葦原志許乎命とも呼ばれていましたね。
トマス タダイ に続いて、ペトロで3人となりましたね。
宝珠に映る三つの光は、ベテルギウスとメイサ、ベラトリクスですね。
2018年11月11日(日)
狼を祀る三峯神社と狛犬が狼だと武部さんが教えてくれた岩上神社までの距離が、鳥羽沖の神島から共に234㎞とほぼ同距離にあります。
偶然でしょうか。
この二つの神社から芋ずる式に大きな謎が解けそうです。
古代史の謎解きは、山であり島であり、石であり岩であり 神社であり寺院のネットワークにあるようです。
三峯神社から,大神神社、大神山神社の繋がりが浮かんできます。
2018年11月
日曜日、古代史研究家の市川慎さんと懿徳天皇の陵墓近くにある喫茶店で情報交換し、「そこへ連れて行ってください」と言うことになり、いつものように車を寺前裏の駐車場にもどして、市川さんの車で重要な場所へと連れて行ってもらいました。
行った場所は、先ずは宍粟市にある岩上神社でした。
ここの神社の大きな巨石は、川の縁側は火を焚いた跡で赤く変色していました。
神社の由緒にもそれを思わせる文言も書かれていました。
神社の狛犬は獅子ではなく狐さんでした。
そして彫り物には、ウサギやサルや軍鶏など意味あるものが彫られていました。
そこら中、神社の名前そのもので、岩ばかりでした。
帰って地理院地図で調べると、大きな岩の切り落とされた面は方位を表していて、それはイエス・キリストの墓とその先の卑弥呼の墓まで一直線になっていました。
このことは、そのラインを東へと伸ばすと、比叡山延暦寺の根本中堂へと行きつくことが分かります。
つまり、比叡山延暦寺でご本尊様に手を合わすと、卑弥呼の墓、イエス・キリストの墓・・そしてここ岩上神社へと一直線になる位置にこの岩上神社は配置されています。 見事です!
又、ソロモンの墓から卑弥呼の墓までとこの神社までとは綺麗な二等辺三角形を描きます。 偶然でしょうか。
あまりにも綺麗な配置に驚くばかりです。
・・
早速、武部さんから連絡が入りました。
狛犬は狐ではなく、狼とのことです!
そのことから又、大変な秘密が分かりました!! 又また二等辺三角形が・・。
そしてもう一つ、徳島の太龍寺大師堂の彫り物の意味も・・パチン!と閃きました。
2015年8月31日(月)
今日も矢野さんは三冊目の本のレイアウトに熱中です。
「矢野さん・・、一番最初に龍神が解放されて空に描いた雲、聖者とその横に牙をむき出している狼男みたいな悪魔って分かりますか」と私。
「どこにでしょうかぁ」と矢野さん。
「剣山に登って、リフトで下る間にカメラの映像を見ていてビックリしたんですよ! もうこれは大変なことを教えられているようで・・」と、その時、心臓が止まりそうになった話をしました。
それで・・
「そう言われれば・・そうですね。 でも・・もっと分かりやすいように漫画で描きましょ」と矢野さん。
皆さんにはどのように見えますでしょうか。 聖者はだれかのお顔にそっくりなんですが・・
出版される本の中身を・・一部。
・・・
神社の池でグタ~としていた龍神が、急に元気になって空に飛んで行ったのだ。
見えない世界が見える超能力を授かった翼らが、龍神が池から飛び出す様子を目撃し、叫んだのだ。
上森は、そうとは知らずに、テラファイトの不思議な力で、龍神を解放してしまったのだ。
上森自身には何も見えなかったが、その時撮った写真を見たら、ホントだと思わざるをえなかった。青空に浮かぶ雲が、みごとなエネルギー体の不思議な姿を見せてくれていたのだ。
そして、その晩に、上森は夢を見た。上森の夢にしては珍しく、鮮やかなカラーの夢で、翌朝、克明に覚えていた。
夢のなかでは、上森は和室の大広間に座っていて、2段重ねのお膳がズラ---っと並んでいた。
「ああ、今日、龍神を解放したんで、宴席に招んでもらったのかな」と上森は思った。
と、目の前に天皇らしき人が座られた。上森は「天皇かなあ」と思ったのだが、その方のあごの下までしか見れない。畏れ多くて、目と目を合わす勇気がなかったのだ。それで、横の方をジィ—と見ていた。だから、横目でしっかり、周囲のすごい情景も観察していた。
上森の真正面に座られた天皇は
「ウチの王子にいくら言っても、行ってはくれないので、上森さんが行ってくれないでしょうか?」と言って、上森に地図を差し出した。
天皇がウチの王子、と言われた人物は、上森の斜め後ろの、宴席ではないところにいる男性のことだ、と夢の中の上森には分かった。その王子は宴席の上座の人とツ―カ―の仲のように見受けられた。
上森は、天皇に話しかけられている間、ずっと下を向いて差し出された地図をみていたので、その地図をよ~く覚えていた。
夢の中で、天皇が指差したところを見て、「ああ、この2文字、漢字が難しくて、私には読めないなぁ~」と心のなかで呟いたことも覚えていた。
夢で見た地図は1枚だったが、後になって、それが実際には異なる3ヶ所の場所を示す3つの地図だったことが分かった。
天皇は、上森に、「そこに行ってくれ」と3つの場所を示していたのだ。
後でわかるのだが、それは、真珠湾、小莚、フィリピンのある場所であった。
夢で天皇に会った宴会場は、京都御所に実在していた
上森がこの不思議な宴席の夢を話すと、
「上森さん、それはもう、できるだけ京都御所に行かないとダメだ」
と早急に京都御所見学の予約をとってくれた人がいた。
京都御所を見に行くことになった、と話すと、今度は得津輝子から、
「京都御所には蛤御門があって、そこを入ったところに大きな松の木があるから、それに抱きつきなさい」
と命じられた。凡人の肉眼では見えないが、そこに、大きな光の柱が立っている、とのことだった。
「そんなことしたら、アホとちゃうか」と上森の理性は呟いたのだが、この不思議道の案内人でもある得津に言われたこともあって、上森は素直にそうすることにした。
そこで、上森は京都御所に着くと、まっさきに蛤御門に向かい、立派な松の木を見上げた。
「ああ、ここが蛤御門か。昔、いろいろ事件があったトコなんだなあ。ああ、この松なんだな~」。
そして、いつもカバンに入れて持ち歩いているテラファイトを取り出し、手に持って、その松に抱きついた。
そばを何人かが通って、「あのおっちゃん何してる?」という視線を向けたが、光の柱に溶け込んでいた上森にとっては、どこ吹く風だった。
そうこうしているうちに、予約の時間になり、上森は生まれて初めて、京都御所の中に入った。
ひと部屋、ひと部屋 見せてもらい、「御所の中には、訪れるお客様によって、松竹梅、といったように通す部屋がいろいろあるのだなぁ」と感心しながら、ガイドの後をついていった上森は、ある部屋を見せられて、驚愕した。
「なんと!そこは、夢で見た通りの部屋だったのです!」
上森が夢で見た、お膳がずらっと並んだ大広間、天皇に地図を見せられた畳の部屋は、京都御所の中に実在する部屋だったのだ。
天皇に秀吉の財宝の隠し場所を教えられた
上森が夢の中で、天皇に「行ってくれませんか~?」と頼まれ、ハワイの真珠湾に行ったことは前著に記したが、実は天皇が上森に行かせようとした場所は他に2カ所あった。
そのひとつが、伊勢志摩の南東にある大王崎にある小さな島だった。
上森は次のように語る。
「実は、豊臣秀吉の財宝が、ここの島に置いてある、と天皇は私に伝えていたわけです。地下神殿を祀るのにお金が要るでしょう?地下神殿や他の所から出てきたモノを売り払って、それをお金に代えて、祀ることはできないでしょ?祀るのに莫大なお金が要るのだから、それを大王崎に眠っている豊臣秀吉の財宝で、と天皇は示唆して下さったのです」
上森はさっそく、地図を広げて、大王崎周辺を調べてみた。すると漢字で書くと、難しい字、2文字の「小莚」という島を見つけた上森には、カムシロと響いてきた。それは天皇の宴席の夢の中で、上森には難しくて読めなかった2文字だった。
・・・この後の続きが面白いですねぇ、実に不思議な実話が続きますよぉ。
秀吉が向こうの世界で二十六聖人と何やら言い合いをしているご様子が・・・。
ご期待ください!
2015年8月7日(金)
7月26日に、神戸から徳島の太龍寺へと皆さんと一緒に行きましたが、そこで私が空海様に教えてもらったことは・・。
大師堂正面の彫り物の意味でした。 この彫り物は何を教えているか・・・。
邪馬台国はオリオン座に似せて国土設計をしたと教えていましたね。
べテルギウス ・・・ イエス・キリストの墓 836m 赤い土で覆われています。べテルギウスは赤く輝いています。
ベラトリクス ・・・ 弥仙山(舞鶴市)664m
リゲル ・・・ 亀山(奈良県曽爾村)849m
サイフ ・・・ 竜王山(奈良県)618m
三ツ星は、 ミンタカ ・・・ 交野山 アルニラム ・・・ 生駒山 アルニタク ・・・ 信貴山
オリオン星人は子犬と大犬を連れていましたね。
大犬は狼だとも言っています。空海様は、鴨族でありシンボルが狼のベニヤミン族だとも言っていて、鳳凰と言いますか、
南の守護神である朱雀だとも言っていますね。
南と言えば・・、魏志倭人伝での里程で多くの人を悩ませ続けている文字ですが、この紋には大きな意味がありそうですね。
① ウガヤフキアエズ朝73代とイエス・キリスト(大国主)を隠すために、「山幸彦」の神話を挿入し、ウガヤフキアエズの尊580歳、その四男「神武天皇」がこの国を建国したことにした。(580歳はウガヤフキアエズ王朝とわかりやすい。神話の世界からーお母さんはワニ?→出自を隠している→絶対秘密の王者→イエスキリスト!)
② 「大国主の国譲り」と「神武東征」をストーリーに組み込むことによって、「大国主」という立派な王様が昔いましたが、「昔の話」として傍系におしやり、皇室は、正当に王位継承されていることをアピール。神代から、アマテラス、天孫族の「神武天皇」から始まったこととした。
③ その前に、偉大なスーサの王の歴史も消さなければいけないので、「スサノオ」とアマテラスを兄弟にしたてて、「スサノオ」を乱暴狼藉を働く悪者にして葬った。
④ 縄文以前からの原日本人の真の「天孫族」歴史も系譜も乗っ取り、改ざんして、ユダ族のものと繋げて「天孫族」を詐称し、アマテラス(太陽神)の優位性を作り上げた。原日本人の祀る神と、原日本人の文化と習合した10氏族の神を「国つ神」とひとくくりにし、傍系に押しやるとともに、歴史をすべて葬った。
⑤ 高天原は日本に実在したが、高天原=天上界のできごととして、「世界天皇として活躍した真実の歴史」を、神話の世界に葬った。(高天原は、竹内文書によれば、古代において日本天皇が世界を治めた時代「世界統治の本部」が置かれた場所であるという。http://ikuno.lolipop.jp/piramido/hon/no01/part1/01-03takeuchi.htm)
そのために、古代から日本の天皇が世界を治めたという、日本民族の輝かしいルーツが消され、民族的誇りを失ってしまった。
参考:http://blog.goo.ne.jp/mama0114/e/c5f6ce74233f79c4469fbb770e1f2c5e
http://ameblo.jp/0405ryu-i-s3017/entry-10810179704.html<o:p></o:p>
http://ja8fo.blogspot.jp/2007/08/blog-post_13.html
神の国日本、古代から世界を治めていた日本の天皇、ユダヤ教も、キリスト教も仏教も元は、日本神道であると堂々と胸を張って言うためにも、古事記にひそむトリックを一掃して、真の歴史を復元する必要がある。
このライン上に、モーゼー10氏族―ウガヤフキアエズ王朝―エフライム王族―天津日継天皇―イエス・キリスト=神武天皇・またの名、大国主―卑弥呼―空海―上森三郎の「神との契約」と数々の発見(契約の箱、卑弥呼の墓、地上絵、生命の樹などなど)を見ていかなければならない。
「大国主=イエスキリスト=神武天皇」もこの一連の流れでしか本質を見る事は出来ず、歴史の断片的知識に切り刻んでは、意味をなさない。それは、世界を平和に導かれようとして、明かされた、神様の「啓示」だからです。
⑥ 「欠史8代」といわれる天皇の在位が異常に長かったり、記載がないのは、年代合わせのためと、本当のことが書けなかったから。「欠史」ではなく、綏靖天皇から崇神天皇までの系譜は存在する。
※宇佐公康氏・宇佐八幡神宮・宮司「古伝が語る古代史」のなかにその系譜が存在するが、大国主に続く「ニギハヤヒ」→「ウマシマジ」からうまく崇神までつながっている。
※「神武天皇とされた人物」は東征の途中で宇佐に留まり、うさ姫を娶って、二人とも厳島で亡くなり墓もあるという。神武東征の意思は景行天皇が引き継いだのであり、「記紀に書かれている神武東征」の話は、後世の史実を繋ぎ合せて大和朝廷がねつ造したものである、と言っている。
「大国主の国譲り」も「神武東征」も、ユダ族の皇位継承を正当化するため創作された訳ですから、BC660年から欠8代までの空白に、ウガヤフキアエズ朝73代、エフライム王朝と10氏族、並びに天日継天皇が、命令通り生きて帰ってきたイエス・キリスト*INRI(ナザレのイエス・ユダヤの王)を喜んで迎え入れ、神武天皇「カムヤマトイワレヒコノミコト」またの名を大国主として理想の国づくりをし、モーゼとイエスキリストを祀っていた卑弥呼女王までの時代がすっぽりと納まってしまう。(もちろん、ウガヤ王朝以前には、古代からの天皇長い長い歴史があります。)
これで、何の矛盾もなく、大国主=イエス・キリスト=神武天皇 は成立するのです!。
こうすると歴史の謎がどんどん明らかになって、
イエス・キリストが磔にされた理由、罪状板には「INRI(ナザレのイエス・ユダヤの王)」と書かれている。
INRI http://ja.wikipedia.org/wiki/INRI
INRI=稲荷神社。http://ikuno.lolipop.jp/piramido/ka/02/p-jinjya01.htm
ここから、神社仏閣がこれほど多く存在し、神社は8万社、稲荷神社は3万2000社も存在するのは何故なのかも、全部見えてきます。http://www.ffortune.net/spirit/zinzya/miya/inari.htm
しかし、記紀が改ざんを余儀なくされた時代背景があるので、ここを深く関連つけて考えることなしに、善・悪、白・黒をつけるだけでは発展性がありません。歴史の教訓として読み取る力が必要です。
⑦ 記紀が改ざんを余儀なくされた、歴史的時代背景・・・・白村江の戦い―大敗と唐による支配