2017年6月1日(木)
武部さんは沢山の情報を持っています。
やっと、世界の聖地となる神河町(兵庫県神崎郡)の情報を書き始めました。
これは素晴らしい貴重な内容ですので、武部さんのブログをそのまま掲載したいと思います。
火(ホ)と「ニワ」と鍋釜
庭を造るという現場から体験したこと、そして「人はなぜ庭を造るのか?」考え続けてきたことなどを、ぼちぼち綴るブログ。 等ブログの履歴などの情報は、最下部にあります。
20175月31
イエスキリストの陵墓・登拝-1 登り
5月4日は、「上森三郎」さん、「田中孝子」さんと共に「峰山高原」の「ホテル・リラクシア」のテントに泊まった。
ゴールデンウイークでどこの宿泊施設も満杯で、ここのテント一張だけが空いていた。
これも神計らいか?
「ホテル・リラクシア」周辺を探索していて、磐座や半円形の列石を見つけたが、これについては第一報をFacebookで流しただけで、当ブログでの詳しい報告はまだ。
いずれ書きたいと思う。
今回の探索のメインは、上森さんが「イエスキリストの陵墓」という山に、尾根伝いに登る事。
すでにこの山には二度登っているが、いずれも「太田ダム」側から、林道伝いに目的地に登っている。
ただ「太田ダム」側から登るには、関西電力の許可が必要で、これがかなり難しくなっている。
正規のルートは、ピークから南西方向に伸びる尾根を「小田原川」側から登るルートであろう。
ただし、高低差のある急斜面が予測される。
「小田原川」側から見た「イエスキリストの陵墓」の山。
左側のピークが「後円部」に当たる。
先ず、鉄塔を目指す。
山頂の高度は836m。
登山口の高度は328m。
高度差508m。
水平距離は1000mに満たないので、その傾斜は想像できるだろう。
今回の登山ルートの記録。
スマホの登山地図アプリの「Geoguraphica」のトラック記録を、編集したもの。
赤のラインが登りルート。
紫のラインが「イエスキリストの陵墓」並びに「キリストのハート山」の探索ルート。
ブルーのラインが降りルート。
赤丸ポイントは、巨石などの位置記録。(後程説明、iFone6で撮った写真の位置記録より、残念ながらiFone6では、登りしか撮っていなかった。)
南小田から上小田に向かう途中、「小田原川」も道も急カーブしている辺りから登ることにする。
何とか駐車スペースもあった。
車を停めると、コンクリート間知の擁壁に、祠がある。
①-赤い涎掛けを付けた、小さな石仏が安置されていた。
(地図上にこの番号を付けて行く)
挨拶をして、涎掛けを外してみると、
やっぱり「五鈷杵(ゴコショ)」を右手に持った「空海さん」。
頭が取れてしまったのか、別の石仏の頭を繋いでいる。
「空海さん」に導かれている上森さんは大喜び。
「やっぱり空海さまはご存じなのだ!」と。
番号で示した石・岩の位置。
大きな扉の横から入り登山道を探る。
と言っても、勿論登山道というべきものは無い。
植林されているので、登り易い所を探して登ればいい。
現在地確認は、「Geoguraphica」。トラック記録もセットしている。
「Geoguraphica」は、見通しの利かないこのような山の探索には、安全上も欠かせない必須アイテム。
すぐに巨石が現れる。
②-まさに巨石ゴロゴロ。
③-「スクレーパー」状の巨石に藤が絡まり、蛇のようにうねりながら、植林された杉に這い上っている。
この先、大いに期待が持てる。
④-地図上に示されている林道に出る。
⑤-巨石が次々に続く。
上森さんは事前に「いっぱい岩が在りますよ!」と言っていたが、これほどだとは思ってもみなかった。
⑥-層状の露岩。
地質的な複雑さを匂わす。
三角形のこの石も、意味ありげで面白い。
⑦-送電線・鉄塔に到着。小休止。
付近には、小ぶりながら美しい石組が多数。
美しい石組と上森さん。
新緑の樹木は、全て何故か「山椒」。
見事な山椒だが、こんなところに植樹する訳もなく、自然映えだと思われる。
山椒は神河町の名産品の一つ。
花期は過ぎているが、「三椏(ミツマタ)」も多数生えている。
小降りだが、何と無く意図を感じる石の並び。
そしてこの付近の土は、赤い。
「赤い土」を僕は、聖地の目安にしている。
聖地探索をしていると、なぜかよく出会う。
再び植林帯に突入。
巨石が、いたる所にゴロゴロ。
これは、かなり大きい。
⑧-明瞭な稜線に到着。
まだまだ、累々。
⑨-重ね岩。
僕は天然だと思うが、上森さんは人工説。
三角の石は、気になる。
⑩-迫力の松の根。しかし、どことも松の衰退が著しい。
著しい松の衰退が、山の荒れる原因の一つではないかと考えている。
岩の上に生えた「山桜」。
このところ、「岩と合体した山桜」をよく目にする。
僕はそれを、「磐長姫」と「木花咲耶姫」の融合だと感じている。
稜線上にはまだまだ、巨石が続く。
この辺りから傾斜もやや緩くなり、石も小さくなってくる。(この地点のポイントを打つのを忘れていた。)
やがて稜線上には、殆ど石が見当たらなくなった。
⑪-突然「ストーンサークル」状の石群が現れる。
ごく小さいので、人が何らかの意味を込めて組んだのではないかと思われる。
ここから先には、石は見当たらない。
これから先は「聖域」であることを示す結界であろうか?
大きくはないが、存在感を感じた。
傾斜は、いよいよ緩くなり、目的地の「イエスキリストの陵墓の前方部」に至る。
前回来た時と、様子が違う。
一部間引きであろうか樹木が伐採されている。
⑫-「前方部」の上に立つ上森さん。
上森さんは、この下に「イエスキリスト」が埋葬されている、と言う。
僕にはまだ理解できないが、否定はしない。
ここは、確かに特別な場所「聖地」であると、僕のような鈍感でもそれを感じる。
この山に最初に登ったのが、2015年6月14日(「美しい山と磐座」、「イエスキリストの陵墓」参照)
二度目は、2015年11月19日、上森さんの会社T.T.Cが企画したツアーで、50名ばかり参加した。(上森さんのブログ、参照)
東斜面は、植林されている。
西が葉斜面は原生林で、明るく美しい。
これがこの山の本来の姿。
「後円部」に向かって進んでゆくと、
木間に、石・岩らしきものが、かすかに見える。
大発見か?
登り始めたのは、10時25分、山頂の「前方部」に着いたのが、13時20分。
僅かな距離に、時間近くかかっている。
石・岩・磐座を見つけるたびに、周囲を探りながら写真を撮り、ゆるゆると登る。
僕たちは山に登るのが目的ではない。
聖地・磐座の探索が目的。
ゆるゆる時間をかけて登ることに、意義がある。
つづく
ゴールデンウイークでどこの宿泊施設も満杯で、ここのテント一張だけが空いていた。
これも神計らいか?
「ホテル・リラクシア」周辺を探索していて、磐座や半円形の列石を見つけたが、これについては第一報をFacebookで流しただけで、当ブログでの詳しい報告はまだ。
いずれ書きたいと思う。
今回の探索のメインは、上森さんが「イエスキリストの陵墓」という山に、尾根伝いに登る事。
すでにこの山には二度登っているが、いずれも「太田ダム」側から、林道伝いに目的地に登っている。
ただ「太田ダム」側から登るには、関西電力の許可が必要で、これがかなり難しくなっている。
正規のルートは、ピークから南西方向に伸びる尾根を「小田原川」側から登るルートであろう。
ただし、高低差のある急斜面が予測される。
「小田原川」側から見た「イエスキリストの陵墓」の山。
左側のピークが「後円部」に当たる。
先ず、鉄塔を目指す。
山頂の高度は836m。
登山口の高度は328m。
高度差508m。
水平距離は1000mに満たないので、その傾斜は想像できるだろう。
今回の登山ルートの記録。
スマホの登山地図アプリの「Geoguraphica」のトラック記録を、編集したもの。
赤のラインが登りルート。
紫のラインが「イエスキリストの陵墓」並びに「キリストのハート山」の探索ルート。
ブルーのラインが降りルート。
赤丸ポイントは、巨石などの位置記録。(後程説明、iFone6で撮った写真の位置記録より、残念ながらiFone6では、登りしか撮っていなかった。)
南小田から上小田に向かう途中、「小田原川」も道も急カーブしている辺りから登ることにする。
何とか駐車スペースもあった。
車を停めると、コンクリート間知の擁壁に、祠がある。
①-赤い涎掛けを付けた、小さな石仏が安置されていた。
(地図上にこの番号を付けて行く)
挨拶をして、涎掛けを外してみると、
やっぱり「五鈷杵(ゴコショ)」を右手に持った「空海さん」。
頭が取れてしまったのか、別の石仏の頭を繋いでいる。
「空海さん」に導かれている上森さんは大喜び。
「やっぱり空海さまはご存じなのだ!」と。
番号で示した石・岩の位置。
大きな扉の横から入り登山道を探る。
と言っても、勿論登山道というべきものは無い。
植林されているので、登り易い所を探して登ればいい。
現在地確認は、「Geoguraphica」。トラック記録もセットしている。
「Geoguraphica」は、見通しの利かないこのような山の探索には、安全上も欠かせない必須アイテム。
すぐに巨石が現れる。
②-まさに巨石ゴロゴロ。
③-「スクレーパー」状の巨石に藤が絡まり、蛇のようにうねりながら、植林された杉に這い上っている。
この先、大いに期待が持てる。
④-地図上に示されている林道に出る。
⑤-巨石が次々に続く。
上森さんは事前に「いっぱい岩が在りますよ!」と言っていたが、これほどだとは思ってもみなかった。
⑥-層状の露岩。
地質的な複雑さを匂わす。
三角形のこの石も、意味ありげで面白い。
⑦-送電線・鉄塔に到着。小休止。
付近には、小ぶりながら美しい石組が多数。
美しい石組と上森さん。
新緑の樹木は、全て何故か「山椒」。
見事な山椒だが、こんなところに植樹する訳もなく、自然映えだと思われる。
山椒は神河町の名産品の一つ。
花期は過ぎているが、「三椏(ミツマタ)」も多数生えている。
小降りだが、何と無く意図を感じる石の並び。
そしてこの付近の土は、赤い。
「赤い土」を僕は、聖地の目安にしている。
聖地探索をしていると、なぜかよく出会う。
再び植林帯に突入。
巨石が、いたる所にゴロゴロ。
これは、かなり大きい。
⑧-明瞭な稜線に到着。
まだまだ、累々。
⑨-重ね岩。
僕は天然だと思うが、上森さんは人工説。
三角の石は、気になる。
⑩-迫力の松の根。しかし、どことも松の衰退が著しい。
著しい松の衰退が、山の荒れる原因の一つではないかと考えている。
岩の上に生えた「山桜」。
このところ、「岩と合体した山桜」をよく目にする。
僕はそれを、「磐長姫」と「木花咲耶姫」の融合だと感じている。
稜線上にはまだまだ、巨石が続く。
この辺りから傾斜もやや緩くなり、石も小さくなってくる。(この地点のポイントを打つのを忘れていた。)
やがて稜線上には、殆ど石が見当たらなくなった。
⑪-突然「ストーンサークル」状の石群が現れる。
ごく小さいので、人が何らかの意味を込めて組んだのではないかと思われる。
ここから先には、石は見当たらない。
これから先は「聖域」であることを示す結界であろうか?
大きくはないが、存在感を感じた。
傾斜は、いよいよ緩くなり、目的地の「イエスキリストの陵墓の前方部」に至る。
前回来た時と、様子が違う。
一部間引きであろうか樹木が伐採されている。
⑫-「前方部」の上に立つ上森さん。
上森さんは、この下に「イエスキリスト」が埋葬されている、と言う。
僕にはまだ理解できないが、否定はしない。
ここは、確かに特別な場所「聖地」であると、僕のような鈍感でもそれを感じる。
この山に最初に登ったのが、2015年6月14日(「美しい山と磐座」、「イエスキリストの陵墓」参照)
二度目は、2015年11月19日、上森さんの会社T.T.Cが企画したツアーで、50名ばかり参加した。(上森さんのブログ、参照)
東斜面は、植林されている。
西が葉斜面は原生林で、明るく美しい。
これがこの山の本来の姿。
「後円部」に向かって進んでゆくと、
木間に、石・岩らしきものが、かすかに見える。
大発見か?
登り始めたのは、10時25分、山頂の「前方部」に着いたのが、13時20分。
僅かな距離に、時間近くかかっている。
石・岩・磐座を見つけるたびに、周囲を探りながら写真を撮り、ゆるゆると登る。
僕たちは山に登るのが目的ではない。
聖地・磐座の探索が目的。
ゆるゆる時間をかけて登ることに、意義がある。
つづく