2023年2月3日(金)
空海さまの母君の生誕地が特定できました。お生みになられたのは孝謙天皇ですよ。
「誰との子供ですかぁ」って・・? それは道鏡さまですよ。 見事な空海コードです!
孝謙天皇の墓と空海さまの母君の墓と道鏡の墓との二等辺三角形の重心となる場所が生誕地で『蓮生塔』の場所です。
2023年1月9日(月・祝)
淳仁天皇の墓から淳仁天皇陵までと淳仁の父である舎人親王の墓までとは二等辺三角形を描きます。
孝謙天皇の墓と淳仁天皇の墓と舎人親王の墓は一直線に並んでいます。
新年早々、空海コードは冴えていますよ~~!
2023年1月8日(日)
今日は殿様に会いに殿山に行きます。
光仁天皇の墓であるか否かを知るためにコアロッドで調査です。
殿と言えば・・殿様バッタが思い出されます。もう十二年前になりますが、淡路島の淳仁天皇陵に行った時に、車の車体にバッタが乗っかって何やら私に語りかけていたのを思い出しました。
46代孝謙天皇が産休・育休を取って、47代淳仁天皇を立てたもののうまくいかずに、再びおばちゃまは第48代称徳天皇として重祚しました。そして49代が光仁天皇でした。
そうそう、孝謙天皇のおばちゃまは、少なくとも淳仁天皇に産休・育休の間、助けられたことでしょうに・・。この時に生まれたのが空海さまのお母さんでしたねぇ。では・・「お父さんは誰よ!?」とな。お父様は道鏡さまでしたよ。 つづく
2022年11月2日(水)
空海さまの真魚の山へ行くのには、マイクロバス2台で行きましたが、翌日には大型バスでの出発でした。
バスの中でマイクを握る私を何者かが使って、しゃべっているように時々思う私でした。
よくもまぁ~しゃべり続けるなぁと、気持ちよさそうにコックリこっくりと寝るのを我慢して・・寝ている人達にも聞こえるように何者かが話していました。
そして旅の最後、広島駅に着く前に、「無念の御霊が二人・・」と話しましたが、もう一人、孝謙天皇も無念の御霊だったように思う私です。
でも、孝謙天皇も皆さんと共に旅をされて、大変喜ばれたのではと思います。
お墓参りを終えて山からマイクロバスが待つ場所まで帰って着たとき、空を見上げると真っ青な空に、雲が浮かんでいて、大平山公園にもう一度トイレに行った時にもその雲は、それぞれの形を見る人に見せてくれたようです。
最初は、「あれは千羽鶴ですよ」「千羽鶴から龍に変わっていきますよ」と、長谷川さんだったかなぁ・・、教えてくれましたが、誰か大平山公園で撮られ写真には、渦巻き状の雲の中心に、人か龍の顔が写っていました。 凄い写真でした。
大西さんが、昨日メールで送ってくれた写真には、望海山から徳山の方を写した写真で、そこにはUFOが映っていました・・と。これは、大西さんだけに見せてくれたのかもしれません。
矢野さんは、バスの中で「年内にはまとめて・・」とコミットメントしていましたが、一枚一枚丁寧に書き上げています。
下の孝謙・称徳天皇の墓の位置情報も凄い情報です!
上下の写真は、大西さん撮影 カラスは神様のレンズですから、間違いなく皆さんを一人一人見ていたことでしょう。
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2022年10月29日(土)
孝謙天皇の墓参りに行ってから、綏靖天皇の墓とイエス・キリストの財宝の在りかを私は教えられた。
財宝の在処の石室の大きさは、33mの長さの前部に4m、後部に4mあり、石室の大きさは20m×41mあり、黄金は20m×33mを計測しました。まるでフットサルコートが石灰岩質の岩山に造形されている様相でした。 内部を見てみたいものですねぇ・・イエス・キリストの財宝を。
2022年10月28日(金)
イエス・キリストは初代神武天皇でした。そしてその長男が、第二代綏靖天皇でした。
先日、孝謙天皇の墓参りに行ったことで、綏靖天皇の墓の場所を教えられました。
綏靖天皇の子が第三代安寧天皇でしたが、その安寧天皇陵からイエス・キリストの陵墓までと綏靖天皇の墓までは、共に119.37mと全く同距離で二等辺三角形を描きます。 見事です!
明日29日は、大勢の人達と山口にある空海さまのお墓参りに行きますが、空海さまの系譜をたどれば、このお三方にもたどり着くということを空海さまは、私達に教えているようです。
そしてそれは、「皆さんも同じですよ」と言われているようです。 そのようなことで、明日の日にギリギリ間に合ったようです。
2022年10月25日(火)
いや~~体がバリバリ、今日は起き掛けから体の動きはロボットなみでしたぁ。
階段を一段あがるのも、一段下がるのも・・、椅子から立ち上がっても・・、アィタタタ~の状態でした。
上谷山山頂までも、足が引きつるし、山頂ではもうケイレンが起こっていました。
・・それで、テラファイトアースの登場でした。
今回も改めてテラファイトの凄さを体験することになりました。痙攣で引きつる部位にテラファイトアースを開いてさするんですが、その後、ピタリ!と治まるのには、アリガタヤありがたやなのでした。
不思議な不思議なテラファイトに助けられる人生となりました。
もちろん、ゼロリストにも助けられました。
そして・・なにより、武部さん、石子さんに大感謝の日々でした。
登る時に石子さんにまっさらの鎌を渡されましたが、「熊が出てきたらこれで戦え!」と言うことだな、・・と受取ました。
宿を出発するときに、ロビーに熊のはく製が3体ありましたので、「こんなのが山をうろついてるんだな!出会ったら戦う気力が大事なんだな」と思って見ていましたから・・、素直に有難く持って登りました。
道中、ものすごく獣臭い場所が数カ所ありましたが、「出てきたらこの鎌で・・」と思いながらも、武部さんと石子さんに挟まれて登るのは、非常に心丈夫で楽しいものでした。
みなさんに大変感謝しています。 これからもよろしく!
今度の土曜日、日曜日、山口のツアーを楽しみにしています。
天武天皇の墓である衣笠山と、光明皇后を祀る地下神殿の光明山と、孝謙天皇の墓である上谷山は、見事な正三角形を描いています。三ヶ所とも、武部さんと上りました。
2022年10月23日(日)
操作風景を撮られていました。
コアロッドは、空洞探査、水脈探査、金探査がいとも簡単に出来ます。
特許申請出願の内容には、「玩具としても使える」と書いていますが、その玩具が1億円だったら・・、買う人がいるかも・・ですね。
今日23日(日)は、孝謙天皇の墓の探査です。
2022年9月29日(木)
昨日、大発見でした。もうビックリ仰天でしたぁ~~~!!
矢野さんが「できましたぁ・・」と一枚の用紙を田中さんに渡し、そして私の手に廻ってきました。
今、矢野さんは、一枚一枚丁寧に「不死鳥のあしあと」のパート2の執筆をやっていますが、「弓削道鏡の墓を発見」のタイトルでした。
手渡された原稿を見て、道鏡終焉の地が下野薬師寺跡と書いてあるので、先日行った南紀でのオリオン座を見た翌日の「目覚山」と「めざめ」が、「しっかり目を覚ましなさい」と言ってるようで、すぐさま地理院地図に下野薬師寺跡の六角堂跡と、道鏡の墓にポイントを打った。実はそれまで私は深い眠りに入っていた。
そして、もう二つのポイントを繋ぐ一点は、「日月の山」だった。
今まで関東で事件や事故があれば、私は必ず日月の山をコンパスの支点として事件現場とを結んで関西に描かれるライン上を見ている癖が出来上がっている。
今、千葉で女の子が行方不明になっているニュースにしても、日月の山から私に聞こえてくるのは、藤原武智麻呂の墓と栄山寺である。
いつも事件や事故に「藤原氏」が何かを語っているような気がするのです。 注目してほしい、国民に伝えてほしいと私に語るのである。
・・そのように私には癖になっているので、「もしや・・!!」と思って、日月の山から二つのポイントまで距離を測ると・・、「エ~~~~~~ッ!!」なんです。
日月の山から共に232.25㎞なのです。 これはもうやっぱり日月の山を造ったのは、空海でしょう。
道鏡は、弓月王の流れである用明天皇(物部守屋)の血を受け継いでいるし、空海からすれば道鏡はお祖父さんにあたる人なのですから・・。
宇佐八幡神託事件で語られていることは、和気清麻呂が正に神の使者のごときに語り継がれているのは、誤りであります。
嫉妬や妬みだけが渦巻いていた状態が読み取れます。
1250年の時を経て、道鏡の名誉を回復せねばなりません。
孝謙天皇と道鏡の間に生まれたのが、空海の母です。
この日本において、空海ほど天皇の血を濃く受け継いだ人物はいないのです。
空海の系譜は古代天皇家の核をなすものなのです。
日本国民が今、分断の危機にさらされているのは、正しき日本の歴史が捻じ曲げられているからなのです。
蘇我入鹿(皇極天皇)と道鏡・・そしてその血を受け継ぐ空海もそうでしょう。無念の御霊なのです。
向こうの世界からこの世をずっとそれらの御霊は見ているのです。
無念の御霊を鎮めなければ、ますますこの世は荒廃するのです。魂の叫びが聞こえませんかねぇ・・。
武部さん、またまた蛇岩が出てきましたよ。蛇岩から道鏡の墓と由義寺跡までは同距離で二等辺三角形を描いています。
2022年9月16日(金)
ホテルでの朝食は、8:00からでお願いしていました。
そして9:00過ぎには、ホテルを出発しました。
前日往復した道をもう一度、武部さんの運転で道鏡の墓へと向かいました。
切り立った高い山と山との間を縫うように40分前後の時間を擁して、前日入口当たりを調査するために停めた狭いスペースにピタリと道路際ギリギリに武部さんは車を停めました。
そしてそこから山へと入る身支度をして、沢の横の道を登って行きました。 林道は工事車両で搬出できるように整備されていて、30分ほどで山頂に着くことができました。
早速私はリユックからコアロッドを取り出して、先ずは空洞探査を試みました。
結果、2m×3mほどの石室をキャッチ。 次に金の探査をしましたが、これも同じ広さに反応しました。
計測が終わってから、いつものように武部さんと皆さんで、君が代とかごめの唄を歌ってもらいました。
現場での地底探査では地下の石室は、通路の方向から見て20度に向けて造営されています。
帰ってから地理院地図にそのラインを伸ばすと・・、そこには岐阜にある孝謙天皇の墓に向けて造られていることが分かりました。
そのラインに直角方向には、役行者堂とさらにその先には、広島の弘法山です。これはもう偶然ではなく必然でしょう。
そのようなことで、間違いなく大変な道鏡さまの遺構が眠っているという証拠です。
2022年9月7日(水)
道鏡は、空海様の祖父にあたります。
その道鏡の先祖を遡れば、用明天皇(物部守屋)と蘇我 堅塩媛 (そが の きたしひめ)が浮かんできます。
もっと遡れば、モーセの直系だと言っておられますよ。
空海さまが教えられているのは、お祖父さんは山伏だったと言ってます。
そして、お祖父さんには湖の広さや深さ以上の恩があると言って居られます。
下の図形は、基本形である2:1:√3の直角三角形を大小2つ組み合わせた図形です。
その二つの図形が上記のようなことを語りかけてくるのです。
そして、役行者堂と土塔と道鏡の墓も2:1:√3の直角三角形ですし、役行者・行基の墓と荒神社と道鏡の墓も2:1:√3の直角三角形です。
実に素晴らしい位置出しです。
そして、蘇我 堅塩媛の墓から孝謙天皇の墓までと道鏡の墓までは、全く同距離で二等辺三角形を描くポイントに定められ、他の重要ポイントと直角三角形を描きます。
このように空海コードは、緻密な関係の上に定められています。
高野山も全て幾重にも計画的配置の上に開発、造営されていることが分かります。
・・ということで、モーセの直系である武部さんと近々、道鏡さまのお墓参りです。
武部さん、よろしくお願いいたします。