2024年5月5日(日)
昨年の五月の連休には、岡山のマリアの墓の地中探査や兵庫県佐用町の推古天皇の墓の調査など、コアロッドを持って黄金探査を行っていました。
あれから一年経っても同じことをやっている私です。そろそろ成果が出ても良いのではと思う私です。
2024年5月5日(日)
昨年の五月の連休には、岡山のマリアの墓の地中探査や兵庫県佐用町の推古天皇の墓の調査など、コアロッドを持って黄金探査を行っていました。
あれから一年経っても同じことをやっている私です。そろそろ成果が出ても良いのではと思う私です。
2023年1月10日(火)
8日、JR奈良駅に12:00武部さんと待ち合わせしていた。
そして光仁天皇の墓へと連れて行ってもらった。
予想通りに黄金をキャッチした。 石室の中央に黄金を囲むような配置は、推古天皇の墓を思い起こさせるものだった。
そしてその後は、ただただ空海コードの凄さに放心状態の私だった。
ホテルにチェックインしたのは4時で、光仁天皇の墓の造営の様子を想像しながら沈みゆく夕日とその変化をボーッと眺めていた。・・つづく
2023年1月1日(日)
新年明けましておめでとうございます。
皆様が良き一年となりますようにお祈りいたします。
今年はウサギさんの本拠地にも行ってみたいものです。
推古天皇の墓から蘇我入鹿の墓までとうさぎさんの本拠地までの距離は同距離で直角二等辺三角形を描きます。
2022年7月25日(月)
ずっと謎だった長年のモヤモヤがすっきりしました。崎
伊勢に大王崎があって、その先に大王島があります。
「大王って誰なんだろう」と思い続けていましたが、蘇我入鹿の墓(阿武山古墳)から大王島までと空海の生誕地までが同距離で二等辺三角形を描きます。
この図形は、「私は蘇我入鹿の生れ変りである」と聞こえてきます。
そしてそのことを証明するかのように、推古天皇の墓から蘇我入鹿の墓までと空海の生誕地までの距離は同距離で二等辺三角形を描きます。
不思議な不思議なお話ですねぇ。
2022年4月6日(水)
5月28日に役行者ゆかりの地であり絶対的ベンチマークポイントの役行者堂へと行きます。
以前このポイントから比叡山延暦寺根本中堂とイエス・キリストの墓とで正三角形を描いていることを知らされましたが、今度はもっと大きな正三角形が現れました。
この国の『長老とは誰だ!』と役行者は言ってますよ。
役行者の父は、聖徳太子=蘇我入鹿=皇極天皇でしたが、その聖徳太子が建立した四天王寺で手を合わせて祈る場所は『長老ヶ岳』でした。
四天王寺の場所と建築配置は絶妙な設計の上に造営されています。
役行者は、『お祖父さんが長老だ!』とおっしゃっていますが・・、お祖父さんって誰!? つづく
2022年3月25日(金)
卑弥呼には孫娘二人が居ました。
下の孫娘は、稲日大郎姫命陵に祀られています。
その稲日大郎姫命の姉の墓は、兵庫県姫路市林田町上伊勢に在ります。
二人の母親(卑弥呼の嫁)の墓は、兵庫県神河町長谷の山にあって、この三点(赤い図形)は、キッチリと直角二等辺三角形を描いています。
そして推古天皇の墓と、卑弥呼の嫁の墓と稲日大郎姫命の姉の墓の三点(黄色い図形)は、二等辺三角形を描いています。
推古天皇は、稲日大郎姫命の姉の血筋であると言っていますね。
そして推古天皇の墓と光明皇后の墓と卑弥呼の墓の三点(青色)は、2:1:√3の直角三角形を描いていますが、このことから推古天皇も光明皇后も「卑弥呼の血統である」と言っています。
2022年3月23日(水)
春分の日(21祝)に推古天皇の墓へと行きました。
黄金をキャッチする5m×5mの空間を凡そ1mほどの壁で取り囲むように石室が存在し、その周りは巨大な空洞になっています。
いままで私が計測した中で、ダントツで巨大地下神殿の様相でした。
また、近くのお寺の敷地内にも、1.5m×1.5mほどの黄金をキャッチしました。でも・・入口はずっと離れた場所に存在している様子でした。
2022年2月27日(日)
「私はここに居ます。ここです!」という人あり。
以前そこに私は行っていたような記憶があります。
引っ張られて行っていましたねぇ。
第33代推古天皇です。女性天皇としては最初の天皇のようです。
卑弥呼さんは女王でしたからね。
そうそう、推古天皇は女王卑弥呼の血を受け継いでいましたよ。