2023年12月25日(月)
昨日私は、奈良県下北山の土砂崩れのニュースを何度も聞いた。
そのたびに、近くにある道鏡の墓のことを思っていた。私が何も行動に移してないので、「どうなっていますか」と何度も言われている気がしてなりません。
「お前が一日遅れれば、どれだけの命が亡くなるかお前は分っているのか!」と、響いてくるのです。
2023年12月25日(月)
昨日私は、奈良県下北山の土砂崩れのニュースを何度も聞いた。
そのたびに、近くにある道鏡の墓のことを思っていた。私が何も行動に移してないので、「どうなっていますか」と何度も言われている気がしてなりません。
「お前が一日遅れれば、どれだけの命が亡くなるかお前は分っているのか!」と、響いてくるのです。
2023年4月15日(土)
細井さんから届いたメールとその内容は、私には実に妙でした。
千葉県柏市布施弁天さまは朝来郡からいらしてました 細井
4月12日(昨日)武田さんと、謎の解明に柏市布施弁天まで行きました
道鏡さまのお寺に行った日に、
自治医大駅11時19分到着のなぞと、なぜか柏インターに入る前にナビが
遠回りして布施、久寺家(くじけ)あたりを通らせようとした ということが
腑に落ちず 千葉でも名高い布施弁天さまに、仙台へ行った後(11日)
行ってみました 手賀沼のほとりを運転して、布施弁天にいき、説明を見たところ、
但馬の朝来郡の出身の弁天様であることが判明、武田さんがすぐ地図を見て、
「あーこのあたりねー」と言っていらっしゃいました
説明板を添付します
おそらく行く際に、こちらの弁天様もごいっしょなさりたくて、先生や田中さん
とご一緒にいらした卑弥呼さまにお会いになりたかったのではないでしょうか
ちなみに柏市(神集)かしわ?には、この布施弁天についての伝説があり、
竜が広かった手賀沼を埋めて(土を持ち上げて落とした)空海様が彫刻した3寸の
像を降ろして、人々がそれをもとにこのお寺を造ったとのことでした
あとで、空海様もこちらを訪れられているそうです
さらに・・・
弁天様は、とても陽気で歯をむき出しにして爆笑しておられます
さすがにお参りする際には、とても失礼なので、笑えませんが こちらを
お参りしたあとには3か月ぐらい爆笑の余韻が残ります・・・(笑いが止まらなくなるので要注意ですが)
はははは
添付された上の「但馬の国筒江の里に伝わる伝説」を読んで、兵庫県朝来市和田山町筒江あたりを見ると・・!
なんと龍(308m)の顔と言いますか、頭と申しましょうか・・龍のコンターラインが出現です。
そして・・、龍は宝珠も持っているようです!
2023年4月1日(土)
龍興寺の道鏡塚は、コンパスグラスで20度方向に向けて造営されていましたから、地理院地図で20度方向にラインを青森まで引いてみました。
そうすると岩手県八幡平市不動川原に「竜ヶ森554.7m」という山が目につきました。
「龍興寺」の先に「竜ヶ森」。コンターラインから女性の墓だということが私には伝わってきます。でも誰の墓なのだろうか? 国土地理院地図では情報不足なのでグーグル地図を見てみることにしました。・・すると、竜ヶ森の北方向に『だんぶり長者屋敷跡』という文字をクリックしてみました。そして・・、「だんぶり長者物語」という説明板を読んでみると、継体天皇に嫁いだ吉祥姫(桂子姫)の物語でした。
これはもう継体天皇の皇后である手白香皇女の墓であると私には響いてきました。
地域の伝承や物語には意味があるものと常々私は思っていますから、これはもう私しか知らないフェニックスコードと照らしてみることにしました。
すると・・、道鏡塚から道鏡の墓までと竜ヶ森までの三点は二等辺三角形を描きますし、継体天皇の墓と竜ヶ森とを結ぶもう一点で二等辺三角形を描くポイントに大日岳(新潟県南魚沼市山口)がありました。これだけでも説明するに足りると思いましたが、手白香皇女であれば、子に欽明天皇が居ますから、欽明天皇の墓と手白香皇女の墓である竜ヶ森とを結んでみました。
するとどうでしょう・・、私が以前行かされていた「滝尾神社」が求められました。ここではその時、不思議な忘れることのない体験をしていましたから驚くばかりでした。そしてその近くには日光東照宮があることも偶然ではないでしょう。 つづく
上に書かれた金堂の説明には、金堂の向きは最初は南向きだったと言うことですから、おそらく道鏡塚と同じく20度方向に手を合わすように建築されていたと私は推測します。
だんぶり長者物語・・の動画の最後に道鏡の名が出てくることにも私は、竜ヶ森が手白香皇女の墓であると確信を持ちました。
また、五ノ宮嶽と竜ヶ森(手白香皇女の墓)を結んで、正五角形の一部を成す直角三角形を描く場所に「花輪」という地域名を残しているのも重要な意味を伝えていると思います。
2023年3月27日(月)
私は許可をいただいて塚へと急いだ。そして待っていた皆さんに許可をいただいたことを告げて、ストッパーの竹竿を外してゆっくりと踏みしめるように、そして慎重にコアロッドで調査を開始した。
私はいつもより時間をかけて丁寧に調査をした。結果、石室の大きさは、凡そ5.2m×5.2m。金は1.2m×1.2m。念のために銀も計測すると、5.2m×2.5mもキャッチした。
そして石室は20度方向に向けて造営されていることが分かった。塚が20度方向に造営されているその意図は何を教えているのか・・、それは重要なメッセージだと私は受け止めた。 つづく
おお~~っ!かっこいい美女軍団!!
皆の様子を空海は伺っていた!
2023年3月26日(日)
私は山門前左手の案内板で「道鏡塚」の場所を確認し、山門から入って左手にある道鏡塚の前に急いだ。
どこか懐かしくて・・、嬉しくて・・。でも時間はかぎられているので、さっそくコアロッドを取り出して金の反応を探ることにした。塚の正面に立ってロッドを操るとすぐにロッド先端は閉じた。そしてその幅は凡そ1.2m。それでそこから右手90度方向から塚に向かって同じ動作をすると、これもすぐさま反応し同じく1.2mほどであった。それで私は、塚の上に立って詳しくし調べたくなって、住職に合って許可をもらうことにした。私はそこからそのまま本堂左手を歩き、本堂と講堂のつなぎ廊下の下をくぐって庭を歩きしめ客堂玄関前に立った。入口の引き分け戸は閉まっていたので左手のチャイムを鳴らした。するとほどなくして中から声がして引き戸は開いた。そしてそこに女性の姿が・・。私は早速名刺を差し出して、「神戸から来ました上森と申します。やっと来ることができました」と言って、『不死鳥のあしあと2』をおもむろに出して、「あっ、ものを売りに来たのではありません。ここに道鏡さまのことを画きましたので、ちょっと住職様が居られましたら・・」と告げると、「ちょっとお待ちください」と言われて奥へと・・。ほどなくして住職らしき男性が現れて、「どうぞお上がりください」となって、上がってすぐ左手の応接間に案内されました。
私はコアロッドをテーブルの上に置いて、本の71ページを開いて道鏡の墓と下野薬師寺跡について説明し、「実は、本を完成させた後に、こちらに道鏡塚があることを知りました。安国寺六角堂から日月の山までもそうなのですが、ここの道鏡塚から日月の山までも全く同じ距離であることにビックリして今日、真っ先にこちらに来ました。そして・・、この本にも紹介していますが、これがコアロッドと言うものです。たったいま今、これで塚に向かって探査しましたら、金の反応を得ました。それでお願いなのですが、塚の上から詳しく調査したいのですが・・」と言って、「私は道鏡さまは、非常に無念の御霊だと思っています。無念を晴らさなければと思っています・・」と一方的に話していた私でした。すると住職はおもむろに私に一冊の本を差し出されました。そこには「道鏡を守る会」と書かれてありました。そして住職が今度は道鏡について全く私と同じような思いを語られ、私はそれを聞いていました。そして話が終わるころ私は、「塚に上がって調べることをお許し願いますでしょうか」と切り出すと、「どうぞ・・」と許可をもらい、嬉しくて早速、塚へと急ぎました。 つづく
2023年2月3日(金)
空海さまの母君の生誕地が特定できました。お生みになられたのは孝謙天皇ですよ。
「誰との子供ですかぁ」って・・? それは道鏡さまですよ。 見事な空海コードです!
孝謙天皇の墓と空海さまの母君の墓と道鏡の墓との二等辺三角形の重心となる場所が生誕地で『蓮生塔』の場所です。
2023年1月31日(火)
空海は高野を開いてからも、月に一度は荒神岳に登っていたという話を最初に聞いたとき、全くもって謎でした。
でも・・、やっとここに至ってその謎が解けました。荒神社の東には空海さまのお祖父さんにあたる道鏡の墓があって、そこから直角に北に行ったところに道鏡の父にあたる葛野王の墓があります。全くこの図形を反転した場所に行基の墓があって、荒神社 道鏡の墓 葛野王の墓 これに対して荒神社 道鏡の墓 行基の墓は全く同面積で同じ角度のシンメトリーな直角三角形を描いています。
このようなことって・・、もう驚くばかりです。まだこれ以外に荒神社から父にあたる吉備真備の墓や、光明皇后や空海さまの母の墓など沢山描けます。あまりにも・・なのです。
空海さまにとって、荒神岳の荒神社は、特別で大切な場所だったのがよ~~く理解できた今日この頃です。
2023年1月30日(月)
淡海三船のお墓である奈良市高畑町1352にある比賣神社の小さな境内には神像石(かむかたいし)と書かれた札の奥に4つの石と淡海三船と池辺王と葛野王と弘文天皇と・・十市皇女と父子4代の名前。
この父子4人の中で、池辺王=道鏡とすれば、空海コードは見事につながりました。
池辺王は道鏡である!と言い切れます。
2023年1月22日(日)
昨日21日は、名張へと出かけました。
道鏡氏が、父君である葛野王の墓に行きたいと言ってるような気がして・・。
駅の改札を出るなり正面に、「江戸川乱歩像」。「謎は解けますかな!?」と、話しかけられているように聞こえましたが・・。