2019年12月5日(木)
藤原不比等の墓を教える綺麗な図形が浮かび上がって・・。
藤原不比等の墓参りにあたり、上の図形は私に多くのものを示唆しているように思えて、定恵の墓の麓にある観福寺へも法道寺へも正法寺へも私を急がせた。
そこから、私達の先祖のルーツを教えていることが垣間見れました。
そして・・、元正天皇が法道寺と正法寺を使って、卑弥呼の墓の位置を教えていることが浮かび上りました。
元正天皇陵と法道寺と卑弥呼の墓は直角三角形になっています。
又、元正天皇陵と正法寺と卑弥呼の墓も直角三角形になっています。
そして・・、卑弥呼の墓までと元正天皇陵までと同距離になるポイントにな~~~んと、「美女山」という美しい名前の山があるのです。
元正天皇は独身の女性天皇だったということですが、女王と天皇の2人は、「美人でしたねぇ!」と山に語らせているようですね。
しかも30度60度90度の基本形の直角三角形をシンメトリーにしています。
これは元正天皇は嬉しいでしょうねぇ。
・・と言うことは、「美女山」の名付け親は、正法寺を開基した泰澄大師のように私は思います。
美女と言われるのは卑弥呼おばさんも悪い気はしないでしょうが、「元正天皇ってだ~~れ?」と言って居られるのか、「それは有難い!」と言っておられますやら・・?
卑弥呼の墓と法道寺と美女山の三点は、ケプラー三角形になっています。
今まで、不比等君と卑弥呼おばさんとの関係図がありませんでしたが、ここにきてやっと賀茂遺跡とで綺麗な直角三角形を描きました。
不比等君は、卑弥呼のことを「美女だった」とは言ってませんが、出会ったこともない人に「そのようなことは言えません」と、不比等君らしいような・・。
・・と言えば、卑弥呼おばさんにも不比等君にもお叱りを受けるでしょうかねぇ私は。 ぺこり!