散文的で抒情的な、わたくしの意見

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天皇が神武天皇にお祈りしても、個人的迷惑は受けないのだが。

2019年03月31日 | 天皇
平成も終わるようです。で、天皇が神武天皇陵、四条ミサンザイ(古墳)に参拝したそうですが、なんともいえぬ「違和感」「変な感じ」を覚えます。

たぶん「皇室の行事」であって、「政府の行事ではない」のでいいのですが。心情的には「違和感」です。

だって神武天皇なんていません。いないのだから墓はありません。「一体誰に参拝しているのだ?」ということです。

紀元二千六百年という歌があります。戦争中の1940年に作られました。「皇紀(神武天皇即位紀元)2600年」を祝して創作された国民歌、だそうです。

それから79年が経っています。今なら「紀元は2679年」ということになります。

つまり即位したのは2679年前です。西暦なら紀元前660年。

「縄文時代になってしまうではないか!縄文時代の天皇なのか!」ということです。

これでは「あまりに苦しい」ということなのか。神武天皇は4世紀の人だという方もいるようです。4世紀は便利です。「空白の4世紀」で資料がないので、なんとでも言えます。

天皇号の使用は7世紀後半です。私は最初の天皇は天武天皇だと思っていたのですが、推古天皇説もあるようです。誰が推古天皇を主張?と思って調べる外人さんのようです。どうやらやはり最初に天皇号を使用したのは天武天皇であるってのが「今のところの定説」みたいです。紀元後670年ぐらいです。それ以前の「天皇」は少なくとも「天皇と呼ばれてはいなかった」ということになります。その後も天皇という「文字の使用」は長く中断したことが分かっています。

では、実在の「大王」は誰からか。

大王って号も使用された、いないの説があるみたいですが、

私は実在した大王は、崇神天皇(大王)(3世紀末)だと思っていたのですが、どうやら最近の学説では雄略天皇(大王)(5世紀半ば)みたいです。まあ考えてみれば3世紀は卑弥呼の時代ですから、そんな時代に大王がいたってのも変な話です。

本当の本当に確実なのは「継体天皇(大王)」からみたいです。確実なわりには在位年代が確定していません。5世紀末、あるいは6世紀初めのようです。この継体天皇(大王)は面白いですね。なにしろ「記紀」によると「応神天皇(大王)の5世の孫」だからです。相当な「遠い親戚」です。

つまり「神武天皇は大王レベルで4世紀に実在した」としても「最近の学説に照らせば」、無理があります。崇神大王より後の4世紀の大王とすると「最初の天皇」という「建前」が崩れます。

長く書く必要はないのです。いるわけない。つまり神武天皇陵、四条ミサンザイ(古墳)は「誰の墓なのかもわからない」わけです。

「皇室の儀式だから、やめるわけにはいかない」ことは分かってはいるのです。でも違和感を感じます。また「本当にやめられないか」とも思います。

私は憲法に規定された「象徴天皇制」「立憲君主制」に反対はしていません。でも昭和天皇の「いわゆる人間宣言」の精神が重要だと思う人間の一人です。

朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ

これは別に「天皇家の儀式を否定したものではない」ので、天皇が神武天皇にお祈りするのは自由です。でも自由だからと言って堂々とやられ、それが大々的に報道されると、「神話と伝説」「架空なる観念」と「また天皇制がつながってしまう」という危惧を覚えます。それは「象徴天皇制の危機」を意味します。というわけで「迷惑は受けないが」、違和感は大きく感じます。


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