映画「関ヶ原」は悪夢ですが、同じ原作でありながら1981年TBSドラマ「関ヶ原」は史上最高の日本時代劇かも知れません。
☆言うまでもないことですが、ドラマはドラマです。史実じゃありません。ドラマはフィクションであり、フィクションとして楽しむものです。
加藤剛さん演じる三成、三船敏郎さん演じる島左近、高橋幸治さん演じる大谷刑部、三國連太郎さん演じる本多正信、杉村春子さん演じる寧々、沢村貞子さん演じる前田まつ
松坂慶子さん演じる初芽、そして森繁久彌さん演じる徳川家康
文句のつけようがありません。
まず「前田まつ」から。家康に謀反の濡れ衣を着せられた前田利長はうろたえます。しかし、利長の母であるまつ・芳春院はぴしゃりと言います。「家康殿のねらいも分からないのか。とにかく謝って徳川殿の手に乗らないことだ。あなたには徳川殿と天下を2つに割って争う器量はない。前田の家は利家と自分が作った。あなたはそれを守ればいい。それがあなたの器量です」
次に島左近「この傷ではもう先が知れておる。三成の殿は落ちそうらえ。人はそれぞれに自分に似合った舞を舞う。それでいいのじゃ」左近に三成は言います。「左近、わしはそちと舞いたいのだ」左近「心得てござる」・・・さらばじゃ、正義のお人・・・「ここから先は地獄への旅じゃ、ついてきたいものだけついて来い、目指すは徳川家康ただ一人」
大谷刑部は裏切り金吾に対し「とうとう裏切ったか。ゆくぞ。裏切り者を討て。みな死ねよーし。卑怯者を一人でも多く連れていくのだ」
そして切腹に際しこう言います。「三成、地獄で会おうぞ」
地獄なのです。あの世ではない。自分たちには地獄が似合っていると思っているわけです。奥深い。
初芽についても色々書けますが、長くは書きません。とにかく美しいのです。
三成は捕らえられ家康と対面します。ふたりとも何も言いません、家康は正信に「斬れ」と短く言います。三成は思います。「おれは斬れても義は斬れるものか」
廊下にでた家康は正信に言います。「三成に礼でも言うべきであったか」
そして、ここが好きな場面なのですが「家康が太閤と三成の為に泣く」のです。
「豊臣家子飼いの大名たち、ああも無節操に裏切れるものか。喜ぶ反面心が冷えたわ」
「せめて三成のような家臣がいて、太閤殿も初めてうかばれたであろう」・・・そういって家康・森繁久彌さんは涙を流します。
原作ではこれは「黒田如水の心の声」として描かれています。
秀吉の晩年、もはや大名から庶民にいたるまで、その政権が終わることをひそかに望んでいたにも関わらず、あの男(三成)は、それをさらに続かせようとした。すべての無理はそこにある、と如水は言いたかったが、しかし沈黙した。かわりに
「あの男は、成功した」と言った。ただ一つのことについてである。あの一挙(関ケ原)は、故太閤へのなりよりもの馳走(贈り物)になったであろう。豊臣政権のほろびにあたって、三成などの寵臣までもが、家康のもとに走って媚びを売ったとなれば、世の姿は崩れ、人はけじめを失う。かつは置き残していった寵臣からそこまで裏切られれば、秀吉のみじめさは救いがたい。その点からいえば「あの男は十分に成功した」、と如水は言うのである。
さてドラマ。
最後は初芽と正信の会話で終わります。
「わしは三成殿に救われた。わしと三成殿は似ている。知恵ある者は憎まれる。わしはそれを教えてもらった」
「あなたは、三成様とは少しも似ておられません」
☆言うまでもないことですが、ドラマはドラマです。史実じゃありません。ドラマはフィクションであり、フィクションとして楽しむものです。
加藤剛さん演じる三成、三船敏郎さん演じる島左近、高橋幸治さん演じる大谷刑部、三國連太郎さん演じる本多正信、杉村春子さん演じる寧々、沢村貞子さん演じる前田まつ
松坂慶子さん演じる初芽、そして森繁久彌さん演じる徳川家康
文句のつけようがありません。
まず「前田まつ」から。家康に謀反の濡れ衣を着せられた前田利長はうろたえます。しかし、利長の母であるまつ・芳春院はぴしゃりと言います。「家康殿のねらいも分からないのか。とにかく謝って徳川殿の手に乗らないことだ。あなたには徳川殿と天下を2つに割って争う器量はない。前田の家は利家と自分が作った。あなたはそれを守ればいい。それがあなたの器量です」
次に島左近「この傷ではもう先が知れておる。三成の殿は落ちそうらえ。人はそれぞれに自分に似合った舞を舞う。それでいいのじゃ」左近に三成は言います。「左近、わしはそちと舞いたいのだ」左近「心得てござる」・・・さらばじゃ、正義のお人・・・「ここから先は地獄への旅じゃ、ついてきたいものだけついて来い、目指すは徳川家康ただ一人」
大谷刑部は裏切り金吾に対し「とうとう裏切ったか。ゆくぞ。裏切り者を討て。みな死ねよーし。卑怯者を一人でも多く連れていくのだ」
そして切腹に際しこう言います。「三成、地獄で会おうぞ」
地獄なのです。あの世ではない。自分たちには地獄が似合っていると思っているわけです。奥深い。
初芽についても色々書けますが、長くは書きません。とにかく美しいのです。
三成は捕らえられ家康と対面します。ふたりとも何も言いません、家康は正信に「斬れ」と短く言います。三成は思います。「おれは斬れても義は斬れるものか」
廊下にでた家康は正信に言います。「三成に礼でも言うべきであったか」
そして、ここが好きな場面なのですが「家康が太閤と三成の為に泣く」のです。
「豊臣家子飼いの大名たち、ああも無節操に裏切れるものか。喜ぶ反面心が冷えたわ」
「せめて三成のような家臣がいて、太閤殿も初めてうかばれたであろう」・・・そういって家康・森繁久彌さんは涙を流します。
原作ではこれは「黒田如水の心の声」として描かれています。
秀吉の晩年、もはや大名から庶民にいたるまで、その政権が終わることをひそかに望んでいたにも関わらず、あの男(三成)は、それをさらに続かせようとした。すべての無理はそこにある、と如水は言いたかったが、しかし沈黙した。かわりに
「あの男は、成功した」と言った。ただ一つのことについてである。あの一挙(関ケ原)は、故太閤へのなりよりもの馳走(贈り物)になったであろう。豊臣政権のほろびにあたって、三成などの寵臣までもが、家康のもとに走って媚びを売ったとなれば、世の姿は崩れ、人はけじめを失う。かつは置き残していった寵臣からそこまで裏切られれば、秀吉のみじめさは救いがたい。その点からいえば「あの男は十分に成功した」、と如水は言うのである。
さてドラマ。
最後は初芽と正信の会話で終わります。
「わしは三成殿に救われた。わしと三成殿は似ている。知恵ある者は憎まれる。わしはそれを教えてもらった」
「あなたは、三成様とは少しも似ておられません」
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