散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

葛籠重蔵が見た三方ヶ原の徳川家康

2017年08月18日 | ドラマ
最初に書いておきますが、史実じゃなくドラマの話です。

葛籠重蔵(つづらじゅうぞう)は架空の人物で、「梟の城」の主人公です。もっとも近くでは中井貴一が演じました。大河「国盗り物語」では露口茂さんが演じました。

さて、ドラマでのお話。

三方ヶ原は家康生涯の中の一番の危機です。が、織田からはほとんど援軍がこない。それでも家康は信長を裏切りません。

その様子を忍者である葛籠重蔵は天井裏から眺め、こう考えます。

「徳川家康か、不思議な男だ。裏切ったところで機敏さを誉められこそすれ、誰ひとり後ろ指さす者もあるまいに。」

さらに

「いや、この戦国に稀有の律儀さ。存外生き延びれば、諸大名の信頼を買うかも」

もちろん、この時の家康の「律義さ」がその後の家康の運命を決めた、という歴史があってこその言葉です。

さらにドラマ(国盗り物語)において、敗北後の家康は本多忠勝にこう言います。

忠勝「鎧袖一触とはこのこと、武田は強い」

家康「いや、戦では負けたが、わしは生きておる。徳川家康を臆病者とは、もはや世間は見ぬ。忠勝わかるか。いかに知略があろうとも、臆病と言われれば、人は軽蔑し、知略をほどこすこともできぬ。

三方ヶ原で今日、わしがこの手に握ったのは、天下という場所で仕事をするには、命より大切な信用だ」

むろんすべてはドラマですが、「言っていない」とも言えません。資料がありませんから。資料といえば例の超有名な「家康敗戦の姿絵」はありますけれども。

あ、でも「言った」と主張する気なんて全然ないのです。ただ「いいセリフだ」と思うのです。

このセリフは司馬さんの原作にはありませんから、脚本の大野靖子さんの創作です。素晴らしい才能だと思います。

その後「花神」の脚本も担当します。私が別格だと思う大河ドラマは二つあって、「国盗り物語」と「花神」です。その二つの脚本が両方とも大野靖子さんです。

織田信長を「どうしても凡人にしたい人々」の間違い

2017年08月18日 | 日記
織田信長を「どうしても凡人にしたい」「どうしても普通の武将にしたい」という「奇妙な情熱」を持つ人々がいます。学者さんに多いですね。

庶民が「ドラマのイメージ」に引っぱられて、または司馬さんに引っ張られて、信長のカリスマ性に憧れることが「たまらなく嫌」「感情的に許せない」ようです。

さらに言えば、「なんか新しいことを言わないとTVに出られないから、信長のイメージを崩してやろう」とも考えてるみたいです。

そういう学者は馬鹿ですね。本人は「真実を言っているのだ」と言いたいのでしょうが、馬鹿な情熱です。

そういう学者が1万回ぐらい言うのが「天下とは近畿地方のことだ。天下布武とは近畿地方を掌握することだ」ってセリフです。

聞き飽きました。

「じゃあ、実際の行動として、日本全土を武力制圧しようとした武将がいますか」と「ブルゾンちえみ風」に聞いてみたいと思います。

答えは「35億でも35人でもなく、ただ1人、信長だけ、あと本能寺後の秀吉」

信玄の上洛なんてのも、それこそ「近畿の制圧目的」であって、日本全土なんて壮大な構想は全然頭になかったでしょう。ちまちま川中島で戦っていた人間です。

「事実として日本全土の武力制圧を考えたのは信長しかいない」のです。信玄も謙信も、浅井も、朝倉も、北条も、むろん毛利も、長曾我部も、そんな行動、みじんもとっていません。

「天下は近畿のこと」なんてのは「言葉遊び」で、信長の実際の行動を考えれば、彼のいう「天下」とは「日本全土」です。

こう言い換えてもいい。信長が「天下」という言葉を日本全土という意味にしたのだ、と。言葉の意味なんてあっという間に変わります。現代における「やばい」の用法のように。

さらに奇妙な情熱をもった学者は言います。

「3000丁の鉄砲の三段撃ちなんてなかった」

そりゃなかったでしょう。整然と1000丁ずつ撃つなんて無理です。だいたい3000丁も怪しく、1000丁ぐらいみたいです。

しかしながら、さはさりながら、

1000丁の火縄銃を各自が勝手に撃ったとします。そうなると大体200丁ぐらいの鉄砲玉が間断なく飛び交っていたでしょう。相手は進むことができません。

「騎馬軍団なんてなかった」を認めて、徒歩だとすると、余計に前に進めなくなります。

三段撃ちじゃなくても、そうなるはずです。しかも、火縄銃というのは、結構な威力で、射程も相当長いのです。

1000丁と仮定して、「玉ごめ時間を考えて稼働は5分の1ぐらい」と考えると200発。つまり200発の「実質5段撃ち状態」になります。各自がバラバラに撃ってもそうなるのです。

銃というのは一発でも怖いものです。今渋谷駅で一発の銃弾が発射されたとします。その音を聞けば、ほぼ全員が身をかがめるし、パニックが起きるでしょう。

銃弾というのは一発でも相当な心理的圧迫性があるのです。200発が間断なく発射されたら、もう乱射と同じです。竹の束で身を守って、おずおず進むのがやっとでしょう。

つまり三段撃ちを否定したぐらいで、学者さんに「したり顔」されても、困るしかありません。

というわけで、学者さんたちの奇妙な説明は、私にとっては何の意味もないというか、「はいはい、分かりました」という感じです。バッカだなーという感じすらします。

どうやら司馬さんが信長ブームを作ったと「勘違いしている」学者もいるようですが、実際は吉川英治の大河「太閤記」が昭和における信長ブームの始まりです。

実は司馬さんは信長についてはそれほど書いていないのです。「国盗り物語の後編」。最初これは書く気がなかったのですが、いろいろな事情で書くことにした。

最初は斉藤道三のみ書くつもりだったのです。信長はメインではなかったのです。確かに中世の破壊者としての信長は描きましたが、「本当に破壊者の側面を持っている」のだから、仕方ないことです。

ごりごりの合理主義者じゃないとしても、義昭追放だけでも、延暦寺焼き討ちだけでも、「破壊者」の名を与えられるのは当然だと思います。

信長は、「新史太閤記」でも登場します。でもメインは当然秀吉です。「尻喰らえ孫市」、メインは孫市ですね。あと小説の「功名が辻」には一切信長は登場しません。

司馬さんは、そんなに熱心に信長を描いてはいないのです。

一部の奇妙な学者さんはどうしても「信長を中世の破壊者にしたくない」ようですが、要するに「なんか目新しいことを言いたい」だけでしょう。

とにかく「どうしても信長を凡人に」したくてたまらないみたいです。それは「つまらない」し、なにより「間違い」です。



おんな城主直虎のタイトルのこと

2017年08月18日 | ドラマ
おんな城主直虎

古い大河ファンにとっては、見る価値がほとんどないホームドラマ、淡い恋愛ドラマです。もっとも私以外の人間には見る価値があるのかも知れません。人それぞれです。

柴咲さんは好きなんですが、できれば他の作品で主役をやってもらいたかった。かわいそうです。

だいたいこうやってブログなんかを書きながら、録画を「ながら再生」します。内容には、特に何の意見もありません。

タイトルが変なことには途中から気が付いていました。

「死の帳面」とか「ぬしの名は」とか。デスノート、君の名は、ですね。

ほとんどが言葉遊びになっているようです。まあ、「馬鹿みたい」ですね。そんなことより内容に力をそそげ、と思います。

前回は「復活の火」でした。

これには少し腹が立ちました。「復活の日」を馬鹿にするな!という思いです。

「復活の日」、小松左京原作の小説、映画。映画の主役は草刈正雄。新型ウィルスによる人類滅亡の危機を描いています。

この映画、万人にとって名作とは思いませんが、私にとっては素晴らしい映画で、1年に一回は見直します。

なにより「復活の日」という題名がいい。

デスノートあたりで言葉遊びをするのはいいですが、名作「復活の日」を汚さないでほしいものだと思います。




特攻を命じた人々

2017年08月18日 | 日記
特攻。

ここでは主に空の特攻を考えます。

「あはれ」なんですね。

何故かというと、最初は効果がありましたが、やがてアメリカ軍がVT信管というものを発明し、簡単に撃ち落されるようになります。

VT信管発明後はほとんどが敵に体当たりもできず、海の藻屑となってしまいました。

話ずれますが、0戦なんかは、ほとんど防御機能がないので、攻撃には向くのですが、攻撃されて撃たれると簡単に撃墜されてしまいます。

速く動けるのが0戦の特技なんですが、その為に機体を軽くする。防御機能を付けない、簡単に撃墜される、ということです。

で、命じた「大人たち」は戦後どうしたかというと、「だいたいがのうのうと生き残り」ました。

大西瀧治郎は流石に自決しました。が、猪口とか源田とか、戦後もちゃんと生きています。

大人たちは「最後はおれが行く」と言っていました。本当に最後に行ったのは、まあ1人だけしょうか。

その1人とは宇垣纏中将です。玉音放送後だったので、米軍に向かうわけにもいかず、おそらくどこかの島に自ら落ちて自決したものと考えられています。

その後、宇垣纏の行動は賞賛されることもなく、むしろ批判されます。若いものを引き連れていったという点が批判されたのです。

繰り返しますが、特攻は途中からほとんど効果がなくなります。効果がなくても続けられ、8月14日夜まで続きます。大人たちの愚策の犠牲となって、多くの若者が死にました。