散文的で抒情的な、わたくしの意見

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「戦慄の記録インパール」、佐藤師団長の抗命を話題にしなければ、何の意味もなし。

2017年08月15日 | 日記
本日放送の「戦慄の記録インパール」。

佐藤幸徳師団長の「独断撤退」とその後のこと、を話題にしていませんでした。

1992年のドキュメント太平洋戦争(NHK)では、むしろ独断撤退しなくていけないほどの軍の硬直的官僚化と牟田口の無能さがメインだったはずです。

今日の放送では、まるで「みんなが悪かった」ようになっています。ばかばかしい番組作成姿勢です。

インパール作戦というものを取り上げたことはよいことですが、佐藤師団長の無断撤退を取り上げなければ、何の意味もありません。

佐藤師団長は繰り返し食料の補給を求めますが、無能な牟田口にそれができるわけもありません。

そこで佐藤師団長は部下の命の一人でも救うため、日本陸軍初の「師団長の命令無視行動」をとります。

つまりは「抗命」、「独断撤退」です。

そうして史上最悪のインパール作戦は終わることになるのです。

本部に戻った佐藤中将(師団長)は牟田口を探します。兵站無視の作戦によって日本兵を無駄に餓死させた牟田口への佐藤の怒りは頂点に達していました。

「牟田口を出せ、俺が牟田口を斬る」と日本刀を振りかざします。

牟田口はとっくに逃げていました。

師団長は天皇が直に任命しますから、佐藤師団長の行動は天皇への「抵抗」でもありました。

そこで、陸軍は佐藤師団長を「心神喪失」扱いとし、陸軍という官僚組織を守ります。

帝国陸軍というものがいかに腐った官僚組織だったかを描かなければ、インパールで死んだ人々に対して失礼です。

本日の「戦慄の記録インパール」の「みんな悪かった」というような惰弱な描き方では、餓死した兵隊が泉下で「怒りにうち震える」と思います。

「つわものの生命救いし決断に 君は問われし抗命の責め」、これはインパールの生存者が佐藤師団長顕彰の碑に刻んだ言葉です。

佐藤師団長は後に「大本営、総軍、方面軍、第15軍という馬鹿の四乗がインパールの悲劇を招来したのである」という言葉を残しています。